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ライスとスープ

12時

僕はいつもどおり仕事を進める。

今日は炭素分布のデータ処理で処理落ちした部分の補正だ。

実際の観測データと処理データの齟齬や誤差を修正する作業である。

一週間に一回はこの作業をするのだが、今日は落ち着かない。

昨夜、僕は過食した。

配給される分の食料をほとんど無駄にしてしまったので、新しく購入しなければならない。

なぜあんなことをしたのかという当時の衝動を未だに理解できないが、何かがおきていた。

何かが僕の中で壊れた。

あの後、僕はすぐに事後処理をしてその証拠を破棄せずにいる。

なぜならそれを捨ててしまえば記録に残ってしまうからだ。

仕事柄、ごまかし方は思いつくが嘘はなるだけつかないほうがいい。

真空になるような容器にしまっておけばナノマシンの処理にも引っかからない。

錠剤は処理されず、そのまま僕の家にあることになっているはずだ。

いままでに経験のないことなので、僕もどうしたものか困っていた。

いつの間にか13時を過ぎている。

今日も彼女のいる図書館へ向かうべく退社した。

14時

一時間遅れてやってきた僕はいつもどおり書庫をあさる。

禁止事項の書籍は残っていないので、どうにかして料理について調べたい僕は娯楽小説を読んで暇をつぶす。

もうとっくに忘れたはずの食事の記憶がなぜ想起されたのか?

する必要のないことを懐古したのはなぜか。

禁忌を犯そうとしたのはなぜか。

頭の中をぐるぐると反芻する。

”反芻”を考えると昨夜の出来事が思い出されて気分が悪くなった。

こういうときは画集や写真集を見て気分を落ち着かせる。

適当に書棚をあさると『日本の原風景』という写真集があった。

ページをめくると、海原にただよう雲の写真や紅葉の写真、

青々とした夏の山岳写真、のどかな農村の風景。

農村の風景には段々になった棚田があり、瑞々しい稲穂が風に揺れている。

稲。それはイネ科の植物であり、同時に食物の米でもある。

米は殻をかぶっているので実は白い色をしていて、白米とよばれるその実はご馳走である。

電気釜でもいいが、炭やガスで炊くとそれはふっくらとしておいしいものが出来上がる。

ご飯が食べたい。

あの暖かく、甘みがあってしかし独特の香りのする米。

世界の半分くらいで主食として食べられていたご飯。

どこかで手に入れる術はないか。いや、ない。

第一、当時の米が保管してあってもとっくに腐っている。

どこかで自然に生えていれば採取してくるのだが、そんな都合のいい話があるわけがない。

せめて遺伝情報さえあれば複製機械で再生成できるのだが。

しかし野生化した個体ではだめだ。食用に品種改良されたものが一番良い。

人の手で長い年月をかけておいしくなるように工夫されたものだ。

「待たせたかしら?」

気がつくと彼女が後ろに立っていた。

僕は画集を書棚に戻すと、家路に着いた。


17時

「あるわよ。」

僕はまさに豆鉄砲を食らった顔をしていただろう。

米の遺伝情報が図書館にあるというのだ。

「だって図書館に米のサンプルがあるわけないだろう。」

米としてではなくね。と彼女は意地悪な笑みを浮かべる。

「米じゃなかったら何なのさ。」

くしゃみが出る。

「ここに答えがあるの。」

といい、彼女は古文書を差し出す。とても埃っぽい。

「古文書に遺伝情報があるのかい?」

「ええ、実は古い本って特殊な紙でできていて、昔は本が貴重だったから修理して使っていたの。」

彼女は本を開くと、つぎはぎのついたページをめくる。

「このつぎはぎ、当時は接着剤がなかったからデンプンでくっついているの。このデンプンが米。」

確かに米はデンプンからできている。

「米をつぶしたり伸ばしたりして紙同士を接着していたってこと。だからココをスキャンすれば、」

彼女は遺伝情報を携帯端末で読み取る。ピピピとスキャナーの反応音がする。

画面には米の遺伝情報が、しかも現代に存在する植物ではなく食品としての米だ。

その後、僕らは家にある素材を使って簡易的なビニールハウスを作った。

室内であってもナノマシンの存在する空気なので、ナノマシンを静電気で破壊した自然な空気で満たす。

おかげで僕の家は半分が農場になってしまった。残りの半分はキッチンになる。

栽培方法はもちろん水耕栽培だ。家にある材料を利用してほとんどのものは事足りてしまう。

問題なのは炭素だ。不自然に炭素を世界から消してしまえば怪しまれるに決まっている。

しかしこの問題はあっさりと解決してしまう。

いつも僕が食用にしているタブレットを肥料として利用すればいいのだ。

ビニールハウスの中は物質が完全循環しているので問題はない。

タブレットは僕が食べてしまったことにすればいい。

そして僕がこのビニールハウスでできたものを摂取すれば問題はないはずだ。

しかも僕は肝心なデータを扱うことができる。

これくらいの量であれば誤差の範囲で収まってしまうだろう。

彼女は先日僕が嘔吐したものを養分として利用することを思いついた。

しかし、僕は自分が嘔吐したものをまた自分で食べている気がして気分が悪い。

「大丈夫。だって堆肥やゴミを肥料にしていたのだから、それよりはましでしょう?」

という彼女の提案になす術はなかった。

米の遺伝情報を元に種子を3Dプリンターで印刷し、僕は種を蒔く。

二週間ほどで収穫できるはずだ。僕はその間、記録をつけることにした。

以前に小学生だったとき、僕はこうして植物を育てたことがある。

遠い昔の話だが今でもよく覚えている。


2週間後

僕と彼女は田園の真っ只中にいた。

どちらかというと田園を取り囲むようにといったほうが正しいのだが。

僕ははさみを手に、稲を刈り込む。

2週間、モーツァルトを聞きながら育った稲は見事にしなっている。

たわわに実った稲穂は、嵐がきたら倒れてしまうだろう。

そのずっしりとした重みは、僕の食欲を刺激する。

2週間の食事制限、というよりも禁欲生活が限界に近づいている。

ここ数日は毎晩、白米をほおばる夢を見た。

ひとつ、ふたつと刈り取っていく。

10分ほどですべてを刈り取り終わった。

あとは実の部分を外し、籾殻を取り、精製する。

本当は専門の機械がほしいが、そんなものはないので手作業だ。

彼女が図書館から借りてきた過去の本を見ながら見よう見まねで作業を進める。

「ないものはしょうがないけれども、少し面倒ね。」

彼女は籾殻をとるのに悪戦苦闘している。

精米は適当に棒でたたいて終わりとした。

作業が終わると、そこには古の食材があった。

だがここからが問題だ。米を炊くのである。

 いまや料理をする必要がないので調理器具などない。

博物館にいけば何か収蔵されているだろうが、実用に耐えないだろう。

僕は火を使って炊く方法を考えたが、それでは炭素を多く利用してしまう。

電気だったらある程度は使用できるので、電気で水を沸騰させる要領で炊飯する。

ケトルの内側にちょうどいい容器を取り付ければ完成だ。

ぐつぐつぐつ

いい音がする。米の声。

「お米をおいしく炊くには米の声を聞くんですって。」

彼女は耳をケトルに近づけながら言う。

「沸騰して煮込んだ状態になって、煙が出てきたら電圧を落としてね。」

僕はケトルに接続したボリュームを操作する係だ。

数分後、ケトルのふたがカタカタと音を立て始めると、すごくいい香りがしてきた。

「これだ、これは米が炊き上がる前の香りだ。」

太古の記憶が蘇る。隙間からただよう白い煙がさらに妄想をかきたてる。

すこし焦げた感じがしたら通電を止め、蒸らしの工程に入る。

この蒸らしがおいしさの鍵を握っているのだ。

「あけたいけれども開けられない。ここで待てるかどうかでおいしさが決まるのか。」

「器はどうするの?」

しまった。食事をするには食器が必要だ。

食器を用意することをすっかり忘れていた。

「そうだ、おにぎりにしよう。」

僕はハンカチを濡らして用意をする。

ビニールハウスの中は湯気で真っ白に曇っている。

彼女の丸眼鏡もまた、真っ白に曇っていた。

「なんだか悪いことをしているみたいね。」

「ああ、これは悪いことだ。人類に対する反逆なんだ。」

だが、これは人間にとっての尊厳にかかわる気がする。

「そういえば、食べる前の挨拶を知っているかい?」

「ええ、たしか、いただきますね。」

彼女は両手を胸の前で合わせてお辞儀をする。

「命をいただくという意味だそうだね。」

「そうなの。知らなかった。でも、植物に命があるの?」

「あるさ、彼らだって生きている。」

生き物を蒸し焼きにしたようで少し罪悪感を感じるが、生き物は刈り取られて食べ物になった。

だからおいしくいただけばそれでいいのである。

そろそろ時間が経った。

「じゃあ、開けるよ。」

出来合いの飯盒を開けると、それは白く、銀色に輝いていた。


19時

僕はやけどした手を冷水で覚ましながらぼんやりと考えていた。

おにぎりを握るのは良かったが、熱いものであることを忘れていた。

しかし、米はおいしかった。言葉では語れないほどのものであった。

「なにかおかずが欲しいわね。」

彼女は植物図鑑を見ながらつぶやく。

確かに、おにぎりの具材があれば最高だ。

典型的なものとしては梅、かつお、昆布であるが、魚と藻類は栽培が困難だろう。

梅も、木になってしまうと難しい。

ここまでくると自然環境をそのまま作り出すことになってしまう。

それではまるで神になってしまう。創造主は自分の食欲を満たすために作り出すのだ。

「この小さなビニールハウスの中にすべてを再生するのは困難だ。」

水はすでにぬるくなっている。生命が誕生した場所は海だ。

生ぬるいけれども暖かい、そんな場所で生命は生まれた。生命のスープと呼ばれる液体。

有機物の豊富な液体から最初は微生物が生まれ、進化していった。

海は生命の母だ。

そうか。

「わかったぞ。」

「どうしたの?」

「もっと大きくて広い場所を思いついたんだ。」

彼女は植物図鑑をパタンと閉じる。

「どこなの?そんな都合のいい場所があるの?」

「海の中だ。海中に農場を作ればいい。」

ビニールハウスを海中に沈めてしまえば空気中のナノマシンが反応することもない。

あえて有機物濃度の高そうな浅瀬を選べば、衛星軌道上からの観測もごまかすことができるだろう。

水も栄養も豊富にある。海産物を養殖することもできるはずだ。

彼女がパチンと指をはじく。

「よくそんな素敵なことを思いついたわね。いいわ。やってみようじゃないの。」

僕たちの小さな反乱が始まった。


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