Chapter 2 -Part 2-
でも、そんな柑橘系的な想いとは裏腹に、天気のほうは僕らを待ってくれなかった。いつの間にか空には黒味がかった雲が分厚く立ち込め、程なくそこから産み落とされた大きな雨粒が僕らを激しく襲いだした。僕はとっさに瑞紀の手を取ると、全速力で走りながら雨宿りのできる場所を探したが、ようやく畳みかけの海の家から張り出す庇の下を見つけて潜り込んだ時には、水分をたっぷりと吸い込んだ服が、僕らの体にまとわりついて離れなかった。
「濡れちゃったな」
「そうね、急だったからね」
そう言って、ハンカチで体についた雨の水を落としていた瑞紀のシャツは、その体にぴったりと張り付いていて、胸のあたりにはっきりと見えた下着の存在に、僕は目のやり場に困ってうつむいた。
「なあ、どうして海が好きなんだ?」
「えっ?」
「あっ、ごめん。急に変なこと聞いちゃって。ほら、昨日話してただろ? だから、どうしてなのかなと思ってさ」
「実は私、小学生の時までここで暮らしてたの」
「そうだったんだ。それでこの辺のことをよく知ってたんだ」
「私の家、この近くで食堂をやってたの。夏には、こんな風に海の家も出して……今思えば、私にとってあの頃が一番よかったのかもしれない」
瑞紀は遠い目をしながら、雨に煙って境界線の曖昧になった空と海の彼方を見ていた。周囲には僕らの他に人影もなく、灰色一色の世界で彼女のシャツの青さだけが僕の目を捉えて離さなかった。
「でもね、私が小学六年生の時にお父さんが死んじゃって、食堂も手放さなきゃならなくなって……それで今の場所に引っ越してきたの」
「大変だったな」
「でも、それから何もかもがうまくいかなくなって。もちろん、引っ越したせいばかりじゃないとは思うけど」
「きっと、風向きが変わる時も来るよ」
「本当にそう思う?」
「思うさ。でも、風向きはただ黙っていても変わるものじゃない。自分の手で変えるものなんだ。自分を信じて努力していけば、きっと風向きは変わる。いや、変えなきゃいけないんだ」
そう瑞紀を励ましはしたものの、僕は自分の偽善さに対して本当にうんざりしていた。言葉だけなら、いくらでも綺麗事は言えるのだ。僕は、自分の放つ言葉と実際の行動とのギャップに、体が空中分解をしていくような絶望的な隔絶感に苛まれた。
「河西くんて、案外前向きだったのね」
「言葉だけなんだよ」
「えっ」
「口先だけのはったりなんだよ。本当は俺、臆病で弱気などうしようもない男なんだ。自分を信じることもできずに、努力もしないでただ風向きが変わるのを待ってるだけで……情けないよ」
「理絵のことを言ってるの?」
「そのことだけじゃないんだ。俺という人間そのものの問題なんだよ。俺、つくづく自分が嫌になったよ」
そんなことを瑞紀に話す無意味さはよくわかっていたが、でも僕は彼女に伝えたかったのだ。自分という人間の本質を知ってもらいたかったのだ。
「私、そんな河西くん、いいと思ったのよ」
「えっ?」
「河西くん、私とよく似てるの。臆病で弱気なところも、無口で孤独が好きなところも、自分が信じられずに、ただ風向きが変わる時を待っている受け身なところも。だから、そんな風に言わないでほしいの。聞いていると、自分自身が否定されてるような気がするから」
「わかったよ。もう言わないよ。俺たち、お互いを映す鏡のような存在なのかもな」
二人にそれ以上の言葉は不要だった。と、少なくとも僕はそう感じていた。だから僕はこちらをじっと見つめる瑞紀の、雨に濡れた青紫色の唇に潤いを取り戻させるために、自分の唇を重ね合わせようとした。自分の想いのままに、その勢いのままに。