6 新しい求婚者
リリエッタはアルバーン伯爵に、心からの感謝を込めて礼状をしたためた。
リリエッタの立場を考えて対応してくれたこと、その時の彼の声色がリリエッタへのいたわりに満ちていたことを思い出す。あの日、彼がいたから舞踏会の場で騒ぎになるようなことを避けることが出来た。
その手紙に、領地から取り寄せた半貴石のクラバットピンを添えた。深い青色で角度によって灰色や緑色の光がゆらめくその石は、レスター侯爵領でしか見つかっていない珍しいもので、これならば喜んでもらえるだろうと両親と相談して決めたのだった。
その手紙を使者に託して、リリエッタはほっと息をついた。
そして、これからどうしようかと考える。社交シーズンはあとふた月ほど続くが、一足先に領地に帰ろうかと思う。レスター侯爵領は王都から少し北上したところにある。さほど遠くはないものの、王都のタウンハウスとは違う自然に囲まれた屋敷での生活は、今のリリエッタには魅力的に感じた。
ほんの数か月前まではタウンハウスで暮らし、舞踏会を楽しむ日々をあんなに待ち焦がれていたのに。
トラヴィスと共に。
その面影が浮かび上がって、リリエッタは首を振った。思い出してももうどうにもならない。
目の前で他の人に口づけた人、リリエッタを貶めた人、それでもまだふとした折に思い出す。まだ好きなのかどうかさえ定かでないまま。
そして、今リリエッタは緊張の面持ちで、応接室のソファに腰を下ろしていた。リリエッタの隣にはレスター侯爵、向かいにはアルバーン伯爵が座り、紅茶が供されたところだった。
本当に麗しい容姿をなさっているのだわ、はしたなくも見惚れてリリエッタは心の中で嘆息した。すっきりとした二重の切れ長な瞳に、形のよい鼻、唇は上唇が少し薄いように思えるけれど、引き結んで自然と口角の上がった顔はまるで作り物めいた美しさだった。
リリエッタよりも一つ年上、昨年社交界デビューしているが、社交にはあまり積極的でないようで社交界にもあまり姿を見せていなかったらしい。今年になって以前よりも舞踏会などに顔を見せる機会が増えたということをリリエッタも耳にしていたし、実際舞踏会などでその姿を見ることはあったが、トラヴィスのことで頭がいっぱいだったリリエッタは初めてしっかり顔を見た気がした。
リリエッタの礼状と入れ替わりにレスター侯爵家に、アルバーン伯爵からの使者が訪れた。礼状になにか不備でもあったのかと慌てたものの、使者が持ってきたのは、ラトリッジ公爵嫡男のアルバーン伯爵アルフレッドからリリエッタへの結婚の申し込みだったのだ。
侯爵家とはいえ、別格である公爵家からの申し入れは拒めるものではない。しかし、リリエッタの声が失われたことを隠し立てするわけにはいかない。あの時リリエッタをかばってくれた人ならばこそ、状況を説明すれば理解を得られるだろうと、ひとまず場を設けることとなったのだった。
「お呼び立てして申し訳ございません。アルバーン伯爵」
「いえ、こちらこそ唐突な申し入れを致しました。ご令嬢にお会いする機会をいただきましたこと、感謝いたします」
レスター侯爵の言葉に、アルフレッドが答える声をリリエッタは目を伏せて聞いた。その優しい響きはあの日に聞いたものと同じだった。
「まず、紹介しましょう。わが娘、リリエッタです」
リリエッタは立ち上がると、ドレスをつまんで軽いカーテシーで挨拶をする。
「リリエッタ、こちらがラトリッジ公爵の嫡男、アルバーン伯爵だよ」
「アルバーン伯爵、アルフレッド・クロックフォード・エフィンジャーと申します。お目にかかれて光栄です」
アルフレッドはリリエッタの前に片膝をつくと、そっとリリエッタの手を取って口づけるふりをする。求婚者の態度としては普通のことだが、まだ少女のころに婚約してしまったリリエッタには初めての体験で鼓動が早くなる。そして、アルフレッドは抱えていた白い薔薇の花束をリリエッタに差し出した。
「どうか受け取ってください。気に入っていただければよいのですが」
思わずアルフレッドの顔を見ると、涼やかな目が優しく蕩けていた。そっと伸ばした指の先が触れ合ってリリエッタは花束を受け取った手を慌てて引いた。顔が赤くなっているのが自分でもわかった。抱えた白い薔薇は咲き初めの蕾で揃えられていて、リリエッタの顔が思わずほころんだ。お礼を言おうとして、声が出ないことを思い出す。
アルフレッドも、リリエッタが何も言わないことに困惑した顔になっている。
「アルバーン伯、どうぞお掛けください。おまえも座りなさい、リリエッタ。娘が大変失礼な態度をとっていることは承知しております。事情はこれからお話ししますので、まずはご容赦いただきたい」
父の言葉に合わせて、リリエッタも頭を下げた。自己紹介もできず、お礼の言葉もいえなかった恥ずかしさに身がすくむ思いがした。
「まず、先日の舞踏会の折は、娘を助けていただきまして本当にありがとうございました。娘ともども感謝申し上げます」
「大したことをしたわけではありません。むしろ、先日は改めて礼を頂戴し恐縮しております。とてもよいものをいただきありがとうございました」
アルフレッドの右手がそっと動いて、長い指がクラバットを指した。そこにはリリエッタが贈った青い半貴石のクラバットピンが刺されていた。思いがけずその色は、アルフレッドの瞳の色によく似ていた。
「ええ、それでおおよその状況はお分かりかと思いますが、実はあのあと娘は声を失っております」
「……声を……?」
「医師によると精神的なものが原因で、精神的に落ち着けば二週間ほどで治るのではないかということでしたが、まだ治っておりません。また、いつ治るともお約束できません。そのため、今回のお話をお受けすることはできないのです。せっかくのお申し出ではございますが、なかったことにしていただいたほうがよろしいかと思います」
ひと息で言い切るとレスター侯爵は頭を垂れた。隣でリリエッタも再び頭を下げた。そっと視線を送ると眉をひそめた厳しいまなざしがあった。リリエッタが思わず身をすくめると、アルフレッドはそれに気づいたのか、すぐに表情を緩めて、まっすぐにリリエッタを見た。一瞬見えた激情のようなものが去って、リリエッタをいたわるような優しい顔だった。そして、アルフレッドはレスター侯爵に視線を移した。
「どうか私にご令嬢を支える権利をいただけないでしょうか」
「しかし、娘は」
「むろん、まず声を取り戻していただくことが大切です。けれど、我が家にとって、それは大きな問題ではありません。幸いわが家は公爵家、社交に腐心せずとも立場は揺るぎません。実際、私の祖母も社交嫌いで若いころからほとんど社交の場に姿を見せていなかったと聞いていますが、なんら問題は起こっていませんから」
「確かに……しかし」
「むろん、ご令嬢のお心次第です。しかし、せめて少しでも私を知ってもらう時間をいただけないでしょうか」
「……」
「断っていただいて構わない話です。けれど、どうか」
「どうしてそんなにリリエッタに……? 以前娘となにかかかわりがありましたか?」
必死に言い募るアルフレッドの態度に、レスター侯爵が不思議そうに彼と娘の間に視線をさまよわせた。
「……舞踏会などでお姿をおみかけして、可愛らしく聡明な方と思っておりました。伴侶にするならリリエッタ嬢のような方がいいとずっと思っておりました、ので」
アルフレッドはそれまでの必死さから一転して照れくさそうに言葉を途切れさせた。
思いかけない言葉にリリエッタは驚いてアルフレッドの顔を見つめた。真摯なアルフレッドの態度にレスター侯爵は息をついた。
「こちらから断っても構わない、とおっしゃいましたな」
「ええ。爵位を盾に、無理強いするつもりはありません。ひとりの求婚者として、ご令嬢に私を選んでいただきたいのです」
そうは言っても、公爵家の嫡男から申し込まれた以上、婚約を前提として向き合うことになる。アルバーン伯の評判自体は悪くない。家柄的にも侯爵令嬢のリリエッタの相手としては、むしろふさわしい。ただ父親としては、娘を大切にしてくれる相手かどうか、が最も大きな問題であった。
「妻を呼びましょう。今日は初めてお見えになった日ですからな。妻と娘と三人で少し話をしていかれるとよい」
「では……」
「リリエッタを泣かせるようなことがあれば、次はございません。その場でこのお話はなかったことにさせていただきます」
ことさらに厳しい声でレスター侯爵が告げた。