君のための輪舞曲〜Cpart〜
「王女は今年で3歳になられたばかりだぞ!」
「しかしこの国に王女は一人だけだ!」
「いいや、王族の女児が産まれたのが何十年ぶりか……王族の血をより濃く残す為には他国にやるべきではない!」
「ではどうするというのだ!? このままでは我が国は降伏する他ないのだぞ!」
「しかし……! 王女は王や后からも溺愛され……」
「婚姻による和平以外この戦を収めるすべはありはしない!」
王と后がこの世の終わりだと言わんばかりの悲壮な顏で重鎮達の言い合いに耳を傾けている。
后の腕の中にはまだ幼い王女がにこにこと笑い腕を伸ばす。
そんな両親と年のはなれた妹を見て、コンラッドは歯を食いしばった。
国土が、人口が、資源が。
全て圧倒的な差がある。
聞けば敵国の王はコンラッドと同じ27歳だと言うではないか。
力さえあれば……!
大切な妹を差し出さずにすむというのに。
「陛下」
「ご決断を」
「……」
父が王女を愛おし気に見つめ、そしてくしゃりと顏を歪めた。
父は王だ。
だが、家族を何よりも大切に思ってる。
「……仕方あるまい」
「仕方なくなどありません」
「!?」
誰もが諦めた、そのとき。
凛とした女の声が広間に響く。
「仕方なくなどありません、陛下」
「エヴァンジェリンっ! 何故このようなところにっ……! 下がっていなさい!」
「いいえ、お父様。私はさがりません。……王女殿下を捧げなくてすむ方法が一つありますでしょう?」
公爵の叱責を無視し、エヴァンジェリンは王と后の御前に跪く。
「私が嫁ぎます」
王がゆるゆると目を見開いた。
「遠縁ではありますが、私も王族の端くれ。公爵家の出ならば問題ありますまい。向こうが渋るようでしたら養女にでも……!」
淡々と述べるエヴァンジェリンの腕を乱暴に掴み引き寄せた男がいた。
コンラッドだ。
「……何を言っている。お前は俺の妻だ」
「此度の戦で延期になってはおりますが、まだ妻にはなっておりません」
エヴァンジェリンの腕を掴むコンラッドの手に力が入る。
決して離すものかと訴えるかのように。
「そうだ、エヴァ。婚姻こそまだだが君はもう家族同然。そうやすやすと渡せるわけが……」
王は困惑していたが、それでもはっきりとエヴァンジェリンを家族だと言う。
エヴァンジェリンはふっと微笑んだ。
「ありがたきお言葉です。……しかし、それでは王女殿下を嫁がせるおつもりですが」
「それは……」
「これが最前の策なのです」
「エヴァっ! 勝手な事をするなっ!!」
腕を強く引き、コンラッドはエヴァンジェリンを自身に向かせた。
エヴァンジェリンは静かな笑みを讃えている。
コンラッドは怒りも露に叫ぶ。
「勝手な事をするな! 引っ込んでいろ!」
「いいえ、引きません。国のためです」
「……っ! ふざけるな! お前はいつもいつも……!」
「コンラッド」
「! 父上……?」
決意したような父の顏に、コンラッドは全身の血の気が引くのを感じた。
「……エヴァンジェリン」
「はい、陛下」
「……」
「……はい、陛下」
言わなくともエヴァンジェリンは理解している。
王の意思は決まった。
エヴァンジェリンはコンラッドの手を振り払い、踵を返す。
「父上、急ぎ公爵家に戻り出立の準備を致します。……それでは、皆様、失礼致します」
一人の少女の決断に誰も口を出せなかった。
静まり返る中、エヴァンジェリンを追いかけるコンラッドの足音だけが響いた。
+++
ぐいっとまた腕を引く。
その勢いのまま、エヴァンジェリンが力の限り抱きついて来て、コンラッドは胸の内に渦巻いていた怒りが、絶望に変わる。
自分の腕の中にすっぽりと収まった愛しい許嫁を力の限り抱きしめ返す。
「ごめん、なさい」
「……お前は悪くない」
悪いのは俺だ、とエヴァンジェリンの流れるような銀髪に何度も口付ける。
愛しくて、愛しくて。
身が引き裂かれる。
「コンラッド、コンラッド……」
「エヴァ」
力が欲しい。
力さえあれば、好きな女にこんな想いをさせずにすんだ。
滅多に見せないエヴァンジェリンの涙を掬う。
「……連れ去ってやる」
そう言えば、エヴァンジェリンは首を振った。
……責任感が人一倍強い女だ。
無理だと分かりきった上で、それでも言わずにはいられなかった。
「跡取り息子のくせに、何言ってるの……ばか」
撫でるようにコンラッドの頬を叩き、泣き笑いを零す。
もう一度抱きしめようと腕が動くが、エヴァンジェリンがその腕を押さえた。
涙を拭い、不適な笑みを浮かべる。
「……私が行くからにはこの国には一切手出しさせない」
「……ああ」
小さい頃からずっと一緒だった。
自分の事は二の次で。
笑顔の裏に不安を押し殺して。
我慢して、いつも一人で。
無理矢理弱音を吐かせて泣かせていた。
「あなたの国を、私が護るわ」
「……頼もしい限りだ」
エヴァンジェリンの決意を、想いを。
コンラッドが打ち砕く事は赦されない。
不適な笑みを浮かべていても、小刻みに震える指先。
抱きしめて、口付けて。
この腕の中で護ってやれたなら……。
「……この国は次代の優秀な王妃を失うわけだ」
「ふふん、私より優秀な女なんて滅多にいないんだから」
小生意気に笑う彼女は強い。
コンラッドはいつものように馬鹿にしたような笑みを浮かべ、軽口を受け止める。
しかし、コンラッドはエヴァンジェリンよりも弱かった。
「……迎えにいく」
「馬鹿言わないで」
「必ず、迎えにいく」
「来たらぶっとばすから」
彼女の意思を揺るがせてはいけないのに。
抱きしめたくて、このまま攫ってしまいたくて仕方がない。
「……抱きしめたい」
「ぶっとばす」
抱きしめたら、揺れるだろう。
「キスしたい」
「……やめて」
キスをすれば、もう前に進めなくなる。
エヴァのことなら何でも分かる。
口から出る言葉はいつも天の邪鬼。
しかしそれがエヴァの鎧だと、理解しているから。
それでも。
「……好きだ」
「ん」
「愛してる」
「……」
ふいっと横を向き、今では完璧に背を向けている。
泣く一歩手前だ。
「エヴァ……」
泣かせたい。どこにも行かせたくない。
手を伸ばす。
エヴァの細い肩に触れる直前。
「触らないで。……もう、決めたの。誰にも覆せない」
「……」
勝手に決めるなと言いたい。
しかしもう覆せないのは事実。
それでも、割り切れない。
「コンラッド。私たちがこんなくだらない痴話げんかをしているうちにどれだけの民の命が失われていると思う?」
「っ……!」
俺なんかより、エヴァの方がよっぽど為政者らしい。
唇を噛み締め激情を押し込める。
「コンラッド……いい王様になってね」
エヴァンジェリンは歩き出した。
+++
あれから10年───。
婚姻をもって和平はなされていた。
『正直困っていたんだ。君が名乗り出てくれて助かった』
穏やかに微笑んだ敵国の王──フランシスの言葉が昨日の事のように思い出せる。
できれば戦などしたくない、とほとんどの兵は捕虜として生かし死傷者も少なかった。
それでもフランシスは嫁いで来たエヴァンジェリンに頭を下げた。
『すまない』と。
戦の事、王子と婚約している身で嫁いで来てくれた事。
フランシスは真摯な態度で接してくれた。
エヴァンジェリンを正妃として迎え大切にしてくれている。
后はエヴァンジェリンただ一人。
今も。
「あ、動きましたわ」
「本当かい?」
エヴァンジェリンの大きく膨れた腹に耳を当ててフランシスが嬉しそうに笑う。
「ああ、早く産まれないかな。君に似た女の子かいいな」
「……陛下ににた金髪碧眼の王子かもしれません」
「……あんな生意気な王子は一人で十分だよ」
むっとするフランシスにエヴァンジェリンは笑みを返す。
コンラッドのときのような激しい愛ではないけれど、友としてよき理解者として穏やかな愛を育んでいる。
和平はなされた。
エヴァはここで、王妃として、国を、母国を護っていく。
「……エヴァ、あのことだけど」
「はい、心得ております。大丈夫ですわ」
心配そうにしているフランシスを安心させるように笑ってお腹を撫でる。
此度、王位を継ぐ事となったコンラッドが王位を賜る前にフランシス王に謁見を申し出て来た。
なんでも身軽な今に挨拶をすませておきたいらしい。
なお不安げにしているフランシスの手を握り、エヴァははっきりと言う。
「確かに、私はあの方を愛しておりました。……でも、今はあなた様をお慕いしております」
「……うん、でもね、エヴァ」
「母上!!」
突如として入って来た息子がフランシスとエヴァンジェリンの間に割って入り「母上あのねー?」と甘えだす。
「こら、お父様にご挨拶は?」
「……父上、執務はよろしいのですか?」
不遜な態度に挨拶を促したエヴァンジェリンは息子をめっと叱る。
それすらも嬉しそうな息子にやれやれ、とフランシスは立ち上がり后の部屋を後にした。
閉じられた扉の向こうでフランシスは呟いた。
「でもね、エヴァ。相手はまだ君の事を想っているかもしれないんだよ……?」
+++
射抜くような視線に、エヴァンジェリンは若かりし頃の熱情が蘇ったかのような錯覚を覚える。
「王妃殿下におかれましては、二人目の御子を授かったご様子。……心よりお祝い申し上げます」
にやりと笑うコンラッド。
フランシスはにっこりと笑ってその挑発的な笑みを受け流す。
柄にもなくエヴァははらはらと二人を見守った。
(10年も経っているんだもの。自意識過剰だわ)
記憶よりも大人の渋みを含んだコンラッドの姿。
自信に満ちあふれるその姿は魅力的な男のもの。
しかし。
エヴァンジェリンはフランシスの手にそっと手を添え自分の意志を伝える。
私はあなたの妻ですと。
何も心配する事はないと。
フランシスはエヴァンジェリンの頬を軽く撫で、力を抜いた。
その様子を見るコンラッドが微動だにしないのに誰が気づいただろう?
コンラッドの内側に渦巻く嫉妬の焰に、誰が気づいただろう?
これは誰も知らない、始まりの物語────。