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Prologue.ある少年の始まり

 空を舞う鴉が鳴き声を響かせ哀愁にも似た感情を誘う夕暮れの頃だった。

 町内に一つしかない剣術道場にただ一人残った、眉間にしわを寄せた少年――蘇利耶道場の師範の孫、 蘇利耶(すりや) 理央(りお)はその日も疲れ果ててドアを開けた。

 更衣室に入ると着ていた袴と胴衣を乱暴に脱ぎ捨てて、乾いたタオルで汗にまみれた全身をぬぐう。その体は、程よく筋肉の付いた、無駄のない細めの絞られた形をしており、日頃の鍛錬の成果がうかがえた。残念ながら大柄ではなく、身長も一七〇手前で平均よりも若干低い程度なために、服でも着ればやや華奢に見える。

 ごしごしと痛みを感じるくらいに体を強くこすり、最後に顔面を拭く。そうしてタオルを顔から離して、理央は「ぶはあっ」と一息ついた。同時に、真剣に考え事をしている老人のような、あるいは親の仇でも見つけたかのような、怜悧で、火であぶった刃物を思わせるぎらついた表情が一転、いかにも温和でお人好しな印象を与える、しまりのない顔になる。

 タオルで顔をふいて一息。あるいは稽古前なら頬を二度自分でひっぱたく。それが理央の、自分の中のスイッチを入れ替える儀式である。いわゆる、パフォーマンスルーティンというやつだ。心のスイッチが緩い回路につながった所為か、彼は脱ぎ散らかした胴衣の上にへなへなと倒れこんだ。

 小学生の中頃、十人並みに強くなりたいとかいう少年らしい思いを抱き、道場の師範をやっている祖父に稽古を請い習い始めた剣術の稽古も、高校二年生の今現在を以て八年は続けていることになるが、一向に楽々こなせるようにはならない。当たり前だが体力は付いた。筋力も。少なくとも同学年の少年少女とは比べ物にならないだろう。だが、その分だけ稽古の時間と密度が増える。そして親も、より理央の稽古に真剣に付き合い始める。基礎鍛練だけでなく、歩法や技を教えてもらう段階に入り、さらに稽古は苛烈に。そういったことが原因で、理央が稽古の後でこうして倒れなかったことはない。……とはいえ、理央は別に稽古が嫌いなわけではなかったが。漫画でよくある、鍛錬の為に趣味の時間を奪われたり友人との付き合いが希薄になってしまうという展開もないし、稽古――剣を振るというその行為自体、やってみるとこれがなかなかに楽しいものである。

 結局のところ、普通でないことなんて、そうそうあるものではないという事なのだろう。理央の剣術にしても要するに、子供が、釣りが好きな父親から釣りについて教えてもらう、という様な、割とどこにでもあるものと大して変わらないのである。

 ぼうっとして座り込んでいるうちにずいぶんと時間がたったのか、不意に、祖父が後ろから声をかけた。軽いげんこつのオマケつきで。


「のわっ!?」

「……何を呆けておるか阿呆。お前、いい加減稽古の後でいつまでも呆ける癖をなくさんかい。それと、かあさんがメシの支度手伝えと言っておるぞ、さっさとしろ」


 阿呆ってひどいなあ、などと呟きながら、あわてて稽古着ではないほうの服を着る。祖父は言うことを言ってさっさと戻って行ったらしく、着替えを終えた時にはその姿は見えなくなっていた。

 脱いだ服もすぐに畳んで抱え、木刀をわきに挟んで、しかし一礼は忘れずに行ってから道場から出る。

 少しなりとも慌てていたからか、理央は、そこにあった変化には何も気づかずにその日は道場を後にした。



 問題は、それから少し日が経ってからだった。

 しつこい様だが――理央は、世間一般で語られる男子高校生の図とは若干ズレがあるものの、周囲から性格は温和と言われ、自身も平穏を好む。ほどほどに勉強してほどほどに遊ぶ――基本的に普通の人間であった。それは今までずっとそうだったし、これからも変わることのない事実のはずだ。

 特別な力や運命など背負っていないし、神やら悪魔やらの生まれ変わりでもない。普通に生まれて普通に生きて普通に死ぬ、少なくとも日本においては割りとどこにでもいる人間の範疇にいる人間だったのである。そう――


「――や、待って、ちょっと待とう。どこ、ここ」


 間違っても理央は、町中からほんの数秒で、いつの間にか謎の壁画の描かれた、とうてい日本のものとは思えないような謎の遺跡らしき薄暗い空間に足を踏み入れている、などという事態に陥るはずのない人間だったのだが――

 気がつけば、いた。

 日曜日の昼前。いつものように草臥れた夜を過ごし、朝遅くに起きた日の事。

 普段着に着替えて、散歩をしたり友人にメールを打ったりしつつ朝を過ごし、昼からの稽古に備えて、一家全員で昼食を食べ終え、その後は木刀を持ち、胴衣と袴を用意し、一足先に稽古場に向かった。そのはずだった。

 なのに――道場に向け、理央が一歩踏み出した瞬間の事だ。

 ぱちりと、何かの爆ぜる音がした。

 なんだろうと思い足を止めた瞬間、足もとが発光する。

 何の仕掛けもない、廊下の床が突然発光して、そのあふれ出た光の粒子が理央を中心に円を結び、奇怪で複雑な模様を描き――それは、〝生粋のファンタジーヲタク〟を自称する彼の友人が語るところによる、『魔法円』という奴に似ているようだった――、唖然としてそれを見る彼をあっという間に覆ったのだ。

 あふれる光は二十メートル近くあった廊下を端から端まで照らすほどに強まり、やがて理央は周囲を確認することすらできなくなる。

 視界が真っ白に染まる。

 ばちり、と遠くで、近くで、周囲で、何かの爆ぜる音がした。

 微かな――零コンマ一秒にも満たない浮遊感を体が感じ、しかしすぐに硬質の床を踏む感触が蘇る。

 自分が一体いつからそこにいたのかはわからない。浮遊感を感じた後か、それともその前からすでにそうだったのか。ただ、光が収まったその時、すでに周囲の風景は遺跡のものだった。


「え……えぇぇぇえええええええっ!?」


 ありえない事態に、理央の脳みそは一瞬混乱を起こし、そののちに意識は停滞する。



 それは、〝生粋のファンタジーヲタク〟を自称する彼の友人に言わせれば、間違いなく『異世界迷い込みファンタジー』の現象だったのだが――当の本人は気付く様子なし。うわーうわーとみっともない声を出しているのだった。

さあ、そんなわけで、深く考えない小説略して「ふかしょ」の始まりです。

これより先は一方通こ、げふんげふん、末永く――できたらいいなあ――よろしくお願いします。

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