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食人族の猛襲

 まるで猫背のような歩行は粗悪だったが、それでも外見はヒトの形態に準じていた。だが、奇妙に家畜めいた鬼面は一見からして理非の分別などないだろう、そう思えるものがある。


 ――ただ喰うか殺すだけの本能で、言葉も持たぬ獰猛蛮行。


 苔のような肌の色に生気はなく、巌のような巨体に、振れば一撃で木も倒す剛腕を持つと言われている。

 力押しなら負けぬぞ、と挑む亜種族もいるが、力比べの代償はその身を実質引き裂かれるという、見るも無残。

 それが巨漢のオルガス(オーク)で、ゴードル(ゴブリン)はこれよりやや小ぶりだが鬼面であることには変わらず、ごつごつとした頭部にぎょろりとした眼が恐ろしく、オルガスより知恵もあってわずかに厄介だった。

 ゴードルの肌も土めいた色で、おなじく生気を感じさせない。


 ――これらに共通するのは夜行性で、ヒトも亜種族も平気で喰らう食人族。


 出くわしたら、とにかく逃げる。

 ラトゥも知識としてそうと知っている。

 ヒトはとくに「魔物」と呼び、忌み嫌い、恐怖しているが……。


「そんな奴らが出回るのなら、俺、チビたちと一緒に呑気に星空なんか眺めなかったのに……」


 獣人族の子どもたちはラトゥの園芸話にすっかり飽いて、迎えに来た獣人の大人たちの腕のなかですやすやと眠っている。

 何事もなくてよかったと思う反面、ラトゥは申し訳なく思うが、


「いや、気にしないでほしい。子どもたちにも獣の性が鋭敏になるよう、あえて夜の外にも出しているし、こうして大人も霊獣も傍にいる。力は負けるだろうが、脚の速さなら我らのほうが勝っている」


 逃げるのは得意だ、とどこか皮肉交じりに彼らは苦笑するが、穏やかだった瞳は「人」の面とは異なる「獣」の本性、その濃い獰猛な双眸となって周囲への警戒を怠っていない。

 この辺りは平原だ。

 巨漢たちが身を潜ませ、忍び寄るのはかなり不利があるだろう。

 もっとも――彼らは最初からこん棒や斧を手に猛撃してくるので、遭遇と地形はあまり関係がない。


「ただ……奇妙な違和感が拭えないんだ」


 それは、日ごろ過ごす夜の気配とは異なる何かを感じているのだろう。

 周囲の気配に鋭敏なのはダークエルフ族もそうだが、危険を察するのなら獣人族のほうが優れている。

 ラトゥは、それを察する彼らの気配を感じるほうが得意だった。


 ――たぶん、()()んだ……。


 いつこちらを襲ってくるのかわからない、けっして油断できぬ何かが。

 獣人の子どもたちはすでに家に運ばれ、皆で食事を楽しんだ広場には調理と灯りを兼ねていた炎が先ほどよりも勢いよく燃えている。

 その周囲も、いつの間にか霊獣たちが盾と牙になろうと集まりはじめている。

 霊獣たちの唸り声はすでに威嚇ではなく、臨戦態勢だった。

 紫水晶の瞳にあらゆる警戒を浮かべ、ラトゥも周囲を見やる。

 ふと腰もとを手で触れると、短剣が一本。

 自分にあるのは、護身用の武器がひとつだった。


 ――俺だって、剣の稽古はしているんだ。


 やれる――、いや、やるしかない……ッ。

 だからといって指南役に一度でも勝てたためしはないし、稽古であつかう武具は一般的な長さの剣なので、短剣の使い勝手はいまひとつわからないが、ようは最大接近して斬るか刺せばいい。

 一撃必殺といかなくても、傷くらいは負わせられるだろう。

 そこに隙ができれば、彼ら獣人族が非難する時間をすこしは稼げるかもしれない。

 一夜の飯の恩は、それですこしは返せるだろうか?

 ラトゥもまた、ダークエルフ族が持つ狩りを好む……狩猟の本能を呼び覚まそうと瞳をなお険しくさせるが、そのとき、誰よりも気配に聡かった風の精霊が絶望的なことをラトゥに伝えてきた。

 聞いて、ラトゥは驚愕する。

 ゾッ、と全身を戦慄させた。


「――おじさんッ、向こうに十数体いるッ!」

「なッ?」


 オルガスやゴードルに一体でも遭遇する、それだけでも危険から回避する術は確率的に低いというのに!

 十数体とは、どれほどこちらの命の助かる確率を削るつもりでいるのか!

 彼らも全身を凍りつかせるが、その速度よりも避難の決断が勝った。


「……無理だ、威嚇で女子供を逃がす時間を稼ぐには数が多すぎる。いますぐ家から出ろと伝えろ!」

「霊獣たちに乗せて、とにかく逃げるぞ!」

「おじさんッ、あいつらもう、こっちに向かって突進しはじめている!」


 風の精霊がそれを伝える、だがラトゥも、獣人たちも言われるまでもなかった。種族それぞれの本能で、迫る悪鬼の気配を感じ取る。


「風の精霊ッ、あいつらの足止めをしろッ!」


 ラトゥは命じる。

 風の精霊はすぐさま草原を駆り、旋風のようなもの、あるいはかまいたちの刃となって初手の防御を務めるが、精霊には本来、何かの命を奪うほどの威力は持ち合わせてはいない。本来持つのは、そよ風のささやき、ともにある慈愛だった。

 それでも効果があったのか。

 単に突進の邪魔をされて苛立ち、吼えているのか。

 まるで暴れているような咆哮が草原の向こうから聞こえる。

 声から測る距離、近いと思ったときには動く影も確認できて、最初の巌のような影を一体――目にするや否や、絶望的でしかない十数体の影が向かってくるのが見えて、誰もが見開いた眼を凍らせる。

 ラトゥは呼吸に緊張が走り、恐怖と焦りで息苦しさを覚えた。

 いよいよ短剣を手にするが、手が震えてしまう。


「大丈夫だ、俺――。あんなの、(あに)ぃの寝首を取るつもりでかかれば、絶対にうまくいく……ッ」


 そう。

 あんな奴らなど怖くはない。

 この短剣の刃は、殺戮を目的とするのではない。

 誰かを守るために覚悟を決めた証なのだから。

 黒の皇帝が《守り人》の頂点に立つのなら、自分はそれを成さなければならない。


 ――それに……、()()()()()()あんな奴らの()()()()()()


 その兄ぃの寝首を掻くつもりでいたのだから、これを予行演習だと思えばいい。

 ラトゥは恐怖から逃れようと、奇妙な楽天的に意識を切り替えようとしたが、つぎの瞬間には獣人の彼らのひとりに担がれて、避難の一団に加わっていた。

 え? ときょとんとしてしまう。

 ラトゥの高まる戦闘意欲は一瞬削がれたが、


「俺ッ、戦える!」


 離せ、と自分を担ぐ獣人に吼えるが、


「何を言っているッ、きみは黒の皇帝だ! きみを危険に晒して、我らだけが逃げるなどできるはずがない!」

「でもッ!」

「いざというときは、この場にいる獣人族が全滅してでも黒の皇帝をお守りするッ!」

「――ッ!」


 この放たれた言葉はラトゥの全身を、脳裏を恐怖とは異なる戦慄で凍りつかせた。

 彼らを守らなければならない自分が、守られる?

 しかも彼らは何のためらいもなく、命の代償はこの場にいる獣人族全員と言いきっている。


「おじさん、ちがうよッ。俺じゃない、守るのはおばさんたちやチビたちだろッ?」


 たしかに自分はまだ少年の部類だが、それでもダークエルフ族だ。

 ダークエルフ族は狙いを定めた相手に背を向けることなどない。むしろ、こちらから嬉々と突進するほど好戦的で、圧倒的武力を誇っている。亜種族ならば知らぬはずがない。

 なのに、子どもあつかいされて――世界最高峰の存在だからとあつかわれて担がれて逃げるようでは、これは黒の皇帝としてではなく、ラトゥとしての矜持が許さない!

 万が一、多くの犠牲を出して自分だけが無傷で逃げ遂せたとあっては、それこそ兄ぃに鼻で笑われ、即時に「馬鹿か?」と首を撥ねられるだろう!

 すでに状況は、ラトゥたちの圧倒的不利だった。

 魔物たちの突進は凄まじく、すでに猛襲となって地響きさえ伝わってくる。

 きっとこん棒で激しく殴打され、斧で骨肉を裂かれ、断たれているのだろう。大きな体躯を持つ霊獣たちの悲痛な声が随所で聞こえる。霊獣たちでさえ苦戦するなんて――ッ。

 風に乗って、いつしか血の臭いが鼻につくようになった。

 だがそれは痛みに耐えきれず上げた弱音ではなく、それでもともに暮らす獣人族を守るのだと、最後まで応戦する咆哮のようにも聞こえる。

 何て勇ましいんだ、とラトゥは感嘆の涙が浮かびそうになったが、


「俺だって、ダークエルフ族だ! 戦えるッ」


 それは自身を鼓舞する叫びではなく、この身は守られる象徴ではない、それを知らしめようとする怒声だった。


「兄ぃ、見てろよッ! これが俺の実力だッ」

「黒の皇帝――ッ!」


 しっかり担いでいたラトゥの身体が、がばりと身を起こすように背後を見据える。

 腕から抜け出すつもりだ、と気づくなり、獣人はさらに抱き止めようと思ったが、ラトゥの身のこなしはそれよりも速く、獣人の肩を踏み台のように蹴り込んで、宙へと勢いよく跳躍。


「はあ――ッ!」


 背後に迫る魔物たちめがけて飛びかかり、小さな刃に渾身をこめて振り下ろす――。

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