第三十三話 警察犬は鼻がいいだけじゃなれないです?
「う~ん、ありませんねーオウガ」
お財布を落とした(と思われる)場所まで戻ってきた私ですけど、やっぱりというべきか、お財布の影も形もありません。
誰かに持ってかれちゃったんでしょうか?
「こういう時の定番はあれですね、オウガ! お財布の匂いを追いましょう! きっと私の匂いがついているはずです!」
「ガウ!?」
いやいや、そんな無茶な、的な反応を返すオウガですけど、それ以外手がかりの欠片もないんですからやってもらうしかありません!
というわけで、ひとまずオウガを宥めすかして私の匂いを改めて嗅がせ、それを探させます。
ふがふがと鼻を鳴らしながら、オウガは意外にも迷いなく歩いていく。
これは案外期待できるかも? と思いながら歩くこと10分。やがてオウガが立ち止まったのは……
「……お肉屋さんですね」
生とは別に、調理ものも売っているのか、肉の焼ける香ばしい匂いが漂ってくるそこは紛れもないお肉屋さんです。それも、いつもオウガのご飯を買っているところ。
「……オウガ、もしかしてお腹空いてます?」
「ガウッ……ガウ」
首を横に振って否定したかと思えば、少し間を置いて縦に振るオウガ。
いや、どっちですか。今のはさすがに私にも分からないんですけど。
「ん? 妖精の嬢ちゃんじゃねーか。どうした、おつかいか?」
「あ、おじさん」
冒険者でもやっていたほうがよほど似合いそうな、大柄な熊みたいなおじさんが、人の良い笑顔を浮かべてお店のカウンターから話しかけてきました。
妖精の嬢ちゃんって呼ばれるのはなんとも微妙な気分ですけど、もう何を言っても無駄なのは分かってますし、何よりそう嫌ってわけでもないのでひとまずスルーします。
「おつかいはおつかいなんですけど、お財布無くしちゃいまして……おじさん、知りませんか?」
「流石に知らねえなあ」
「ですよねー……あはは」
一応聞いてみれば、やはり即答で否定されました。
ダメ元だったとはいえ、やっぱりなんの手がかりも得られないというのは徒労感が半端ないですね……
「まあ、財布以外の物ならあるけどよ」
「えっ」
そう言っておじさんが取り出したのは、無くしたと思っていた私のヘアバンド。
髪を切るのがあれなら縛ったらどうかな? と思ってつけてみたはいいものの、なんだか個人的に違和感が凄かったので結局途中で外して、どこに置き忘れたのか分からなくなってたんですけど……まさかお肉屋さんにあったとは。
「あはは……すみません、ありがとうございます……」
「いいってことよ。けど財布まで無くすたあ、お嬢ちゃんも大変だな。もっとしっかりしなきゃダメだぜ?」
「はい……」
ちらりとオウガのほうに目を向ければ、「どや? 本当にあったやろ?」的なドヤ顔を浮かべている……ように見えます。いえ、実際にどうかは分かりませんけど。
「……オウガ、今日はおやつ抜きです」
「ガウ!?」
ガーンっとその場に崩れ落ちるオウガですけど、今回は色んな意味で仕方ないです。主に、失敗したせいでお金がないからですけど。
「……あれ、リリアナ、さん?」
「ふぇ?」
そんな私達を見てがっはっはと豪快に笑うおじさんにジト目を向けていると、ふと後ろから声をかけられました。
振り向けば、そこにいたのは気弱そうな少女。
いつもの赤い制服ではなく、白いシャツにフリルのついたミニスカートを穿いた可愛らしい恰好をしていたので一瞬分かりませんでしたが、あれだけ話題になった子の顔を忘れるわけはありません。
「あ、マリアベルさんじゃないですか。こんなところでどうしたんですか?」
学園の外で会うのは初めてなので、少し意外になって問いかける。
まあ、私自身そんなにこの辺りに頻繁に来るわけじゃないので、今まで入れ違いだっただけかもしれませんけど。
「いえ、その……お財布無くしちゃいまして……」
「あれ、マリアベルさんもですか?」
これまた予想外の理由に、私は目を見開く。
まさか、私が無くしたのと同時に、知り合いまで無くしてるなんて、すごい偶然ですね。
「はい、私、ちゃんと落とさないように紐で結んでおいたんですけど、この通りで……」
と、そう言ってマリアベルさんがポケットから取り出したのは、途中で切れた紐の端。
うーん、ばっちり用心してたんですね。それなのに無くしちゃうなんて、ツイてないというか……マリアベルさんの運、剣技大会で使いきっちゃったんでしょうか?
「んん……? いや、その切れ方、偶々じゃねえな。ナイフかなんかで無理矢理切った跡だ」
「無理矢理ですか?」
「ああ。最近は大人しくなってるが、少し前までスラムにある寂れた教会に住み着いてるガキに財布をスリ盗られる事件が何度かあったから、もしかしたらそれかもしれねえな……」
と、思ったのは私の早計だったのか。それを見た肉屋のおじさんが、思わぬ観察眼を発揮しました。
しかし、スラムですか……
「そのスラムってどこにあるんですか?」
「ああ、それなら町の西区に行けば大体のヤツが知って……」
「よし、それなら話は早いです! 早速行ってみましょう!」
「ふぇ!?」
マリアベルさんの手を引いて、オウガの背に飛び乗る。
最近また少し大きくなって、私と同じくらいの身長の子ならまた2人乗りできるようになりましたし、マリアベルさんなら問題ありません。
「って、おい嬢ちゃん、スラムは女の子2人で行くには危ねえぞ!?」
「大丈夫です、オウガもいますから!」
「いや、そう言う問題じゃなくてな!?」
慌てるおじさんですけど、実際、私はビッグアントの群れとも戦ったことがあるんです。スラムの人に仮に襲われたからってどうってことありません!
「行きますよ、オウガ! マリアベルさんも、しっかり掴まっててください!」
「は、はいぃ」
震える手で、私の身体にぎゅっと抱き着いてくるマリアベルさん。
うーん、モニカさんみたいにボリューミーな体付きはしてませんけど、小さい子特有のもちもちしたお肌と女の子らしい良い匂いが……って、今はそれどころじゃないんでした。
「さあ、待っててくださいね、スラムの子達! 事情がどうあれ、私のお財布は返して貰います!」
「おい、そもそもそっちの嬢ちゃんのはともかく、妖精の嬢ちゃんの財布はまだ盗られたって決まったわけじゃ……」
私の言葉を合図に、オウガが一気に跳躍する。
おじさんの最後の言葉は、一瞬で遠ざかるオウガとの物理的な距離によって、私の耳に届くことなく消えていきました。
「えーっと、この辺ですね、スラム街。確かになんだか寂しげな雰囲気ですけど……」
オウガに乗ってやってきたのは、フォンタニエの西側、森と面しているために魔物の被害が他のどの地区より多く、人が寄り付かなくなってしまった場所です。
結果として、魔物に襲われて崩れかけた建物や、人がいなくなって寂れた教会などに身寄りのない子供や帰る場所を失った人達がひっそりと住み着き、スラム街などと呼ばれるようになった……と、ここに来る直前に会った道端のおばさんに教えて貰いましたけど、確かにこの辺りの雰囲気は、私の家がある緑豊かな南区とも、賑やかで活気のある中央区とも違って、随分と暗鬱とした不穏な空気が漂っています。
「あ、あの、リリアナさん、やっぱり帰りませんか? なんだかすっごく嫌な予感がするんですけど……」
「大丈夫ですよマリアベルさん、別に喧嘩を売りに来たわけじゃないんですから。ただちょ~っと悪さした子に拳骨してお財布を返して貰うだけで。あ、二度とやらないようにちゃんと折檻もしないとですね」
「それ、十分喧嘩売ってるような気がしますよ!?」
そうでしょうか? と首を傾げれば、そうですよ! と首をぶんぶん縦に振るマリアベルさん。
ここに来てからというもの、マリアベルさんはずっとこの調子で怯えていて、もうお財布なんていいから帰ろうとさっきから何度も繰り返しています。
まあ、こんな場所ですから事情が事情なんでしょうけど、だからって盗みは感心しませんからね。
「まあ、なんとかなりますって!」
そんな風にマリアベルさんを励ましながら、ゆっくり進むこと20分。ようやく、件の教会が見えるところまでやって来ました。
「あ、あそこですね」
少しくすんだ白い外観から、放置されてから短くない時間が過ぎたことが想像できるその建物は、このスラムにおいて身寄りのない子供達が集まって暮らしている場所なんだそうです。
そして、そんな場所で過ごす子供達ですから、当然見知らぬ他人に好意的に接してくれるわけはなく。
「お前ら、何しに来た!」
「えーっと、お財布探しに来ました」
「こんなところにあるわけねーだろ、とっとと帰れ!!」
けどだからと言って、いきなり剣を向けられ半包囲されるとは予想外です。
うーん、どうしましょうこれ?
「ここの子が盗ったのかもしれないって聞いたので、見に来ただけなんですけど……」
「うるせーよ! どいつもこいつもすぐに俺達を疑いやがって、ブチのめしてやる!!」
最初っから戦る気満々だったように見えたんですけどー、というツッコミはひとまず胸の内に仕舞っておくとして。
こちらは私とオウガ、それにマリアベルさんの2人と1匹。対して向こうはスラムの子供が5人。まあ、人数では負けていますけど、こっちは学園の剣技大会優勝者もいるんです、見たところ同年代の子ばかりみたいですし、負けるわけありません!
「こうなったら仕方ありません、いっちょ懲らしめてあげましょう、マリアベルさん!」
「あの、私、今日は剣も杖もないので、戦えないんですけど……」
「え、魔法は杖なくても使えますよね?」
「私達のクラスで、それで攻撃魔法使えるの、リリアナさんとモニカさんだけですよ……強化魔法より制御が単純な分、杖で増幅しないと魔力消費が大きすぎるんですから」
あっれー……? そういうものですか? 私、むしろ杖があると暴発しやすくなるので入学試験の時以来一度も使ってなかったんですけど……
ていうことは、今回マリアベルさんは戦力外? 2対5?
「まあ……なんとかなります、多分!」
「逃げましょうよーーー!!」
悲鳴のような声を上げるマリアベルさんを背に、私は剣の代わりに掌を突き出す。
さあ、成り行きですけど、ひとまず戦闘開始です!