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 たいそう美しい方だけれど女性には冷たい方だという評判を聞いたことがある。

 女性嫌いだからとか、恋い慕う方がいるからとか、そんな噂を耳にしたことも思い出した。そのアルバーン伯爵が目の前で、レスター侯爵夫人の世間話に穏やかな相槌をうっている。


 なぜ私に求婚してくださったのかしら。


 母親が少女のように瞳を輝かせて会話を楽しむ姿を眺めながら、リリエッタは考えた。


 舞踏会で姿を見て、といった男の美辞麗句を信じることは、トラヴィスに裏切られたばかりのリリエッタにはできない。侯爵令嬢といった身分を持った令嬢は他にもいるし、次期公爵であるアルバーン伯爵にとってはさして大きな意味は持たないだろう。こんな方を引き付けるような魅力はわたしにはないわ、とおじけづいた心が叫んだ。


「リリエッタ?」


 名を呼ばれてリリエッタは我に返った。


「せっかく来てくださった方に、わたくしの相手ばかりをさせてはいけませんわね。お帰りになる前に娘に庭を案内させますわ。ねえ、リリエッタ。四阿までご案内して、それから玄関までお送りしてさしあげなさいな」

「……」

「光栄です、ぜひそう願えれば」


 会話もできないのに、と目で訴えたリリエッタに、大丈夫、と力つけるようにレスター侯爵夫人が微笑みかけた。そうしている間に、アルバーン伯爵アルフレッドがすらりと立ち上がると、右手を胸に当てて感謝の意を侯爵夫人に伝えた。そして、右手をリリエッタに差し出した。一瞬ためらって、けれど断れる場面でもなく、差し出された手にリリエッタはそっと右手をのせた。

 トラヴィスの手とは違う指の長い大きな手だ。掌が固いのは剣を持つからなのだろう。そうして、隣に立つと見上げなければ、アルフレッドの顔を見ることはできない。見慣れない角度に、この人はトラヴィスとは違う人だという意識が強くなる。


「では、ご令嬢をお預かりします」


 にこやかに挨拶をすると、笑顔のレスター侯爵夫人に見送られて、二人は応接室を出た。いつの間にか執事のアントニーが少し前を歩き、時々立ち止まっては方向を示してくれている。そのおかげで何も口にせずとも、二人はスムースに歩くことが出来た。ただ、会話もできないことに恐縮してアルフレッドを見上げると、胸に手を当てたその仕草だけで理解してくれたのか、優しい声でアルフレッドが言った。


「なにも気にしないでください。私は、こうしてあなたと歩くことが出来るだけで幸せですから」


 リリエッタに合わせてゆっくりとアルフレッドは歩く。何も言わなくても、リリエッタの視線を追って咲く花を見、庭に遊びに来ている鳥を見る。感想を口にして、またその視線はリリエッタに戻ってくる。

 トラヴィスにはそんなふうに見られたことはなかった。恥ずかしさで頬が染まりそうだった。

 四阿に着くと、その中に備えられたテーブルセットに二人は向かい合って座った。


「美しい庭ですね」


 アルフレッドは言う。そして、少し間をおいて、


「突然の申し入れをお許しください。本当ならば、あなたの心が落ち着くまで待つべきでした。けれど、あなたへ結婚を申し入れている者が多くいると聞いて、我慢が出来ませんでした」


 深い海の色をした瞳がまっすぐにリリエッタを見た。


「今すぐに返事が欲しいとは申しません。あなたを大切にします。決して傷つけるようなことはいたしません。それを知っていただく時間を作って、そして私との結婚をあなた自身に了承していただきたいのです」


 トラヴィスの裏切りに泣くリリエッタの姿を見たゆえの言葉だったかもしれない。

 リリエッタは、持っていた小さなバッグからノートとペンを取り出して、筆を走らせた。


 まず、改めてあの日のアルフレッドの振舞いに感謝の言葉を述べた。それから今の申し出への感謝を。それから、声の出ない自分では公爵夫人にはふさわしくないことを綴った。


 その文面を読んだアルフレッドは眉をひそめた。


「先ほどレスター侯爵にも申し上げましたが、私が望むのはあなたが私の側にいてくださることです。公爵夫人の役割としては、家宰をしていただくことが必要ですが、社交界でのあなたの振舞いを見ていれば、問題のないことだと思います」

「公爵家としても何も問題になることはありません。両親も、あなたが嫁いでくださることを大いに歓迎しています。今の状況を伝えても、それはきっと変わりません。一度会えばきっとあなたにも分かってもらえるでしょう。なにも心配されることはありませんし、心配されるようなことからは私が全力であなたをお守りします」


 それまでの落ち着いた様子から一変して、次第に早口で言い募る様子に、リリエッタは驚いた。そして、その一生懸命にかけられる言葉がリリエッタの心を揺らした。思い返せば、トラヴィスに対してはリリエッタが守るばかりで、それに感謝されこそすれ、トラヴィスがリリエッタを守る、助けるといった話をしたことは一度たりともなかったのだ。


「私にご不満があれば、何でも言ってください。あなたの心を守れるよう努力しますから……すみません、私ばかりが夢中になって話してしまいました」


 途中で、どれだけ前のめりで話していたのかを気づいたのか、アルフレッドは身体を起こすと恥ずかし気に銀糸の髪をかき上げた。


 いいえ、嬉しゅうございました。でも、声のことばかりでなく、至らないところの多い身です。お付き合いいただく間にそれを判断していただいて、婚約はそれから改めてということにしていただきたく存じます。


 心を許して婚約をして、それからまた至らなさを突き付けられたら、もう立ち直れないかもしれない。そう思って書いたことに、アルフレッドは笑顔を見せた。


「それは、しばらくはあなたの時間を私にくださるということですね。ああ、良かった。あなたに断られてしまったらどうしようと、ずっと死ぬような心地でいたのです」


 銀色の髪に整った容姿、深い青の鋭い双眸、その外見のうえに、近づいてくる令嬢たちへの態度が冷淡だという噂を重ねて、冷静沈着な貴公子だと思っていた。けれどもへにゃりと安心したような笑顔を見せたアルフレッドにリリエッタは、この人をもっと知りたい、と思ってしまった。


 飾る言葉も思い浮かばず、ただ「よろしくお願いします」という言葉を交わして、二人は頬を染めた。


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