弟を打ち上げた日
かわいいコスメやグッズも、新しいゲームも、付き合い程度にはたしなむけれど、陽子の一番の楽しみは、弟二人を玩具にして遊ぶことだった。
その夏はあっという間に過ぎた。花火大会は雨で中止になり、これといった思い出もないまま、夕風の涼しい季節となっていた。
陽子は学校から帰る途中、シーソーで遊ぶ子どもたちを見た。きゃっきゃっと笑い、上がるたびにお尻を浮かせ、飽きもせずに漕ぎ続けている。
「子どもはいいわね。空でも飛んじゃいそう」
そう呟いて、ふと思いつく。きゅるきゅると音を立てて飛んでいき、発火する子ども。ひまわりや柳、スマイルマークの形に散っていく子ども。素敵な光景だ。想像するだけで楽しくなってくる。
さっそく陽子は家に帰り、上の弟を呼んだ。
「花火がしたいの。公園まで一緒に来て」
上の弟は夏物のシャツをクローゼットにしまい、長袖の上着を出して並べているところだった。自分の分を終え、下の弟の分も終え、今度は陽子の衣装ケースに取りかかっている。
「そんなのいいから早く。風太もつれて来て」
「花火はどこですか」
「花火はいいの。ライター持ってくから」
下の弟は部屋をめちゃくちゃに散らかし、出したばかりの服を口にくわえたり投げたりしていた。泣きわめいて暴れるのを、上の弟が無理矢理抱いて来る。
陽子は父親のライターをポケットに入れ、素足にスニーカーを履いた。
公園へ着くと、もう子どもたちはいなかった。ちょうどいいわ、と陽子は言い、下の弟を抱き取った。涙とよだれまみれの顔で、おうちかえる、おにぎりマン見たい、と叫んでいる。
「風太、いい子にして。今、花火してあげるから」
陽子はシーソーの片側に下の弟を乗せた。が、すぐに暴れて転げ落ちてしまう。
「月ノ介、手伝ってちょうだい」
「どうすればいいですか」
「私が風太のお尻に火をつけるから、暴れないように押さえて」
「そしたら?」
「私が急いで反対側に回って、シーソーを傾けるわ」
下の弟は小さいので、空まで真っすぐに飛んでいくだろう。こんなに元気で暴れ者の弟だから、きっとどんな花火よりも色とりどりに、大きな音で響き渡るだろう。
かえる、かえる、おうちかえる、と下の弟は泥だらけの手を振り回す。
上の弟は少し考えてから、わかりました、と言った。
「でも、ちゃんとまっすぐ飛びますか」
「さあ。やってみないとわからないけど」
「練習したほうがよくないですか。ほかの家とかマンションとかに燃え移ったらたいへんですよ」
それもそうだ、と陽子は素直に思った。つまらない気もするけれど、事故を起こしてはせっかくの遊びが台無しだ。まずは火をつけない状態で、どれくらい飛ぶか見てみることにした。
「さあ風太、もう一回お座りしてちょうだい」
「あとで姉さんがアイス買ってくれますよ」
「そんなこと言ってないわよ」
二人でなだめすかすこと十数分、ようやく下の弟は大人しく座ってくれた。涙と鼻水をたらしたまま、にんまりと笑い、あいす、あいす、と言っている。
「いまです」
上の弟が言った。陽子はシーソーの反対側に、勢いよく飛び乗った。バネが軋み、割れるような音を立ててシーソーが傾く。下の弟は鞠のように跳ね上がった。あいす、あいす、と笑いながら、隣の屋根を越えて飛んでいく。
「あーほら、やっぱりまっすぐ飛ばなかったです」
「でもすごいわ。あれで火がついてたら、流れ星みたいじゃない?」
陽子はしばらく、弟の飛んでいったほうをうっとりと眺めていた。綺麗な放物線だった。火をつけたら、もっと遠くまで飛ぶに違いない。そうだ、上の弟も一緒に飛ばそう。四方へ拡散する蜂型花火のように、あっちとこっちへ飛んでいけばいい。
早くやりたいけれど、下の弟が戻ってこないと始められない。
「どっちに飛んだかしら。月ノ介、わかる?」
「はい、たぶん」
「じゃあつれて来て」
上の弟は走っていった。公園の入り口で振り向いて、あの、と言う。
「ぼくはミント味のアイスがいいです」
「わかったわよ、帰りに買ってあげる」
弟はにっこり笑い、道へ出ていった。滅多にものをねだらないのに、よほどアイスが食べたかったのね、と陽子は思う。花火を見た後のアイスは、きっとおいしいだろう。同級生の女の子たちが好きなケーキや菓子パンよりも、固く凍ったアイスキャンディーのほうが、きっとずっとおいしい。
待てど暮らせど、弟たちは戻ってこなかった。
陽子はシーソーに座り、ぴょんぴょんと一人で弾んだ。日が沈み、虫の声が近くで聞こえ始める。空には星がまたたき、ペガススの四辺形がくっきりと見えた。
陽子は自分の足首をつかんだ。風にさらされ、すっかり冷えてしまった。
帰ろう、と立ち上がった。虫の声が一瞬途切れ、また聞こえ出す。
家に向かって歩きながら、塾帰りらしい子どもたちや、自転車に乗った親子連れとすれ違う。これでいいのかもしれない、と陽子は思った。弟たちは弟たちで、これからは自由に暮らせばいいのかもしれない。
だけど、と陽子は誰にともなくつぶやく。
「私は一人でも私だけど、あの子たちは私の玩具じゃなくなったら、何になればいいのかしら」
足を止めると、そこはコンビニの前だった。
アイス売り場はすっかり秋らしくなり、栗やさつまいものアイスクリームがいくつも並んでいる。奥のほうから、自分の好きなソーダアイスを掘り出してくる。
レジへ行く前に、やっぱり弟たちが戻ってくるかもしれないと思い、ミントのアイスも手に取った。下の弟は何も言わないけれど、チョコレートバーが好きなのはわかっているのでそれも買った。
コンビニを出ると、陽子は振り向かずに家まで走った。今、私に火をつけたら、きっと世界一綺麗だろうなと思って走った。