18 負けない
舞踏会の夜に身内以外の男と庭園にいたという、その事実だけで淑女の名は汚される。それ以上のことがあったら、どうなるかは言うまでもない。
しかし、それ以前に見知らぬ男の手が自分の腕や肩に触れることがおぞましくて、リリエッタは懸命になってそれらから逃れようとした。
トラヴィスは、助けてくれなかった。幼いころから仲良く過ごしてきた。そこにあったすべての情をあの別れは奪ったのだろうか。途方にくれて、それでもリリエッタはアルフレッドの名を小さく呼んだ。アルフレッドとのこれからを、諦めたくはない。
「いや、やめてっ」
必死で腕を振り回す。その腕を捕らえられても、まだ身をひねって少しでも男たちの手から逃れようとした。
「めんどくさい、抱き上げてしまえ」
「いやっっ」
「その手を、離せっ」
抗ってもみあっているところに、男の声が割って入った。その声と同時に駆け付けた男の手がリリエッタの腰を抱え上げようとしていた男の手を乱暴に払いのけた。
「リリエッタ、無事か……っ」
「アルフレッド様っ」
そのまま強くリリエッタを抱きしめる。銀色の髪が目の端で揺れて、その人が来てくれたのだと、間に合ったのだと気づき、リリエッタはその背中を両手で抱きしめた。
「お前たちはこっちだ。跪いて両手を後ろに回せ」
別の声が冷静に男たちに命令する。その声がロドリックだということにリリエッタは気が付いた。助かったのだわ、そう思うと膝の力が抜けてかくんと崩れ落ちそうになる。その体をアルフレッドは軽々と横抱きに抱き上げた。
「こわかっただろう、もう大丈夫だ」
「アルフレッド様、でもこんな騒ぎが人に知れたらわたくし……」
「心配ない。公爵家の名に懸けて、誰かの口にのぼることにはならない」
アルフレッドは人目を避けて、リリエッタをラトリッジ公爵家の控室に運びこんだ。ソファにおろされても、しばらくリリエッタの震えは止まらなかった。真っ白な顔で体を震わせるリリエッタをアルフレッドは膝の上に抱え上げた。
「大丈夫だ。もう怖いことはないよ。もう大丈夫なんだ」
何度もそう繰り返して、抱きしめて、額やまぶたに何度も触れるほどの口づけを落とす。
「リリエッタ!」
そこに飛び込んできたのはマリアだった。マリアはアルフレッドに抱かれたリリエッタの元へ走りよると、その手を握り締めた。
「遅くなってごめんなさいね。リリ、もう大丈夫よ。アルフレッドもわたくしもあなたの側にいるわ」
「マリア」
「リリ、よかった。本当に良かった」
あまり表情を変えない女王様のようなマリアが、安堵の涙を浮かべるのを見て、リリエッタはようやく少しだけ口元をゆるめた。
「マリア、ありがとう。心配ばかりかけてごめんなさい」
「あなたのせいじゃないわ。あやまらないで。あの愚か者たち、絶対に許さない」
リリエッタの姿が見えなくなって、アルフレッドやマリアが慌てていたところに、リリエッタが庭園にいることを教えてくれたのは、結局トラヴィスだった。止めるエリカを振り払うようにして、リリエッタを助けてくれとすがったのだという。
その話を聞いている間に、ラトリッジ公爵夫妻とレスター侯爵夫妻も知らせを受けて駆けつけ、リリエッタの無事な姿を見てほっと胸をなでおろしているところへ、ロドリックが入ってきた。
ロドリックは、今回の事件が余人の耳に入らないよう、自分の配下の近衛兵を使ってトラヴィスとエリカ、そして二人の男の身柄を確保し、自ら簡単な事情聴取を行い、その情報を持ってきたのだった。
全てはプライス侯爵令嬢モーヴ・ホールデンの企みであった。
二人の男は、それぞれ男爵家の二・三男で、うまくやればリリエッタと結婚することができる、言うことを聞けばプライス侯爵家の家門に加え、よい仕事を与えてあげるなどといった甘い言葉で利用されたらしい。
また、エリカ・カルキンについても、元々トラヴィスを誘惑したことも、今回のこともモーブ・ホールデンの口車にうまく乗せられたのだということも分かった。
ラトリッジ公爵夫人は、ハンカチを握りしめ目に涙を浮かべて、リリエッタの手を握って謝罪した。かつて息子がプライス侯爵夫人に傷つけられた時も、それに気づかなかった自分の不明を恥じたが、さらに姉の娘が今度は息子だけでなく、息子を助けてくれた恩人まで傷つけようとしていたなど。姉が実家を支えてくれているのだから、と前回は厳しい対応に徹することができなかった。まさか、血のつながった姪までもがこんな愚かなことをしでかす心の醜さを持っていたなんて、とただアルフレッドにもリリエッタにも詫びるばかりだった。
アルフレッドは、怒りに蒼い瞳をぎらぎらと光らせた。今にも、剣をとって駆けだそうとするのを、ロドリックが腕をつかんで引き留めているような状態だった。リリエッタもアルフレッドを押しとどめるように腕に手を添えた。
自分勝手な理由で、幼いアルフレッドを傷つけた。そして、最後に引き起こしたのがこんな最悪のやり方で人を傷つけることだとは。彼女が罰を受けるのは彼女自身の自業自得だが、それに関してアルフレッドが汚名を被るようなことはあってはならない。
その時、ノックの音がして、皆が一斉に扉を見た。
扉を開けたのは、お仕着せを着た従僕だった。
公爵家の人間が婚約発表をしたとき、その舞踏会の最後のワルツを二人だけで踊る権利が与えられている。それもまた、公爵家に与えられた特別な栄誉の一つだった。舞踏会も終わりの時間が近づいたため、アルフレッドとその婚約者を迎えに来たのだった。
こんな騒ぎのあとで舞踏会など、というのがその場にいた人々の声だったろう。みながいたわるようにリリエッタを見た。
「舞踏会に戻ります」
リリエッタは凛とした声で告げた。
このままアルフレッドとリリエッタのラストダンスが行われなければ、人々は何かがあったのかといぶかしみ、モーヴはそれに乗じて流言を流すに違いない。そうでなくても、リリエッタの邪魔をできたと留飲を下げるだろう。そのようなこと、決して許したくなかった。
「リリエッタ、しかし……」
「わたくしは、あの人には負けません。絶対に。あの人がしたことがわたくしを傷つけることなんて、ほんの少しもないということをあの人に見せつけたいのです」
そして、アルフレッドにも。これまで彼女に傷つけれらたことも、今のアルフレッドにはもう影響を与えないことを、彼女はもうアルフレッドの人生にほんの少しのゆらぎももたらさないことを、はっきりと彼女にみせつけるべきだと思った。
アルフレッドは、驚いたような顔をして、それから眩しいものを見るように目を細めた。
「ああ、そうだ。あなたはそういう人だった。そして、私もそうなりたかったんだ」
アルフレッドはリリエッタを抱き寄せると、こめかみにそっとキスを落とした。気持ちが伝わったことが嬉しくて、リリエッタも爪先立って、アルフレッドの頤にお返しの口づけをした。
「では、我々はこのあとの始末の準備をしよう」
最後にラトリッジ公爵が重々しく宣言した。




