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帰り道の誘惑 ~白い提灯のある駄菓子屋~  作者: ウチダ勝晃
第三章 消えた集団下校班
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その二

 そんなことのあって三日ほど経った頃、坂東医師は医院を閉めたその足で真樹の元を尋ねた。あの晩、慰められるばかりでついぞ詫びを入れるチャンスがなかったのを、坂東医師は非常に悔やんでいたのである。

 ――しばらく、真樹さんには頭が上がらないなぁ

 行きがけに買った贈答用のカステラを手に、坂東医師は髪を手で直しながら歩道を歩いていた。

 真昼の熱を孕んだ心地の良い夜風が、歩道を覆うアーケードの屋根下を、居酒屋の看板や提灯をなでながら吹き付ける。ビールの一杯も欲しくなるようなそんな心持ちで、そろそろ真珠堂が見えかかって来たその時だった。

「――おや?」

 いつもならば、とうに店じまいをしているはずの真珠堂の前が騒々しいのに気付き、坂東医師はロイド眼鏡をそっと直した。ただならぬ雰囲気に、坂東医師も思わず身構える。

「――あ、坂東先生! もうお聞きになったんですか」

「あれっ、君は……」

 背後からの声に振り向くと、そこには真珠堂のアルバイト学生・蛍が立っていた。見れば、少し歩いた先にあるスーパーの大きな買い物袋を二つ、両の手に提げている。

「いや、僕は未だ何も知らないんです。あんなに人が集まって、何かあったんですか」

 カステラと買い物袋を交換すると、坂東医師は蛍へ事情を尋ねた。すると、蛍の口から思いがけない言葉が飛び出してきた。

「それがおおごとなんですよ。集団下校の班が一つ、丸々失踪しちゃったとかで……」

「な、なんですって」

 小学校のですよね、という念入りな問いかけに、蛍はそうです、と首を縦に振る。坂東医師は額へ手をあて、何かあったな、と胸の中で呟いた。

「店長、坂東先生がいらっしゃいましたよ」

 法被姿の消防団員――とは、あとで真樹から聞いたのだが――とすれ違う形で店先へ向かうと、コードレスを持ったままの真樹が店の奥から姿を現した。

「やぁ先生、大変なことになりましたよ。事情は蛍ちゃんから聞いてますか」

「ええ、一応は。たまたま出てきたらこんな現場に鉢合わせるなんて……。それより真樹さん、状況を詳しく教えていただけますか」

 炊き出しの支度を始めた蛍の横で、真樹啓介は坂東医師へここまでのいきさつを話しはじめた。

 長い話をかいつまむと、ざっと次のような塩梅になる。

 三時間前、姫町も学区に該当するS小学校では、例によって買い食い防止を兼ねた集団下校の班が体育館からそれぞれの近所を目指して出発した。そして、最後から二番目に出発をしたのが姫町三丁目の第七班と呼ばれる一団だったのだが、その班が真珠堂より南にある小さな踏切を越したのを最後に、PTAや教師の視界から忽然と姿を消してしまったのである。

 もっとも、その踏切から次の確認地点まではそれなりに距離があったので、最初は単に、低学年の子供たちの歩幅に上級生が合わせているだけだろう、という見方だった。ところが、一時間が過ぎ、とうとう夕方の六時になったあたりで、保護者達は見方が暢気すぎたことを実感したのである――。

 もちろん、この間にも相当な人数の捜索隊が子供の寄りそうな場所や冷房の効いたデパートやコンビニなどへ向けられたのだが、十二人いる班員のうちの一人も見つからないうちにいよいよ日が傾きだした。

 そして、集団下校班失踪す、という連絡が瞬く間に保護者へ回ると、近隣の商店主や消防団、派出所にも捜索の協力が要請された。その補給地点として白羽の矢が立ったのが、姫町学区のちょうど中心部、市電や私鉄、JRにも通じる真珠堂だった、というわけなのであるが……。

「断らなかった僕も僕だが、いやはや、静寂なる夕暮れが見事に奪われましたね」

 話の途中から、高速炊飯で焚き上げたご飯でのおにぎりづくりに加わった真樹は、器用に梅おにぎりを量産する坂東医師へ疲れ果てた目を向けた。捜索から戻った消防団員が二人ばかり加わり、出来上がったおにぎりを詰めたタッパーを風呂敷へくるみあげて運んでゆく。聞けば、近場の碁会所が臨時の捜査本部となったらしい――。

「しかし、いったいその子たちはどこへ消えたんでしょうね。成長の度合いもまるで違う子供たちが一度に動こうとすると、案外統率を取るのは難しいものです。そうなると……」

「仰る通り、子供の足じゃそんな遠くへは行っていないはずなんです。ところが、交通局の係員も、越州鉄道の出札係も、JRでもこの数時間の間にそんな大勢の子供を見た覚えはないという始末なんです。まるで、ハーメルンの笛吹き男だ」

 手についた米粒をなめとる真樹へ、坂東医師は縁起でもない、と眉をひくつかせる。

「まぁしかし、そんな風に言いたくなる気持ちはわかります。でも……」

 蛍の用意したおしぼりで手を拭いながら、坂東医師はため息交じりに続ける。

「ほかならぬ我々自身が、一番そうした出来事と縁深い立ち位置にいますからね。今度の件もやはり、そういう類いのものの仕業なのでしょうか」

「そんな気がしますね。まぁ、しかし万が一ということもある。アホな子供がそろいもそろって水遊び、なんて顛末だったら洒落になりません。我々もひとっ走り行こうじゃありませんか」

 立ち上がって三和土の上の頬下駄へ裸足を通した真樹に、坂東医師はどこへ……? と尋ねる。

「奇妙なことと奇妙なことは、いつだって隣り合わせと相場が決まっています。――もしかすると先生、あの晩見かけた、駄菓子屋の幻が一枚かんでるかもしれませんよ」

 真樹が言い終わらぬうちに、坂東医師も慌てて革靴へ足を入れる。蛍を留守番に、二人は手を振りながら夜の傘岡の街へ身を投じたのだった。


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