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第八十二話 ルルの困惑④

「はあ、温まる……」


 僕達が泊まっている宿の温泉は、露天風呂だった。

 当然、リリィが期待するような混浴じゃないから、僕一人だ。他のクラスメイトは、温泉なんかより部屋でトランプやってた方がいいってさ。

 ……別に寂しくなんてない。


「ていうか、リリィも恥ずかしがるくらいなら言わなきゃいいのに」


 リリィの暴走はいつものことだけど、最近は変な方向に磨きがかかってる。

 僕をからかうつもりなのか、それともアプローチのつもりなのか知らないけど、なんでそれで自分が一番ダメージ受けてるんだ。自爆ってレベルじゃないぞ。


「まあそりゃ、僕だってリリィと一緒に入るのは嫌じゃないけど……」


「たのもーーー!!」


「っ!?」


 そう呟くと同時にリリィの無駄に元気な声が聞こえてきて、思わず入り口を振り返る。

 まさか本当に一緒に入りに来たの!? いや待って、流石心の準備ってものが……!

 そう焦る僕だったけど、リリィが入って来たのはそこからじゃなかった。


「リリアナさん、声大きいですよ!」


「あはは、すみませんマリアベルさん、こっちで温泉に入るのって初めてなのでちょっとテンション上がっちゃいまして」


「こっちって、他のところで入ったことあるのか?」


「あり……ませんけど、そんな気がしました!」


「どういう意味ですかそれ……?」


 リリィに続いて、他の知り合いの女子メンバーの声も次々聞こえてくる。

 どうやら、露天風呂なだけに男風呂と女風呂の間に仕切りが立ってるだけだから、声が駄々洩れで響いてきただけらしい。

 ふぅ、焦った……本当に来たらどうしようかと。いや、別に本気で期待してたわけじゃないけどさ。


「まあまあ、細かいことはいいじゃないですか。ルル君がいないのは残念ですけど、せっかくの温泉なんですから、楽しみましょう!」


「いやリリィ、さっきお前ルルーシュ誘って、『やっぱ無理です恥ずかしいです忘れてくださいうわぁぁぁ!!』とか言ってなかったか?」


「そ、それはちょっと気合が足りてなかったといいますか。ああもう、そんなこと言うなら今からみんなで男湯突撃しますか!? 多分ルル君入ってますから!」


 いややめて、来ないで、確かにさっき一緒でも嫌じゃないって呟いたけど、その言葉に嘘はないけど、でも実際にやられると色々困るから!?


「待ってくださいリリアナさん、確かに好き合ってる男女が一緒にお風呂に入って、お互い恥ずかしがりながらも距離を詰めて、終いにはきゃー! となる展開には心惹かれますが、ここは貸し切りじゃない普通の露店風呂です、ルルーシュさん以外の男の人もいるかもしれません、だから止めておきましょう」


 待て、その声はマリアベルか? 一体何を妄想してるんだ、そんなことにはならないから! そんな状況になったら僕は速攻でこの場から逃げ出すぞ!


「むう、確かにルル君以外にまで見られたくはないですね、今回はやめておきましょう」


 でも、リリィも思いとどまったみたいだし、それだけはナイスだ。

 ていうか、なんで男の僕が突入される側の心配をされてるんだ? 普通逆じゃない?

 そんな風に焦る僕が男湯にいることに気付いてないのか、それともいようがいまいが関係ないと思ってるのか……いや、リリィの場合は多分、そこまで頭が回ってないんだろうけど、女の子達の会話は続いた。


「まあそもそも、私の貧相な体じゃ男の子と大差ない……いえ、筋肉という意味では男の子にすら溝を開けられてますけど、女の子らしさとも無縁ですから、他の子がいても見向きもされないかもしれませんけど……」


「いえ、そんなことないと思いますよ? リリアナさんのお肌も髪も、羨ましいくらい綺麗ですから……」


「むー……褒められてるのは分かりますけど、そんなすごいのを二つ持ってるモニカさんに言われると、何だか微妙に納得行かないです!」


「えっ、いやその、これは……」


「確かに、モニカの胸すごいよなぁ、どうやったらこの歳でこんなに大きくなるんだ?」


「きゃ!? ひ、ヒルダさん、そこは、やっ、はあんっ……!」


「ふええ……これが大人の女ってやつなんですね……」


「くうっ、やっぱりルル君もこんな体付きの子がいいんでしょうか……」


 そして、ちょっと男の僕が聞くにはよろしくない内容になってきた。

 うん、ここは大人しく耳を塞いでおこう。そもそも、あんまり盗み聞ぎするのもよくないし。

 そう思って、僕は耳を塞ぎつつ、仕切りの壁から離れて、温泉の端へ向かう。


「はあ……ていうか、リリィが女の子らしくなかったら、僕だって好きにならないって……」


 まだ微妙に騒ぐ声は聞こえてるけど、具体的な内容は聞こえない程度に離れたところで、僕はいつものように溜息を吐きながらそう呟く。

 確かに体付きは細いけど、あのサラサラの黒髪に、それとは対照的に白い肌、何よりあの整った顔立ちから繰り出される天真爛漫な笑顔は、たとえ短髪ショートパンツ姿になったとしても女の子にしか見えないと思う。あれで男だなんて言われたらもはや詐欺だ。


 だからこそ、僕以外にもあんな……


「……アイツ、何だったんだろう」


 ふと思い出したのは、今日の観光中に出会った一人の少年。

 フレアと名乗った彼は、明らかにリリィを意識していた。

 それだけならまだいい。いや良くはないけど、人の好意に鈍感な上に異性を異性とも思わないようなリリィが、あんなのにコロっと行くわけがないし、万が一の時はこの手で斬ればいいんだから。

 えっ、やり過ぎだって? いや、普通でしょ。リリィに手を出す不届き者はこの世から消えるべき。うん、間違いない。

 まあそれはともかく。


「あの魔力……僕と同じ……」


 リリィを見つめるフレアから、一瞬だけ漏れ出た魔力。

 あれは、僕が魔眼を使った時に出るのと同じ物に見えた。


「あいつも、僕と同じ魔法を?」


 でも、そんなことあり得るのか?

 魔眼魔法は、本来魔王だけが持っていた特別な魔法だ。全ての魔を従え、操る、絶対遵守の力。

 普通に習得することなんて不可能だし、僕みたいに生まれつき持ってるにしても、そう何人もいるものなんだろうか?


「いや、あり得るかどうかはともかく、危険な雰囲気を醸し出していたのは確かだ。リリィに手を出されないためにも、僕がちゃんとしておかないと……」


「きゃああああああ!!?」


「っ、しまった、リリィ!!」


 突然響き渡ったリリィの悲鳴に、僕はすぐさま魔法を使い、温泉から飛び出す。

 まさか、こんなタイミングで堂々とリリィを狙いに来るなんて!

 そう、考えの足りない過去の自分に舌打ちしながら、男女を隔てる中央の仕切りを乗り越えた僕だったけど、本当に考えが足りなかったのは今この瞬間の僕自身なんだと、すぐに思い知らされることになった。


「おいリリィ、何もそんな驚くことないだろ、たかが蜘蛛が風呂場に出たくらいで」


「だだだだってヒルダさん、蜘蛛ですよ蜘蛛! ああっ、私の方に近づけないでください、どっかやってー!!」


「は……?」


 何かと思えば、ただの蜘蛛かよ!! と、紛らわしい悲鳴を上げたリリィを軽く睨みつつ、けれど何事もなかったことにほっとする。

 けど、ほっとするにはまだ早かった。別の意味で。


「えっ……ルルーシュさん……?」


「「「えっ?」」」


「あっ」


 僕は気配を隠すこともなく、むしろ声を上げながら魔法まで使って中央の仕切りを飛び越えてしまったため、思いっきりモニカに見つかった。モニカの声に釣られて、リリィを含めた他の3人も反応し、僕に気付く。

 あれ、このままだと僕、ただ女風呂に突入した変態扱いになるんじゃ……?


「ちょ、ちょっと待っ、てぇ!?」


 慌てて戻ろうとする僕だったけど、既に飛び越えた以上は一度着地しないことには戻りようがない。

 そして、ここは風呂場だ。足場は非常に滑りやすくて、焦った状態でちゃんと着地出来るわけがなかった。

 思いっきり足を滑らせた僕は、飛んできた勢いそのままに、リリィ達のいる湯船目掛け頭から突っ込んでいった。


「ひゃああ!?」


 聞こえてきたのは、誰の悲鳴だったのか。どっぱーーーん!! っと派手な音を立てた僕は、塞がった視界に軽いパニック状態に陥りながら、なんとか体を起こして空気を得ようと、手を伸ばす。


「ひあんっ」


 顔の近くにある柔らかな何かに手が触れたと同時に、僕はすぐさまそれを思い切り掴む。

 何やら変な声が聞こえてきた気がしたけど、それを慮る余裕もなく、急いで水上へと頭を持ち上げる。


「ぷはっ! はあ、はあ、死ぬかと、思っ、た……?」


 息を荒げ、何とか落ち着きを取り戻した僕は、ようやく自分の状況を顧みる余裕が戻ってきた。

 目の前にあるのは、ぷるぷると涙目を浮かべながら小刻みに震えるモニカの顔。

 掌に感じる柔らかいものの正体が何なのかは分からないけど……いや、本当は分かってるけど、確認するのが怖い。出来れば何事もなかったかのようにこの場を離れたい。

 けど、僕の意志に反して一向に硬直から解けてくれないこの手は、ちゃんと確認するまで絶対に離れないと駄々を捏ねる。

 仕方なく……そう、仕方なく、正面に向いていた視線を下に下げていけば……そこには案の定、僕の両掌に包まれた、モニカの胸にある二つの大きな膨らみがあった。


「ルルーシュさん……」


「え、えーっと……これは、その……」


「ルールーくーん……?」


「っ!?」


 何とかモニカに釈明をしようと口を開くよりも早く、今まで聞いたこともないようなドスの効いたリリィの声が聞こえて来た。

 身の危険を感じ、すぐさまそちらに振り向けば、そこには般若すら泣いて逃げ出しそうなほど恐ろしげな表情を浮かべた、リリィの姿があった。


「なーにをー……しているんですかー……?」


「い、いや、これはその、リリィの悲鳴が聞こえたから、何かあったのかと……」


「悲鳴を聞いて駆け付けて、真っ先にするのがそれなんですかー……?」


「いやだからその、これは事故であって……!」


「事故と言う割には、一向に手を離す気配がありませんけどー……?」


「あっ、わわっ!? ご、ごめん!!」


 リリィに指摘されたことで、ようやく僕の手が硬直から解けて、モニカの年の割には育ち過ぎな双丘から離れる。

 もはや手遅れな気もするけど、すぐさま謝るのも忘れない。


「ルルーシュさん……ま、まさかこんなに大胆なことするなんて……」


 モニカが胸を抑えたまま背を向けて、悲痛な声色でよよよ、と涙を流す。

 ……僕の方から見ると、笑いを必死に堪えるのを嘘泣きで誤魔化してるのがはっきり分かるけど、リリィからは見えないだろう。

 こ、こいつ、事故なの全部察した上で楽しんでやがるな!?


「ルールーくーん……?」


「い、いや、だからその……」


 けど、僕の口からそれを言っても、言い訳にすらならない。やらかしたのは事実なんだから。

 ジリジリと迫るリリィを前に、何と言えばいいやらと頭を悩ませていると、リリィは据わった目をカッ! と見開くと、僕に向かって飛び掛かって来た!


「なんですかなんですか! やっぱりルル君も胸が大きい子の方が好みなんですか? 私みたいな絶壁なんて眼中にないってことですか? そうなんですか!?」


「い、いや、そういうわけでは……」


「じゃあどういうわけなんですかぁぁぁ!!」


 僕の両肩を掴み、ぐわんぐわんと前後に揺さぶりながら、リリィが叫ぶ。

 今いる場所が温泉の中だから何とか喋れてるけど、これが外だったら首が取れてるんじゃないだろうか?


「べ、別に、胸の大きさが全てじゃないと、思う、よ?」


「じゃあなんであんなに夢中になって、モニカさんの胸揉みまくってたんですか! 全然説得力ないですよ!!」


「いや待って、別に揉みまくってないから!?」


「いーえ、私はこの目でバッチリ見ました、ルル君めっちゃくちゃ夢中になって揉んでました!!」


「うそぉ!?」


 リリィの目には一体何が映ってたんだ!? それとも、無意識のうちに本当に揉んでたの!?

 どうなのかと思って、近くにいたヒルダの方を向いたら、そっと目を逸らされた。

 えっ、嘘。


「どうせ、どうせ私なんてツルペタですよ、絶壁ですよ! 膨らみなんてまるでありませんよ!! ルル君に見向きもされないド貧乳ですよ!!」


「そ、そんなことないって、僕はリリィの方が好きだし……」


「じゃあ証拠見せてください!」


「どうやって!?」


 好き嫌いを言葉以上にどう示せと?

 そう思っていたら、リリィは続いてとんでもないことを口にした。


「私の胸! 揉んでみせてください!!」


「は? ……はあぁぁぁぁ!!?」


 いきなり何を言っちゃってるのこの子は!?

 そんな風に驚いていたのは僕だけじゃなかったようで、周りにいたヒルダや、面白半分と言った様子だったモニカも、ぎょっと目を剥いた。

 ……なぜか、マリアベルは「ふおぉぉぉ」なんて言いながら目をキラキラさせていたけど。


「ほら! 無理なんでしょう? 無理なんですよね! どうせ揉むにも値しないですよ私の胸なんて!!」


「待ってリリィ、一旦落ち着こう!? 自分が何口走ってるか分かってないよね絶対!?」


「分かってますよ、分かってますとも!! モニカさんのは揉めて私のは揉めないってことでしょう!? そんなの分かってましたよ最初から! うわーーーん!!」


「えぇぇぇぇ!?」


 ダメだこの子、完全に混乱してる! もうこうなったら、無理矢理にでも一旦落ち着かせるしかない!!


 そう覚悟を決めたまでは良かったけど、僕も大概、周囲を美少女と称して問題ない同年代の女の子達に囲まれ、目の前に好きな子が裸で迫ってきているという状況によって混乱し、のぼせかけていたのかもしれない。


 意を決した僕は、リリィを落ち着かせるために手を伸ばした。……その言葉通りの場所に。


「……ふぇ?」


 ふにんっ、と、柔らかな感触が掌から伝わってくる。

 着痩せしてるとかそういうわけでもなく、普通にぺたんこではあるけれど、そこはやっぱり女の子と言うべきか。直に触れたのは初めてだけど、ぷにぷにとした感触で、凄く気持ちいい。

 前に少しだけ服越しに触ったけど、やっぱり生だと違うね、うん。


「……こ、これでいい?」


 そんな風に、どこか現実逃避気味に、若干機能を停止している思考とは裏腹に、僕の手は止まることなく揉み続け……というより、撫で続ける。

 そうするごとに、徐々にリリィの顔が真っ赤になっていき、釣られて魔力も高まり……って、これやばい、死ぬ。


「ルル君の……バカーーーー!!!」


「ぶふぉぉぉぉ!!?」


 濃密な魔力が込められたリリィの拳が、僕の顔面にクリティカルヒットする。

 そこで平手じゃない辺り、確かに女の子らしくはないのかもしれない。

 そんなことを現実逃避気味に考えながら……僕の体は、軽やかに宙を舞うのだった。

タオルなんてなかった(ぁ

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