第七十六話 一人娘は溺愛されるのが定番なようです
「というわけで、修学旅行に行くことになりました。ナインベルまで距離があるので、期間は移動の時間も合わせて3週間らしいです」
「何ィ!?」
元の世界では考えられない、かなり長期に渡る修学旅行に行くことになった私は、その日の夜、晩御飯の席で家族にそう報告しました。
なぜだかお兄様が凄く驚いてますけど、お兄様も私と同い年の時は行ったんじゃないんですか?
「ああ、そういえばもうそんな時期か……3週間とは、寂しくなるな」
「大丈夫かしら? 最近は大分体力も付いてきたようだけど、リリィは元々体が弱いし……」
驚きこそしないものの、3週間という期間を聞いて分かりやすく表情を曇らせるお父様に、小さい頃から風邪ばかり引いていた記憶が薄れないようで、心配そうな表情を浮かべるお母様。
全く、みんな心配性なんですから。
「大丈夫ですよ、最近はオウガで遠くに出かけることも多いですし、体力もついてきましたから!」
「うーん、それは分かっているのだけど……」
頭では分かっていても、感情はどうにもならないそうです。
まあ、少し水を被っただけで風邪を引いていた頃を思えば、その気持ちは分からないでもないので仕方ないんですけれど、それよりもお兄様、そんな「もっと言ってやって!」みたいな顔しないでください。泣きますよ?
「まあ、いいじゃないかカタリナ。リリィだって、友達が旅行に行っている中、1人だけ家にいるというのも寂しいだろう」
「あなた……そうね、リリィもいつまでも子供でいるわけではないものね」
そこで、思わぬところから援護射撃が。なんとお父様が、私の修学旅行を肯定してくれました。
お兄様が、くわっ! と目を見開いてお父様を見ていますけど、お母様も既に陥落済みの今、修学旅行行きは既に確定路線です。
ふっふっふ、最初から心配はしてなかった、というか予想外にも渋られるのでドキドキしましたけど、この分なら大丈夫そうですね。
「しかし父様! 最近は帝国の動きも活発になっていると聞きますし、魔王信望者のような頭のおかしな連中も蔓延っています。こんな時期に辺境にほど近いナインベルなど危険では!?」
と、思ったのですが、お兄様は納得がいかなかったのか、ついに我慢ならぬとばかりにそうお父様へと叫びました。
予想以上に不穏で寝耳に水な話に、私も「そうなのですか?」とお父様の方を見ますが、それほど深刻な問題でもないのか、お父様は笑って否定しました。
「それに関しては心配し過ぎだぞ、ユリウス。確かに帝国の動きは不穏だが、何も今すぐ戦争が勃発するわけではないだろうし、仮にそうなったとして、まず危険なのは帝国とこの国とを行き来する街道に近い街や村だ。いくら辺境に近いとは言え、山に囲まれ戦略的価値も低い、ただの温泉地であるナインベルを帝国が攻める理由などない」
それに、と、お父様は、お兄様と私を落ち着かせるように、優しい声色で続けます。
「魔王信望者にしても、今のところ特に大きな事件を起こしたという話は聞かない。警戒は必要だろうが、それは軍の仕事であって、お前達が気に病む必要はない。もしかしたら、布教活動のような物に巻き込まれるかもしれないが……もしそうなったら、私が許可する。リリィ、思いっきりぶちかましてやりなさい」
「お父様待ってください、途中まで普通の話だったのに、最後の最後でちょっと不穏な言葉が聞こえた気がするんですけど、気のせいですよね?」
「気のせいじゃないぞ、リリィに手を出すような悪党ならば遠慮はいらない、消し飛ばしてやりなさい」
いやいや、私がそれすると街が吹っ飛ぶかもしれないんですけど!? まあ、私だって身の危険が迫ったら容赦するつもりはありませんけど、それでもこう、ルル君を惚れさせようとしている身としては、そういうのはちょっと……
「そ、その、そういうのはちょっと女の子らしくないと思うので、出来れば遠慮したいです」
ですから、ちょっと理由の辺りはぼかして、当たり障りないようにそう反論してみました。
けれど、これはちょっと早計だったかもしれません。
「なにぃぃぃ!? リリィ、どうしたんだ急に! 男か? 男が出来たのか!?」
「お、お兄様、落ち着いてください!!」
女の子らしくないと思うって言っただけで、なんでいきなりこんな反応なんですか!? お兄様だって、いつももっと女の子らしくしたらどうだって言ってたじゃないですか!
そう言うと、お兄様からごもっともな返答が返って来ました。
「俺が何度そう言っても、頑なに男らしくカッコいい方が良いと言っていたのに、急にそんなことを言いだす理由なんて、男しかないじゃないか!」
な、なるほど。言われてみればそうかもしれませんね。失敗失敗。
けどまあ、誰が相手かなんて言ってないですし、しばらく放っておけば忘れて……
「相手は誰だ、アイツか、ルルーシュか!?」
「そ、そそそそそんなわけないじゃななないですか!!」
何でこういう時だけ勘が良いんですかお兄様は! って、よく考えたらルル君私の幼馴染なんですから、第一候補なのも当たり前でした! ここは平常心、平常心ですよ私! そうすれば決してバレたりなんて……
「やっぱりかぁぁぁ!! あの野郎ついにうちのリリィをぉぉぉ!!」
って、もう完全にバレてるーー!? これもう今更言い繕っても絶対ダメなパターンですよね、お兄様完全に確信持っちゃってますし、お父様も何だかポカーンって顔して、お母様も何だか笑顔のまま硬直してますし、ってなんですかこのカオスな状況は!
「お兄様落ち着いてください、ルル君は私に気はありますが、私はまだ本心から気があるわけじゃありませんから!」
近いうちに本気にする予定ですけど。
「つまりあれか、ルルーシュの方から強引に言い寄ってきているわけか。よし分かった、殺そう」
「だから落ち着いてくださいってばー!」
ああもう、今日のお兄様はどうしてこうもポンコツなんですか!? 私がルル君と付き合うと決まったわけでもないのに、取り乱し過ぎです!!
「いいや、こうなったらもう落ち着いていられない、今からでもアイツの家に乗り込んで」
ガツンッ!!
重々しい音が響き、お兄様が床に崩れ落ちます。
お兄様が反応出来ない……つまり、私では目で追うことすら出来ませんでしたけど、その犯人が誰かというのは、態々考えるまでもありません。
神速の拳でお兄様を黙らせたお父様は、やれやれと溜息を吐きながらお兄様に語り掛けます。
「ユリウス、正面から乗り込んでどうするんだ、少しは冷静になれ」
ほっ、流石お父様はどうやら、こんな混沌の中にあっても冷静だったみたいです。流石は元近衛騎士団筆頭騎士……
「こういう時は、まず敵の退路を塞ぐところからだ。逃げられないように包囲し、確実に仕留められる状況を作った上で、最大最強の一撃を繰り出す、戦の基本だ」
「なるほど、流石は父様!」
「流石じゃないです、親子揃って何をバカなこと言ってるんですか!?」
お父様も全然冷静じゃなかった!!
本当に何をしてるんですかこの2人は、ルル君1人相手に大人気ないですよ!?
「ユリウス剣を取れ、これは俺達アースランド家の命運を賭けた戦いだ」
「はい!」
「だーかーらー!」
お父様とお兄様が食卓から立ち上がり、傍に立てかけてあった剣を取ります。
ああもう、どこをどう間違ったら、ルル君に喧嘩売るのが家の命運を賭けた戦いになるんですか!? もうこうなったら不審者の前に、まずはこの2人相手に魔法ぶちかましてやるしかありませんかね? 何というかもう、この2人なら『エクスプロージョン』くらいぶち込んでも案外生きてそうな気がしますし。
「『サンダーボルト』!!!」
「「ぎゃああああ!?」」
なんて、私自身も混乱のせいか物騒な思考に染まりつつありましたけど、具体的な動きに移るよりも早く、お母様の手から飛び出した緑の雷光が部屋の中を駆け巡り、お父様とお兄様を黒焦げにしちゃいました。
えっと、これ、生きてますよね? 体からプスプス音がして煙上がってますけど、生きてるんですよね?
そんな私の不安というか、黒焦げになってダウンしている2人のことは見向きもせず、お母様は私に近づくと、優しく抱きしめてくれました。
「リリィ、あなたにもついにこの時が来てしまったのね……まさかこんなにも早いとは思わなかったけど、ルルーシュ君と幸せになるのよ……!」
「いやあの、お母様、早いも何もまだどうにもなってませんってば」
お母様の頭の中で、どれだけ話が飛躍してるんですか? お父様とお兄様の2人が一番ダメかと思いましたけど、実はお母様が一番混乱の極地にいるのかもしれません。
「体に気を付けて、何か嫌なことがあったらいつでも帰ってきていいから……もしそんなことがなくっても、偶には元気な顔を見せてね……具体的には、1400分ごとくらいに」
「あのお母様、偶に顔見せるも何も、私が行くのはルル君の家じゃなくてただの修学旅行ですから! それに1400分ってなんですか、数字大きくして誤魔化してもダメですよ、それ要するに毎日じゃないですか、期間は3週間ですからそんなの無理です!!」
混迷を極める我が家の状態に頭痛を覚えながら、根気よくお母様に事情を説明していく。
やがて、一応ちゃんと生きていたらしいお兄様とお父様が目を覚ますなり、お母様と似たような状態になって、全く同じ説明を繰り返さなきゃならなくなった辺りで、私はふと思いました。
ああ、私の相手をしてるルル君も、こんな気持ちだったのかな……と。
「今度からは、ルル君には出来るだけ迷惑かけないようにしましょう……」
今更ながら、改めてそう思いながら、アースランド家の夜は更けていきました。
リリィのポンコツが実は家族譲りだった疑惑




