Chapter 3 -Part 2-
「孝平、新人賞受賞おめでとう」
「新人賞じゃなくて佳作だよ」
「まあ、何だっていいじゃないか。とにかくよかった」
雅也は自分のことのように喜びながら、こちらに向かってビールのジョッキを突き出した。それは、僕が出版社から入賞の連絡を受けた翌週の土曜日だった。その夜、僕らは新宿にある居酒屋でビールを酌み交わしながら久しぶりの再会を喜び合った。雅也は高校を卒業後、サッカーの腕を買われて都心にある大学に進学していた。一年生の時から早くもレギュラーを確保し、二年生となった今ではプロからも注目される選手に成長していた。昔からのことではあったが、自分の力で風向きを変えていける雅也の姿に、僕は羨望と軽い嫉妬の念を抱いていた。
「でもこれで、孝平もようやく世間から認められたってことだな」
「何だか前にも、同じ言葉を聞いたような気がするけど」
「本になったら絶対に買うからな。その時はちゃんと教えろよ」
僕の言葉を遮るようにそう念を押した雅也は、昔と同じ白い歯を見せながら微笑んだ。久しぶりに見る雅也は、背こそさほど変わらなかったが、体格のほうはさらによくなり、その胸板は防弾チョッキを着ているかのように分厚かった。
「俺のことはともかく、雅也のほうはどうなんだよ? プロからも注目されて順風満帆なんだろ?」
「まあそっちのほうはいいんだけど、あっちのほうがな」
「女のことか?」
「ああ。どうもこう、うまくいかないんだよな」
「また、お前のことだから選り好みしてるんじゃないか?」
「そうじゃないけど、理絵みたいな子がなかなかいなくてな」
雅也が理絵と別れた後、何人かの女の子と付き合っていたことは知っていたが、結局はどの子ともうまくいかなかった。その原因が理絵の存在にあることは、他ならぬ雅也自身が知っているはずだったが、それでも高校三年間で理絵とよりを戻すことは決してなかった。そして僕は、理絵への想いを断ち切れないままにその間を悶々と過ごしていたのだ。そんな僕の気持ちを察したのか、雅也は理絵のことを打ち消すように話題を変えた。
「ああ、そうだ。その後瑞紀からの連絡はないのか?」
「去年の夏に手紙が来たよ。結婚するって書いてあった」
「そうか」
雅也はそれだけを言うと、余計なことを尋ねてしまったことを後悔するようにうつむいて押し黙った。周囲の人々の話し声がやけに耳につき、それに耐えられなくなった僕は、今までの暗さを続けないためにあえて話をとりまとめた。
「まあ、昔のことはいいじゃないか。前を向いて歩いていこうぜ」
「そうだな。お互いに昔のことは忘れて、新しい出会いを見つけないとな」
そう僕に呼応した雅也は、すっかり元の笑顔に戻っていた。僕らはその後、何回も乾杯を重ねながらいろいろな話で盛り上がったが、高校時代の話が出ても、理絵や瑞紀の話に触れることだけは意図的に避けた。お互いの気まずさから逃れるためでもあったが、何より僕らは前を見て歩いていかなければならないと思ったからだ。過去を振り返るのは、少なくとも思い出がセピア色になってからでも遅くはないのだ。目の前で顔を赤くしていく雅也を見ながら、僕は二人の未来が明るく光り輝くものになることを信じていた。
その数ヵ月後、僕の書いた小説がついに書店の店頭に並ぶ日がやってきた。朝から落ち着かずにいた僕は、開店と同時に駅前の書店に入り、自分の名前が刻まれた本が何冊も積まれている現実を目の当たりにした。それでも僕はまだ実感がわかなかったが、自分が確実に風向きを変えていることだけは体感していた。
「もしもし、河西くん?」
その唐突な電話を受け取ったのは、その夜のことだった。僕は最初のうち、受話器の向こうから自分を呼ぶ声が瑞紀だとわからずにうまく反応できなかった。彼女に会うどころか、その声を聞くことすら、僕はとうの昔に諦めてしまっていたからだ。
「河西くん、ついに本を出したのね。『風向きを変えるとき』っていうタイトルで。私、書店で見かけてびっくりして、思わず買っちゃった。今、全部読み終わったところなんだけど」
「読んでくれたんだ。ありがとう」
「あの物語、四年前に書いていたものよね。私、今でもよく覚えているわ」
瑞紀の声が、ようやく現実のものとなって僕の耳に響いてきた。彼女が受話器の向こうにいるのは確かだった。彼女は、現実に今存在しているのだ。
「ねえ、今度会えないかな? 私たち、もう会ってもいいような気がするの。河西くんには、話したいことがたくさんあるの」
「わかったよ。実は俺も、瑞紀に会いたかったんだ。そして今、やっと会える状況になったんだ」
でもそれ以上、僕の言葉は続かなかった。瑞紀の声が、彼女に会えるという事実が、僕の声を完全に失わせていた。それは、失くしてしまった自分の一部を取り戻したような感慨だった。僕は、それほどまでに根源的に瑞紀を求めていた。太陽に光があるように、海に波があるように、二人の再会は必然的なことだったのだ。