その二
「……おや?」
恐る恐る二人が振り向くと、そこには色の白い、細面の杖をついた青年が、大勢の子供たちを従えて立っている。意表を突かれたせいか、真樹も坂東医師も、どうしてよいかわからず立ち尽くしている。
「――ラムネでも、飲んでいきませんか?」
白い半そでのワイシャツを着た青年が先手を打つと、真樹は肩を落として、そうしましょうか、と力なく返答した。最前まで大勢で遊んでいたらしく、ゴム動力のライトプレーンやベーゴマ、メンコやパチンコなどを持った子供たちが店の前に散ると、真樹啓介と坂東医師は青年の後ろへついて、薄暗い店の中へと足を踏み入れた。
そして、水を張ったたらいから総ガラスの瓶を三本引き揚げると、青年はビー玉を落としてからそれぞれの手元へ置いた。軒先で小ぶりの南部風鈴が風をうけてちりちりと響く。
「――あんたが今度の件の黒幕、ってわけかな」
おそるおそるラムネを含む真樹の問いに、青年はなんだかすいません、と頭を下げる。
「言い訳をするつもりはないけれど、僕から何か仕向けた、ってつもりはないんです。しいて言うなら……呼ばれた、って感じでしょうか」
青年が物憂げに視線を向けると、その先で最前の子供たち――行方不明になった姫町三丁目の第七班の面々が、ランドセルをほっぽり出して、熱心に遊んでいるのが真樹たちにはわかった。
「なるほどねえ。子供たちが心の奥底でこんな場所のあることを願ったんなら、君をとがめるのはお門違いだな。――しかし、親はずいぶん心配してるんだぜ」
いくらか態度を軟化させたものの、目に力を込めたままの真樹に、青年は深々頭を垂れる。
「親御さんあっての子供たち、子供たちあっての商売なのが駄菓子屋です。おみやをもたせて、すぐにでもお返ししましょう」
「いったい、どうするつもりです?」
杖を手に店の外へ出ようとする青年へ坂東医師が疑問を投げると、そばで様子を見ていた真樹啓介がなるほどね、と何かに気づいた表情をのぞかせた。
「行きと帰りは同じ方法、ってことか。おおかた、今まで買い食いしてた子たちも、同じ要領でここへきて、帰って来たんだろうなぁ。そういうことでしょう?」
「――鋭いお方だ、そのとおりですよ」
穏やかな笑顔を浮かべると、青年は杖を軸にくるりと身を翻し、
「みんな、注目!」
と、遊びに夢中な子供たちを呼びかけた。
「急な話だけれど、このお店は今日でおしまいにすることになったんだ。僕ももっと、君たちの遊んでいるところを見ていたかった。けれど、もうそれも出来やしない。お詫びに、ここにあるお菓子やおもちゃは好きなだけ持っておゆき――」
いにしえの政治家の名調子を聞いているような錯覚を覚えながら、真樹啓介と坂東医師は、青年の言葉をうなだれながら耳にしている子供たちのどこか寂しげな表情に悲しみを覚えた。やがて、堰を切ったように子供たちが菓子器やおもちゃの棚へ群がり出したので、真樹は普段、祭りの露店に古本を並べるときのように塩梅で彼らを整理誘導しはじめた。
「――よし、どうやらひとしきり行き渡ったらしいね。さ、みんな、このお兄さんたちについて、お家へお帰り」
人気のラーメン店の行列のような一団の先頭に立つと、真樹啓介は青年が口にくわえた、金属製のホイッスルへ目をくれた。
「用意周到だなぁ。――まさか、こんなにどっさり来るなんて、そっちも考えてなかったり?」
真樹がやや意地悪く笑うと、青年は杖に込めた力をふっと抜いて、
「――恥ずかしながらそういうことです。まあでも、子供たちは体感がいいですからね。じゃあ、練習ということで」
字で書けばちょうど、ピッピのピ、とでも言いたげな笛の音を合図に、背後で幾数本の片足立ちが響き渡る。遅れて大人の二人が同じ調子を取ると、子供たちから遠慮のない笑いが飛び出した。
「――まさか、この年になって体育の授業のまねごとをするとは思わなかったなぁ」
「坂東先生、ま、ひとつ帰るためだと思って……一時の恥、ですよ」
恥じ入りながらも何度か練習をし、うまく歩調が合い出すと、青年はそれじゃあ……と、どこか別れを惜しむような目線を真樹、そして子供たちへくれたのだった。
「それじゃあ、どうかお元気で。――みんな、元気でね!」
威勢のいい笛の音が響き渡ると、子供たちがさようなら、さようなら、と口々に別れの言葉を口にする。そして、足並みのそろった片足立ちとともに、真樹啓介と坂東医師は目の前が白く濁るのを覚えた。やがて、段々と意識の遠ざかってゆくのを感じながら、二人は天地の境のない、幽々たる深みへとその身を沈めていったのだった。