鎮魂の白い花――バスカヴィル
その翌日。
ラトゥをはじめとするダークエルフ族は、オルガスやゴードルといった食人種である魔物たちに襲われた獣人族たちに「この大陸であれば好きなように移住してかまわない」と言って、それまで住んでいた村を離れてもいいと促したが、もともと気に入って住んでいた草原なので、これ以上の不安がなければこの場で住みつづけたいと返答した。
それに――。
「あの魔物――彼らも、もとを正せば森の賢者たち。不幸にも形容は滅びて朽ちることができぬ身となってしまったが、埋葬して大地や自然に返るのなら、その魂が安らかに眠るまで傍にいてやりたいと思う」
そう言って、ダークエルフ族の青年たちによって死を迎えることができた彼らを埋葬したあと、獣人族たちはしばらく墓守のようなことを務めると言ってきた。
――こちらの世界では、自然が何より敬意を向ける対象。
――誰もが死すれば自然に返る。
とくに亜種族たちの概念は強く、そのため、獣人族の墓守という発想は特段おどろくものでもなかった。
とはいえ……。
一度は襲われた草原と獣人族たちの村は、ほぼ目の前の距離。
ともに暮らす霊獣に被害は出たが、獣人たちに傷を負ったものはいなかった。
小さな子どもたちは怖かっただろうに、それでも墓守として埋葬の草原で暮らすというのだろうか?
「我らもいずれは自然へと返る。互いに亜種族、どのようなときも共にあろうと、近くで暮らしながらそう説いて安心させてあげたいんだ」
「おじさんたちがそれでいいのなら……」
ラトゥは彼らが遠慮しているのではないかと思い、どこか釈然としない気分もあったが「本心だ」と言われて彼らに諭されたり、頭を撫でられたりされてはそれを尊重するしかない。
獣人族たちに魔物の本来の姿――森の賢者であったころの慈愛に満ちた姿を知る者はいないが、どのような目に遭おうと理解してしまえば亜種族たちは同族や同郷に遺恨を抱かない。
これがヒト同士、あるいは亜種族に対して敵意を消さないヒトであれば、遺恨さえつねに利用できる報復の材料として抱きつづけるだろうが、亜種族にそのような考えはない。
ヒトに対して以外は――。
「よければまたこちらに立ち寄って、彼ら森の賢者たちの話を聞かせてほしい。いいだろうか?」
「俺の語りじゃ下手な物語然だが、それでもよければ」
「ありがとう、子どもたちも喜ぶ」
それを語れるのは、ダークエルフ族のなかでもすくない。
年長の部類に立つティディアでさえ語れる当時の思い出はすくないが、それでも柔らかい表情で応じる。
きっとそれをすることで、ティディアのなかの記憶に残る敬意も報われるのかもしれない。ラトゥにはそう思えた。
でも、とラトゥは思う。
話はこうしてまとまったが、騒ぎですっかり踏み荒らされた草原や、埋葬のために掘って土が剥き出した状態のままでは、いささか日常の風景としては痕跡のように見えてしまう。
ここは草原地帯なのですぐに一面緑に戻るだろうが、そうではないと思われる。
う~ん、とラトゥは唸り声を上げながら腕を組んで何か案はないだろうかと考え、ふと、思いつく。
「――そうだ、あまり他の草花の邪魔にはならない、バスカヴィルの花を植えたらちょっとはいいかもしれない」
ぽん、と手を叩き、ラトゥは提案をしてみせる。
「バスカヴィル?」
「うん、バラの花によく似た小振りの白い花で、よく根付けば夕暮れから夜にかけて青白い光を発してとっても奇麗でね」
「花が光るのかい? それは不思議だな。見てみたい」
「陽が沈む瞬間がとくに幻想的なんだ」
――あ、でも……。
周囲の草原に主だった花は咲いてはいなさそうだし、埋葬あとに鎮魂や墓守を務めるのであれば適した花だと思えるのだが、主張の強い外見ではないにしろ、花園や園芸に適した花がこの一帯に根付くのは不似合いかもしれない。
この草原は、手を加えないほうがらしくていいのかもしれない。
自然はあくまでも「自然」がいちばん美しいのだから――。
ラトゥはそうとも思えてしまい、出した案を却下すべきかと今度は思い悩んでしまうが、
「いや、他の誰でもない黒の皇帝が飾る花であれば、きっと森の賢者たちも喜ぶだろう。是非とも苗をいただきたい」
そう獣人族たちが言うので、ラトゥもほっとし、
「苗はたくさんあるんだ。俺の古城付近に群生しているし、手入れもそんなにいらないし。――今度、持ってくるよ」
そう言って、つぎにつながる簡単な約束事をして、ラトゥはティディアたちダークエルフ族の青年たちに連れられて古城へと戻るのだった。
そして、思う。
安らかと鎮魂に手向ける花を、かつて森の賢者だった彼らは自らを苗床に静かに抱いて、咲かせてくれるだろうか――。
□ □
その帰路は急ぐこともなく、幾日かをかけてのんびりと戻る足取りだったので、一行はちょっとした旅のような気分にもなっていた。
道中は草原地帯の平野もあれば、起伏のある森林、さまざまだったが、ダークエルフ族の青年たちが不穏に出くわすことはなく、その歩みのなかで亜種族たちと会えば親交も兼ねて話も盛り上がる。
もともと彼らをどこかで見つけて、できればティディアの――兄ぃの寝首を掻くつもりでいたので、ラトゥとしては兄ぃと一緒であればどんな帰りも不都合などなかった。
ただ――。
己に与えられた立場を自覚せず、ひとり勝手に出歩き、剣の稽古の成果もまったく表れないことへの説教にはさすがに辟易してしまい、耳を塞ぐしかなかったが、そうやってうんざりしてしまうと「聞いているのか」とぽかりと頭を叩かれてしまうし、痛くて頭をさすっていると周囲の青年たちにおもしろおかしく笑われる。
世界最高峰の存在――黒の皇帝がまるで末弟のようなあつかいとは……。
――世界最高峰の偉さって、何だろう……?
自分には意義とか価値とか、ほんとうにあるのかと、ラトゥは疑わずにはいられない。
一方で。
旅の道中には当然食料調達が必要となるので、狩場ではラトゥも弓を引かせてもらい、敬意と感謝をこめてイノシシを狩ることができた。
仕留めた瞬間、やった、と喜べばいいのか、ごめんね、と思えばいいのか。その心中はいつも複雑になるが、自分の矢だけで、しかも一本で仕留めることができたのはやっぱり喜びのほうが勝ってしまう。
ダークエルフ族は秀麗優美の痩身がほとんどだが、主食は肉で、しかも大食漢ときている。
ラトゥを囲む一行は十人も満たなかったが、いざ食事を目的とすると狩る量は思いのほか必要だ。ひとり一頭は簡単に腹に収めてしまうので、ラトゥたちの狩りはちょっとした規模で行われていた。
「兄ぃ! 見てくれた?」
ラトゥは喜々と笑顔を見せて、離れたところにいる兄ぃに向かい、大きく手を振ってみせる。兄ぃは近くの倒木の幹に腰を下ろし、こちらを値踏みするようにラトゥの動作を見ていたが、珍しく素直に喜ぶようにうなずいてくれた。
頬杖をついて、口端をつり上げる兄ぃ。
それを見て、ラトゥは「やった!」と拳を強く握ってしまう。
兄ぃとしてはラトゥのはしゃぐようすに不満はなかったが、ティディアとしてはもうすこし上達の速度が欲しかった。ラトゥの狩りのようすを見ていると、ただの少年ならば出来も筋も悪くはないが、ダークエルフ族の少年として見ると技量はまだまだ欲しい。
「ラトゥ、もう一頭仕留めろ。そのとき放つ矢にもっと重みと速度をかけるんだ」
「重み?」
それは矢の大きさを変えろと言うことか。
それとも、矢先の鋭い刃に重みのあるものを使用しろと言うことだろうか。
速度、は何となくわかる。
それでも小首をかしげてしまうと、ティディアはここではじめて腰掛けから立ち上がり、
「お前はまだガキだからな。どうしたって攻撃に加わる重みが出ない。それでは一撃で仕留めることができず、獲物をかえって苦しめることになる」
言って、ティディアは自身の弓を持ち、矢を構える。
「よく見ていろ――」
美しい双眸をほどよく離れた木に向ける。
悪戯に傷つけたくはなかったが、見本となる的は欲しい。
悪い、と心中で詫びて、ティディアは狙いをつけた木に向かい矢を二本放つ。
一本目は、かるく弦を弾くようにして。
それでも充分に威力はあるだろうが、木の幹に刺さるときの速度、音はどこか軽量感があって、
「いまのお前の矢は、こんな感じだ」
そう言って、つぎに放つ二本目は、矢の速度はまるで一瞬、おなじ木の幹に刺さったというのに「ドンッ」と凄まじい音がひびいて、刺さった瞬間、わずかに周囲の空気まで振動したような気がする。
放たれた二本の矢はあまりにもちがいが明確すぎて、ラトゥは感嘆の声を漏らしてしまう。
「わ……」
「せめて、これぐらい放てるようになれ」
軽々と言って、ティディアはまた腰を下ろしてしまう。
おなじ矢、おなじ射手だというのに、射るときの威力も気迫がまったく異なる。
さすが兄ぃだな、と思う。
ダークエルフ族が他者に知らしめる「圧倒的武力」、その最たる技量を持つのが兄ぃ――ティディアだった。口は悪く、態度はデカいが、技量に関して申し分はない。
そして、いまの技もラトゥに可能な範囲の見本に過ぎない。
ティディア本人が本気で矢を放てば、この周辺の木々など一度に何本と射抜いてしまうだろう。
「ラトゥ――お前は剣よりも弓のほうが筋もあるから、戻ったらしばらく稽古をつけてやる」
「えッ? ほんとう!」
ラトゥにとって、これは喜ばしい申し出だった。
しばらくということは、当面、兄ぃが傍にいるということだ。
ただし……。
「稽古の後は食糧調達係だ。俺が満足する射方ができるまで、飯は抜きだからな」
「なッ!」
「獲物はお前の的中ての練習台じゃない。当然だろ?」
「う……」
口に出された以上、これはほんとうのことになる。
――俺、何日、飯抜きになるんだろう……。
ラトゥは後に平均して三日、その現実を味わうことになる。
――それでも。
ラトゥはずっと、遠出をする兄ぃたちがこんなふうに気ままに歩き、腹が減れば動物を狩り、木の実を取って食べる。
こうやって道中を楽しんでいるものだと思い、――いまも信じて疑わず、やっと狩りの仲間に加えてもらえたと思ってはしゃいでいた。
勿論、ティディアたちの道中はこれに差異はないが、それでも「狩り」と称するものは巡回や諍いの仲介、あるいは鎮圧、あるいは小競り合いと、ダークエルフ族たちの自然を守護する《守り人》の表面上を支える暗黒面を担っており、――ときには鎮圧をもっとも強い言葉で表現する殲滅や蹂躙も含まれている。
だがそれは、ティディアたちが影となって自警的に行っていることであって、ラトゥが黒の皇帝として命じているわけではなく、彼らの行動など詳細に知る由もなかった。
それを伝える者も、ひとりとしていなかった――。