時なき時を刻む音
――カチ……コチ……。
何かを一定的に刻んでいるような、それとも何かが一定的に揺れているのか。
――カチ……コチ……。
音が聞こえる。
――カチ……コチ……。
それが正しく一定的に刻み動いている音なのか、それとも不定的に揺れ動いているのか。それを正しく判断することはできないが……。
――カチ……コチ……。
高い音ではない。
かといって低すぎもしないが、静かにそれだけが深く聞こえてくるのは心地がいい。
横になって聞いているといくつも聞かずに微睡みをおぼえて、そのまま眠りについてしまう。
いままで何度見やっても興味など浮かばなかったというのに、ある日、何となく興味を持って、何の装飾品、あるいは調度品なのかを問うたところ、
「これは……ヒトが己を正しく支配するための目印じゃな」
「目印?」
「ほれ、ヒト言語の数字が円周で並んでおるじゃろ。十二の文字数、ヒトは物事を正確に計るため、自らをこれに支配されることを規則としているのじゃ」
「支配……?」
ヒトって奇妙なところが多いけど、自らを支配するものさえ作るなんて……。
よくわからないなぁ、と思い、尋ねても明確に理解ができずに小首がかたむいてしまう。
そんな自分を見て、背丈の低い老爺の様相をする相手は「ほっほっ」と笑い、
「お前さんさえよければ、動くようにしてやろう。ヒトの施す細工は言い訳のように複雑だが、この手合いは細かいのがかえって芸術的に美しい」
「ふぅ……ん」
それをそうと知る小人族が教えてくれて、もう何百年以上古城の一室でただ置かれていたものを修繕して、動くようにしてくれた。
それは天井の高い室内においては柱のように高く、上部の文字盤には数字とはほかに不思議な紋様が描かれていて、その下部には自分の足の長さほどもある装飾めいた重りが付く棒のようなものがあった。
その重りが振り子のように動くと、文字盤の数字を指し示す針が動くのだという。
それはおもしろいのか、おもしろくないのか。
よくわからなかったが、他にすることもないので、老爺が幾人か集めた同族の小人族たちが修繕するのを見やることにした。
それがしばらく前のこと――。
――カチ……コチ……。
最初、その不思議な刻みの音を耳にしたとき、おもしろい音だなぁと思えた。
だがすぐに静寂にただ聞こえる音が煩わしくなって、飽いた。
飽いたし、うるさいなと思えたが、そのまま聞いていると何となく微睡みを覚える。
何となくその微睡みは心地よく、しばらく目を閉じて眠るにはちょうどいいような気もして、「彼」はそれを寝床のひとつに運ばせた。
普段はそこで寝起きはしない。
ここを訪ねるのは気まぐれ、あるいは心地のいい微睡みに包まれたいときに足を運んで、大きなベッドの上に寝転がってその音を聞き……――眠る。
それがしばらくの習慣になっていた。
――カチ……コチ……。
寝てしまうと一気に深いところまで意識が落ちるので、聞こえなくなる。
でも、何となく深みのある音が鼓動のそれに似ていてうるさいのに好ましい。
それを聞きながら眠るときの夢は、白。
皆無。
ただほんとうに、すとん、と意識が落ちて、深く深い眠りに入ってしまう。
――カチ……コチ……。
□ □
――ボォン!
けっして巨大な鐘撞堂で揺れ動く鐘の音の大きさではなかったが、これまで皆無と同化するように寝ていた意識が一気に覚醒して跳ね起きるには充分すぎる音のようにも聞こえた。
「――ひッ!」
最初の音で重く閉ざされていたまぶたがパチリと開き、あまりの驚愕で悲鳴を上げながら「彼」はまるで空から落ちるような感覚、あるいは衝撃のように、その身体が大きくびくりと揺れる。
それまで正常に動いていた鼓動が嘘のように高鳴り、
――ボォン!
つぎにひびく音でなお鼓動が高鳴って、「彼」はあわてて上体を起こす。
――ボォン!
何なのだ、この音は!
どこから聞こえるんだ!
いまもどきどきと高鳴る鼓動とともに首を巡らせると、
――ボォン!
「ぎゃッ」
まだ鳴るのかッ、と思い、「彼」はあわてて耳を塞ぐ。
その耳は先端が尖った、ずいぶんと長さを感じさせるものがあった。
鐘の音は「彼」の心情などまったくお構いなしに正しく鳴り、自分はここにいるぞと存在を主張する。
大きなベッドの上で尻をつきながら見やるそれは、まるで室内の柱のひとつと思わせるほどの高さがあった。いくらか前に細工を得意とする小人族の老爺たちが修繕したそれだ。
上部には文字盤、その下部には大きな振り子があって、いまも正しく揺れ動いている。
鐘の音は鳴りきって、また「カチ……コチ……」と振り子が動くそれを表現する音に変わっている。
たしかこれには名前があったはず――。
「え……と、……そう! 時計だ、時計!」
この「カチ……コチ……」という音はうるさいが好ましいのに、「ボォン!」と鳴る鐘の音はびっくりするし、心臓はドキドキするし、寝ている自分を無理やり起こす存在感は徹底して好きになれない。
「ホント、ヒトってわからないよなぁ。こんなものに支配されたがっているなんて!」
言って、「彼」は時計という名を持つ調度品――柱時計を思いきりねめつける。
機嫌の悪さをあからさまにする瞳の色は、紫水晶。
「彼」はそれを子どものようにギロリとさせて柱時計を睨みつけ、
「ああ、もうッ! この音におどろかされるってわかっているのに、何で、ここで寝ちゃうんだろう!」
むきぃッ、と頬を歪ませる。
その容姿は端正に整っていた。まぶしい日差しを思わせる活発めいたものがあって、ヒトには持ちえない美しさを兼ね備えている。
年のころは十三歳かそこら。
昼寝にはちょうどいい北向きの一室にいようと、その金色の髪は陽光を思わせるほど美しく、右の目もとははっきりと見えるというのに、左目もとははね癖のある髪が頬もとまで伸びているのが印象的だった。
後頭部から首筋にかけての髪も外側にうまいことはねていて、これは寝ぐせではないのだろうと思われる。
その髪をぽりぽりと掻きながら、
「あぁ~、眠たい! でも、つぎはうまく寝られない気もする」
「彼」も黙っていればもうすこし大人びたようにも見えるのだろうが、突然起こされて寝起き悪そうな表情であくびをするさまは、まさに年ごろの少年らしく、
「寝たのに、何だか疲れが取れていない気がする。――俺、寝る前に何していたっけ?」
その記憶をよみがえらせようとするが、上手くいかない。
だが――ここで眠るということは、よほどくたびれたことをしていたにちがいない。何かに夢中になって、おもいきり、すとん、と眠りに堕ちたいときはどうしてもこの部屋が適っていて、つい足を向けてしまう。
確実に鳴る鐘の音を嫌っていても、どうしてもここに用意したベッドに思いきり寝転がり、「カチ……コチ……」の振り子の音を聞きながら寝るのが好きなのだ。
――時計というのは「時間」を刻むものだと、小人族の老爺たちは言っていた。
だが「彼」は時間というものがわからなかったので、「それは何なのだ?」と問うたところ、「知らん」と老爺たちは答え、「昼夜を細かく分類するために、ヒトが勝手に作った決まりだ」とだけ教えてくれた。
ヒトはそれを必要とするが、「彼」にそれは必要ない。
つまり、わからない――。
これはただ心地のいい眠りを促し、強制的にそれを起こす変なものだと「彼」は自分なりに解釈するしかなかった。
「さて、問題。――俺はいったい何をしていたんだろう?」
かるく上を見やって、目を閉じて、ふむ、と腕を組んで「思い出すぞぉ」と眉間にしわを寄せる。
その肌は艶めかしくて美しい褐色。
大人でも幼子でもない、快活な年ごろが持つ瑞々しさがなおそれを美しくかがやかせていた。
一見して「彼」は艶めかしい褐色肌の少年だということがわかったが、「彼」の耳は長く先端が尖っており、それだけでヒトではないということが断言できる。
――ならば、この「彼」……少年は何なのだ?
――誰なのだ?
などと、少年を見やる者は大いなる疑問を抱くかもしれないが、この世界でそれを疑問に思う者はいない。
――褐色肌の尖った耳。
この情報だけで「彼」がダークエルフ族の少年であることは理解ができるし、ダークエルフ族はこの世界の自然を守護する《守り人》で、世界に数多存在する種族の頂点に立つ高位体であることを誰もが古くより知っているからだ。
ダークエルフ族はその特徴的な耳の形状を除けば、一見してヒトと大差はないようにも思われるが、彼ら一族の美貌は男女ともにどのような至宝よりも勝り、外見内面ともに才色兼備。――存在そのものが他を圧倒し、これに敵う種族などいやしない。
――それがダークエルフ族であり。
世界はこの自然を守護する《守り人》に対し、深く敬意し、尊崇し、何においても同列にあつかってよい存在ではないのだと知り、それは魂の髄まで深く刻まれていた。