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帰り道の誘惑 ~白い提灯のある駄菓子屋~  作者: ウチダ勝晃
第三章 消えた集団下校班
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その一 

 音更医師の働きかけは、ひとまず子供たちに小銭を持たせない、寄り道をさせないという形で結実した。その結果、夕方の学区に集団下校の一団が列をなすようになったのは、それからしばらくのことである。

「――今日はまた、音更御大のお手伝いですか」

「よくわかりましたね、その通りなんですよ」

 からりと晴れた木曜日の午後。手ぶらで真珠堂に現れた坂東医師へ、真樹啓介は丸めた週刊誌で肩を叩きながら奥へ手招きをした。

「同じ町内ってわけでもないのに、ことあるごとに呼びつけられましてね。おかげで看護師からも白い目で見られてるんです」

「それはまた……大変でしたねぇ」

 魔法瓶の栓を抜き、よく冷えた麦茶を二杯注ぎながら、疲れた顔の坂東医師へ真樹はねぎらいの言葉をかける。

「――で、いちおう効果の方は?」

「出てるのかどうか、それがわからないんですよ。あと一週間のうちに、同じ理由で受診する子供がいなければ効果あり、という結論になると思いますがね」

「ハハ、なるほど……」

 そう二人が話しているところへ、集団下校の一団がゆっくりと軒先に差し掛かった。子供特有の良く響く高い声で口々に、

「おかげで帰りにコンビニとかいけねえじゃん」

「ほんっと、やんなっちゃうよねぇ」

 という、偽らざる本音の漏れ聞こえてくるのを、坂東医師は苦い顔を浮かべながら眺めているのだった。

「まさかここに、それに加担した一人がいるとは思わないだろうなぁ」

「あまり気にしちゃいけませんよ。いずれカタがつけば、子供たちも元の通りに道草を食うようになるでしょうよ」

 くわえたままのキャメルへ真樹が火を差すと、坂東医師は紫がかった煙をそっと宙へ吹き上げるのだった。遠くでひぐらしがけだるく鳴き、早くも西の空が赤くなりつつある。本格的な夏の休暇の到来は、もうすぐそこではないか――。

「夏休みまでの辛抱と思えばさほど辛く無かろう、と思うのは僕ら大人のエゴなんでしょうかね。そういえば、子供の頃の一週間はすごく長かった」

 ロイド眼鏡を拭きながら、坂東医師は幼少期に思いをはせる。

「わかります。結局この手の禁止令っていうのは、うまく泳がせられない、大人の側の勝手みたいなところがありますからね」

「全くです。いやぁ、あちこち気を回すのはどうも性に合わない。疲れちゃいましたよ」

「ハハハ、そりゃそうでしょうね。よかったら医院までお送りしますよ。ちょっとばかり、野暮用を済ませてからの道のりになりますが……」

 真樹の申し出を受けると、坂東医師は吸いさしをもみ消し、軽く背伸びをしたのだった。


 市立二高の裏手にある、業務用の紙袋などを扱う問屋での買い物が済むと、坂東医師と真樹は段ボールを二人がかりでライトバンへ押し込んだ。もう少ししてから、という真樹の言葉がついつい出発を遅らせ、あたりの山々はすっかり茜色に染まっている。

「――弱りましたよ、北傘岡の踏切でダンプが立往生だそうです。たぶんどこもかしこも混んでますよ」

 手洗いにたっていた坂東医師は、運転席から顔を覗かせてカーラジオを聞く真樹におやおや、と言いながらハンカチをひっこめた。ラッシュアワーのさなか、六時半過ぎの事故は街の至る所へ波及するはずである――。

「急ぐ用事もないし、道はお任せしますよ。なんなら送りのお礼に、僕が夕食はごちそうしましょう」

「ありがとうございます。――じゃ、ひとまず朝日町のアンダーパスの方から行きましょうか。それがだめそうなら、まあその時考えることにしまして……」

 キーを回してエンジンをかけると、真樹は動くたびにガタガタと音を立てるライトバンを器用に翻し、元来た道をさかさまに走らせた。案の定、市立の大きな図書館を超えたあたりからブレーキランプが数珠つなぎになりだしている。この調子ではアンダーパスへ着くまでにガソリンが切れても不思議はなかった。

「――致し方ない、ダメ元だろうけれどうちの前を通りましょう。何もしないでアイドリングを続けるよりはまだましなはずです」

「お願いします。なんなら、真樹さんのお宅で何か出前を取るような形でもいいかもしれませんね」

「ハハ、そいつはいいや。じゃ、行きましょうか」

 ウィンカーをまたたかせ、器用に車列を抜けると、真樹のライトバンはちょうど線路と並行する形で、駅前ロータリーの方へ向けてガタガタと走り出した。

 奇妙なことの起きたのは、交差点を二、三超えて、踏切を渡ればもう真珠堂、というところへ差し掛かったころだった。不意に煙草が吸いたくなった坂東医師は、真樹に断りを入れて窓を下ろした。

 ワイシャツの胸ポケットから出したキャメルにライターを当て、夜風に任せて煙を吐きながら、坂東医師はぼんやりと車窓を見つめていた。と、

「――ま、真樹さん!」

「ど、どうしましたっ」

 急に肩を掴まれたので、真樹は驚いてブレーキを踏みこんだ。交差点を渡り切り、ちょうど路肩に近寄ったあたりだったために事なきを得たものの、坂東医師の危険な行為にはさすがの真樹もやや腹を立てているようだった。

「危ないじゃありませんか先生、もし場所が悪かったら――」

「申し訳ありません。実は今、窓の向こうに変なものを見たんです」

「変な物……?」

 いくらか顔色の悪い坂東医師の様子に、真樹の頭から怒りが引いてゆく。この年上の友人がただの一度でも、心無い冗談などで人を惑わしたことがあっただろうか――?

「坂東先生、いったい何をご覧になったんです」

「――駄菓子屋です。よく映画やドラマなんかに出てくるような、板ガラスの覆いが付いたお菓子の棚に、飴玉の入った大きなガラス壺の並んだ……。そうそう、大きな白い提灯がぶらさがってましたよ」

 そういいながら、坂東医師は問題の店を目撃したという一角へ指を向ける。しかし、馴染みのある交差点の対岸には、坂東医師のいうような店はもとより、大きな白い提灯など影も形も見当たらない。

「――音更先生に付き合い過ぎたんでしょうかね。とうとう、ありもしないものが見えるようになったなんて」

 火の消えたキャメルへ再びライターを当てると、坂東医師は肩をすくめて煙を吹いた。

「……まあ、こういう日もありますよ。今日は大いに飲みましょう、こんな時は、それが一番です」

 路肩のバンに乗ってスターターを回すと、真樹はステアリングに腕を乗せたまま、坂東医師の吸い終わるのを待った。どこか物憂げな曲がり具合の坂東医師の背中へ、真樹は複雑な視線を向けているのだった――。



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