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ダークエルフ族の少年――ラトゥ

「ああッ、そうだ! ――そうだった!」


 ――こんなところで寝ている場合ではなかった!


 ダークエルフ族の少年――ラトゥはあわててベッドの上から跳ね起きる。

 以前も似たようなことがあって、そのときは誰かがご丁寧にただ被るだけの夜着を自分に着せていたので、これを脱いでいつもの軽装に着替え直すのにやや手間取ったが、いまは幸いにしてその軽装のままでいる。

 両の肩から剥き出すのは、褐色肌の腕だった。

 その片方の二の腕と手首には金細工の輪を嵌めて――。

 自然を表した緑を基調とする衣服は、首もとはしっかりとした詰襟のようだが、軽快に動き回ることに不自由を感じさせない前留めの長衣は腰もとで簡単な帯で結わえているだけ。それは軽装な狩人か何かを連想させる。

 長衣の裾はスリットスカートのようになっていて、太腿のほとんどが露わになる短パンだけを穿いていると、しなやかな肢体が動きによってはよく見える。

 これならすぐに出かけられるぞと思い、ラトゥは背丈のあるアーチ状の重厚そうな扉を開けるなり、部屋の外に出た。


 ――カチ……コチ……。


 そう聞こえていた柱時計の振り子が刻む音はもう、耳には届かなかった。

 古めかしい石造りの複雑そうな廊下は陽の射さない方角であればどこか陰鬱な空間にも見えるが、大きな窓、あるいはいくつもの窓のような空間が規則的に並ぶそこではすべてが活力的にかがやいて見え、美しい。


「く……っそ、この間も剣の練習の後に疲れたから寝て……そのまま(あに)ぃたちの狩りに連れて行ってもらうことができなかったんだっけ!」


 だが日差しの恩恵を受ける古城の空間に感嘆する暇など、ラトゥにはなかった。

 剣の稽古が終わったあと、ひと休みしたら身近にいるダークエルフ族の青年たちが狩りに出るというので、ラトゥはそれに同行させてもらう予定でいた。

 だから稽古で疲労した身体を休め、すとんと眠りに落ちて、すぐに目を覚まそうと思っていたのに、どうやらまた、ぐっすりと寝てしまっていたらしい。


 ――出立するころ姿を見せなければ、そのまま置いていく。


 ラトゥは連れて行けと何度も言っているが、青年たちはまだ少年の彼が興味を示す狩りに同行させる気はなかったので、置いていくと言えばいつだって平然とラトゥを置いていく。

 その上、狩りに興じることに夢中になっているのか、しばらく帰ってきもしないのだ。

 寝落ちしてがばりと跳ね起きたあとは、いつもこうだ。

 ラトゥはそばに漂う風の精霊に、


「兄ぃたちはどこ? まだ近くにいるかな?」


 周囲を探してほしいと頼み、使役する精霊を飛ばすが、それらが風に乗せて伝える返答は――否。

 姿はすぐ目につくところにはいないという。


「くそッ、またかよ! あれだけ連れて行けって言ったのに!」


 彼らがいつ出立したのかは、わからない。

 だが急いであとを追いかければ、ひょっとすると彼らに追いつくかもしれない。


 ――願わくば、後者!

 ――がんばれッ、俺ッ!


 いくつもある階段をいちいち足を酷使して下りていてもきりがないので、ラトゥは思いきってそれを冗談から下段までを一度に飛び降り、それさえも煩わしくなって、今度は窓のような空間から直截外へと飛び出してしまう。

 刹那、視界いっぱいに広がる眼下にあるのは、四方果てまで続く広大な緑の森だった。

 それが眼下として見えるのだ。

 ラトゥが飛び出した場所は、相当高い位置にあるのが容易にうかがえる。

 けれども、その高さにラトゥが怯むことはない。

 古城の造りは高層建築のように見える、白を基調としたものだった。

 いくつもそびえる高い尖塔や巨木のような柱は、ともすると槍やランスのように見える造形美があり、屋根や外観そのものが複雑に構築されている。高さを際立たせるような窓、あるいは空間が大小のアーチ状にあって統一性もあり、いくつもの部屋を有する棟や高所を見上げるような堂もあって、古城は総じて荘厳華麗極まりない。

 だが――。

 何百年か前、あるいは何代か前の主が「ヒトを知るために、ヒトの真似事でもしよう」と思いついて、ダークエルフ族には必要のない建築物を作ったのはいいが、そもそもそれらで生活する習慣がなかったため、完成された以降の生活痕はほとんどない。

 城は時代を重ねて文字どおり古城となったが、朽ちて植物と一体化している箇所があるにもかかわらず、かえって趣が増している。

 ラトゥはしばらく前から「好きに使え」と言われたので、額面どおりに使っている。

 その古城の足もとには、複数人居てもいいはずの彼らの気配がまったく見受けられなかった。もぬけの殻、そう言ってもよかった。


「ああッ、もう! 俺の馬鹿ッ。何でがんばって起きていなかったんだよ! 兄ぃたちの騎馬、もう全然見えないじゃないか!」


 これはもう、完全に置いて行かれた!

 誰ひとり、ラトゥを憐れんで待ってもいない。

 どれだけ必死に追いかけても、すでに追いつける距離に彼らはいないだろう。

 それでも根性で追いかけて執念というものを見せつけてやりたかったが、彼らダークエルフ族の青年たちがどこに向かい、どんな狩りをしているのか、まだ一度も同行したことがないラトゥにとっては探りようもなく、まさに追跡不可能。

 いつも、いつも、いつも、こうだ!

 ふわり、と地面に軽やかに動けるブーツサンダルの爪先で降り立つや否や、ラトゥは紫水晶の眼光険しく周囲を見やり、――決意する。


「こうなったら追いかけるのはやめだ! 逆の発想で戻ってくるのを待ち伏せてやるッ」


 だからといって行く当てなどありはしないが、それでも置いてきぼりを食らった古城で大人しく待っているのも嫌気がさす。

 ラトゥは両手を広げると、片足を軸にその場で優雅に一回転する。


「我を主とする風の聖霊よ、――俺に飛翔の舞を与えよ!」


 唱えると、小さな光の珠のようなものが幾つかすぅ……と纏わりつくように集まり、ラトゥの身体に向かい弾けて溶け込む。

 それが弾けるたびに周囲の木々を揺らす風とはまた異なる風がラトゥ本人から沸き起こり、金色の髪や長衣の裾を揺らしていく。

 ラトゥは自身から湧き上がる風の波動を感じながら、最初の一歩を大きく踏み出した。



□ □



 ダークエルフ族は運動能力に長けている。

 ラトゥは風の力を借りずとも一歩、一歩の跳躍に優れて自然のなかを大きく舞うことができるが、そのためにはかならずつぎの一歩を踏むための足場が必要となる。

 最初は広大な森林の木の頂点を足場に、つぎからつぎへと踏んで大きく跳躍するだけでもよかった。

 森林は平坦のように見えて、じつは渓谷のようになっている。

 いま踏み込んだ木の頂点と、つぎに踏み込む足場にしようと定めた木の間は、じつは渓流見事な谷間となっていて、それを眼下に見やるのは楽しくて、おもしろい。

 鳥の声、動物たちの姿。

 それらをすべて足下に、ラトゥはさらに先へ先へと目指して跳躍する。

 その道中、どこか心情的に絃をかき鳴らす音が聞こえて、詩を述べるような音で奏でる笛が聞こえてくる。


 ――この楽器の名手たちは誰だろう?


 ラトゥは森林を舞い、渡りながら周囲を見やる。

 楽器を奏でているのは、森林で腰掛にちょうどいい枝に身を置いている同族の女たちだった。

 豪華な布地を集めるだけ集めたようなドレスではないが、袖や前留めの縁飾りが美しいカフタンのような長衣や、あるいはいざというときは勇ましく動けるような、そんな活動的な軽装のようなものを纏い、すべての音を自然に捧げるように絃や笛を楽しんでいる。


「――ねぇ! 兄ぃたち、見なかった?」


 跳躍する動きをやや緩め、ラトゥはダークエルフ族の女たちに声をかける。

 すると女たちはラトゥを見やり、くすくすと笑ってくる。


「あら、()()()()――、また置いて行かれたの?」

「ティディアたちなら見ていないわ。あんな戦バカ、真似たって何もいいことなどないわよ。学ぶのなら教養にしなさい」

「そうよ、私たちが楽器を教えてあげる。気が向いたら尋ねなさい」


 言って、女たちはすぐに奏でることを再開させる。

 どうやら女たちは同族の青年たちの行動などには興味がないらしい。

 加えて、ラトゥの「兄ぃ探し」もいまにはじまったことではないので、ほとんど好きになさいと態度で言っている。

 それを見てラトゥはわずかに頬を膨らませるが、この女たちがいつからここで楽器を奏でているのか定かではないが、もうこの一帯に彼らの姿はないのだということだけは判然もついた。

 つまり、自分は相当ぐっすり寝ていたことになる。


 ――俺はいったい、どれだけ寝ていたんだ?


 ラトゥは自分に呆れ、ため息をついた。

 きっと……あの剣の稽古は最初から仕組まれていたのだろう。

 自分をとことん稽古に夢中にさせて、疲れ果てさせて、そしていつ起きるかわからないほどの眠りにつかせるために――。

 そうまでして自分を遠ざけて、彼ら同族の青年たちはどこまで狩りに出かけたのだろうか?

 ラトゥは周囲の森林を見やり、ひとつの方向を気まぐれに見やってそちらに進もうと決める。選んだのは気まぐれだが、何かがありそうな漠然とした予感も脳裏によぎったのだ。

 頭上には空の青と、雲。

 雲は白のようで空の色を混ぜたように、薄く青い。

 ラトゥはもう数歩だけ大きく跳躍し、完全に足場のない宙へと舞い出ると、突然背を下に、蒼天を見上げるような体勢を取って、突如そこから落下する。

 ダークエルフ族の少年が勢いよく落ちていくのは、本物の地面まで相当の落差がある巨大な断崖絶壁だった。

 それまで広大な自然に包まれていた森林は、この断崖絶壁の上に築かれた秘境のようなもので、本物の世界の広さはこの断崖絶壁の下に果てしなく広がっている。

 ラトゥは最初、落下していく自分の速度を楽しんでいたが、ふいにその身体を宙で回転させて、ラトゥは何もない宙に立つ。

 本来であればダークエルフ族にそれを熟すことはできない。

 だが、ラトゥには使役している風の精霊がいる。

 それらがラトゥに飛翔の力を与え、宙の浮遊も可能にさせているのだ。


「兄ぃ! 首洗って待っていろよッ」


 ここまで来たのだから、絶対に見つけてやる!

 ラトゥはそう誓うのだった。

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