11 おでかけ
「リリエッタ、大丈夫か?」
家に戻って、気分が沈んだまま部屋にとじこもっていたリリエッタのもとにやってきたのは、兄のエリオットだった。
リリエッタよりも三つ年上のエリオットは頭脳明晰なことと冷静沈着な性格が評価され、王太子の側近を務めている。けれど、リリエッタにとっては優しい兄だ。今回のことでも、リリエッタのことをとても心配してくれていた。母からリリエッタの外出先での騒動を聞いて心配になってやってきたのだろう。
トラヴィスにリリエッタが外出することを伝えたのは、サーキス伯爵家の御者と懇意にしていた下働きの少女らしい。リリエッタが外出する日があったら連絡するようにと小金を渡され、深く考えることもなく教えてしまったのだという。辞めさせたよ、とうんざりした顔でエリオットが言った。
わたしのせいで可哀そうに。
そう書いて見せると、エリオットは冷笑を浮かべた。
「お前が気に病むことではない。主家の情報を漏らすような人間はどのみちいつかはやめてもらうことになる。サーキス伯爵からも、詫び状が届いたよ。謹慎させていたのが、いつのまにか抜け出していたってな。まったく、いつまでリリに迷惑をかけるつもりなんだか……。宮廷官吏の試験を受けることを許されるだけで感謝すべきなのにな」
そう言って部屋を出るかと思いきや、エリオットはソファに座ったリリエッタの向かいに腰を下ろした。
「もう大丈夫なのか?」
リリエッタはこくりと頷いて、綴った。
夢から覚めたようです。トラヴィスとの結婚に夢を見て、わたしばかりが空回っていたのだと気が付いた気がします。
「サーキス伯爵夫妻は実直な方たちだし、領地も近い。おまえが嫁いでも俺が目を配れるから安心だと思っていたが、ここ一、二年は婚約は見直した方がいいんじゃないかと思っていた。父上たちもそう思っていたようだ」
それはリリエッタが初めて聞く話だった。
「今のあいつはあまりにも人の力を頼りすぎる。おまえが頑張ることで、あいつはそれが当然のことと思うようになってしまった。あいつと結婚したらおまえがつらいだけだったろう」
トラヴィスはもともとエリオットの学友候補だった。しかし、エリオットはトラヴィスを学友に選ばなかった。そのトラヴィスを選んだということは、人を見る目がなかったということなのだろう。リリエッタはへにょんと眉を下げた。
「いや、人にはいいところも悪いところもあって、俺とは相性が悪いだけだと思っていた。実際、おまえもあいつのいいところをいくつも見つけてきたのだろうし、評価できるところがあるから、父上も大切なおまえとの婚約を認めたのだろう。ただ、人との関わりや置かれた環境で人は変わるということだ。良い方向に変わることができるかどうかは、自分がどうありたいかという本人の考え方次第だと俺は思う。その点であいつは愚かだったのだ」
「もし、お前が自分を責めるなら、婚約を認めた父上も、黙って受け入れていた俺のことも責めることになるぞ。いいな」
レスター侯爵もエリオットもリリエッタを慰める一方で、こういう状況を生じさせることになった自分たちを責めていたことをリリエッタは知っている。それでも、こう言ってリリエッタの心の痛みを少しでも減らそうとしてくれる兄の優しさが心にしみた。
「あいつ、一度殴ってやればよかった。元々、俺はあいつが気に入らなかったんだ」
空気を変えるように、エリオットが軽い調子で言った。いかにも文官らしい兄が、不器用にトラヴィスにつかみかかる様子を想像して、不謹慎にもリリエッタは笑ってしまった。
「笑うなど失礼だな。まあ、でも、リリがいろいろなことを頑張ったのはあいつの為だものな。そういう意味では、あいつも役にたったと言える」
あまり励ましにならない言葉に、リリエッタはむっと頬を膨らませた。エリオットは小さく咳払いをして言葉を続けた。
「アルバート伯爵閣下は王太子殿下と親しくされていて、その関係で俺も話をしたことがあるが、まじめな方だと思う。王太子殿下も信頼されている。あの方はきっとお前を大事にしてくださるだろう」
たとえ声が出なかったとしても。
アルフレッドは、声の出ないリリエッタもリリエッタだと認めてくれる。今のままのリリエッタでできることをしてくれればいいと考えている。
声がでないままならば、侯爵家の片隅かあるいは修道院でひっそりと暮らすことになると考えていたことを思えば夢のような話だ。でも、とリリエッタは思う。声を取り戻して、思う存分アルフレッドと話をしたい。そして、できれば少しでも彼の役に立つ存在になりたいのだ。
アルフレッドから改めて外出の誘いがきたのは、それから二日後だった。
今度は王都の中央にある公園のボートに乗ろうという誘いだった。初めての外出はあんなことになってしまったので、迎えを待つリリエッタの胸中は期待と不安でいっぱいだった。
約束の時間通りにアルフレッドが到着したと家令から告げられ、玄関に向かって階段を降りていくと、そこで待っていたアルフレッドはリリエッタの顔を見て安心したように笑った。
「誘いを受けてくれてありがとう。今日も綺麗だ」
今日のデイドレスは、濃紺の丈の長い上着と、同じ色のスカートを合わせたもので、それぞれに銀色の糸でモチーフを飾りとして配置したものだ。それに白い短靴と、白い日傘を持った。ふと見ると、アルフレッドも今日は濃紺のジャケットにトラウザーズを合わせていて、示し合わせたようだと、リリエッタは喜びを感じた。
思わず笑顔になると、アルフレッドも微笑んでエスコートの為の手を差し伸べ、そっとリリエッタを馬車に乗せてくれた。
馬車はゆっくりと走り出す。しかし、貴族街を抜け、貴族が多く利用する繁華街の途中で、突然馬車が止まった。すぐに馬車の扉が叩かれて従者が顔を覗かせた。
本来なら馬車が二台すれ違えるほどの道幅はあるのだが、馬車の通りの多い道にもかかわらず、ある宝飾品店の前に止められた一台の馬車が道の半分ほどを塞いでいるため、すれ違うことが出来ず混乱を招いていたのだった。
「お前が行って、馬車を移動させるよう御者に命じてくれ」
「そう思ったんですが、家紋を見るにどうやらプライス侯爵家の馬車のようで」
「プライス侯爵か……」
ため息交じりの声でアルフレットが呟いた。アルフレッドの母であるラトリッジ公爵夫人はプライス侯爵家の出身で、現プライス侯爵夫人の妹のはずだった。公爵家とはいえ、そうした縁戚は無下にはできないものなのだろう。
「どうなさいますか」
「仕方ないな、私が行くよ」
少し待っていて、とリリエッタに言うと、従者にリリエッタを守るよう言いつけてアルフレッドは馬車を降りていった。
アルフレッドが店に入ってすぐ、店から出てきた使用人がプライス侯爵家の馬車に駆け寄って、御者に何事かを話すと、止められていた馬車が動き出した。そして、待つほどの時間もなく、宝飾品店からアルフレッドが出てきた。しかし、そのあとをアルフレッドの腕につかまるようにして、着飾った少女が姿を見せた。
プライス侯爵家のモーヴ・ホールデン嬢だ。同じ侯爵令嬢で同じ年、同じような金髪と青い瞳をしているため、時折比較されることがある。そのせいか顔見知り程度の関係にもかかわらず、以前からリリエッタを敵視して、トラヴィスの問題のときもよく聞えよがしな揶揄をされたものだった。そういえば、彼女はアルフレッドの母方の従妹にあたるのだと、リリエッタは思った。
その少女が、頬を染めてアルフレッドに一生懸命に話しかけている。しかし、アルフレッドはそっけなく少女の腕をほどき、リリエッタの待つ馬車に戻ってこようとしているように見えた。
追いかけようとして、少女の視線がリリエッタを捉えた。その瞬間、怒りがあふれたように少女の目が吊り上がった。
「リリエッタ嬢、お待たせした。問題はなかっただろうか」
「待って、お待ちになって、アルフレッド様。なぜその馬車に彼女が乗っているのですか?」
従者が開けたドアからアルフレッドが乗り込もうとしたのを、詰問するような声が追いかけてくる。アルフレッドは、馬車に片足をのせたまま、振り返った。
「あなたには関係ないことだ。プライス侯爵夫人が心配されるから、早くお戻りになったほうがいい。それでは、失敬」
突き放すような声色だった。それきりアルフレッドは、まだ何かを言いかける少女には目を向けず馬車を出すように命じた。扉が閉められると、馬車は軽快に走り出す。リリエッタがそっと目を向けると、モーヴ嬢が苛立たしげな顔で馬車を見送っていた。
「不快な思いをさせてすまない。彼女のことは気にしないでほしい」
リリエッタをいたわるようにアルフレッドは言った。
きっと、彼女はアルフレッドのことが好きなのだ、そう気づいたけれど、口に出してはいけない気がした。彼女がリリエッタのことを敵視するのは随分前からのことだけれど、アルフレッドと馬車に同乗しているのを見られたことで、さらに敵意をもたれたような気がして、リリエッタは少々気がめいった。




