第七十二話 今の私が私は好きです
ルル君に手を引かれ、やって来た劇団の公演会場。
娯楽の少ないこのご時世、劇団が来るとあってはやはり皆さん一目でも見たいのか、それはもう大盛況で、立ち見席すら物凄い人だかりです。ぶっちゃけ、子供の私達が入り込む隙間もありません。
「あう、これじゃ見れそうにないですね……」
「うーん、公演時間までは余裕があったから大丈夫だと思ったけど、これはちょっと油断してたね」
私の大目標はルル君とデートすることであって、劇を見るのはあくまで口実なんですけど、こんな有様では「仕方ないから今日は帰ろうか」なんて言われてしまうかもしれませんし、そうなったら非常に困ります。
何とか見れないかと、少し周辺をウロウロしたり、ぴょんぴょんとその場で軽くジャンプしたりしましたけど、その先に居るであろう劇団員の人も、その舞台も全く見えません。むぐぐ、このままじゃせっかくのデートが……
「ほらリリィ、こっち来て」
「ふぇ?」
そんな風に落ち込んでいると、不意にルル君に呼ばれ、手招きされます。
一体何でしょうか? と思いつつ、促されるままにルル君の傍に寄ると、本当に、何の前触れもなくルル君はすっと私に体を寄せ……そのまま、ぎゅっと抱きしめられました。
……って、えぇぇぇ!!?
「あ、あああ、あの、ルル君? ななな何を?」
「動かないで、やりにくいから」
やるって何をですか!? ま、まさかこんな公衆の面前でそんなことを!? だ、ダメですよルル君、それは流石に私も心の準備がまだ出来てませんし第一初めてが外でとかハードル高すぎて私には無理と言いますか……!!
なんて心の中で大いに慌てて叫ぶ私とは裏腹に、ルル君の方は至って落ち着いた表情で、更に体を密着させて……
「『フライ』」
そう声に出すと同時に、私達の体が風に巻き上げられ、周りにいる大人の人達よりも少しだけ頭が上に出るくらいの高さまで浮き上がりました。
「よっと、ほら、どうリリィ? これなら見えるでしょ」
「は、はい、そ、そうですねルル君」
確かに、視界の端には劇団の人とか舞台とか、さっきまで見えなかった物が色々と見えていますけど、私としてはもう、すぐ目の前に迫ったルル君の顔から目が離せません。
あうぅ、私、ルル君とこんなに密着して……へ、変な匂いとかしてないですよね? ちゃんと出かける前にお風呂入りましたし、ちゃんと洗い立ての服を見繕って貰ったんですから大丈夫……な、はず。はい、きっと、多分……
「どうかした?」
「い、いえなんでもありません! いやー、面白い劇ですよね!」
「いや、まだ始まってないんだけど」
「あっ」
ああもう、私は何をそんなテンパってるんですか本当に! こうしてルル君と密着してるのは劇を見るのに必要だからであって、決してやましい気持ちとかそういうのがあるわけじゃないんです! つまりこれは合法、仕方ないことなんです! だからこういう時くらいもっとぎゅっと密着しても問題ないですよね!
「もう、そんなにくっ付かなくても、落ちたりしないよ?」
「そ、それはまあ、そうかもしれませんけど、一応、念のためです、念のため!!」
心の中でいくつもの言い訳を並べながら力強く抱き着くと、浮いている状態に不安を感じてるとでも思ったのか、ルル君はやれやれと肩を竦めながら、私を安心させるように、抱っこしてくれてる手の力を少しだけ強めてくれました。
はうぅ、私今、ルル君の匂いに包まれてます……くんくん……はわぁ、いい匂い……
「ほら、そんな風に顔押し付けてたら劇見えないよ? 僕がちゃんと抑えててあげるから、顔上げて」
「は、はい」
出来ればそのままずっとこの匂いに埋もれていたかったような気はしないでもないですけど、当初の目的を思い出して、ひとまず開演した劇の方に意識を向けます。
元々、ルル君とのデートの口実でしかありませんでしたし、まあこの後の会話の種になりますから一応見ておこう、くらいの軽い気持ちで見た劇でしたけど、いざ始まってみるとこれが中々面白く、つい見入ってしまいました。
内容はよくある、魔王に攫われたお姫様を騎士様が助けに行く話なんですけど、意外なことに、騎士様に討たれた魔王はそれで終わらず、騎士様の体を乗っ取って、そのままお姫様を殺そうと斬りかかってしまいます。
突然の凶行に成す術もなく、斬り倒されるお姫様。けれどその瞬間、お姫様は最後の力を振り絞って、狂笑を浮かべる騎士様へと、そっと口付けをしました。
自分の命の灯が消える刹那、堕ちてしまった姿を見てもなお衰えることのなかった愛を証明するかのように、いつまでも、いつまでも続く長いキス。
そこだけ時が止まったかのように、ずっと続くかに見えたそのシーンも、やがて終わりを迎えます。
限界を迎え、ゆっくりとその身を横たえるお姫様。その最後の刹那、魔王に乗っ取られたはずの騎士様の体から黒いオーラは消え去り、倒れ行くその体を抱き留めていました。
『済まない、ロレーヌ……俺が不甲斐ないばかりに……!』
『いいのよ、アレス……貴方さえ無事なら、私は、それ、で……』
『ロレーヌ……? ロレーーーヌ!!』
魔王の呪縛すら打ち消す、真実の愛の力。
それはお姫様亡き後も語り継がれ、いつしか彼女は、聖女と呼び讃えられるようになりました……
というところで劇は終わり、会場は万雷の拍手に包まれました。
前世でハッピーエンドを見慣れた私としては、何ともモヤっとする終わり方でしたけど、劇自体は凄く魅入られましたし、偶にはこういうのも新鮮でいいかもしれません。
「いやあ、中々良い劇だってね、リリィ。最後のも、分かってたのに思わず力が入っちゃったよ。大丈夫だった?」
ルル君も同じようなことを思ったのか、そう言って少しだけ申し訳なさそうな表情で私を見ながら、ずっとかけていた『フライ』の魔法を解いて地面に降り立ちます。
劇のラスト、騎士様が魔王に乗っ取られた状態で斬られた瞬間、ルル君はまるで我が事のように険しい表情を浮かべて、ちょっと痛いくらい私の事を抱きしめてくれたんですよね。
これってつまり、ルル君にとってお姫様役が私だったってことでしょうか? えへへ、そうだったらいいなぁ……なんちゃって。
「はい、大丈夫です! それに、私も気持ちは分かりますしね」
自分の好きな子を自分の手で殺しちゃうなんて、そんなの最悪ですよね。もしそうなったら私、そのまま自殺しちゃう自信ありますもん。
「ていうか、最後の展開、分かってたんですか?」
ただ、少しだけ気になる単語が混じっていたので、それについて少し尋ねてみます。
すると、ルル君は一瞬だけ不思議そうな顔をした後、「ああ」と思い至ったかのように手を叩きました。
「僕は小さい頃に家に置いてあるのを読んだから知ってたけど、リリィは聖書とか興味ないだろうし、知らなくてもおかしくないか」
「その言い方は微妙に気になりますけど、興味がないのはその通りなのでツッコミが出来ないです、ぐぬぬ!」
「あはは、ごめんごめん。実際、そこまで一般向けの話でもないから、知らないからって恥ずかしくはないと思うよ」
ルル君曰く、今回見た演劇の元になっているのは、聖書にも書かれた聖女の伝説らしいです。
言われてみれば、最後の最後にお姫様は死して聖女と呼び讃えられるようになったってナレーションが入ってましたね。
聖書とかそういうのって、生きてる人が死んで神様になるパターンが多いですし、それなら確かにこういうラストでもおかしくないかもしれません。
ただ、やっぱりあまり聞いたことのない話ですし、まるで私が不勉強みたいな言い方されたのはちょっぴり傷つきました! というわけで、ちょっとだけぷいっとそっぽを向いて不機嫌オーラを醸し出してみました。
すると、ルル君は私の頭にそっと手を置き、優しい手付きで撫でてくれます。
「……この後のお昼、リリィの好きなの奢ってあげるから。それで機嫌直して?」
「むぅ、私は食べ物で釣られるほど安い女じゃないですよ! ですから、その、そうですね……」
「うん?」
もじもじと口ごもる私を見て、どうしたのかと首を傾げられます。
そんなルル君の方を、何度かチラチラと横目で様子を伺いますけど、そんなことで今の私の気持ちが伝われば苦労はありません。無為に時間だけが過ぎていきます。
ええい、こんなところで尻込みしていてはダメです! ルル君が朴念仁なのは今日一日だけでも十分分かりましたし、ここは少しばかり大胆に攻め込むべきです!
そんな決意を胸に、ルル君の方をキッ! と睨み付けた私は、そのまま一歩、ルル君に近づいて、
「えいっ」
その腕に、思い切り抱き着きました。
「わわっ、リリィ?」
「お店に着くまで、この状態でいてくれたら、いいですよ。許してあげます」
そう言って、じっと下から見上げるようにして見つめると、最初は困惑した様子だったルル君も、やがてふふっと朗らかに笑いかけてくれました。
「いいよ、それくらいならいくらでも」
「むう、女の子が抱き着いてるんですよ? ちょっとくらい恥ずかしそうにしてくれたっていいじゃないですか」
「リリィがもうちょっと大人になったらね」
「むーーー!!」
微妙に失礼なことを言われながら、それでも構わず、私はルル君の腕に抱き着いていました。
今の私が、操られている状態なのかどうかは分からないですけど、それならそれ。
きっと他の誰かに操られることがあったとしても、きっとルル君が、今のルル君を好きな私に戻してくれる……そんな風に、ちょっとした安心感を覚えながら。
リリィ乙女化現象が止まらない