Chapter 3 -Part 3-
「久しぶりに会ったんだから、もっとましなところでもよかったんじゃないか?」
「いいのよ、ここで。ここから私たちが始まったんだから」
その時、僕と瑞紀は市立図書館の窓際の席に向かい合って座っていた。夏も終わりを迎えようかという時期ではあったが、照りつける太陽はそれを拒むように町中に降り注いでいた。
「元気だったか?」
「ええ、まあね。ところで河西くん、今日が何の日かわかる?」
「さあ、何か特別な日だったかな?」
「八月三十日、『風向きを変えるとき』の完成記念日よ。四年前の今日、この物語が完成したんだから」
得意げにそう言って風のような微笑みを見せた瑞紀は、この四年の間に確実に洗練されていた。茶色がかった髪には緩やかなウェーブがかかり、青いワンピースの上にはさりげなく白いカーディガンがのせられていた。彼女が今、一歩ずつ大人への階段を上っていることだけは明らかだった。
「そう言えばそうだな。あの時は、まさか入賞して本になるなんて夢にも思わなかったけど」
「『夢を現実に変えるとき』っていう感じかしらね?」
「そうか。そういうタイトルでもよかったよな」
「それじゃあ、私がそのタイトルで書こうかしら?」
そうしていたずらっぽい笑顔を投げかける瑞紀は、以前よりその表情に複雑さを増していた。それは、彼女が着実に人生経験を積んできた証に他ならなかった。
「そうだ、瑞紀結婚したんだよな? 一年前に来た手紙を読んで驚いたよ。何て言ったってまだ十九歳だし、それに瑞紀の場合は男を……あっ、ごめん」
「いいのよ。自分でも驚いてるわ。でもね、これも河西くんのおかげなのよ。あなたに出会えたから、私も風向きを変えることができたの」
「それで、結婚生活はどうなんだ?」
「……別れたの」
「えっ」
瑞紀の一言を、僕はうまく理解することができなかった。時間の流れが巻き戻されたような奇妙な違和感の中で、僕はただ彼女から話の続きを待つしかなかった。
「今年の五月だったわ。結局一年ももたなかったけど」
「それはやっぱり、瑞紀のその、過去のトラウマが原因なのか?」
「それは関係ないわ。さっきも言ったけど、その意味では風向きを変えることができたのよ。それだけの人と巡り会えたと言ったほうが正しいかもしれないけど」
「じゃあ、どうして?」
「いろいろなことの積み重ねが原因ね。最初はほんの些細な行き違いだったんだけど、それが次第に大きくなっていって。ちょうどボタンを掛け違えたみたいに……気がついたらお互いが別の方向を向いていたわ。修復しようにも、もうどうにもならなかった」
僕は、かつて雅也が理絵と別れた時に言った言葉を思い出していた。でも、四年を経た今でも、ボタンの掛け違えが内包する真実を理解できずにいた。その意味で、僕はまだ明らかに子供だった。
「俺にはまだよくわからないな。本気で人を好きになったことがないからかもしれないけど」
「理絵のことは、あの時は本気で好きだったんでしょ?」
「わからない。あの時はそう頑なに信じていたけど、でも今となってはそれも違うような気がする」
瑞紀は、隣の椅子に置かれたキャメル色のトートバッグからハンカチを取り出して両手で軽く握り締めた。僕の言葉の意味を理解しているのかはわからなかったが、彼女の手に文庫本がない事実は、僕をほのかに寂しい気分にさせた。
「俺はただ、憧れていただけなのかもしれない。自分にないものを数多く持っていて、その意味では自分と正反対な理絵のことを。俺、自分のことが嫌いだったから」
「私もそうだった。自分が大嫌いだった。だから理絵のことを好きになったんだと思う。河西くんの言うように、本当は憧れていただけなのかもしれない」
僕はその時ほど、瑞紀のことを身近に感じたことはなかった。自分の想いを分かち合える唯一の人物が、確かに今目の前に存在しているのだ。だから知ってほしかった。彼女に対する果てない想いを、思う存分に伝えたかった。
「でも、瑞紀とのことは違うんだ。俺たち心の底から分かり合えたし、似たもの同士だったし、何て言うか……」
「根源的なところで繋がっていた」
「そうだよ、繋がっているんだ。俺たちは二人で一つなんだ。離れちゃいけないんだ。俺、この三年間でそのことがよくわかった。だから、これからも俺と一緒にいてほしい。俺と一緒に風向きを変えていってほしい」
僕の訴えを、瑞紀はただ黙って受けとめていた。その表情にかすかな躊躇いが感じられたが、僕は自分の想いが届くことを信じて疑わなかった。
「でも私、自信がないの。一度失敗してるし……あなたとうまくやれないかもしれない。それが怖いの。あなただけは絶対に失いたくないの」
「それでもいいよ。ただ、そばにいてくれるだけでいいんだ。男だとか女だとか、結婚だとか、そういうことは自然な流れに任せればいいよ。大切なのは、今二人の心が重なり合っているという事実なんだ」
瑞紀は長い間何も言わなかった。ハンカチを強く握り締めながら伏目がちにテーブルの上を眺めていた。僕は、彼女からの言葉を辛抱強く待つしかなかった。僕から言うべきことは、もうこれ以上なかったからだ。
「私なんかで、あなたの風向きが変えられるかしら?」
「二人で変えていけばいいんだよ。二人じゃなきゃ駄目なんだよ。二人なら、きっと何もかもうまくいくから」
もう僕の言葉に迷いはなかった。僕は瑞紀を必要としていた。その存在をどうしようもなく求めていた。瑞紀は黙ったままゆっくりと首を縦に振ると、こちらに向かって初めて白い歯を見せた。それは、これまでに見たことのない彼女の微笑みだった。だから、僕も彼女に向かって最高の微笑みを提供した。風向きという名の二人の運命が変わっていくことを願いながら。