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9 植物園

 迎えに来たアルフレッドにエスコートされ、レスター侯爵夫人と執事に見送られて、リリエッタは久しぶりに家を出た。

 目立たないようにという配慮か、無紋の馬車にアルフレッドとリリエッタ、リリエッタの侍女が乗り込み、アルフレッドの侍従は御者台に座った。


「楽しみにしていました」


 そう書いたノートを示すと、アルフレッドも嬉しそうに笑った。


「僕も楽しみだった。今日のドレスもよく似合っている、とても可愛らしい」


 前回、別れる前にリリエッタが敬語を止めてくれるよう頼んだのだ。年上の公爵家の嫡子に敬語を使われるのは、恐れ多くて落ち着かなかったのだ。けれど、砕けた言葉遣いをされると、急に身近な存在になったようで、それはそれで心臓に悪かった。そして、そんな気取らない言葉遣いで褒められて、胸が高鳴ってしまう。

 アルフレッドは会うたびに必ずリリエッタを褒めてくれる。しかし、それは決して物慣れた感じではなく、意を決してようやく口にしたような、初々しい必死さが伝わるようで、いつもリリエッタは赤面してしまう。

 ありがとうございます、と口を動かしなら、髪に結んだリボンを示し、プレゼントされたものを使っていることを伝え、互いに微笑みあった。馬車の中は狭く、向かい合って座った互いの膝が時折触れることが恥ずかしくて仕方なかった。 


 馬車はタウンハウスが立ち並ぶ貴族街を抜け、繁華街を通り過ぎると王都の端に位置する王立植物園に到着した。扉が開くとアルフレッドが素早い身のこなしで降り立ち、リリエッタに手を差し伸べた。細く見えても力強い男の手だった。そのまま、リリエッタの手を肘につかまらせるとアルフレッドはゆっくりと植物園の中へ歩を進めた。すぐ後を侍女がリリエッタに日傘を差しかけて付き従う。その横にアルフレッドの侍従も並んだ。


 王立植物園は、広い敷地を特色でいくつかに区切られている。高温多湿を好む植物を集めた温室のエリア、ハーブや薬草を育てる畑のエリア、水生の植物を集めた池のエリア、そして、季節の植物を楽しめる庭園のエリアだ。そんなことを説明しながらアルフレッドはリリエッタを庭園にいざなった。

 そういえば初めて会ったときも、二人で庭を歩いたことをリリエッタは思い出した。あの時も興味深げに庭をご覧になっていたわ、と思いながら見あげると、こちらを見ていたアルフレッドと目が合った。立ち止まって、植物がお好きなのですか、と手帳に書くと、アルフレッドは申し訳なさそうな顔をした。


「実はあまり興味がなかった。でも、あなたが好きなようだったから、勉強したんだ」


そう言ってあたりを見回すと、歩道をふちどるように植えられた草花の中から、紫色の松明の火のような形の花を指さした。


「あれがモナルダ、これがエキナセアだよね。付け焼刃の知識をひけらかすようだけど」


 その通りです、と頷いた。リリエッタが好きそうだからと言って、興味をもってくれることが嬉しい。今までは知らなかった感覚だった。勉強はお好きなのですか、と聞くとアルフレッドは真面目な顔で頷いた。


「そう、剣を振るうより好きかもしれないな。それに僕が学ぶことは領地を豊かにすることにつながる」

「あなたもよく勉強をされていると聞いているよ。領地経営のことなども。舞踏会であなたとの会話の後で、あなたを褒めている声をよく耳にした」

「ラトリッジ公爵領は、北にあって、育つ植物も限られているけれど、うまく交配させれば新たな作物も育てられる。そうしたことにも力を入れたいと考えているんだ。興味はある?」


 リリエッタは思わず立ち止まった。

 リリエッタの曽祖父が植物への興味が高く、特に葡萄の交配を研究し、親友だが特産物のない貧しい地だったサーキス伯爵領の土壌にあった葡萄種を生み出し、そこから現在ではサーキス伯爵領の名産となった葡萄酒が作られるようになった。その葡萄酒をレスター侯爵家の販路を使って、販売してきた。そうしたかかわりもあって、サーキス伯爵家に嫁ぐ予定であったリリエッタは植物の交配に興味を持ってきた。けれど、トラヴィスは一向に興味を持ってくれず、農民に任せればいいよ、というばかりだった。けれど、今のアルフレッドの言い方は、共に取り組むことを望むようなものだった。

 領地を豊かにするという目的に向かって、手を携えてすすむことをリリエッタは望んでいた。アルフレッドも同様の考え方の持ち主なのだろうか。

 言葉を手帳に綴ろうとするけれど、短い言葉でそうしたことを説明することは難しい。すぐに言葉で伝えられないことがもどかしかった。


「急がないでいいよ。ゆっくりでいい。そうすれば、その分あなたと長く一緒にいられる」

「ああ、でもその顔を見れば興味を持っているのが分かる。勉強熱心なあなたとならば、いろいろな挑戦が出来そうだ」


 アルフレッドはそう言って目を細めて笑った。銀色の髪が風になびいて、その麗しい容貌をあらわにする。なんて美しい人、そして優しい人。リリエッタはただ相手を見つめた。

 

 その時だった。


「リリエッタ!」


 甘やかな空気を引き裂くように、声高にリリエッタを呼び捨てる男の声がした。

 驚いて振り返ると、リリエッタに駆け寄ろうとして、アルフレッドの従者に行く手を阻まれるトラヴィスの姿があった。

 なぜトラヴィスがここにいるのだろう、咄嗟にリリエッタを守るように前に出たアルフレッドの背中からリリエッタはそっと顔を覗かせた。


「リリエッタ、僕の話を聞いてほしい。そして、僕を許してほしいんだ、リリエッタ……」

 

 必死で従者を押しのけようとしながら叫ぶ。

 相手がリリエッタの元婚約者だということに気づいたアルフレッドが、声をかけた。


「静かにしたまえ、ここは騒ぐような場所ではない」


 静かな声だが、空気を震わせるような威厳は公爵家ならではのもので、トラヴィスはぴたりと動きを止めた。


「あなたは……」


 三大公爵家のひとつラトリッジ公爵家の嫡男の顔も覚えていないのか、とリリエッタは悲しい気持ちになった。けれど、今のリリエッタはそれを窘める声をもたない。


「アルバーン伯爵アルフレッド・クロックフォード・エフィンジャーだ」

「エフィンジャー……ラトリッジ公爵家、のご嫡男の」


 さすがにそれは覚えていたのか、呆然と呟くとトラヴィスは慌てて姿勢を正し右手を胸の前において腰を折った。


「サーキン伯爵家のトラヴィス・ブルームと申します。突然失礼いたします。そちらの女性は私の婚約者で、なぜ閣下がご一緒なさっているのか……」

「元、婚約者だと聞いているが」

「それは、その、今ちょっと誤解からそういう状況になっているだけで、また戻る予定と申しますか」

「そのように簡単な話ではないと思うが。第一、今は私がリリエッタ嬢に求婚しているのだから」

「閣下がリリエッタに、そんな馬鹿な」


 思わずこぼした言葉をアルフレッドの従者から咎められて、トラヴィスは身をすくめた。

 それでもこりずに顔を上げると、アルフレッドの背に隠されたリリエッタを覗き込もうとする。


「ねえ、リリエッタ。頼むよ。話を聞いてくれないか、僕を助けてくれよ」

 

 その声色は昔からよく聞いていた。困ったことがあったとき、自分の力では解決できないことにぶつかったときの助けを求める甘えた声だ。あの頃は、自分が頼られているという満足感と、自分が助けてあげなければという使命感をもたらすものだったが、今となっては、年に似合わぬ甘えたものに感じられた。そして、そう思える自分にリリエッタは安心をした。自分の心はもうトラヴィスから離れているのだ、そう思った。

 アルフレッドは振り返ると、どうしますか、とリリエッタに尋ねた。


 話をします。手帳にそう書いた。

 トラヴィスがなにを言っても、もうなにも変わることはありません。彼の話を聞いて、私はただお別れをするだけです。


「いいのか、あなたの……」


 声が出ないことがトラヴィスに知られても。アルフレッドはそう言おうとしたことが分かった。気を使って、言葉を途切らせた彼にリリエッタは笑いかけた。


 いいのです。自分のしたことの結果を彼は受け入れるべきですから。


 それから、リリエッタは一度アルフレッドの顔を見て、もう一度ペンを走らせた。


 でも、一緒にいていただけますか。

 心強いから、ということまでは書かなかった。

 それでもアルフレッドには伝わったのか、神妙な顔で頷いてくれた。


「分かった。あなたの介添えを務めさせてもらうよ」


 まるで決闘に赴くような言葉がリリエッタの心をほぐしてくれた。



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