第八十四話 ルルの狂乱①
「リリィがいない?」
女湯に突入してしまった罰としてリリィに派手に吹っ飛ばされ、今の今まで気絶していた僕に告げられたのは、その一言だった。
「ああ、夕飯の前に一度部屋に戻って行ったのは知ってるんだけど、いつまで経っても出てこないからおかしいなと思って見に行ったら、誰もいなくなってたんだ」
「他の生徒や先生にも聞いてみたんですけど、誰もリリアナさんの姿を見た人はいなくて……流石に変だと思って調べたら、バルコニーに僅かですけど魔法の痕跡が残されていたんです……そこに、これが落ちていました」
ヒルダとモニカから口々に説明され、最後に手渡されたのは、僕が今日買った剣のネックレス。
お風呂場であんなことがあったのに、それでもちゃんと身に着けていてくれたのかと少し嬉しくなる。
けど、今はそれどころじゃない。
リリィはドジだから、このネックレスだけなら単に落としたっていう線もなくはないけど、こんな時間に、誰にも言わず、ましてや気付かれることもなく宿を抜け出すなんて真似はしない。
誰かに連れ出されたんだ。
「……それで、先生はなんて?」
「宿に怪しい人が出入りしてた様子もないから、ひとまず街中を探してみるって言ってました。夜は危ないから、私達は大人しくここにいるようにって」
「なるほど、まあ、そうなるか」
現状だと、リリィが急にいなくなったって言うだけで、誘拐だと決まったわけでもないから、街の衛兵に通報できる状態じゃない。魔法の痕跡も、モニカが僅かと言うくらいだから、特にこれと言って証拠になるほどの痕跡でもなかったんだろう。魔力の残滓とかそのレベルだと、単にバルコニーで暗いから灯りの魔法を使っただけっていう可能性が残るから。
かと言って、状況からして誘拐の可能性は高いし、もしそうなら宿の住人の誰にも気付かれることなく、魔法の痕跡も最小限にして、しかもあのリリィを反撃も許さず無力化出来るほどの手練れだ。生徒だけで下手に出歩かれたら、二次被害が起きる危険性が高い。
「じゃあ、ちょっとリリィを探しに行ってくる」
けど、だからどうしたって話だ。
「まあ、ルルーシュならそう言うだろうと思ったよ」
くっくっくっと、ヒルダが可笑しそうに笑い、いつの間にか用意されていた剣を両腰に装備している。
そんな僕らの様子を見て、それまで不安そうに立っていたマリアベルが慌て始めた。
「ま、待ってください! 探すのはいいですけど、どこにいるのかも分からないんですよ!?」
「あ、探すのはいいんですね」
少しだけ意外そうな声色で呟くモニカを、マリアベルがくわっ! と目を見開きながら睨みつけた。
「当たり前です! まだ旅行の定番イベントは終わってないんですよ!? こんなタイミングでお預けなんてあんまりです!」
「え、あ、はい、すみません……?」
怒るポイントそこ? と思わないでもないけど、まあ、止められないならそれでいいか。
「けどルルーシュさん、手掛かりがないのは本当のことですよ。どうするんですか?」
マリアベルのことは気にしないことにしたのか、モニカはそう言って僕に水を向けてきた。
他のみんなの視線も僕に集中し、手立てがあるなら早く話せとばかりに急かしてくる。
「……仕方ないな、他の人には他言無用で頼むよ?」
あまり人に知られたくない手だったから、そうみんなに断りを入れると、僕は自分に割り当てられた部屋へと向かう。
そして、リリィの両親に無理に持たされてきた大量の荷物の中から、とある道具を引っ張り出す。
まさか、これに頼らなきゃならない事態になるとは……
「ルルーシュさん……それは……」
心なしか、モニカから向けられる視線が凄く冷たい気がするけど、気付かないフリをしながらテーブルに置いたのは、透明な水晶のような魔道具だった。
「これは、魔力の波長が同じ魔石から、音や映像をリアルタイムで再生してくれる魔道具だよ。リリィの服に魔石が仕込んであるし、過去一時間以内の記録なら遡って再生も出来る代物だから、リリィの捜索に役立つはずだ」
「……なあルルーシュ、あまりこういうことは言いたくないんだが、それってひょっとして盗聴とか盗撮って言うんじゃ」
「僕じゃないから。これリリィの両親から渡されたやつだから」
別に僕が服に仕込んで盗聴とか盗撮してるわけじゃない。断じて違う。
「というかそもそも、これって機密指定の軍用魔道具ですよね? 無断で持ち出したら捕まるやつですよね!?」
「マリアベル。捕まるのはあくまで、無断で持ち出した場合だ。これは最初から外にいる状態で自力で作ったやつだから捕まることはない……らしいよ」
作成者であるリリィのお母さんが言ってた。
「それ屁理屈って言うと思うんですけど!?」
魔道具に詳しいマリアベルが騒いでるけど、今はスルーだ。リリィを助けるにはこれがどうしても必要なんだから。
まあ、本音を言えば僕も同感だけどさ。
「まあまあ、これでリリィの手がかりが掴めるっていうなら、衛兵隊の一つや二つと戦うくらい、いいじゃねーか」
「ま、まあ確かに、手がかりは大事ですし、私も覚悟を決めてこれ以上とやかくは……あれ? ヒルダさん、今衛兵隊と戦うって言いました? 気のせいですよね?」
ヒルダがマリアベルを上手く(?)宥めてくれてるのを聞きながら、僕は魔道具に魔力を通し、一時間前の映像を映し出す。
さて、一体誰がリリィを連れだしたのか……
『うーん、やっぱり引っ張ってでもルル君を温泉に連れてくるべきだったでしょうか。いや、でもなあ……』
「ぶふっ!?」
少しでも手がかりを得ようと、食い入るように眺める僕の視界に映ったのは、ちょうど脱衣所で服を脱いだリリィの映像だった。
新雪のように白い肌が視界いっぱいに広がり、思わずむせ返る。
「ルルーシュさん……」
「ルルーシュ、今は緊急事態なんだから、盗撮はまた今度な?」
「違う、違うから! とりあえず一番古い映像をと思っただけで、これを見ようとしたわけじゃない!!」
マリアベルとヒルダからも絶対零度の視線を向けられながら、僕は慌てて映像をスキップしていく。
「ルルーシュさん、ここに映写の魔道具で撮影した、リリアナさんの秘蔵写真があるんですが……」
「……言い値で払う。取っといて」
「まいど」
さりげなく耳元に顔を寄せて囁いてきたモニカの言葉に、思わずそう返しちゃったけど、これは決して誘惑に屈したからじゃない。他の誰かにリリィの写真をばら撒かれたらたまったものじゃないから、僕が責任を持って回収しなきゃいけないんだ、うん。
「あ、そろそろみたいですよ」
スキップでコマ送りのように映像が早送りしていくと、マリアベルがそう言ってストップをかける。
慌てて止めると、ちょうどリリィが部屋に戻って、バルコニーに向かったところだった。
『全くもう、ルル君はもうっ』
ブツブツと、何もない夜の景色に向かって呟く、リリィの声が再生される。
さっきは着替えのタイミングだったからともかく、服に魔石が仕込んである都合上、リリィ自身の姿が見えないのが難点だ。
ただ、リリィが見ている物と、周りの音はしっかり聞こえる。
「誰か来ます」
だからこそ、リリィに話しかける何者かの声も、はっきり聞こえた。
それに反応したリリィが振り向いた先に立っていたのは、見覚えのある少年の顔。
「フレア……やっぱりか」
「やっぱりって、ルルーシュ、コイツ知り合いなのか?」
「まあ、少しだけね」
僕はかいつまんで、リリィと二人でフレアと出会い、宿まで案内した経緯を話す。
その時、あいつがリリィを少しだけ、邪な目で見ていたことも。
「なるほど……だから温泉の時も、悲鳴聞くなり飛び込んできたのか」
「うん、そういうこと。決して覗こうとしてたわけじゃないから」
「えっ、違うんですか? てっきり、リリアナさんの声を聞いて、内なるケモノに目覚めたと思ったのに……」
「マリアベルは一体何を期待しているんだ……」
脳内お花畑なマリアベルに、僕は溜息を吐く。
みんな、こんな状態なのにあまり深刻な雰囲気じゃないのは、何だかんだあってもリリィならそれほど大事には至らないだろうっていうある種の信頼があるからだ。
今までだって似たようなことがあって、その度にリリィは馬鹿みたいな魔力で、強引にねじ伏せて来たんだから。
ただ、それでも……今回ばかりは、嫌な予感が収まらない。
「それにしても、あまりにも自然にやって来たからスルーしてましたけど……この男の子、バルコニーからでなく、宿の中を通ってここまでやって来ているみたいなのに、誰一人覚えていないのはなぜなんでしょう?」
「あっ……」
そう、フレアは宿の中を通って来た。
なのに、リリィがいなくなったことについて先生達が調べて、怪しい人はいなかったと断言している。
子供だから怪しくない、なんて決めつけは、先生達だってしないだろう。いくら子供でも、魔法があれば大の大人を超える脅威になる場合もあるのがこの世界の常識なんだから。
それなのに、フレアがこうして入って来ていることに誰一人として気が付かなかった。
偶然ってことはないだろうから、つまりは作為的なこと。そして、それが出来るってことはやっぱり……
そこまで考えていた時、ついにそれは起こった。
リリィに迫り、拒絶されたフレアが魔法を行使し、リリィを縛り上げた。
リリィは咄嗟に、魔法を使って弾こうとしていたみたいだけど、なぜか全く効果を発揮していなかった。
困惑するリリィの声が、映像越しにも緊迫感を漂わせる。
そして、フレアが迫り、その瞳でリリィを見据えながら……とんでもないことを口にした。
『全ては俺の夢のため。そして……魔王復活のためだ』
リリィが意識を失い、脱力する。
体が前のめりになったことでフレアの姿が映像から途切れ、地面しか映らない。
『さて……ようやく手に入れたが、力の抽出には時間がかかるからな……拠点に戻って、念入りに洗脳しておくか。早速戻って……チッ、何かの魔道具か? 一応壊しておくか』
リリィの体が抱え上げられたかと思えば、どうやらこの魔道具に気付かれたらしく、その声を最後に映像が途切れていた。
先ほどまでの少し余裕のあった空気が消え、室内に沈黙が降りる。
「魔王……コイツが噂の、魔王崇拝者ってやつか」
「リリアナさんの魔法が封じられるなんて……そ、それに、力の抽出って、もしかして生贄ってことでしょうか!?」
ヒルダが重々しく呟き、マリアベルが顔を青くして慌てふためく。
そんな二人は他所に、僕はまた改めてもう一つ、リリィのお母さんから預かってきた魔道具を取り出した。
「ルルーシュさん、今度はなんですか?」
「莫大な魔力反応を感知するための魔道具。本当は、魔導災害の観測用の道具なんだけど、リリィのバカげた魔力なら、これで感知できるはずだ」
「……それ、国宝だったような……いえ、今はそんなこと言っている場合じゃないですね」
またも魔道具の価値に気付いたマリアベルがポツリと呟くも、今度は追及する気もないのか、すぐに頭を振って決然とした表情を浮かべた。
モニカも、やれやれと溜息を吐きながら、どこからともなく取り出した短剣を腰に差す。
「……もしかして、一緒に来るつもり?」
「さっきも言ったけど、当たり前だろ? オレだってあいつの友達だしな」
「わ、私も、大したことは出来ないかもしれないですけど、頑張ります!」
「まあ、金づr……友人が困っていたら手を差し伸べるのは、当然のことですから」
最後の一人がなんとも微妙なことを口走りそうになってるけど、戦いが苦手なはずのマリアベルですら引くつもりはないらしい。
「……分かった。リリィを助けるためだ、力を貸して」
「おう!」
「はいっ」
「わかりました」
僕の言葉に、三人が頷く。
こうして僕らは、リリィを助け出すための行動を始めるのだった。
いまいちシリアスになりきらないメンバーたち