第四十五話 不穏な影
今回はマリアベル視点、時系列はリリィがルル君の家に押しかけた辺りです。
「いいから入れろ! 金はあるんだぞ!」
「今は金より住むところのほうが大事なの。悪いけど帰ってくれないかしら」
「なんだと、ガキの癖に調子に乗りやがって!」
男の人がカッとなって、拳を振り下ろしました。
細身な男の人で、怪力ということはないだろうけど、その先にいるのは10代前半くらいの女の子。普通なら、殴り飛ばされて終わりのはずですけど、そうはなりませんでした。
「甘いっての」
「ぐわぁ!?」
向かってくる拳を、女の子――セレナさんは片手で掴み、勢いを殺さずに投げ飛ばす。
大の大人を小さな女の子が投げ飛ばすっていう絵面に、他にもやって来ていた男の人達は揃って口をあんぐりと開け、その場で立ち尽くしています。
「さあ、まだやる気!?」
セレナさんが凄むと、その場の全員が一歩たじろぐ。
そして、「ちくしょう!」とか「覚えてやがれ!」とか、口々に叫びながら走り去っていきました。
「ふぅ、やれやれ……」
「すげー」
「セレナ姉ちゃんかっこいー!」
男の人達を追い払ったセレナさんの元に、子供達が詰め寄って口々に褒め称える。
そんな子供達を宥めつつ、安心させるように頭を撫でるセレナさんに、私は水が入った水筒を手渡しつつ声をかけた。
「お疲れ様です、セレナさん。一人で行かせちゃってすみません……」
「ああ、ベルちゃんありがと。いいのよ、私は慣れてるし」
水筒から水を軽く飲みながら、セレナさんは軽く笑う。
確かに、見た感じではあまり苦労した風にも見えなかったけれど、だからと言って何もしなかったのは悪いと思ってしまいます。
近衛騎士団がやってきて、立ち退きを要求してから1日が経ち、スラムの各地で同じように立ち退きを迫られた人達が、他の住む場所を得ようとあちこちに押しかけ、暴動寸前の騒ぎになっています。
今日も、本当はスラムの入り口でその騒ぎを見て取った時点で帰ろうかとも思ったんですけど……偶々その時、ヒルダさんと合流出来たのと、この騒ぎでセレナさんや子供達が心配だったのも確かなので、一緒にこの廃教会までやって来ました。
来たからと言って、戦えない私では何の役に立てるわけでもないのが悲しいですけど……
「そうだよ、マリアベルはまだ分かるけど、なんでオレまで留守番なんだよ、オレだったらあんな連中、ひと捻りで追い払えるぞ?」
一方で、私と違って不満たらたらなのがヒルダさん。
確かに、ヒルダさんなら、スラムで燻ってる人達なら大人相手でも十分倒せるでしょうけど……
「ダメよ、ヒルダがやったら、どうせひと思いに斬り捨てちゃうでしょ。この状況で死人なんて出たら、ただでさえ暴発寸前なのが一気に内紛になっちゃうわ。そうなれば、近衛騎士団にとって格好の介入理由になっちゃうじゃない」
そう言ってセレナさんがジト目を向ければ、ヒルダさんはさっと目を逸らす。どうやら、図星みたいです。
なんだかんだ言って、ヒルダさんも大概リリアナさんに似てますよね……本人を前に、絶対言えないですけど。
「けどセレナさん、明後日にはどっちにしても近衛騎士団はやって来るんですよね? だったら同じことなんじゃ……?」
ふと気になって、私はセレナさんに聞いてみる。
スラムの人がどう動くにしても、最後には実力行使で追い出すつもりだったなら、同じことだと思うんですけど……
「無理矢理追い出すのと、暴動を起こしていたから鎮圧・捕縛するのとじゃ、近衛騎士団の正当性が違うのよ。ああいう組織は、体裁とか外面を気にするからね」
「そういうものですか……」
私には正直よくわかりませんけど、セレナさん、よくそんなことまで分かりますよね。
スラムに来る前は、一体何をしていたんでしょう……?
「けどこうなってくると、リリィが今日来なかったのは痛いかもな。この分だと、近衛騎士団も思ったより早く動きだすかもしれねーし」
頭を掻きながら、少し困ったと言う風にヒルダさんが言います。
今日は、リリアナさんは杖の新調のためにルルーシュさんのお店に向かったそうで、スラムには来ていません。
近衛騎士団の人達が指定した立ち退き期限まで、あと2日あるからこその判断でしょうけど、前倒しになるとなると、少しでも早く動かないとまずいでしょうから、確かに困った事態です。
「心配いらねーよ!」
「リリーねーちゃんがいなくっても、俺達が近衛騎士団の連中なんて追い払ってやっからよ!」
そんな私達の心配をよそに、小さい子達は我こそはと粗末な剣を手に、やる気を漲らせています。
けど、ヒルダさんや普段から戦っている子と違って、ロクに鍛えてもいませんし、なんだかすごく不安ですね……
「全く、あんた達が戦うのはまだ早いって……」
「素晴らしい!!! 幼き身でありながら剣を取り立ち上がらんとするその心意気、実に素晴らしい!!」
セレナさんもそう思ったのか、窘めの言葉を紡ごうとしたところで、不意に声が響きました。
いつの間にそこにいたのか、大仰な手ぶりで感動を露わにしているその男の人は、かなり身綺麗な衣服に身を包んでいて、少なくともスラムの人間ではないと思えました。
「誰だアンタ。何しに来た?」
ヒルダさんもそう思ったのか、鋭い声を発して双剣の柄に手を置き、セレナさんもまた子供達を庇うような位置に立ちます。
そんな剣呑な空気にも関わらず、その男は気にした素振りもなく、むしろ笑みを深めて私達を見渡しました。
「そう警戒しなくていい、私は君達の味方だよ。何せ私も君達と同じ、スラムの人間なのだからね」
人の良さそうな笑みを浮かべる男に対して、胡散臭いとばかりに睨みつけるヒルダさん。
確かに、この身なりでスラムの人間だと言われても、ちょっと信じられないんですけど……
「まさか貴方、月光会の人間?」
けれど、セレナさんには思い当たる節があったのか、はっとしたような表情を浮かべます。
「そう、その通り! あまりこの辺りには支援の手を伸ばせられていないから、知られていないものかと思っていたけれど、分かってくれて嬉しいよ」
セレナさんの言葉に機嫌を良くしたのか、嬉しそうな声を上げながら、男は優雅に一礼した。
「改めて名乗らせて貰いましょう、私は月光会が一人、タナトス・コルセオラ。今日は、このスラムに迫る危機について、話し合いに参りました。以後、お見知りおきを」
親しみの籠った話し方から一転、丁寧な口調で名乗るタナトスさん。上げられた顔に浮かべられた表情は相変わらず笑顔なのに、なんだか掴みどころがなくて、どことなく不安を覚えます。
「……で、なんだか話が進んでってるけど、月光会って何?」
そんな中で、ヒルダさんがこそこそと小声で隣のセレナさんにもっともな質問をぶつける。
私も正直、月光会なんてあまり聞いたことないですし、これ幸いとこっそり聞き耳を立てる。
もっとも、そんな私の心配をよそに、セレナさんはちゃんとみんなに聞こえるように説明してくれましたけど。
「月光会は、スラムの復興とそこにいる人達の生活支援を謳ってる、慈善団体ね。私達と違って毎日を食い繋ぐことも出来ないような人達に食料の配給をしたり、仕事の斡旋をしたりしてる」
「へえ、割とまともなとこなんだな」
心底意外そうなヒルダさんに、私も内心で同意する。
こんな怪しそうな人が実は良い人って……世の中分からないものです。
「表向きはね」
そう思ったら、変わらず厳しい眼差しをタナトスさんに向けたまま、セレナさんは突きつけるように月光会の在り様を暴露しました。
「裏では、使い道のない人間は奴隷として売りさばいたり、安い金でヤバイ禁制品を運ばせたり、使い潰すようなやり方であくどい稼ぎ方してるって噂よ。どこまで本当か分からないけど、ただの慈善団体じゃないのは確かね」
全くオブラートに包むこともない言葉に、私はハラハラしながらタナトスさんの方を見ました。
もし言ってることが本当なら、あの人は悪の組織の一員ってことで、さっき誰にも気づかれずに傍にいたことといい、ただじゃ済まないんじゃ……
「ええ、残念なことに、そういった噂があるのも事実です。しかし、仮にそうであったとしても、近衛騎士団に土地を奪われることを是としないのはお互いに共通するところ。味方には違いないと思いませんか?」
そんな私の心配とは裏腹に、タナトスさんのほうは特に動揺した風もなく、笑顔を浮かべたまま、否定とも肯定ともとれる言葉であくまで味方だと囁いた。
「敵の敵が味方だなんて私は思わないわね、一体何を企んでるの?」
それに対して、あくまでセレナさんの態度は辛辣で、タナトスさんも「手厳しいですね」と頭を振っています。
けれど、すぐに取り直して、にっこりと笑顔で話を続ける。
「企んでいるとは心外ですね。私は同じスラムに住む者同士、此度の危機に対して協力したいと考えているだけです」
「協力?」
そうして出された提案は、一見すると真っ当なものでした。
このままだと近衛騎士団に住むところを追われる、だから、協力して対抗しようというのはおかしなことではありません……けど……
「私達みたいなただの子供に、近衛騎士団に立ち向かう力があると思ってるの?」
そう、近衛騎士団は、国そのものを後ろ盾に持っていますから、とてもじゃないですけど太刀打ちなんて出来ません。だからこそ、リリアナさんだって決闘なんて物騒な手段を提示しながらも、最終的にはこの廃教会を丸ごと買い取るっていう、大胆だけれどあくまで取引の範疇にある方法を取ろうとしていました。
けどそれは、廃教会一つの話だからまだ妥協させられる可能性があるっていうだけで、他の場所までとなったらその手は金銭的にも騎士団の目的からしても無理があるはずです。
「思うさ。君達の仲間に、かの大魔法使いカタリナ・アースランドの一人娘がいるんだろう?」
その言葉に、思わずドキリとしてしまったのは私だけじゃありませんでした。
セレナさんでさえピクリと眉が動き、ヒルダさんに至っては分かりやすく動揺しています。
「カタリナ・アースランドは宮廷魔導士でも群を抜いて頂点に立っていた。その魔法は天を焦がし、大地を割り、野山を更地に変えるほど強大だったと聞く。そして、家庭のためにその座を降りた今も、強力過ぎる力を持つがゆえに監視され続けている」
丁寧な口調がまた一変し、まるで熱にうなされるかのように力強く語るタナトスさん。
ころころと変わる口調のせいか、それだけ力を込めているのに、その内心は全く伺い知れません。
「彼女と敵対することは、近衛騎士団とて難しい。その大事な一人娘が相手にいるとしれば、近衛騎士団から大幅な譲歩を引き出すことも可能だろう」
そして言っていることは、なまじリリアナさんの途轍もない魔法を見ているがために、否定できないくらいには説得力がありました。
だから、ヒルダさんやセレナさんも、今は何も言えず、ただタナトスさんの話を聞いています。
「もちろん、ただ交渉するのではなく、我々スラムとの交戦が無視しえない被害を呼ぶと分かって貰う必要がある。そこでだ、これを君達に渡しておこう」
「……? 何よ、これ」
投げ渡された袋のようなものを、セレナさんが受け取る。
訝しげに中を検めたセレナさんが取り出したのは、いくつもの魔石でした。
「それは魔石爆弾。魔力を軽く込めて投擲することで、数秒後に爆発する簡易的な魔導武器だ。それがあれば、君達も十分近衛騎士団に痛手を負わせることが出来るだろう」
魔道具の一種でもある武器の名前が出たので、気になった私もセレナさんの傍に向かい、その魔石を一つ眺めてみる。
確かに、魔石には魔法陣が刻まれていて、魔力をトリガーに爆発する魔法が込められていますけど……
…………? 何かおかしいですね。何でしょう、これ……?
「もちろん、戦うかどうかは君達次第です。しかしもし、近衛騎士団の横暴に抗う気持ちがあるのなら、私達と協力してくれることを期待します」
「あ、待ちやがれ!」
私達が魔石に注意を惹かれている隙に、タナトスさんはまたも丁寧な口調で一礼すると、踵を返し去っていく。
その小さくなっていく背中を眺めながら、私はこの先何が起ころうとしているのか、溢れ出る不安を抑えるので精一杯でした。