食前酒
21時、僕は眠れないままでいた。
彼女は帰宅し、この狭い部屋が少しだけ広く感じられる。
映画はとてもコミカルで、あまりにも常識離れしていたが単純に面白かった。
なにより、料理に興味が沸いた。なぜだろう。
現代の世界はグラム単位まで炭素の管理がなされている究極の循環型社会である。
人口増加と行き過ぎた環境改変を制御するにはこれ以上の方法が存在しなかった。
過去に失敗した試みである社会主義という概念をゴミ箱から引っ張り出し、
炭素をベースにした完全な計画経済を手に入れた人類。
現在ではナノマシン技術を応用して自然界の炭素までをも極限まで管理している。
たとえば、計画されている地区の炭素バランスが崩れれば雑草は除草され、土壌は「改良」されるのだ。
そんな中で特に操作をしずらいものが生物と炭素サイクルのバランスである。
食事を取るということは、その分を排泄するということだ。
人間であれば改造や教育を施せばいくらでも変化することができる。
なので人間は改造され、そのために食事制限の教育を受けている。
なるべく炭素を無駄にしないような食品を主食とする。
要は合成・加工食品である。味は味覚への干渉でどうにでもなるのだ。
カロリー量だけを計算すれば、好きな味を好きなだけ食べても問題ない、夢のような世界である。
そして、特に料理という工程は炭素の無駄が多い。
計画経済において、その計画を阻害する要因は排除されなければいけない。
特に、炭素の無駄が多い”料理”は厳重に禁止された。
世界の調和を乱す行為として。
食べない部分や、捨ててしまう部分、予期せぬカロリーや香辛料の使用。
人間が食への欲求を断つことで、世界の寿命を伸ばしているのが現状だ。
そもそも人間の三大欲求と呼ばれるものは、コントロールできるものだ。
バランスよくあれば良いのではなく、欲求そのものが満たされればその種類は関係ない。
いま、人間に許される最大の欲求は睡眠欲だ。
科学的に、かつ有機的に管理された睡眠は、私達の欲望を十二分に満足させてくれる。
21世紀までは大量消費のセカイであったが、今は違う。
効率性と品質の極大値を実現する時代なのだ。
では、なぜ。
僕はこんなにも飢えているのだろうか。
飢えでもあり、渇望にも似ている。
こんな経験はすごく久しい。
僕がまだ子どもだったとき、こういう感情を想起したことがある。
これは渇きに近い。のどの渇きだ。
同じように胃袋が渇いている。欲している。
脳が欲しているんだ。湯気が立ち込めるようなアツアツのステーキ、ラーメン、カレー。
さわやかな歯ごたえの新鮮なサラダ。甘酸っぱくみずみずしいフルーツ。
甘く濃厚なアルコール。
僕のDNAに組み込まれている何かが欲している。
遺伝子が、欲している。
僕はいてもたってもいられなくなって、キッチンだった場所へ向かう。
無造作に置かれている錠剤をいくつも取り出して、
無心に噛み砕いた。
僕は数十年ぶりに嘔吐した。