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 深紅色に染まる

 諏訪市に存在する公国特種学府、その学生ホールの中で居並ぶ聴衆たち。未だ日は落ちることなく、窓ガラスから赤い夕陽の光が射し込む中、"それ"は進行していく。


 「……、おいおい、これは……」


 呻くように、その場にいる、同学年最高位の生徒が言う。頭を少しだけ抱えているのが、その事態の異常さを物語っていた。


 「この場を以て、俺は宣言する」


 眼の前にいるのは、急進改革派として知られる銀城公爵家─いまや残された最後の急進改革派系公爵家だ─の令息、銀城添枝。そして、それと向かい合うように立つのは、数週間前に発生した北方戦役で両親を失った乙坂アリサ。

 保守派の中でも貴族としての誉れ高き乙坂子爵家、その令嬢は、今目の前で"それ"を宣言されようとしている。


 「今この瞬間、()()()()()は乙坂子爵令嬢との婚約を、破棄すると!」


 刹那、沈黙。

 その一瞬後には、動揺が音となって学生ホール内で響き渡っていく。騒然となる会場、しかしそれを目の前にしても、アリサは決してたじろぐことはない。

 魔女のようなローブを羽織ながら、まるで何事もなかったかのように飄然としている。


 「わかった、では私もこの場で宣言する。()()()()()は、銀城公爵家との婚約の破棄を受諾する」


 それこそ、まるで1+1が2であることを言うような、そんな感じの言い方だ。だが、本人達はともかく、周りは寝耳に水の話であった。

 乙坂アリサと銀城添枝の仲は知られている。政略的な婚約にしては珍しく、本当に珍しく、仲が非常に良好なだった。


 それにも関わらず、今回の婚約破棄。


 その舞台裏で何があったのか、当人達でさえ察する他ない状況。だが、騒然とする会場は落ち着きを失っていく。


 「一つ、質問してもいいか?」


 学年最高位の成績を常に叩き出す、その少年が前に出る。荒沢子爵令息─荒沢子爵家の義理の息子であり、類稀な精霊術士としての才能を持ち合わせるその少年が、口を開く。


 「今回の婚約破棄に至った原因は?」

 「銀城公爵家としては、今回の婚約はもはやその効力を失ったものと判断している。したがって、今回の婚約破棄は正当だ」


 答えにはなっていない。

 だが、直接的に言われなくても、想像はついてしまう。北方戦役に巻き込まれ戦死した乙坂子爵と子爵夫人─そして、その他の親類は十年前に処刑された深紅女王シャリーラ・アドリシュタの治世の間に、みな死んでいる。


 乙坂子爵家は、存続できない。


 残されたのが高々学生の娘一人で、しかも頼れる親類もいない。これでは、存続できるわけもあるまい。

 そして、急進改革派にとっては、そんな娘とは婚約している価値もない。ならば、婚約破棄に及んでも当然だろう。


 荒沢子爵令息への回答から数瞬、今度は比較にならないほどの狂乱が待ち受けていた。奇異の目でアリサを見つめる者、(めかし)にでもしようかというような(よこしま)な考えが透けて見える者……。

 そんな中でも、アリサは何事もなかったかのようにその場に立ち、飄然としている。


 「はじめまして乙坂子爵令嬢、俺は……」

 「待て貴様、俺が先だ!」

 「いや俺が……、フガーッ!」


 アリサ自身の容貌は、美しい部類に入るだろう。すらっとした長身、整った容姿。顔立ちは端正で、濡羽色の髪。いわゆる「美少女」だ。

 その容姿に目をつけた少年達が、はやく自分の手元に置こうと群がっていく。なかなか醜い争いが起こる中、銀城添枝公爵令息はゆうゆうと退出していく。


 むらがる貴族令息達に対して、アリサも流石に呆れが強くなってくる。彼女も、飄然としているとはいえ、多少なりとも心の傷は負っている。そんな中での、貴族令息達のこの振る舞いは、彼女の耐久力を試すのに十分だった。

 アリサが激発する、その正に数瞬前。


 「何をしているのですか、貴方達は?」


 ドアを開いて、やってくる人がただ一人。

 赤い夕陽を背景に、白い髪が美しく揺れる。少年達にとっては二歳年下の、取り囲んでいるアリサと同年代の少女。

 その胸元で、ペンダントが揺れる。


 「何をしているのか、と聞いているのですが?」


 万人を圧するであろう凄まじい声音で、彼女は言う。怒りを込めて。


 「何をしているのか、と聞いているのです。答えられる方は?」


 かつ、かつ、と。

 靴の音を鳴らしながら、彼女はアリサへと近寄っていく。


 「おられないのですか?」


 少年達は、その少女のために、その実迫力に押されて、道を開ける。


 「自らが何をしていたのか、答えられる方は? 今貴方達が何をしていたのか、恥じることなく答えられるという方は?」


 貴族として非の打ち所がない、その令嬢。

 厭うことなく戦場へと向かい、ある時は北部戦線に、ある時は東部戦線に、またある時は西部戦線に。決して派閥で区別することなく、増援が必要なところにいつの間にかいる、戦場の女神。


 「恥じる心があるのは結構ですが、まずはそこにおられるアリサ嬢を取り囲むのをやめては?」


 その言葉でようやく我に返った貴族令息達は、バツの悪い顔で各々散っていく。


 「アリサ」


 少女は、アリサの前に立つ。


 「海凪か。どうしたんだ、こんなところに?」


 その少女─如月海凪は、心底心配そうな顔で、アリサに言葉をかける。


 「貴女がこの会場に呼び出されていると聞いて、ひょっとしたら、その……」

 「婚約破棄じゃないか、と思って、私を見に来たってわけか?」

 「観物(みもの)にしようというわけではないのですが、心配だったのです。大丈夫ですか?」

 「私は大丈夫だ」


 そんな事を言いながらも、やや体が震えている。決して、大丈夫ではない。

 それなのに、あくまでも声に出すことなく、飄然とした態度を崩さない。


 取り囲んでいた少年達はいなくなった。が、今度は周りの少女達が、ざまあみろという顔を向けているのに、アリサ達はようやく気づく。


 アリサ自身にとっては、決して自らで望んだ結婚ではなかった。あくまでも、婚約は親の都合で決めるもの。

 それなのに幸せそうな顔をしているアリサを見て、周囲の令嬢達は嫉妬していた。そして、今回の婚約破棄。

 ざまあみろ、と彼女達は思ったのだろう。それこそ、本心から。


 「なんというか、いたたまれないな」


 ふう、とアリサはため息をつく。


 「アリサ……」

 「彼女達は、望んでなんかいない婚約を押し付けられた被害者みたいなもんだ」


 それで仲も悪いと来たら、そんな反応にもなるだろう、と納得しているような顔だった。


 「アリサ、行きましょう。ここは、貴女には相応しくない」


 海凪は、アリサに手を差し伸べる。


 「嬉しいんだか悲しいんだか」


 それでも彼女はその手を取り、外へと歩きだしていった。


 そして、焼け落ちていくような空の下。学府は今日もまた、夕日によって赤く照らされる。

 学府の床まで染めるその朱色は、まるで血のようだった。


 「えっ……」


 そして。

 海凪は、本来見るはずもないものを見てしまった。赤く照らされた液体─その赤色は、決して夕日の朱色故だけではない。


 「どう……、して……?」


 どろっ、と。

 つい先程まで一緒に話していた少女の脇腹から、その液体が流れていく。


 「ありゃまあ……、銃弾って、マジで痛いんだな……」


 少女は左手で、撃ち抜かれた脇腹を(おさ)える。その痛みのあまり、顔をしかめながら。


 「にしても、海凪様を狙うなんて、一体どんな奴なんだか」


 痛みを堪えながらも、その少女の言葉は快活なまま。まるで、そうあれと誰かに望まれたみたいな、そんな快活さ。


 「なっ、海凪様っ!」

 「アリ、サ……?」


 にぃ、とその少女─乙坂アリサは笑いかける。

 それに対して、海凪の方こそ、顔が恐怖に染まっている。


 「おっと、もう一発来たな」


 銃弾が、電磁式〈エレクトロンフィールド〉で弾かれる。貴族のみが使うことのできる、現世へと干渉する術─精霊術の効果だ。キンという甲高い音が鳴り響き、蛍光灯がひび割れる。


 「アリサ、逃げましょうッ!」

 「はいはい、ちょっと待ちなよ〜」


 軽い雰囲気で、アリサが流す。

 更に一発。銃弾は再び弾かれ、どこかへと消えていく。


 「よしっ! 逃げるぞっ!」


 にぃ、と再び笑うアリサ。

 海凪の手を引きながら、アリサは走っていく。銃弾を弾き、廊下を走り抜ける。ようやく物陰に入って一息。


 「……、アリサ、大丈夫ですか?」

 「私? むしろ海凪様の方こそ大丈夫か?」

 「わ、私が撃たれたわけでは……」


 首を振るアリサ。


 「違うな。さっきのは、間違いなく海凪様を狙った狙撃だった」


 途端に顔が蒼くなる海凪。

 それに対して、アリサは飄々とした態度を崩さない。


 「さて、そろそろ銃声が聞こえた皆が駆け寄ってくる頃だ」

 「私が言えたことでもありませんし、傷を抉るようで申し訳ないのですが……」


 そんな飄々としたアリサを、海凪は信じられないといった感じの目で見る。実際、海凪にとっては、アリサの今の態度は信じられないものだったのだ。


 「婚約破棄された上に痛む脇腹……、私は、貴女の方が心配です」


 それに対して、飄々とした態度を全く崩さないアリサ。全く視線を外すことなく、海凪の目を見つめる。


 「目が綺麗だ」

 「!?」

 「いやいや、そんな驚いた顔しなくても!?」


 はあ、とため息を付きながら、演技がかった様子でアリサは海凪にそう言った。


 「人の心配の前に、まずは自分を心配しな」

 「私は、一応自分の身は自分で守れるつもりですので」

 「んなら、まあそれでいいけど。あっ、私は大丈夫だから、心配するなよ」


 じゃあ、と軽い雰囲気で、アリサは手を振り、海凪と別れた。後ろの方では、ドヤドヤとした物音が鳴り響き始めていた。


 「すみません」


 海凪は、そう呟く。

 なぜなら、彼女にとっては、彼女自身こそがアリサの婚約破棄の引き金を引いてしまった人物だったからだ。


◇◇◇


 「……、なるほど、狙ってきたのは……」


 海凪と別れたアリサは、"それ"を拾った。

 クスッ、と笑う。ああなるほど、そういうことか、と。アリサ自身は、まだ貴族としては未熟でしかない。

 ただ、"それ"の存在が示していることには、思い当たることがあった。


 どうにもまた一悶着ありそうだね、とアリサは独り言のように呟く。その間にも、頭は回転を続けていた。

 どちらにしても結論を出すにはまだ早すぎる。ただ、まだまだこの騒動は終わりそうにない。


 「とにかく、このことは、学府長にでも伝えたほうがいいよな」


◇◇◇


 婚約破棄の舞台裏、陰謀は胎動を続けている。

 張り巡らされた糸を操る人、その人に命令する者。そして、その糸を観察して、いかに自分に都合よくことを運ぶかを考えているもの。


 たかだか数本の糸から全容を把握してみせた陰謀の天才は、計算を終え一息つく。


 「……、これは、沙羅ちゃんの力を借りることにしましょうか」


 手紙を書いていく。


 つい八年前には、こうなることなど全く想定していなかった彼女。


 「……、まったく、世の中はわからないものですね」


 今代大公─この国、すなわち今や唯一の人類生存圏となった葦原公国の最高統治者─好霊京香シグルドリーヴァ・アドリシュタ殿下はよくやっている、と彼女は思う。

 彼女のつく公家(こうけ)筆頭(ひっとう)という立場、あらゆる貴族にとっての頂点。京香殿下自身は政治についてあまり関与しないが、勢力均衡のために最低限の、だけれどと必要十分なテコ入れを行っている。

 だからこそ、残りの仕事─大公殿下自身の勢力の確保は彼女の仕事となる。


 そして、今回発覚した陰謀。

 ただ暴露するだけでは、大公殿下の勢力を確保することはできない。だが─。


 ふっ、と彼女は笑う。


 ここからは、彼女の領分だ。


 「……、にしても、"鍵"がまさか、そちらにあったとは」


 様々な禁忌を犯し、情報源を辿り、"鍵"を探していた彼女。

 全ては、終わりなき戦いを終わらせるため。悠久に続くかと思われた、このメビウス戦争を終結させるため。


 「その"鍵"は、是が非でも使わせていただきますよ」


 兵器の形を象り、無限に生成され再生される、人類の敵─メビウス。それを倒すヒントを残した三百年前の暴君─残酷女王(カーマ・アドリシュタ)。そして、そのヒントを引き継ぐ者達と、"鍵"を引き継ぐ者達。

 全てを一本につなぐべく、その公家筆頭は蠢動する。


 「全ては、公国の民達の安寧と未来のため」


 その時、ドアがノックされる。


 「入りなさい、丁度糸が一本でつながったところですから乾杯といきましょう、『カルマ』」


 運命の歯車は廻り始める。


 運命に見捨てられた少女と、婚約破棄される少女。彼女達の感情や感傷に関係なく、強大な陰謀を原動力(エネルギー)として、歯車は規則正しく廻り始める。

 その先にある定まった未来を変える方向へ。


 「彼女達のこれからの戦争と革命に、祝福を祈って」

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