その三
「へえ、そんなことがあったんですか。――しかし、買い食いのし過ぎで病院のお世話になるというのは、いかにも子供らしくていいや」
「もしかして、真樹さんにも身に覚えがあったりするんですか?」
坂東医師のいたずらっぽい微笑みに、真樹啓介は恥ずかしながら……と言って猪口の中身を飲み下した。診察室で朱鷺野看護師に話を振られた日の夕方、昼の熱気をうっすら孕んだ夕風とは無縁の、冷房の効いた駅前の個室居酒屋での一幕である。
「今もあるかはわかりませんが、昔駄菓子屋で売ってた、三回も噛めば味が飛んじゃうようなガムが大好きでしてね。アタリが出やすかったもんで、調子に乗って何個も噛んでたら下痢をしたことがありましたよ。――あれはガムの材料が原因で起こるらしいですね」
真樹の問いに、坂東医師は相手の猪口へ冷や酒を注してやりながら、
「うちにもよく、気晴らしにと噛み過ぎたお年寄りが、お腹が緩いと言って来ることがありますよ。――いやはや、こうやって話していると、僕自身の経験の薄さがバレてしまうなぁ」
「何言ってんです、駄菓子の食べ過ぎでお腹壊すのは僕みたいなアホな小学生だけで十分ですよ。そんな経験、あっても誇りようがないでしょ」
「そうかもしれませんけどね……」
どことなくもやもやとした調子のまま、坂東医師は冷や酒を口に含み、突き出しのイカの塩辛へ手を付けた。
「――しかし、その看護師さんの指摘もなかなか面白いなぁ。たしかに、姫町界隈で駄菓子屋なんて見た記憶がない。だいいち、そんなのが出来たらうちの甥っ子が黙ってないからなぁ」
「ああ、そういえば……」
たまに真珠堂で出くわす、真樹の姉の子供だという中学生の少年を坂東医師は脳裏に描いた。言葉は悪いが、ずいぶん食い意地のはった少年、という印象があったのだ。
「あいつの通ってる中学の方には、その辺の小学生なんかもたむろしてるお好み焼き屋兼用のとこがありますがね。姫町が学区になる小学校からはずいぶんと距離があるし、低学年の坊やの足ではちょっと厳しい気。だいいち、それなら舌は青のりとソースでべったりでしょう」
「全くその通りですね。何か食紅でもたっぷり塗ってあるような駄菓子でないと、あんな風にはならないですし……」
「――なんとなく、ひっかかるところはありますねぇ」
真樹がそのまま、神妙な面持ちで黙ってしまったので、坂東医師もつられて口をつぐんだ。夏に合わせて、入り口をすだれに替えた座席には、有線放送の陽気な音楽が飛び込んでくるばかりである。
「――ま、今はひとまず飲みましょう。実害もないんだし、しばらく様子見、ってのが賢明だと思いませんか?」
「全くです。遊びに出てるのに、こんなことで頭を使っちゃいもったない。今日も大いに飲みましょう……」
さほど減ってはいなかったものの、互いの盃へなみなみ注ぎあうと、二人は高々と持ち上げたのち、酒を勢いよく胃へ落とし込んだ。折よく、頼んだ刺身や焼き鳥の盛り合わせも届いたので、二人はこれを幸いと、酒やつまみの追加を命じた。客足も徐々に増えだし、店のなかは刻一刻とその賑わいを増しつつあった――。