第五十三話 闇に潜む者
シリアスパート(?)
ちょっと時系列が飛びます
質実剛健を絵に書いたような、飾り気の全くない部屋の中。
そんな場所で、近衛騎士団第三部隊隊長であるゴルソワ・ロッゾは、自らの上官――団長である、オルレウス・サイファスへと、今回の一連の事件に関する報告を行っていた。
「――以上が報告になります」
「そうか」
報告を聞き終えたオルレウスは、椅子に深く腰掛け直す。
常日頃から、仕事中は常在戦場の心構えであるべしと鎧を身に付けている男がそんなことをすれば、椅子がギシリと悲鳴の1つでも上げそうなものだが、そんな音が響くことは一切ない。
いかに近衛騎士団は貴族と違うとは言え、団長の執務室があまりにも質素では恰好が付かない――確かそんな理由で、装飾の代わりに無駄に頑丈で機能性に優れた椅子や机に替えたのだと風の噂で耳にしたのを、ゴルソワはふと思い出した。
もっともそんなコンセプトの家具では、よほどその方面に精通していなければ金が掛かっていること自体分からないので、恰好が付かないからという当初の目的は破綻しているが。
「観測しただけで、闇属性以外の全属性を操る精霊龍が現れ、ミスリルタートルとの激突の末、魔力を使い果たして去って行った、か……ゴルソワ、今回の件をどう思う?」
「は? どう、とは?」
「言葉通りの意味だ。何か気になることはなかったか?」
まさか意見を聞かれるとは思っていなかったため、間の抜けた表情を浮かべるゴルソワに、オルレウスは特に機嫌を損ねた様子もなく問い返す。
それを受けて、ゴルソワはしばし熟考するが……
「いえ……強いて言うならば、なぜあのような場所に精霊龍が現れたのか、なぜミスリルタートルに攻撃を仕掛けたのか。……ですが、魔物の行動理由は、私にはさっぱり……」
「そうか。いや、栓無きことを聞いた。下がっていいぞ」
「はっ」
1つ敬礼すると、踵を返してゴルソワは退室する。
そして、それと入れ替わるようにして同じ扉からノックの音が響いた。
「入れ」
「失礼します」
オルレウスの言葉を受け、入室してきたのは貴公子然とした1人の男。
筋骨隆々とした大男であるオルレウスとは対照的に、随分と細身に見えるが、その実服の下には引き締められた鋼の肉体が隠れていることを、この騎士団にいる誰もが知っている。
「ソロモンか。どうした? 新人教練に飽きてきたか?」
「団長じゃないんですから、そんなこと言いません。それに、新人を育てることは騎士団にとって何より重要な役目です。名誉でこそあれ、不満などあるわけないでしょう」
「相変わらず真面目だな、お前は」
「団長が不真面目過ぎるんです」
上官相手にも物怖じせず、堂々と溜息を吐くソロモンの姿に、オルレウスは思わずと言った様子で口角を上げる。
例え上官であろうと気にせず意見を言う存在というのは、貴重だ。なまじ、腕っぷしよりも家柄が重視されがちな近衛騎士団ではなおの事。だからこそ、オルレウスはこの男……ソロモン・タイラントを副団長として取り立てたのだ。
もっとも、そんな笑顔を向けられたソロモンの方は、そんなだから実家から睨まれるんだよアンタは、と内心で呆れているのだが。
「それで? わざわざ俺に小言を言うためだけに訪れたわけでもあるまい? 何か分かったのか?」
「はい。此度の件、やはりチェバーレ帝国が絡んでいるのではないかと」
前置きを無視したソロモンの報告に、しかしオルレウスは「やはりか」と首肯する。
「ミスリルタートルに関しましては裏は取れませんでしたが、ドラゴンのほうはほぼ黒かと。聖域とは違いますが、竜の巣へ向かう不審な人影を見たという人物の報告が上がっています。更には、意図してスラムの人間に反感を持たせるよう仕向けた団員達を拘束して尋問しましたが、こちらもやはり裏で何者かが糸を引いていた可能性が濃厚です。皆一様に、スラムの浄化こそが国のためである、と呟いていました」
「王都の目と鼻の先にドラゴンが現れたことと、スラムの暴動騒ぎ……引いては、それ以前の魔物の大量発生さえも計画的な物であると?」
「その可能性が高いでしょう」
例年に比べ明らかに多い魔物被害の発生件数。その調査を妨害するように発生したスラムの暴動。次いで、王都の目と鼻の先に突然現れたAランクのドラゴン。
全てが人為的に引き起こされた事態だとすれば、個人はおろか生半可な組織では不可能だ。それこそ、国家規模の力がいる。
「しかし、今回の帝国のやり口はどうにも回りくどいな。ここまでして結局何がやりたかったんだ?」
チェバーレ帝国とストランド王国は、隣国同士なのもあって建国以来の仇敵となっている。
ここ数十年ほど派手な衝突は起こっていないが、小競り合いと破壊工作は日常茶飯事であり、今回の件もその一環だろうとオルレウスも思う。
しかし、魔物を差し向けるような無差別で戦果の不確かな方法は、あの国は好まないというのが彼の見解だった。
「我々の対処能力を測りたかったのでは? それにしても随分とコストのかかる方法を選んだとは思いますが」
オルレウスにしろソロモンにしろ、一介の騎士団員であって政治家ではない。いざ戦争となれば相手の思惑を推測することも出来ようが、政治的な思惑が交わる破壊工作の意図まで正確に見抜くことは出来なかった。
「ともあれ、街に被害が及ぶ前に事が収まったのなら、ひとまずはそれでいい。今しばらく警戒を厳にしろ」
「了解しました。それで、問題のあった団員についてですが……」
「ああ、その前に」
唐突に、オルレウスが腰から短剣を抜き、天上に放る。
カンッ! と乾いた音を立てて突き立った短剣はよほど深々と突き刺さったようで、落ちて来ることもなくそのままになったそれを見て、ソロモンは目を瞬かせる。
「何、ただのネズミだ。大事な話をする前に追い払っておかないと気が散るのでな」
「……始末してきましょうか?」
驚きから立ち直ったソロモンの言葉に、オルレウスは苦笑を返しながら「やめておけ」と首を横に振る。
「どうせ俺達はこれから、ドブネズミの始末に追われることになる。ただのネズミ程度に一々関わる必要もないだろう」
「……分かりました」
渋々と言った様子で頷くソロモンに、もう一度苦笑を零すオルレウス。
彼はもう一度天上を見上げ、呟いた。
「世の中、下手に触れないほうが自分達のためになることもある」
近衛騎士団の本部は王城とは別にあり、王族の護衛を行う騎士達は王城への出向という形で詰めている形をとっている。
さりとて、いざという時はすぐさま王城の守りに全戦力を向かわせられるよう、王城のすぐ傍にあり、当然本部ともなれば騎士団員も大勢いた。
そんな近衛騎士団本部の中を、悠々と歩く1人の少女。
騎士団員と言うには余りにも幼く、鎧を見に纏っているわけでもない。そして、王侯貴族の子女が見学にやって来たというには、その装いは動きやすさを重視したシャツに短パンとあまりにも質素で、とてもそうは見えない。
それなのに、少女が周りの騎士達に呼び止められることはなく、目を向けられることすらない。
まるで、そこには何もないかのように。
「ん、ん~……! いやー、やっぱりこういう場所は肩が凝りますね、ずっと魔法を使い続けてるのもそうですけど、いつ見つかって殺されるかとビクビクしながら情報を集めるのは、寿命が縮む思いです」
本部を出て、近くの路地に入り込んだ少女は、そう言って伸びをしながら1人ごちる。
少女が使っていた魔法は、一言で言うならば隠密の魔法。自らの姿や気配を魔法で消し、周りの人間に気付かれないようにする魔法だ。
しかし、言うほど簡単なことではない。魔法を使えば、必ず魔力が消費され、魔法使いならそれを感知出来てしまうからだ。それを避けるためには、魔法を使う際に一切無駄な魔力を放出せず、全てを魔法効果によって使い切らなければならない。
それを、単に視認されなくする光属性魔法だけでなく、足音や呼吸音を消すための風属性魔法、匂いや気温の変化を防ぐための水属性魔法と言った複数の属性で同時に行使するのは、並大抵の技量では成し得ないだろう。
だから、その感想は少女にとって至極当然の主張なのだが、路地で彼女を待っていた人物にとってはそう思わなかったらしい。
「よく言うよ、身を隠すでもなく、騎士団員のいる廊下を堂々と歩いて戻ってきといて」
藍色の瞳を胡乱気に細めて少女を見やるのは、少女と見紛うばかりに美しい1人の少年。
身の丈ほどもある大剣を背に、暗がりの中でも目立つ銀色の髪を持つその少年は、少女にとっては今年に入ってからの付き合いだが、お互いに共通する騒がしい友人のせいか、何かにつけて一緒に行動することが多い相手だ。
「本当のことですよ? 先ほども騎士団長さんには私の隠密を見破られてしまいましたし」
「……大丈夫だったの?」
「ええ、見逃して貰えました」
途端に心配そうな表情を浮かべる少年を見て、少女はくすりと笑みを零す。
全く、やることは大胆不敵なのに、変なところで身内に甘い。
そう思いながらも、少女は直接それを口に出すことなく、代わりに懐から一枚の紙片を取り出して少年に手渡す。
それを受けて、チラリと中を確認した少年は、満足そうに1つ頷く。
「ありがとう。これ、約束の報酬」
「ふふっ、毎度ありです♪」
少年から、ジャラジャラと音を立てる布袋を受け取り、満面の笑顔を浮かべる少女。
それを見て、少年は呆れとも諦観ともとれる微妙な表情を浮かべた。
「どうでもいいけど君ってさ、普段猫被り過ぎじゃない? なんであんなキャラなのさ」
「あらあら、私はいつでもありのままの自分ですよ? とっても臆病ですから」
「こんな仕事しててよく言うよ……まぁ、助かるからいいけどさ」
はあ、と溜息を吐く少年を見て、またも少女はくすりと笑う。
「それで、どうします? 騎士団が動きますし、放っておいてもいいんじゃないでしょうか?」
「いや、やるよ」
少女の問いかけに、少年は一瞬の遅滞もなく即答し、大剣の柄を軽く掴む。
「連中はリリィの力を直接見てる。それを利用しようだなんて考えないとも限らないし、この手で叩き潰しとかないと安心できない」
「心配性ですね。それとも、リリアナさんだからですか?」
「そうだよ」
からかい半分でかけた言葉にも即答で返され、さすがの少女の目にもぱちくりと驚きの色が浮かぶ。
それにも気付かず、少年はその場で踵を返した。
「リリィは、僕が守る」
闇に溶けるようにして消えた少年の姿をしばし見送った後、誰もいなくなった路地で、少女は堪えきれないとばかりに噴き出した。
「全く、愛されてますね、リリアナさんは」
少しだけ瞳に羨望の色を湛えながら、少女は呟く。
そして、
「もし、彼の秘密を掴んだら……リリアナさんは、いくらで買い取ってくれるでしょう?」
そう誰にともなく呟いて、少女もまた、闇に紛れて消えていった。




