Chapter 2 -Part 3-
「ちょっと待って。何するの?」
その声は唐突に響いた。僕は夢から覚めたような気がして目を開き、瑞紀の顔を見つめたまま言葉を発することができなかった。
「私、そんなつもり全然ないのに」
「だって今、二人はよく似てるって」
「確かに言ったわ。でもそういう意味じゃなくて、もっと根源的なものよ」
「男と女以上に、根源的なものなんかあるのか? それとも、俺たちは親友だとでも言うのか?」
「河西くん、私のことを全然わかってないのね。大体私のことなんか好きじゃないんでしょ? 今でも理絵のことが忘れられないんでしょ?」
瑞紀の問いかけは見事に的を射ていた。彼女の言う通り、僕はまだ理絵のことが好きだった。片想いとはいえ、現実的でなくても、忘れることなんてできないのだ。僕はただ、より可能性があるという一点だけで、瑞紀との仲を先に進めようとしているに過ぎなかったのだ。
「ごめん、私帰るね」
僕に答えがないことで判断したのか、瑞紀は意を決したような表情で、まだ止まない雨の中を歩き出した。僕は、彼女と別れたくない一心から何とか引き止めようと、とっさに頭に浮かんだ言葉を深く考えもせずに口にしていた。
「理絵、雅也と別れたんだ」
その叫びに呼応するかのように瑞紀は立ち止まり、僕は雨の存在も忘れて彼女のもとに駆け寄った。
「ごめん。この間雅也から聞いたんだ。瑞紀の心が揺れ動くのが怖かったから、言えなかったんだ。瑞紀には、俺のことだけを考えていてほしかったから」
「自分はどうなのよ?」
「えっ?」
「あなただって、理絵のことばかり考えてるじゃない。どうして私にだけ、そんな風に押し付けようとするの?」
瑞紀の言う通りだった。僕は自分の気持ちを大事にしたいばかりに、彼女の想いなど全く考えていなかったのだ。瑞紀との間に自分にとって都合のいい関係を築こうとしていたに過ぎなかったのだ。僕はもう、それ以上彼女を引き止めることはできなかった。叩きつけるような雨を浴びながら、次第に小さくなっていく後ろ姿を、ただ黙って見守るしかなかった。
翌日から二学期が始まったが、元来の内気な性格が災いして、僕は教室で瑞紀に話しかけることができなかった。昼休みになっても瑞紀が以前のように図書室に顔を出すことはなかった。僕はこの状況を何とかしようと懸命に考えたが、気ばかりが先に立って焦るばかりで、結局のところ彼女に声をかけることすらできなかった。僕は卑怯にも、何事もなかったかのように瑞紀が図書室に現れる偶然さえ願ったが、自分の力で風向きを変えることもできない人間に、神様がそんな幸運をもたらしてくれるはずもなかった。僕にはもう自分が嫌になる気力もなかった。
「それで、お前の気持ちはどうなんだよ。瑞紀のこと、好きなんだろ?」
僕が、どうにも居たたまれなくなって雅也に相談を持ちかけたのは、九月も半ばになった残暑の厳しい日だった。その夕方、僕らは学校帰りに近くのファーストフード店に立ち寄ってコーラを飲んでいた。二階の席からはいつもと同じように通りを行き交う人々が見渡せたが、皆一様にうんざりした表情を浮かべながら、夜が近いにもかかわらず一向に弱まらない太陽の光を無防備に浴びていた。そんな時、雅也は僕の気持ちを確かめるように尋ねると、飲み終わった後の氷を口の中に放り込んだ。
「わからないんだ、女として好きなのかどうか。ただ一つ言えることは、瑞紀を必要としているってことなんだ」
「だから、それが好きっていうことじゃないのか?」
「そうかもしれない。でも、やっぱり違うんだ。もっと根源的なものなんだ。俺が好きなのは……まだ理絵なんだ」
僕の訴えに、雅也はしばらくの間黙り込んだ。あるいはその内容を理解しようとしているのかもしれなかったが、いずれにしても僕は、雅也からの次の言葉を辛抱強く待つしかなかった。
「難しいことはよくわからないんだけどさ、もしもお前が、本当に瑞紀のことを必要としているのなら、このままじゃまずいんじゃないか? 瑞紀ときちんと話をしたほうがいいぜ」
「わかってるよ。でも……」
「いや、お前はわかってない。俺、理絵と別れてみてやっとわかったんだ。自分の気持ちに正直になることが、どれほど大切かってことが」
雅也の言葉は現実に裏打ちされた重みを持って僕の胸に響いた。自分の気持ちを相手に伝えることの重要性を、その時ほど痛切に感じたことはなかった。
「とにかく、後悔だけはするなよ。男なら、相手に全力でぶつかっていくくらいの気力がなきゃ駄目だからな」
こちらに向かって白い歯を見せながら笑顔で励ます雅也を見て、僕は改めて正面から瑞紀と話をしようと固く心に誓った。ありのままの自分の気持ちを彼女に伝えることで、僕はこれから先の二人の関係を公正に築き上げようとしていたのだ。