第二十一話 ルルの憂鬱③
ルル君視点再び
フォンタニエ王立学園があるのは、街の中心部、最も栄えている地域だ。
そんな土地だからただでさえ土地代がかかる上、校舎自体も初等部から高等部までを収容するために広大な面積を持っていて、更にそれとは別に訓練場もいくつか所有しているせいで、下手しなくても王城よりも維持費がかかってるなんて噂もあったりする。
さてそんな莫大な費用がどこから捻出されているのかと言えば、当然主な出所は国庫になるわけだけれど、当然それだけでは厳しいため、貴族などからの寄付に頼っている面も大きい。
となれば当然、入学してくる生徒は貴族の子弟やら豪商の子供やらが多くなり、そう言った人々は必然的に便利な街中に居を構えていることが多いし、そうでなくとも国内最大の学び舎だ、地方からやってくる子供を受け入れるための寮も完備されている。
つまり何が言いたいかというと、好き好んで街の郊外にある実家から通うリリィは少数派であって、当然街中に住んでいる僕がわざわざ学園から遠く離れることになるそこまで迎えに行くことは普通あり得ないし、実際これまで一度だってやっていない。
「それで、結局こうなったわけね……」
それでもこの平日真っ盛りの朝に僕がリリィの家にやって来たのは、いつも僕の家に来る時間になってもリリィがやって来なかったから。そして、その理由に心当たりがあったからだ。
「はうぅ……だってぇ……」
僕の呟きに言い訳染みた声を上げるリリィは現在ベッドに横たわり、顔は赤く火照って呼吸も荒く少し苦しそうにしている。
まあつまり端的に言うと、風邪を引いたらしい。
「何がだってだよ、そりゃあ、いつもだって体力的に結構ギリギリの訓練してるのに、それ以上なんてやったら体壊すに決まってるじゃない」
昨日、魔法の授業から帰ってくるなり、なぜか「もっと強くなってCクラスのみんなをぎゃふんと言わせてやります!」と鼻息荒く宣言したリリィは、さらにどういうわけか剣術の訓練を放課後に行い、訓練場が使えなくなってからもひたすら体力作りに明け暮れていた。
元々リリィは体力がないし、あんまり無理すると体壊して予選に出られなくなるよと警告したんだけど、猪突猛進を地で行くリリィがそんな言葉を聞くはずもなく、フラフラになるまで訓練し続けて、まあ予想通り今日はこうなったというわけだ。
そろそろ学習してもいいと思うんだけど……まぁ、リリィだしなぁ……
「とりあえず、今日はゆっくり休みなよ、先生には僕から言っておくから」
「だ、だめですぅ、い、行かないと、予選が、代表がぁ……っ、けほっ、けほっ」
「ああもうほら、言わんこっちゃない」
無理矢理体を起こして咳き込んだリリィをもう一度寝かせて、布団をかけ直す。
ほんと、この必死さをもう少し他のことにも向けてくれればいいんだけど。特に勉強とか。
「大丈夫だって、休んでもすぐ不戦敗とかにはならないから。それより早く風邪治すことに集中しなよ」
「う~……分かりました」
渋々と言った様子で頷いて、リリィは布団の中に深く潜っていく。
実際には、休んだ分の試合を後回しにされて、時間が足りなくなれば不戦敗扱いになるんだけど、明らかに納得しきってないこの様子を見るにそれは言わないほうが良さそうだ。
「それじゃあ僕はもう行くから、こっそりベッド抜け出して訓練なんてしちゃダメだよ?」
「分かってますよ……心配かけてすみません、ルル君」
口元まで布団で覆ったまましょんぼりした様子で謝るリリィに、思わず噴き出しかけた。
リリィにも迷惑かけて申し訳ないなんて気持ちはあったんだ……なんて、面と向かって行ったら流石に怒られるから言わないけど。
「気にしなくていいよ、幼馴染なんだから心配するくらい当然だし」
いつも振り回されてばかりだけど、なんだかんだ言ってリリィの傍は退屈しなくて楽しいと思ってるのも事実だ。
なんだろう、ちょこちょこと動き回ってそそっかしい妹を見てる気分? みたいな。
「はい……行ってらっしゃいです、ルル君」
「うん、行ってきます」
リリィに手を振って、部屋を出る。すると、話が終わるのを待っていたかのように、リリィの母親であるカタリナさんが立っていた。
見た目の上では確かにリリィと似ている一方で、リリィとは似ても似つかないほどに落ち着いた佇まいは、まさに大人の女性と言うに相応しい魅力がある。ただリリィが子供っぽすぎるだけかもしれないけど。
「カタリナさん、お邪魔しました」
「いえ、いいのよ。ルル君が気にかけてくれて、リリィも喜んでると思うわ」
「あはは……だといいですけど……」
リリィのやることなすこと、いつも否定から入ってるし、正直鬱陶しいと思われてないか不安に思わないでもない。
けれど、そんな僕の考えを否定するかのように、カタリナさんはゆっくり首を横に振った。
「だってリリィ、いつもルル君のお話ばかりするんだもの。好きではあっても、嫌ってることなんて絶対にないわ」
まあ、大抵が文句だけれどね、と悪戯っぽく笑うカタリナさんの言葉に、僕は苦笑を返すより他ない。
それってつまり、学園生活の愚痴を零してるだけじゃないか、と言いたいところだけれど、自信満々に嫌っていないと言われれば悪い気はしないので、ひとまずそういうことにしておこうと自分を納得させ、玄関へと向かう。
「それじゃあカタリナさん、また放課後に様子見に来ます」
「ふふ、ありがとうルル君。気を付けてね」
そう言ってカタリナさんと別れ、リリィの家を出る。
元々、普段家を出る時間になってからここへ来たわけで、今から学園に向かうんじゃ加速魔法を使ったとしても間に合うかどうか微妙なところだ。その事実に軽く溜息を吐き、かと言って嘆いていても始まらないと駆け出そうとしたところで、見知った魔物が傍に寄ってくるのを視界の端に捉えた。
「オウガ? どうしたの?」
「ガウッ」
僕の問いかけに答えるかのように一つ吼えると、オウガはその身を伏せて鼻先で自分の背中を指し示すような仕草をした。
「もしかして、学園まで乗せてってくれるの?」
「ガウッ」
肯定するかのようにまた吼えて、じっと僕のほうを見つめてくる。
魔物が人の事情や言葉を理解して気を効かせてくれるなんて聞いたことないんだけど、この間のビッグアント討伐の時に見せた強さといい、このオウガはつくづく変な黒狼だと思う。魔物は魔力を吸って突然変異した動物だなんて話もあったし、リリィの傍でその魔力を吸って変な成長でも促されてるんだろうか?
ともあれ、もし乗せてくれるなら間に合いそうなのも事実だ。ここは有難く手を貸して貰おう。
「ありがとうオウガ。それじゃあ頼むよ」
「ガウッ」
オウガの背に跨ると、再び同じように吼えて一気に駆け出した。
僕が魔法を使うよりずっと強い加速に顔を顰めながらも、これならなんとか間に合いそうだと胸を撫でおろした。
「ふぅ、間に合った……」
「よう、遅かったじゃねーかルルーシュ」
学園に着き、いつものBクラスの教室へ入ると、すぐ傍から声をかけられた。
振り向けばそこには、こちらに向けて軽く手を挙げ挨拶するヒルダの姿。
「ああ、おはようヒルダ。ちょっと寄り道してきたから……それよりモニカ、大丈夫?」
そして、そんなヒルダが腰かけた机に突っ伏した、モニカの姿も目にした。ヒルダがいつもいるリリィの席じゃなくここにいるのも、当人がいないのとモニカのこの様子を心配してのことなんだろう。
声をかけると、真っ白に燃え尽きていたその目に僅かばかりの生気が戻り、顔を上げて僕のほうへと向き直る。
「あ、ルルーシュさん、おはようございます……えっと、昨日の訓練で疲れているだけなので、お気遣いなく……」
「いや、知ってるけど……なんかごめんね、うちのリリィが」
モニカは昨日、リリィの訓練に遅くまで付き合わされていた。
別に付き合わなくてもいいとは言ったんだけど、自分より体力のないリリィが頑張ってるのに帰るわけにはいかないと、見かけによらない負けん気を発揮したモニカは、本当に最後までリリィのバカみたいに続く訓練についていき、リリィみたいに動けないほどではないにしろ、かなり疲れ果てる結果になった。
自業自得な面も多少あるし、僕は直接関係ないとはいえ、幼馴染として少しばかり申し訳ない気持ちになる。
「いえ、気にしないでください。木剣なんかにびくびくしていたら魔法戦もまともに出来ないっていうリリアナさんの意見はもっともでしたし、最後まで一緒にやると言ったのは私ですから……」
モニカはそう言って柔らかく微笑むけれど、リリィのあれは確実にただの言い訳で、本音ではただそうしたほうが面白そうだと考えていただけじゃないかと思う。それでも確かに言っていることに一理あるから何も言わなかったけど。
「それで、当のリリィはどうしたんだ? いつもみてーにルルーシュと一緒に来たわけじゃないのか?」
「ああ、うん、リリィなら今日は風邪で休みだよ。昨日の訓練で体壊したみたいでね」
僕が教室に入ってきた時から気になっていたのか、会話が途切れたタイミングを見計らってされた質問に答えると、ヒルダは多分に呆れを孕んだ苦笑いを浮かべた。
まあ、気持ちは分かる。
「えぇ!? リリアナさん、大丈夫なんですか?」
けれどそう思うのは僕らだけなようで、モニカは純粋にリリィの容態を心配しているようだ。
優しいなぁモニカは……リリィが「私の味方はモニカさんだけです!」っていつも言ってる意味がよくわかるよ。
「いつものことだし、家で寝てるから大丈夫だよ。剣技大会の予選に出られないのを気にしてたけどね」
「それは……気にするでしょうね、リリアナさん……」
一応僕も、昨日魔法科目のAクラスであった出来事は聞いてるけれど、正直リリィには自重と手加減を早く覚えて貰いたいところだから、ぜひとも剣技科目Cクラスのメンバーに頑張って貰いたいところだ。
「まあいいじゃねーか、どうせ試合が後回しにされるだけなんだし、1日2日休んだところでどうなるもんでもねーだろ?」
「まあね。だから心配いらないよ」
実際にはリリィの風邪って長引くから、3日4日は覚悟しないといけないし、そうなるとかなりギリギリなんだけど……それはまあ、本人次第ってことで。
「よーしお前らー、ホームルーム始めるぞー、居ない奴は手ーあげろー。いないなー? よしじゃあ席着けー」
そんな風に話していると、いつものように気だるそうにアメルダ先生が入ってきて、確認する気が全くない出欠確認を取りながら着席を促した。
……リリィの予選、大丈夫かなぁ?
剣技大会予選の時期は、どのクラスも必ず一日に1時限以上剣技の授業が行われる。学園の周囲にいくつか点在する訓練場もほとんどがそのために割り当てられ、その煽りで魔法実技の授業が制限されるほどだ。
僕らの学年もその例に漏れず、唯一リリィのいた魔法科目Aクラス以外はほぼ魔法の授業がないまま剣ばかり振っている。
そういう理由からめっきり減った魔法の使用機会を埋めて練度を維持するため、僕はこの時期に入ってから、剣技の授業でも積極的に強化系の魔法を使うようにしていた。
「ハッ! 魔法を使わなきゃ剣で仕合うことも出来ない弱虫が、少し連勝してるからっていい気になるなよ!」
だからこそ、剣技大会予選における今日の対戦相手……カレル・サイファスの的外れな煽り文句に、思わず溜息を漏らしてしまったのも仕方ないことだと思う。
「てめぇ、バカにしてんのか!!」
「ああうん、そういうわけじゃないんだ……ごめんね?」
案の定、逆上して突っかかってくるカレルを宥めるように謝罪するが、その態度が気に入らなかったのか、彼は益々眉尻を吊り上げる。
「ちっ、どいつもこいつもバカにしやがって……魔法に頼らなきゃ剣も振れないアースランド流なんか、俺がぶっ倒してやる!」
いきり立つカレルの様子に、僕はまた吐きだしそうになる溜息をぐっと堪えるのに苦労するハメになった。
一応僕も、彼の実家であるサイファス家とアースランド流の確執――と言っても、サイファス家のほうが一方的に師範のことを嫌っているだけ――を知らないわけじゃない。純粋に剣技のみを極めることを是とするサイファス家に対して、魔法どころかありとあらゆる武器術、体術を取り入れるアースランド流のやり方を邪道だと蔑む人がいるのも知っている。
けど正直なところ、僕としてはアースランド流だとかサイファス家の剣だとか、そんなことはどうでもよかった。これは何も僕に限った話ではなく、アースランド流の門下生のほとんどに当てはまることだ。
何せ師範自身が、型だとかなんとか決まった形に興味がなく、門下生に自ら「どの流派だとか、魔法が使える使えないだとかじゃなく、自分にどんな戦い方が合っているかが大事だ」などと語ってみせ、個人個人に合わせた戦い方を一緒に考えてくれるような人だ。
そんなことをしているから人気の割には門下生が少ないし、道場そのものに対する誇りが薄くなってしまうんだけど、代わりに師範を個人として慕う人が多いのも確かだ。
ともあれそういう理由もあって……カレルの向けてくるアースランド流に対する敵愾心には、正直どう答えたらいいのか分からない。
「まあ、えーっと……頑張れ?」
だからこそ、何かを返さなければと思い口を突いて出た言葉は、さすがにまずかったかと言った後に気付いた。
「こいつ……舐めやがって……!」
「あ、あー……」
後悔するも時すでに遅し。もはや修復不可能なまでに溝が生まれてしまった。
さてどうしようかと頭を捻るも、名案が浮かぶより先に無情にも響く試合開始の合図。
「くたばれぇ!!」
「っと」
さすがに、名門と言われる家の子息なだけあって、9歳にしては打ち込みが鋭い。掲げた木剣でそれを防ぎながら、一旦距離を取る。
「逃がすか!!」
しかし、そうはさせじと必死の形相で追いすがり、突きを放ってくるカレルの剣を再度弾き、もう一度離れようとするも、尚も無理矢理に追ってくる。いくらなんでも強引過ぎる気がするけど、これはもしかして……
「はっ! どうだ、こうして近距離戦に持ちこんじまえば、魔法を使う暇もないだろう!」
ああ、やっぱりかと、僕は思わず苦笑した。
確かに、強引な近距離戦からの息つく暇もない猛攻は、対魔法使い戦における一つの定石だ。まず第一に詠唱する暇を潰せるし、魔法使いというのはリリィがCクラスの授業風景を見て懸念していた通り、こういった近距離での戦いに慣れてないことが多い。なまじ強力であるがために制御に多大なる集中力を割かれる魔法は、激しい剣戟の中で扱うにはかなり難しい代物だからだ。
けれど、それはあくまで魔法使いの話であって、近距離戦を主とする魔法剣士に当てはまる物ではない。
「『アクセル』」
次々と繰り出される猛攻を適当にいなしながら、一言そう唱える。それだけで、僕の体は重力から解き放たれたように軽くなり、一瞬でカレルの背後に回り込んだ。
魔法使いに求められるのは、基本的にあらゆる状況に対応できる汎用性と、どんな敵も打ち倒す火力。一方で魔法剣士に求められるのは、どんな状況でもすぐに魔法を発動し制御できる胆力だ。
どれだけ鍛えてようが、子供の繰り出す木剣程度にビビって魔法が使えなくなるようじゃ最初から魔法なんかに頼った戦いをするわけがない。
「なっ!? バカな……!」
本気で抑え込めると思っていたのか、僕の動きに全くついてこれないその背に向け、木剣を振り抜く。
当然、予想も出来ていない状態で背後からの攻撃を防げるわけもない。一撃であっさり吹き飛んで、場外へと転がり落ちていった。
「これなら、魔法使わなくてもよかったかな……」
魔法を使うべきか、使わないべきか。正直、どっちのほうが後々波風が立たないか迷ったけれど、最終的には昨日油断して負けたリリィのことが頭を過ぎったのと……単純に、この時間を早く終わらせたいという思いが勝って、加速魔法で一気に決めることにした。
「く、くそっ……! 魔法さえ……魔法さえなければ……!」
けれど、僕の勝利が先生の口から宣言される中立ち上がったカレルは、憎々しげに僕のほうを睨んでくる。
……これは失敗したかな。はぁ……ほんと、勘弁してほしいよ……
結局その日、もう1試合を行い、ヒルダと一緒に新たに白星2つを獲得した僕だったけれど、カレルからの視線が和らぐことは終ぞなかった。