貴女に会った時のように
懐かしい夢を見た。
父上と母上にさんざん甘えた年頃の、懐かしい夢だ。今となっては二度と帰ってこない、幸せな日々。ぶち壊したのは、果たして世界の方だったのか、私の方だったのか、今ではわからない。
「おはよう、海凪様」
微睡みの底から追い出され、現実に引き戻された視界は明けゆく空を捉えた。微かに見える星々の最後の残光が、太陽の光によって薙ぎ払われていく。
簡易ベッドから体を起こす。硬い寝床には慣れているが、あんまり長く寝ていると健康にも害がありそうだな、と思う。
「おはようございます、リラ様」
隣では、つい先程まで寝ていたはずなのに、さして寝ぼけている風でもない海凪様がいる。寝癖一つないその姿。
大人になりかかりの、未発達の少女の体が少しだけ伸ばされる。それにつられて、私も体を伸ばす。
相変わらず、口の中で血の味がした。
大攻勢開始から約七日。一日目から三日目の無茶な戦いっぷりを海凪様に咎められてからは、ある程度は寝るようにしている。ただ、それにしたって限度がある。
私達の大規模な連絡線への攻撃により敵の前進はほぼ完全に停止、まだしばらく波状攻撃が続いているらしいけどもうじき終わるはず。三徹してぶっ倒れかけた意味はあったみたい。
さらに京香達は五日目に逆侵攻を敢行、メビウス側にある程度の打撃を与えた。
だけども依然として敵戦力は健在! ホント、この数の暴力は良い加減にしてほしいッ!
資源だけ落として帰ってくれないかな?
「状況は?」
「依然として厳しいままです。後退したメビウスの第一陣が再度全戦線に渡る攻勢を敢行し、犀川側の戦線も危なくなってきているそうです」
「……、洒落にならないんだけど」
はぁ、とため息を一つ。
七日、もう一週間だ。海凪様と何度顔を合わせたことか……。おかげで何となくこの子の性格も掴めてきた。
「まあ、国を守るのは貴族の役目です。私達も頑張りましょう」
「そうだね」
うーん、ともう一度背を伸ばす。
この子は、典型的な、それでいて若干生真面目すぎるきらいのある、精霊術士だ。精霊術を国のために使い、身を粉にして国のために働く、忠君愛国精神の塊みたいな子。
彼女にとっての精霊道は、おそらく郷土のために精霊術を用いるというもの。精霊術をどのような心構えで用いるか、と聞かれたらすぐに即答できるような、そんな精霊術士。
私も典型的な精霊術士なら何人も見てきたけど、ここまで忠君愛国精神を持っている人は初めてかもしれない。
「攻勢開始から一週間、補給線も散々に破壊したし、そろそろ向こうの息継ぎだって限界のはずだ。頑張ろう、海凪様」
「そうですね」
ドアを開ける音がする。
誰かな、と思ってみてみると、まあ案の定茉莉なわけで。
「海凪様、沙羅、おはよう」
「おはよう茉莉、状況は聞いてる?」
茉莉は一つ、こくりと頷く。
ついでにいうと、定期的にお風呂に入っていたりするので、髪の毛は綺麗だ。こんな激戦区で、と思うかもしれないが、精霊術士にとって健康維持は死活問題。ちょっとした風邪でも集中力は乱れるし、お風呂に入らずに感染症にでもかかろうものならそれこそ大問題。
一人ひとりの戦力価値が重い精霊術士というのも、中々大変なものなのだ。
「うん、でもその前にお風呂」
ということで、私達はお風呂に入る。
どこにお風呂があるかって?皆さん、野戦キッドの中に簡易湯船はあるんですよッ!キャンプ用のやつ、みたいなの、かな?
うーん、私、誰に向かって話してるんだ?今更ながら困惑してきたぞ? ひょっとしてハイテンションでおかしくなってるかも。あとで、あのひきこもり令嬢あたりに相談してみるか、一緒に実験したいし。
「? 沙羅、大丈夫?」
「うん、多分メイビーおそらく大丈夫、だと思う気持ちを大切にしたい」
「それって大丈夫なんですか、……?」
海凪様が呆れ半分で尋ねてくる。
多分メイビーおそらく大丈夫、だと思う気持ちを大切にしたいんだけど、やっぱり結構まずい?いやまあ、戦局に進展なさすぎて萎えそうではあるけど、それ以前に精神性ストレスが大きい。
「ああ、考えるのめんどくさ……」
頭をワシャワシャ掻いて、結局考えるのを諦めた。お風呂入ったら多分治るだろ、多分、うん大丈夫!
◇◇◇
ということで絶賛お風呂タイムなわけですが。
温かいとはいえ所詮は野戦風呂、というわけであまり浸かり心地はよくありません、そりゃそうだ。というか、野戦風呂が気持ちよかったら世間の銭湯儲からんわっ!
うーん……、やっぱりテンション狂ってる、本格的にやばいかも……。まあ、いざとなればあの引きこもり令嬢に何とかしてもらおう、よしお話終了ッ!
「ぷはぁ……」
そういえば、海凪様は髪の毛長いんだよなあ……。私の場合、ボブとショートの半ばくらいまで短めに切ってるし、髪を洗うのに苦労はしないんだけど、大変そうだなあ……。
「沙羅、お風呂気持ち良い?」
「まあ、屋敷の大浴場ほどじゃないけどね。お風呂ってだけで、ある程度気持ちは楽になるよ」
「昔から、沙羅、お風呂好きだね」
「そんなに昔っから、一緒にいたわけじゃないでしょ?」
「分かるものはわかる」
茉莉が湯船から上がる。
「あれ、時間ですか?」
一緒に湯船に浸かっていた海凪様がそう尋ねる。確かに、そろそろ時間だった。私も湯船から上がる。
「うーん、もう少し使っていたいんですけどね……」
「あれ、海凪様は結構お風呂好きなタイプ?」
「はい、心が浄化される気がします。ここ数日戦い漬けですしね」
まあ確かに。
とはいえ、時間は時間だ。お風呂から上がった海凪様と一緒に着替える。
貴族といえど、いつもドレスやらを着ているわけではない。あんな豪華なもので戦闘に出たらそれこそ即炎上だ、物理的な意味で。というわけで、耐熱性を併せ持つ上着を羽織り、外に出る。
「沙羅殿」
控えていたのは、西園寺公爵だった。
戦い慣れているはずの、東部戦線の雄ですら、疲れを隠しきれていない。
「状況は?」
「戦車型一個師団及び対空戦車型二個師団が接近。現在迎撃してはおりますが、これが中々手強くてですな」
「うーん……、やっぱりこうなるかあ……」
精霊術士の場合、数があまりにも少ないため、変則的な編成を取っている。
通常よりも遥かに少ない、四人を一個小隊とした編成。四個小隊が一個士隊、四個士隊が一個師団となる。
今回、東部戦線からやってきたのは約一個師団、つまりたったの六四人に過ぎない。
いくらローテーションで休息を取っているとはいえ、これではジリ貧だ。とはいえ、これでも東部戦線から引っ張ってこられるギリギリの戦力。
味方の機甲師団が頑張ってくれなければ、早晩力尽きる。
「概算で構わないんだけど、あと何日保つと思う?」
「ざっと、残り二日でしょうな。それまでに撤退しないようであれば、我々はここに散ることになるでしょう」
「うーん、あんまり精霊魔術は使いたくないんだよなあ……」
西園寺公爵家やその私兵には、もうバレてるから精霊魔術を見られたって構わないんだけど、味方もそこそこ前進している。もしかしたら、味方の師団とかに見られちゃうかもしれないんだよなあ……。
それだけは勘弁願いたい、師団全部に箝口令敷くとか、そういう次元の問題じゃなくなっちゃうから。ということで、私は精霊術しか使っていない。
「それで沙羅殿、如何なさいます?」
「これ以上戦ってもジリ貧だしね、そろそろ味方に合流する?」
「それも一つの案でしょうが、その場合は一度、全員集めてからのほうが宜しいでしょう」
「どちらにしても、取り敢えず、一旦全員集めよう。このままだとジリ貧だって、多分みんな分ってる。作戦を練り直すにしろ、ここから撤退するにしろ、一旦みんなを集めて話し合った方がいい」
「分かりました、では、一旦全員招集いたしましょう」
そういうと公爵は、電磁式〈トランスミット〉を発現する。参考までに、〈トランスミット〉は耳のあたりに独特な発光反応と点滅発光がある。見慣れてるし、見慣れてなくても、教えられたら誰でも分かる。
「今、全員の招集をかけました」
「感謝いたします、公爵」
「いえいえ、沙羅殿のお役に立てたようで何よりです」
◇◇◇
はいっ、ということで、今は公国歴463年、12月21日深更、まあつまり深夜の十二時でございますっ!いやあ、ホント敵減らないなあっ!
「〈ブレイズブレイド・第二段階〉ッ!」
敵を薙ぎ払う。
結局、あの後みんなと会議した結果ここに残ることになり、そこからさらに日が経過した。そして本日は攻勢開始から約八日、終わりなきこの絶望的な戦いにも、ようやく終わりが見えてきましたッ!敵の波状攻撃が遂に停止したという報告が、京香から齎されたのですッ!よし、これで勝てる!
「ところでリラ様、今どこへ向かわれているのですか?」
「今? 支配域だけど?」
ぽかん、という顔をする海凪様と、まあそうなりますよね、という呆れ半分の茉莉。うん、茉莉の方はそういう反応するってわかってたよっ!海凪様は、んまあ、そりゃそうなるか。
「多分だけど、この大攻勢、普通の攻撃じゃないってことは分かってるよね?」
「それは、まあ、なんとなく、ですが」
よし、その認識があるなら大丈夫。後は説明すれば納得してくれるはず。
「こんだけの大攻勢を仕掛けるためには、当然だけど指揮官となる何かが必要、だよね?」
「ですが、メビウスに指揮官型などというタイプはいないはずでは?」
「そう、それが一般認識だ」
近寄ってきた戦車型を電磁式〈コイルガン〉で吹き飛ばす。
爆発、擱座。茉莉が光学式で魔導核を破壊する。
「ところが、そうではないかもしれないっていう研究データが来ててね」
「……、どこからそんなデータが?」
「九条兼重子爵は知ってるよね?」
九条子爵家の先代当主で、現在は公国特種学府の長官をしている人だ。ついでにいうと、諏訪司公、んまあ貴族側の、諏訪代表みたいな立場にもある。
多分だけど、海凪様の母校、というか今の所属校もそこのはずだ。
「はあ、特種学府の長官ですが……」
「その人の娘さんから、ちょっと、ね」
「く、紅亜子爵令嬢ですか……?」
ああ、あの娘、有名人なんだ……。引きこもり令嬢だし、あんまり有名じゃないとばかり思ってたけど。
「有名人なの?」
「ええ、まあ……。恐ろしい人体実験をしているだとか、研究助手と一緒に夜通し笑いながら機械を弄ってるだとか、爆発に巻き込まれて危うく死にかけたとか、その、たいぶ、偏った噂を……」
やばい、ほぼ否定できない。
流石に人体実験はしてない、はずだけど、それ以外はほぼ事実なんだよなあ……。うーん、如何ともしがたい。
「それでまあ、紅亜から色々研究データをもらってね、その中に指揮官型のメビウスについての記載があったの。それに京香─大公殿下も、これについては事実の確認が必要だと仰せられてね」
「そ、それほど重要なことならば、せめて護衛の術士をつれてくるべきでは……?」
「それについては、その……」
「沙羅は、魔導核を独占したいだけ。指揮官型の魔導核なんて、これを逃したら手に入らない」
「茉莉ッ!それ言っちゃだめなやつッ!」
ほら、ものすごく冷たい目で見られてるじゃん!
海凪様、そんな目で見ないでぇ……、私だって、できることなら一個精霊術士隊くらいは護衛に欲しかったんだから……。
「いやっ!ほら!今、味方から戦力を引き抜いたら、せっかくいい感じで遮断できてる補給線が復活するかもしれないじゃん!だから引き抜けなかったの、分かってよッ!」
「「で、本心は?」」
「資源独占したいよねっ!」
はぁ、という全力のため息をつかれた。やめて、私馬鹿みたいじゃん!いやまあ、確かに馬鹿かもしれないけどさっ!
「もし海凪様が怖いって言うなら、私だけで行くよ?」
「いえ、特に怖いとは感じませんが……、リラ様、放っておくとどこかで死んでしまいそうですから」
「死なないよ、こんなことで」
なぜか海凪様に心配された。
放っておくとどこかで死んでしまいそう……、そう思われるほど弱いだろうか? うーん、可能性はありそう、私の場合、精霊術士としては失格だしなあ……。
「別に、精霊術士としては失格かもしれないけど、そこまで弱いわけじゃないし……」
「そういう事を言ってるんじゃないんですよ。だって、リラ様、いつも無茶してるじゃないですか」
「無茶はしてるかもね、でも無理はしてない」
「どっちも同じですよ……」
はあ、と二回目のため息をつかれた。
そんなに呆れられる要素あったかな……。だって、無茶は無茶、無理は無理。無茶はいくらでもしていいと思ってる。無理っていうのは、理に適ってない、つまりどうあがいたってできないこと。だから、無理をしたら後でそのしっぺ返しが来る。
ギリギリ無茶の範囲で、私としては止めているつもりだ。吐血? あれくらいは、私の場合は普通なんだよなあ……、どうしたら理解してくれるやら。
「にしても、本当に三人で支配域に侵入するつもりですか?」
「勝てそうになかったら引き返すよ、それで大公殿下に報告する。ほら、支配域なら精霊魔術使い放題だし?」
「あっち、ですか……?」
そういえば、海凪様はまだ、精霊魔術と精霊術の違いを完全には理解していないのか。
「後で教えてあげるよ、生き残れたら」
飛行術式を組み替える。
同時に、星箒の複合魔術核を再起動。組み替えた飛行術式を精霊魔術の方式に切り替えて、一気に加速する。
「ちょっと、リラ様ッ!」
「あはは、ごめんごめんッ!私が一目先に指揮官型を見ておきたくってねっ!」
「えぇ……」
絶対今、この人自由奔放だな、って思ったでしょ!
大正解!私は自由なのだっ!貴族なんて御免遊ばせ、私の本質は市民の皆さんとともにあるッ!
「茉莉、指揮官型見つけたんでしょ!」
「? 聞こえない」
ああ、茉莉は私の声が聞こえないらしい、なんでだろ?
……、って、よく考えたらそりゃそうだ。結構距離離れちゃってるし、風切る音で煩いわな、そりゃ。
「電磁式〈トランスミット〉」
一瞬の視界の白濁。
視界全部が完全に真っ白になるわけでもないから、まあぎりぎり大丈夫だけど。加速飛行中に視界が白濁するのは、あんまり望ましくはないんだよなあ。
紅亜が、何で白濁するかについての仮説を立ててたけど、それに従うと、どうにもならないっていう結論になる。ただ、納得行く仮説というわけでもないんだよなあ……。
とまあ、そんなことはどうでもよくて。
「光学式〈メビウスイグジスト〉」
茉莉の声を電磁式〈トランスミット〉を介して聞く。
「どうだった?」
「ここから北に十二キロ、異常に魔導核が集合してる区画がある」
「密度的にも、師団とかじゃないよね?」
「個体としては一つ、構造体型とも違う」
「じゃあ、紅亜の仮説通りだ」
〈トランスミット〉を切断。
高度を下げる。敵のレーダー型に引っかからないためなのだが、それに加えて敵の砲撃を避ける意図もある。
などと思っていると、〈トランスミット〉が繋ぎ直される。海凪からだ。
「どうかしたの、海凪様?」
「いえ、どこにいるのか見えないもので……」
「地表すれすれだしね、見えなくても当然だと思うよ。あと三十秒位で目標のところまでつくかな?」
眼の前に現れるのは戦車型。見た所、近衛部隊といったところか?メビウスの指揮官型にも、護衛部隊はいるんだなあ……、いや、重要な立場にある敵さんだろうし、当たり前といえば当たり前なんだけど。
「悪いけど邪魔だから、どいてもらうよっ!」
電磁式〈コイルガン・第二段階〉を撃ち込み、跡形もなく消し炭にする。その横を通り、一気に接近。いやあ、周りからすごい殺気を感じますなあっ! 相手は機械なのにどうしてだろう?
「邪魔ッ!」
電磁式〈ブレイズブレイド・第二段階〉で薙ぎ払う。
直掩部隊が慌てて攻撃を開始するが、その弾幕はかなり粗い。薙ぎ払うまでもないと判断、体をかがめ、速度を僅かに緩める。
敵弾は前方を通過、照準し直した第二波がこちらへと向かってくる。今度は急加速して回避、同時に速度を一気に落とし、その場で回頭。この動きについてこれない敵は、見事に狙いを外され、弾を無駄に捨てる。
その間に急加速して、敵部隊の懐へ。森を抜けるルート、木々が生い茂る森もどきを素早く抜ける。予想外のところから襲撃してきた、といった反応だ。慌てて砲塔を私に向けようとしてきて。
「無駄なんだよなぁ……」
電磁式〈コイルガン〉で破壊。
その場でターン、他の戦車型が放った弾幕を回避して、再び突貫。無茶苦茶な機動に、敵の砲塔は追いつけない。
「〈ブレイズブレイド〉ッ!」
高周波ブレードを延伸して、戦車型を砲塔から切り裂く。軽く振り回して、周囲の森ごと薙ぎ払う。うーん、自然破壊。環境保護論者に怒られそうだな生きてたらの話だけど。
「ほらほらほら、止めてみせなさいなッ!」
アドレナリンどばどばしてる気がする。
対空戦車型が、空間全部を塞ぐように弾幕を放つ。文字通り、辺り一帯を薙ぎ払うつもりなのだろうが。
「ほいっ!」
軽い言葉と裏腹、電磁式〈コイルガン・第二段階〉により放たれた銃弾と弾幕を構成する機関銃弾の一つが衝突、そのまま大規模な誘爆を起こし、思い爆音が響き渡る。全周弾幕に空いた僅かな隙間を潜り抜け、最後の直掩部隊、対空戦車型などを〈ブレイズブレイド〉で薙ぎ払う。
直掩部隊を抜けた先、見えたものは─。
「……、わぁお……」
巨大な陸上空母、だった。
陸上空母、と言っても、文字通りの空母ではない。
「おいおいおいおい、これは流石にやりすぎじゃないか?」
一瞬、頭がフリーズしてしまう。
飛行甲板が二つ、それを接合している中央部には大型の砲塔が一つ─おそらく254mm砲だ。それに加えて、飛行甲板の端には155mm両用砲が左右二基の計四基、対空機銃の数は……、数えたくないなあ。近くにはレーダー型が存在しているし、これは。
「……、っ、げっ!」
対空機銃がこちらに指向される。
慌てて重力式〈グラヴィティフィールド〉と電磁式〈エレクトロンフィールド〉を展開、直後に、避けようもない弾幕が襲いかかる。身を翻して逃走するが……。
「ちょいちょいちょいちょいっ! どう見たってやりすぎでしょ、これッ!」
両用砲の対空射撃。近接弾は全て近くで自爆、いわゆる近接信管だ。爆発によって生じた破片が、容赦なく〈エレクトロンフィールド〉の、そして〈グラヴィティフィールド〉の領域に食い込んでくる。大半は吹き飛ばされるが、全て避けきることはできない。
「っ……!」
細かい破片が肌に食い込む。
この分だと、大きい破片が侵入してくるのも時間の問題だ。
「やっ、ろうっ!」
リスクを承知で再び身を翻す。その場で転回、狙撃銃を向ける。
「〈コイルガン・第二段階〉、吹き飛べッ!」
砲塔に向けて、電磁加速された銃弾を撃ち込む。
着弾、一瞬遅れて電圧差が容赦なく砲塔を襲う。爆音が鳴り響き、爆炎に暫し敵の指揮官型─陸上空母の姿が隠される。その間も容赦なく砲撃は続く。弾幕を高加速で躱し、再び〈コイルガン・第二段階〉で射撃。対空砲塔─155mm両用砲をもう一箇所吹き飛ばす。
右舷側の対空砲塔はこれで潰した。右舷側へと回り込み、そのまま逃げようとする。
「っ!」
一瞬殺気を感じ、思わず高度を上げる。
しかし、避けきれない。右脚のふくらはぎに、火傷を負う。
「……、レーザー」
目を飛行甲板に遣る。小型の飛行ユニットが多数発艦していた。見た所小型の戦闘機といったところか?ただ、機関砲ではなく、代わりにレーザー発振機を積んでいるらしい。
「〈エレクトロンフィールド・第二段階〉」
〈エレクトロンフィールド〉を第二段階に移す。そろそろ空間演算を伴う防御術式を展開するのは限界だ。〈グラヴィティフィールド〉を薄くして、〈エレクトロンフィールド〉は後方へと集中的に展開。
多数の弾幕を弾いて見せる。ただ、このままいくと、先に私のほうが限界になる。何よりも、これをこのまま残しておくのは気に障る。
「っふぅ……」
呼吸を落ち着かせる。後ろで爆音が鳴り響く。
術式を再構築、複合魔術核を再起動、精霊魔術に切り替える。
「電磁式【イレクトリキペリオチ】」
電磁式〈エレクトロンフィールド〉の純粋強化版とも言える、全周防御型の空間干渉術式。もともとはギリシャ語において「電気領域」を意味する。
弾幕は完全に吹き飛ばされる。だがしかし、レーザーの脅威が消えたわけではない。視界が白濁するのも承知で、重力式【グラウィタスペリオチ】も発動、これでレーザーは重力に歪められる。
しかし、あまり長い間、精霊魔術を使うわけには行かない。副作用も心配だし、普通に滅茶苦茶疲れる。
「電磁式【ガンマレーザー】」
電磁式【ガンマレーザー】を撃ち込む。
視界が一気に白濁、代わりに極太のレーザー光線が放たれる。陸上空母の上部構造を吹き飛ばすが、それが限界だ。
体から不意に力が抜ける。
「……、まっず……」
精霊魔術の反動ではない、演算し過ぎのために激痛で頭がぐらつく。精霊魔術にしろ精霊術にしろ、空間演算を必須とするような広域干渉のものは凄まじい演算量を常に要求される。
無意識のうちに行われる演算だから気にしていなかったが、限界を越えていたらしい。電磁式【イレクトリキペリオチ】も重力式【グラウィタスペリオチ】も展開不能に陥る。飛行術式を展開しようとして失敗、精霊魔術でも制御不能。
「うっ……」
飛行術式を失い、私の体はただの箒と化した星箒とともに自由落下する。上昇途上だったのが幸いして、そうすぐには地面に落下しないだろうが。
頭がくらくらする、視界もぼやける。
辛うじて見えたのは、襲い来る弾幕。
「で……」
電磁式を発動しようとするが、やはり反応がない。
これは、完全に頭がダウンしてるなあ……。
無理やり笑う。
死ぬ時くらいは笑いたいと、そう決めていたから。
無情にも弾幕は迫ってくる。
保って後1秒といったところか。
目を瞑り、襲い来る衝撃に備えようとして─。
「リラ様ッ!」
誰かの声が聞こえた。
柔らかい何かが、私を抱き締めた。それがなにか分からないまま、私は気を失った。
◇◇◇
「ん……」
見えたのは白い天井、それにやや赤くなった陽の光が差し込む部屋。
体を起こそうとして、手のあたりに力が入らない。うーん、何があったっけ?確か、敵の指揮官型と遭遇して、それで死にかけて……。
えっと、気を失う直前に誰かの声を聞いて……。
「っ、うっわっ!」
慌てて起き上がる。
頭がフリーズして手が動かなかっただけらしい。というか、なんで私生きてるんだ?普通に、あっ、これ死んだなって思った気がするけど。
「うーん、見た所西園寺公爵家か……」
病室にいるらしい。
となると、誰かに助けてもらったということに─って、あっ!海凪様かっ!そういえば置いてけぼりにしちゃってたけど、追いついてきてくれたのか……。
「失礼します、お目覚めになられましたか?」
「おはよう海凪様、迷惑かけちゃってごめんね」
「いえ。ですが、あまり無茶はなさらないでくださいね」
怒られてしまった。
いやまあ、こればかりは私が悪い。思ったよりも疲労が蓄積してたらしいし、それを自己管理できなかった私の責任だ。
「にしても、どうして助けてくれたの?出会ってそんなに経ってないでしょ?」
「例えば眼の前に死にそうな人がいるとして、貴女は手を差し伸べませんか?」
「……、確かにね」
窓に映る夕焼けを見る。久しぶりに、ちゃんと風景を眺めた。ここ一週間はずっと戦いっぱなしだったし、こうやって少し落ち着くのも悪くはないかもしれない。
「それで、大攻勢は?」
「つい数時間前に、メビウス側が撤退に移りました。千曲川上流まで味方は押し返し、そこで戦線が停滞しています」
「なるほどね……」
ようやく、終わったらしい。
精神疲労が半端じゃなかった。最後の方の私のテンション、完全におかしくなってたし。
攻勢が終わったと聞いて胸を撫で下ろすと、全身から痛みを感じた。なんなら頭痛いし、全身怠い。倦怠感が抜けないし、熱でもあるのか頭がぷかぷかする。ああ、俗に言うあれか、栄養ドリンクの飲み過ぎか。
にしては内臓のあたりも痛い。高加速や急減速をしまくったからか、三半規管もおかしくなってる。
「リラ様っ!?」
座るのも辛くなって、ばたっとベッドに倒れ込んでしまう。
「ごめんね、海凪様。少し、疲れすぎたみたい」
「いえ……、本当に、無茶しすぎですよ」
うーん、と体を伸ばす。
大の字になって、ベッドに転がる。
「どうでもいい話をしていい?」
「どうぞ」
会った時から、薄々感じてたことだ。
「私達、どこかで会ったことある?」
「いえ、無いと思いますが……」
「なんだか、初めてあった気がしないんだよね、海凪様と」
「それは、なんとなく。私も、リラ様とはあまり初めてあった気がしません。もしかして、知らないだけで、どこかでお会いしたことがあるんでしょうか?」
私の記憶を探ってみるが、少なくとも私が記憶している範囲ではない。もしかしたら茉莉の方は覚えているかもしれないから、後で聞いておこうかな。なんか知ってそうな感じしたし。
「ねえ、海凪様」
「はい」
「海凪って、呼んでいい?」
「ふぇっ!?」
いきなりの申し出に、混乱している海凪様。
「あっ、勘違いしないでほしいんだけど、別に他意があるわけじゃないよ。ほら、この大攻勢の期間中、ずっと一緒にいたし、そろそろ呼び捨てでもいいかなって。嫌なら別にいいけど」
「嫌、というわけはないのですが……」
少し顔をうつむける海凪様。
ああ、これは、何か隠し事があるなと、人の心には疎い私でもわかってしまった。それには気付かないふりをして、私は言葉を紡ぐ。
「そっか。じゃあ、私はこれまで通り海凪様って呼ぶね。海凪様は、私のこと、リラって呼んでいいよ」
「すみません、気を遣わせてしまって」
「どっちかと言ったら、海凪様の方が私に気を遣わされてばっかだよ。全然構わないし、なんならもうちょっと、私にも気遣わせてよ」
「それはちょっと……」
ふうん、と言って、私は布団を被る。
「なんだか、ちょっと懐かしいなあ……」
「?」
「なんでもないよ、海凪様」
ちょっと、懐かしいなって、そう思ってしまった。
今となっては帰ってこない幸せだった頃の日常。その頃を思い起こして、私は、懐かしいなって、そう思ってしまった。多分、そう思う資格なんて持ち合わせていないだろうけど。
「ごめんね」
「? 大丈夫ですか?」
心配そうな顔で、海凪様が私のことを覗き見てくる。
「大丈夫、明日には治ってるだろうし。だから、今日はお休み、海凪様」
「はい、お休みなさい、リラ様」
目を瞑る。
海凪様が席を立つ音を聞いて、どこか淋しい気分になりながら、私は微睡みの中へと落ちていった。
これにて第0章は完結となります。
次から少し視点が変わるので注意してください。