今日も僕は君のために死ぬ
僕は剣を握り、また死んだ。
喉を裂かれ、血に沈み、世界が暗転する。
──気づけば、数刻前の焚き火の前に立っていた。
魔法使いが魔導書を閉じ、勇者が剣を磨いている。
もう何度目の光景か分からない。
僕のギフトは《セーブ&ロード》。
死ぬことで、あらかじめ定めた地点に戻れる。
一度セーブすれば、それより前には二度と戻れないことが絶対のルール。
この力を知るのは僕だけだ。
勇者は何も知らない。
ただ当然のように僕を信じ、微笑んで言う。
「君は勝利の女神様みたいだね。……男なのに」
その笑顔のために、僕は幾度も死んできた。
◆
「君が隣にいてくれると、私は負ける気がしない」
焚き火の明かりに照らされる横顔は、自信と優しさに満ちていた。
その夜、魔物の群れが襲ってきた。
僕は彼女の横に立ち、牙と刃に身体を裂かれながら地に伏す。
──暗転。ロード。
今度は先に道を塞ぎ、群れを誘導した。勇者は無傷で森を抜け、街へたどり着いた。
◆
「ありがとう。君が庇ってくれたから助かった」
戦いの後、勇者は血に濡れた手で僕の肩を掴んだ。
「私は必ず、この世界を救う。君が一緒ならきっとできる」
彼女の瞳は強く、まっすぐだった。
だが次の瞬間、崩れ落ちた屋根が彼女を押し潰そうとしていた。
僕は彼女を突き飛ばし、代わりに瓦礫の下敷きになる。
骨が砕け、視界が赤に染まる。
──暗転。ロード。
今度は建物の異変に気づき、支柱を斬り倒して崩壊を防いだ。
彼女は笑顔で振り返った。
◆
「どうして君ばかり傷だらけなんだ?」
魔法使いが治癒の光を注ぎながら、低く呟いた。
「まるで死ぬのを前提に戦っているみたいだ」
その言葉に勇者が慌てて割って入る。
「違うわ。彼は私を守ってくれてるの。ね?」
彼女の笑みに、僕は黙って頷いた。
次の戦いで、毒矢が彼女を狙った。僕は庇って喉を射抜かれる。
──暗転。ロード。
矢が放たれる前に、魔法使いの防御呪文を促した。
勇者は矢を避け、敵を斬り伏せた。
◆
夜更けの焚き火の前、勇者は小さく息を吐いた。
「ねえ……怖いんだ」
普段は決して弱音を見せない彼女が、火の影の中で囁いた。
「人を救いたいって思うけど……そのために剣を振るって、本当に正しいのかな」
かすかに揺れる声。
彼女もまた、迷いと不安を抱えていた。
僕はただ「大丈夫だ」と答えることしかできなかった。
──翌日、街道で盗賊を討ち果たしたとき。
倒れた男は血を吐きながら、勇者を見て嗤った。
「女が……勇者だと? 笑わせる」
その言葉に、僕の視界が赤く染まった。
気づけば僕剣が盗賊の喉を裂いていた。
男が息絶える瞬間、勇者の顔が映った。
驚きと混乱、そして悲しみの入り混じった表情。
我に返った僕は、己の手を見下ろした。
震える剣先から血が滴り落ちる。
あんな彼女の表情を、二度と見たくなかった。
だから僕は死んだ。
自ら胸に刃を突き立て、暗転。──ロード。
今度は盗賊を気絶させ、鎖で縛り上げた。
勇者は安堵の笑みを浮かべ、魔法使いと共に道を進んでいった。
あの混乱した顔は、永遠になかったことになった。
◆
戦いの後、勇者の頬に赤い線が走っていた。
小さな切り傷。命に関わるものではない。
彼女は笑って言った。
「これくらい、勲章みたいなものだよ」
けれど、僕には耐えられなかった。
その傷が、どうしても許せなかった。
だから僕は死んだ。
──暗転。ロード。
次の周回でも、矢がかすり、同じ傷が残った。
──暗転。ロード。
さらに次。盾を掲げ、胸を貫かれても結果は同じだった。
幾度繰り返しても傷は消えない。
それでも僕は死を重ね続けた。
世界を救うことより、彼女の笑顔を「完璧」にすることのほうが大切だった。
「君がいれば、私は負けない」
勇者は無邪気に笑う。
その言葉が、僕の中で狂気へと変わっていった。
◆
魔王との決戦前夜。
焚き火の前で、僕は勇気を振り絞った。
「魔王を倒したら……伝えたいことがあるんだ」
彼女は驚いたように目を瞬き、少し頬を赤らめて小さく頷いた。
「分かった。その時に聞かせて」
胸の奥が熱くなった。けれど、その未来は訪れなかった。
黒き城で、決戦が始まった。
数え切れない魔物、飛び交う魔弾、崩れ落ちる石柱。
一度は毒の霧で全員が喉を焼かれて倒れた。
──暗転。ロード。
次は柱の崩落に押し潰され、勇者を失った。
──暗転。ロード。
三度目は炎に包まれ、魔法使いと共に全滅した。
──暗転。ロード。
僕は学習した。こまめにセーブを更新しなければならないと。
数歩進んではセーブを刻み、また死んで戻り、慎重に前へ。
幾度も血を吐き、幾度も斃れ、幾度も戻った。
記憶は重なり、境界が曖昧になっていく。
これは五十回目の大広間か、五百回目の大広間か。
誰が倒れ、どこで崩れたのか、もう分からない。
「君がいれば、私は負けない」
彼女はそれでも笑っていた。
だから僕は、また死に、また戻った。
◆
そして──それは起きた。
魔王の刃が、勇者の胸を貫いた。
血が散り、口元にかすかな微笑が浮かんだように見えた。
その瞬間、僕の中で“刻まれてしまった”。
望んだわけではない。
意識よりも速く、魂そのものがそこを起点として焼き付けてしまった。
まるで世界が、この場面をセーブポイントとして選んだかのように。
ロードしても、彼女は必ず死ぬ。
何度繰り返しても、彼女は同じ場所で、同じ姿で倒れる。
魔法使いも最後の呪文を放ちながら黒炎に呑まれて沈んだ。
気づけば、僕と魔王だけが残っていた。
剣を構え、駆け出す。
──だが、その先も知っている。
何度繰り返したかわからない、同じ場面。
同じ動きで、魔王の放った黒い刃が僕の胸を裂く。
血がこみ上げ、視界が揺らぐ。
その時、魔王が低く呟いた。
「……まだ繰り返すのか?」
耳に届いたのか、心の奥から聞こえたのか分からなかった。
無限に繰り返した死の中で、ただ一度だけ響いたその声は、
もしかしたら僕自身の心だったのかもしれない。
──それでも、繰り返すしかなかった。
勇者の死をなかったことにするために。
彼女の笑顔を取り戻すために。
──暗転。ロード。
また同じ場面へ。
勇者は死に、魔法使いも倒れ、魔王の刃が迫る。
何度見たかわからない彼女の死の瞬間は──なぜか、とても美しかった。
今日も僕は君のために死ぬ。
そして君は、僕の目の前で死ぬ。
あの日、伝えたかった言葉は──永遠に届かない。
──暗転。ロード。
また同じ場面へ。