第七十七話 旅行の準備は大切……です?
「リリィ、おはよ。忘れ物はしてないか?」
「おはようございます、ヒルダさん。大丈夫ですよ、2週間くらい前から、お母様が毎日100回くらい確認してましたから」
「そ、そうか……」
我が家で家族が大混乱する参事に見舞われた日から一か月。早くも修学旅行に出発する日になりました。
私がいつも何かとやらかしているからか、学園にやって来て生徒達の待つ訓練場の1つに着くなり、ヒルダさんから忘れ物の心配をされました。
けどそれも、我が家での徹底した事前準備の話を聞くと、まさにドン引きと言った感じで顔を引きつらせてしまいました。
まあ、気持ちは痛いほど分かりますけどね。いくら修学旅行は3週間もあるとはいえ、何をどう間違ったら出発の2週間も前から準備することがあるのか。
そもそも、食料に関しては道中で街に立ち寄りながらになるので、そこで先生達が調達することになってますし、その資金は既に学園が徴収済み。飲み水は魔法がありますから心配はいりませんし、同じ理由で着替えもそれほどたくさんは要りません。
他にも、いざという時の救急キットや治癒魔法使い、野営の専門家たる冒険者まで期間指定で雇い入れるなど、学園自体が生徒の安全のためにあれこれと手配してくれているのもあって、生徒自身が持ってくる必要のある荷物なんてたかが知れてます。
そういうわけで、尚更事前準備は必要ない物に思えますから、ヒルダさんの疑問はもっともなんです。
実際、そんなに念入りに準備したのに、私の荷物は小さなリュック1つだけですしね。
なので、ヒルダさんも私のお母様に対する疑問が山と湧き上がっているようですけど、今はそれよりも気になることがあるとばかりに、私の隣に立つ人物へとその視線を移します。
「まあ、リリィのことはそれでいいとして……ルルーシュはお前、本当にどうした?」
ヒルダさんの視線の先にいるのは、言わずと知れた私の幼馴染、ルル君なんですけど、その様子は以前までとは大きく異なっています。
いつも苦労人臭を漂わせていたとは言え、学園に来れば人当たりの良い笑顔を浮かべていたはずの表情が、今は色濃い疲労を滲ませて幽鬼のようにやつれ、女の子からも羨ましがられていた銀色の髪も、心なしかくすんで見えます。
なのに、その体に目を向ければ、顔の悲惨さに反比例するかのように強靭な筋肉によって引き締まり、未だ10歳にも満たない子供とは思えないほど鍛え上げられています。
流石に、この歳でムキムキマッチョになれるわけもないので、遠目から見ただけではあまり変化したようには見えませんけど、触ってみたらカチカチなんですよね。半端ないです。
そして、そんな見た目の変化以上に周りの目を引いているのが、ルル君が背負うあり得ないくらい巨大な荷物です。
先ほど言った通り、この修学旅行で子供達が用意すべき荷物は、それほど多くありません。なのに、1人だけこんな大荷物で来ていれば、否が応でも目立つというもの。ヒルダさんが最初に私に声をかけて来たのも、幽鬼と化したルル君に話しかけづらいというのもあったかもしれませんけど、それ以上に、果たしてそんな大荷物の中身を知っていいものかどうか、迷っていたからなんでしょう。
けれど、そんな我慢ももう限界とばかりに、ヒルダさんはルル君に尋ねてしまいます。
その途端、俯き気味だったルル君はクワッ! と擬音が付きそうなほどに勢いよく顔を上げ、ヒルダさんに詰め寄りました。
「おおう!?」
「聞いてくれよヒルダ!! リリィの両親が本当に鬼なんだよ、いやもうあれは悪魔だ、あれこそ本物の魔王だよ!!」
「お、落ち着けルルーシュ、何があったんだ?」
どうどう、とルル君を落ち着かせながら、ヒルダさんが問いかけると、ルル君はこの3週間にあったことを話し始めます。
お父様に、休む暇もないほどに徹底的に鍛え直されたこととか。
お母様に、寝る間も惜しんで魔法についての知識と技術を叩き込まれたとか。
そんな2人の扱きでフラフラになったルル君を私が介抱していたら、嫉妬に狂ったお兄様に決闘を仕掛けられ、何度もボコボコにされたとか。
更には、疲れ果てて倒れたり、筋肉痛や怪我で動けなくなる度に、治癒魔法で強制的に回復させてこの流れを最初からもう一回やらされたとか。
全部、私も当事者なので直接見て知っていることですけど、改めて聞くと酷い話ですね、全く、何をしてるんですかね私の家族は!
「他人事みたいに言ってるけど、リリィが原因なんだからね?」
「あ、あはは……」
ルル君のジト目に、私はそっと目を逸らします。
そう、それもこれも全て、「リリィのことが欲しければ俺よりも強くなって見せろ!!」なんて言うお父様の宣言の下、ルル君を修学旅行までに私を預けられるほどに鍛え上げようという、とんでもない企画が生まれたのが原因なのです。
ルル君が背負った荷物も全て、旅行先で何かあった時のため、「学園の用意だけじゃ生温い!」なんて言い始めて、方々からかき集めた物品の数々なんだそうです。
王家所有の宝物庫から、国宝の剣や杖を持ってきたなんて言い始めた時には、「お願いだから返してきて」とルル君と2人で土下座までするハメになったのは記憶に新しいですね……
「最終的に、それだけやった後に『やっぱり俺達も修学旅行についていく』なんて言い出した時は焦りましたよね」
「正直僕としては、そっちの方が楽だったんだけどね……」
私に重い荷物を持たせるわけには行かないからという理由で、大量の荷物を持たせられたルル君が、深い深い溜息を零す。
いえ、その、うん、私の家族が本当にごめんなさい。
「り、リリィの親って、そんなに過保護だったのか……前会った時はそこまででもなかったように思えたけど」
「それがですね……」
私としても、ここまでの過保護っぷりには違和感しか覚えなかったので、どうしてそこまでするのかと聞いてみたのですが、その理由はこの間の森での遭難が原因らしいのです。
夏休みの宿題をしてくると言ったきり、ルル君と2人で3日間も行方不明。あの時は、帰る途中で王城に召喚されたりとかなんとかで忘れてましたけど、冷静に考えると、家族からすれば相当な大事件です。
当然の帰結として、心配に心配を重ねた両親は、元々子煩悩気味だったのがついに爆発。今回の修学旅行に対する過剰なまでの過保護っぷりを発揮するに至ったようです。
はい、改めて思い返すと、家に帰った時、お父様とお母様から心配したぞとか、もう離さないとかなんとか、色々言われたような覚えは薄らとありますけど……あの時はルル君の件を女王様から聞いたショックで、ロクに話を聞いてませんでしたね。失敗失敗。てへぺろ。
「お前なぁ……」
「わ、私だって、流石にルル君が可哀想でしたから、止めたんですよ!? でも、ルル君が止めなくてもいいって言いましたから……」
「えっ、そうなのか?」
ヒルダさんが、驚いたような声を上げて振り向くと、視線を向けられたルル君は頬を掻きながら、誤魔化すように目を逸らしました。
「いや、その……別に鍛えて貰うこと自体は悪いことじゃないし、それに……」
「それに?」
「……僕だって、リリィをちゃんと守れるようにはなりたいし」
自分で言ってて恥ずかしくなったのか、耳まで赤くしながらそんなことを言うルル君に、不覚にも私はドキっとしてしまいました。
ああもう、そんなこと言われたら思わず惚れちゃいそうになるじゃないですか! でも、残念でしたね、私は言葉一つで靡くようなチョロインじゃないので、そんな口撃は効かないですよ、だからいくら言っても無駄です。決して、胸のドキドキが収まらなくて何だか顔が熱いから、これ以上言われたら困ると思って言ってるわけじゃ断じてないです。ないったらないんです!
「リリィ、お前でも照れることあるんだな」
「言わないでください! ていうか照れることあるんだなって何ですか、ヒルダさん私を何だと思ってるんですか!?」
「残念系ポンコツ鈍感美少女?」
「誰が残念ですか誰がポンコツですか誰が鈍感ですかー!! でも美少女って言われたのは嬉しいです、ありがとうございます!」
「あ、そこは素直に礼言うんだな」
それはもう、褒められたら嬉しいですよ。前までなら言われても微妙な気分になってましたけど、ルル君にアタックすると決めた時からそういうのはもう開き直りましたし。
「それはともかく、ルル君は本当に大丈夫ですか? 何ならまた『リフレッシュ』と『ヒール』かけますよ?」
「それはやめて、しばらく治癒魔法は見たくない」
疲労を滲ませながら、さりとて疲労回復魔法はもう嫌だと首を横に振るルル君の姿に、私はせめてこれくらいはと、荷物を一緒に運ぶことにしました。
まあ、私の場合魔法はともかく、力が貧弱なのは変わらないので、大して意味ないかもしれませんけど……
「辛かったらいつでも言ってくださいね、私、何でもしますから!」
「ありがとうリリィ。けど、女の子が何でもとか言っちゃダメだよ」
「……こんなこと、ルル君にしか、言いませんよ?」
「…………」
いつものように注意するルル君に、そう反論を述べると、私達の間になんとも言い難い沈黙が降ります。
照れと恥ずかしさから、何も言えなくなった私達を見て、ヒルダさんがニマニマと笑みを浮かべていましたけど、それすらも目に入らないまま、ずっと硬直したまま時間が過ぎていく。
「はーい、みんな揃ったなー? それじゃあ点呼取るぞー」
そんな私達の沈黙を破ったのは、いつものように気の抜けた先生の呼びかけでした。
どうやら、私達があれこれと話し込んでいるうちに時間になったらしく、生徒が集まってるか点呼作業に入っていきました。
「うん、よろしい、全員いるなー。それじゃあお前ら、これから馬車に乗り込んで出発するけど、事前に伝えていた通り、荷物が多すぎれば馬の負担が増すから、あんまりたくさんは持ち込めないぞー。……特にそこ、ルルーシュ、何が入ってるか知らんが、そんな大荷物持っていけないからな?」
「知ってます……」
「お、おう? そうか、それならいいが」
注意事項を改めて説明したら、即答で知ってると返され困惑する先生でしたけど、気を取り直して説明の続きを行っていきます。
移動中のトイレはどうするとか、もし魔物が現れても落ち着いて行動するようにとか、ありふれた注意伝達も終われば、後は馬車に乗り込むだけです。
ルル君は最初、入っていた荷物のほとんどを教室に置いていくように言われましたけど、先生達の予想以上に充実した装備の数々に、「むしろ俺達の荷物を置いてこれを持っていくべきじゃ?」なんて意見が先生達の間で飛び交い、結局は複数の馬車に分けて載せることで、ほとんどを持って行くことになっていました。
そして、馬車はクラスごと、というわけでもなく、更に細かく分乗するんですけど、私はどうにかこうにかルル君と同じ馬車に乗り込むことに成功しました。
ふふ、移動時間も長いですからね、ここで離れ離れなんてごめんです!
「ルル君、今回の旅行、楽しみましょうね!」
「う、うん」
乗り込むなり、先に座っていたルル君の腕に抱き着いて、そう笑顔で宣言します。
心なしか、私達の様子を見た他の子達から生暖かいような、それでいて刺すような、そんな複数の視線を浴びた気がしますけど、そんなことはスルーです。
こうして、私とルル君は、クラスメイトの子達と一緒に、修学旅行へと旅立っていきました。
やっぱり日々苦労するルル君