夜襲の鐘・2
焦げた布が風に震えていた。炎冠軍との攻防が続くなか、炎冠兵がネムスへの仮門を探り当てる。忘れ野には戦いの傷が残り、神々の命令より先に、眠る場所と飲める水を求める声が集まっていた。
ノアは古い記録杖を開いた。頁に刻めるのは、消える寸前の祈りだけだ。取り込めば一時の力にはなる。だが使い切れば、その人が最後に願った帰る場所まで失われる。ノアは名を尋ね、本人の言葉で残すことを選んだ。ミレアは水瓶を抱え、セラは周囲の足跡を数え、トゥルガは門の外で風の匂いを読んだ。
「記録神。敵が来たら、また逃げるの」
セラの問いに、ノアは首を横に振った。逃げないのではない。逃げ道を先に作り、戦わずに済む時間を稼ぐのだ。フィンが索引を走り、崩れた天蓋の隙間に細い退路を見つけた。そこへ子どもたちが運べる目印を置き、大人には負傷者の順番を決めてもらう。神の奇跡より、人の手順のほうが今夜は多くを救った。
やがて、見張り台から短い合図が落ちた。予定より早い敵影だった。しかも掲げられた旗の端には、七つの冠を重ねた見慣れない紋がある。セラの右手の火傷が赤く浮かび、ミレアの持つ白い石が微かに震えた。ノアは二つの異変を同じ頁へ記した。偶然と決めるには、どちらも戦争の始まりに近すぎた。
神の都合で民の明日を燃やさせない。小さな決意が、記録庫に新しい灯をともした。
ミレアは空になった水瓶を伏せ、明日ここへ必ず水を満たすと小さく宣言した。
共同鍋から麦の匂いが立ち、張り詰めていた兵の肩がわずかに下がった。暮らしは戦場の内側でも終わっていなかった。
(次話へ)
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