番外 元侯爵夫人 修道女バルナデットの祈り
自分勝手な思考ですので、ご注意ください。
娘ではなくて、母親の方です。
「修道女バルナデット、食器洗いは終わりましたか?」
「はい、修道女アリサ」
定められた朝の仕事を終わらせて居室へ向かおうとしていたバルナデットは上役にあたるアリサに呼び止められて向き直ると目線を下げて返事をした。
侯爵家の直系たる身がどこの馬の骨とも分からない女にへりくだることは、今でも身が切られるほどに辛い。それでも、反抗を続け幾度も罰を与えられたことで表面的には従順にやり過ごす術を身に付けた。
「そうですか、ではこちらへ。祈りの部屋の掃除をお願いします」
「わたくしの今朝の仕事は食器洗いだけのはずでは?」
「排水設備に不具合が生じたので、当番の修道女タバサにはそちらの処理にまわっていただきました。あなたがそちらをしてくださるのならば、それでも構いませんよ」
「……祈りの部屋の掃除をさせていただきます」
ぴしりと言い返されて、バルナデットは頭を下げ、掃除道具を取りに物置に向かった。
まったく困ったものね、という修道女アリサの呟きは、バルナデットをさらに苛立たせた。
バルナデットが、王都から離れた山間にある女子修道院に入ってから、すでに一年ほどが過ぎていた。貴族の女性が修道院に入ることはさほど珍しいことではない。なかでも、高位貴族の女性の場合は、十分な寄付がなされ、その後も定期的に高額な寄付がされるのが普通だ。そのため、自分付きの侍女も共に修道院に入りそのまま身の回りの世話をすることが許可されたり、様々な労役が免除されたり、特別な食事が準備されたりという特別待遇が受けられる。
しかし、バルナデットは元は侯爵夫人だというのに、持参した寄付金も最低限ならば、定期的に届けられる寄付金も最低限なため、平民出身の修道女たちよりほんの少しましな程度の待遇しか受けることができなかった。
それもこれもユーリカがわたくしの言うことを聞かないから。
季節が変わり、冷たくなりはじめたバケツの水で雑巾を絞りながら、バルナデットは妹を恨んだ。
雑巾など知りもしなかったのに、その使い方を教えられ、不器用ながら雑巾を絞って掃除をするということができるようになってしまった。いつも美しく整えられていた指先も荒れ、手にもしわが目立つようになってしまった。
それでも、バルナデットは一度たりとも自分が悪かったと思ったことはない。
すべて悪いのは自分の言うことを聞かなかった妹と、その息子なのだ。
バルナデットはプライス侯爵家の長女だった。男兄弟がいなかったため、幼いころからプライス侯爵家の実質的な後継者として育てられた。
そのための教育もなされ、優秀だったバルナデットを両親をはじめ、親戚たちもほめたたえた。バルナデットがいればプライス侯爵家も安泰だ、などという誉め言葉を幾度聞いただろうか。
皆が自分を認めてくれるのが心地よかった。プライス侯爵家とその家門を自分が率いていくのだと考えるとそれだけで気持ちが高揚した。
そのバルナデットの満足感にいつも水を差すのが、三つ年下の妹ユーリカだった。
きつい顔立ちのバルナデットに対して、ユーリカはおっとりとした雰囲気などから、優し気な、可愛らしいといったバルナデットには与えられない誉め言葉が与えられることが多かった。バルナデットほど出来が良くないのに、いつも笑って過ごしていることも、それが皆に認められていることも許せなかった。
自分はプライス侯爵家を背負っているのだ。ユーリカはどうせ家門の伯爵家か子爵家に嫁ぐ。格下に嫁ぐのだから、見た目ばかりよくてできが悪くても仕方がない。そんな風に考えて許せない気持ちをやり過ごしていた。
年頃になって、次期プライス侯爵として、バルナデットに与えられたのは家門の伯爵家の三男だった。十人並みの容姿だったけれど、おとなしく控えめな性格はバルナデットの気に入った。この男なら、バルナデットの邪魔にはならないだろうと思った。自分の婿が伯爵家の出ならば、ユーリカの嫁入り先には子爵家を選んで、などと考えていた折り、ユーリカが舞踏会でラトリッジ公爵家の嫡男に見初められた。
それまで、舞踏会の際にユーリカが選んだドレスが気に食わなければ、バルナデットがドレスを選んで着替えさせたり、ユーリカが身に着けた宝石がユーリカにはもったいないと思ったら、その場で取り上げたりしたけれど、ユーリカはいつも目を瞬かせて、お姉さまのよろしいように、と言うばかりだった。両親も、バルナデットがそう思うなら、と言っていつもバルナデットのしたいようにさせてくれた。
だから、公爵家からの縁談も、ユーリカには務まるものではないという理由で反対したのだ。しかし、公爵家との縁はプライス侯爵家にとっては得難いもので、縁談はすぐにまとまり、ユーリカはおっとりした笑顔のままで嫁いでいった。
それから、舞踏会で容姿端麗なラトリッジ公爵嫡男の横で微笑む妹を見るたびにバルナデットは不満を持った。侯爵家の後継ぎにふさわしい教養を持つ自分の夫になるのが、こんなに平凡な男なのに、わたくしよりも出来が悪くて、わたくしの下にいなければならないユーリカが、別格の公爵家の嫁として、ちやほやされるなんておかしいのではないのかしら。
やがて、ユーリカが男子を産み、その翌年バルナデットは女子を出産した。
子供が女子と知った瞬間、バルナデットは天啓を受けたのだと思った。
自分の娘が、ユーリカの息子に嫁ぎ、将来ラトリッジ公爵夫人となる。そうして公爵夫人の母である自分がラトリッジ公爵家を動かすことができるようになれば、ユーリカがわたくしより上の立場にいるという現状を正すことにつながるのではないかしら。
バルナデットは慎重に行動を開始した。ユーリカは目端がきかないから気づかないとは思うけれど、気づかれたら計画は台無しになってしまう。公爵家の人々に気づかれないように、アルフレッドを手懐け、自分の言うことを聞くようにしなければならない。
やがて、アルフレッドが少々気が弱く、強く言えば逆らえないことに気づくと、巧妙に立ち回り、自分と娘、そしてアルフレッドだけで過ごす機会を多く持つようになった。アルフレッドが自分たちに従うようにすることで、ラトリッジ公爵家を支配するという正しい未来の実現に向けて。
うまくいっていたその計画に問題が生じたのは、アルフレッドが十一歳の頃だった。アルフレッドが言うことを聞くことに満足して油断していたのかもしれない。モーヴのわがままを聞いて、アルフレッドと共に子どもだけの茶会に参加させたのがいけなかった。そこで出会った子どもに何を吹き込まれたのか、アルフレッドはバルナデットに逆らい、両親にもそれまでのことを告げてしまったのだ。
アルフレッドの父の怒りは激しかった。
さすがにバルナデットも、言い逃れるために涙ながらに謝罪し反省の色を見せることにした。とにかくアルフレッドの為を思っていたのだ、やりすぎてしまったのだなど、よく考えれば辻褄があわないことでも、ひたすら謝罪することでユーリカの同情を引き出そうとしたのだ。
思い通り、愚かなユーリカはバルナデットのための許しを夫に乞うてくれた。
そんな愚かなユーリカでも、息子が成人するまではバルナデットとモーヴが直接アルフレッドとかかわることは許さず、公爵家とプライス侯爵家も最低限の付き合いしかしないことを約束せざるを得なかった。
それでも、バルナデットは折に触れ、アルフレッドとモーヴの婚約をラトリッジ公爵家に申し入れてきた。モーブは侯爵家の娘で縁戚関係から考えてもアルフレッドの結婚相手にはふさわしい。アルフレッドの心には、モーヴに従うことへの種を播いてある。結婚さえすれば、バルナデットの望みは叶えられる。万一、バルナデットが口を挟むことが許されなくても、モーヴの子が公爵家を継げば、それもまたバルナデットの勝利と言えるだろう。それなのに、バルナデットの言うことを聞くはずのユーリカが、その申し入れを受けようとせず、バルナデットを苛つかせた。
そして、アルフレッドはあの小娘を選んだ。
モーヴが言うには、アルフレッドが反抗するきっかけとなった娘らしい。なんて小賢しい娘なのだろう。罰を与え、アルフレッドと結婚できないようにしなければ、とすぐに思った。アルフレッドの結婚相手はモーヴでなければならないのだから。
その娘がしたことに対する罰を与えようとしただけなのに、バルナデットは捕らわれ、この修道院に送り込まれた。
ユーリカはバルナデットをかばわなかった。これまでプライス侯爵家を守ってきたのはバルナデットなのに。ユーリカはできの悪い娘だから、バルナデットの言う通りにしなければならないのに。
愚かなアルフレッドも、バルナデットとモーヴを簡単に見捨てた。気弱なアルフレッドを守り、導いてやろうと思っていたのに。
「修道女バルナデット、まだ掃除をしているのですか。もう昼の祈りの時間ですよ。いい加減、規則に従うことを覚えてください。皆が待っているのですから、早く片付けるように」
修道女アリサが入ってくると、厳しい口調で告げた。
下賤な女のくせに、正しい身分を取り戻したら真っ先に処分してやる、頭の中で何千回目かの恨みごとを呟いてバルナデットは頭を下げた。
修道院でバルナデットは一度たりとも自分の罪の赦しを願ったことはない。
バルナデットに赦されるべき罪などないからだ。正しいあり方を取り戻そうとしただけ。すべて悪いのは愚かな妹と、その息子なのだ。
バルナデットの祈りは、過ちが正され、再び侯爵夫人として妹を支配下に置く、正しい秩序を取り戻すことを願うものだ。
最後までお読みくださいまして、ありがとうございました。
少しでも楽しんでいただけたら、とても嬉しく思います。




