5章 第一次辺境紛争~8 産業革命の足音
長く空きました。申し訳なく。
もしかしたら週1くらいにペース落ちるかも知れません。
第5章が終わったら、いったんまとめの回を書きたいと思います。
8 産業革命の足音
●S-1:男爵領・ガイウス工房中庭
「……なんだあ。ありゃあ?」
シュラハトが驚くのも無理はなかった。
中庭に作られた台座の上に鎮座していたのは、巨大な鉄の樽だったからだ。
ざっと直径3mほどもある、長さ8mくらいの巨大な鉄製の樽が横倒しになって……いるようにしか見えなかった。
「新しい酒樽か何かかよ」
シュラハトが近づくと鉄樽には細長いパイプの煙突が刺さっている。
近づくだけでもかなりの熱量があるらしく暑苦しく、煙突からはもうもうと白煙を上げている。
何かを燃やしているのは確実だ。
そして水蒸気。
鉄樽には直径60cm程度のパイプが左右に取り付けられているが。そこから時折まっ白い水蒸気を噴き出すのだ。
周囲には漏れ出した水蒸気が溢れ、ぴゅうぴゅうと笛のような甲高い音を立てた。
「あー。なにこれー?蒸気機関車ー?」
後ろで沙那がやはり驚いたような声を上げていた。
「ボクも大井川鉄道で乗ったことあるよー」
子供の頃の家族旅行の思い出である。
線路の両脇に並んだ桜がアーチを作る中で、長閑な山村を突っ切っていくのだ。
あれは小学生の時だったろうか。
「もしかして鉄道を敷くのー?」
「さにゃちゃん知ってるのお?鉄道ってなあに?」
マリエッラも興味津々だ。
この1年とちょっとの間に不思議なものが幾つも現れた。
異世界召喚者たちの入れ知恵の賜物である。
石鹸に始まり、他の大陸の作物も入ってきたし、何より独自通貨の発行がここに来て勢いを増していた。
次は何をやらかしてくれるか?でワクワクしているのだ。
「あー。うん。なんていうのかなー。馬なしで走る馬車……とはちょっと違うかな?」
「馬なしだあ!?」
「魔法なのお?」
「違う違う……って違わないかなー?えーっと……馬よりも凄い力が出せて……」
沙那はしどろもどろだ。
上手く説明する言葉が浮かばない。
「……馬や牛の代わりに馬車を引っ張ることができるとでも言えば宜しいのデスヨ」
皆のやり取りを面白そうな顔で見ていたパーチスだった。
彼はこのガイウスの工房に頻繁に顔を出す。
「これくらいの大きさで馬が何十頭分の力を出せるのデスヨ」
「構造はなかなか複雑ですが実用な技術は揃っておりますカラナ。高温高圧に耐えうる蒸機釜が大変そうかと思いまシタが……何とかなるものなんデスナア」
機械部分はそう難しくはない。
高温高圧の蒸気で縦の往復運動を行う円筒からの出力を回転軸に変換すれば良いだけなのだ。
すでにこの世界には車輪があり、風車や水車が存在した。
往復運動を連結棒で繋いで、車輪を回転させれば良い。
「スピードはさほどではありまセンガ。今、この男爵領は産業革命を迎えようとしているんデスヨ」
「産業革命!そっかー。蒸気機関とかだねー!」
「む?」
パーチスは小首を傾げた。
「沙那さんは蒸気機関などの技術革新のことを言ってるのでしたら、10点満点中3点くらいの解答デスナ」
「にゃー?違うのー?」
「産業革命は一度に色んな革命的な出来事が重なったことを言うのでありマスヨ。技術革新もおまけで付いてきましたが」
「むー?」
今度は沙那が唸る番だった。
産業革命といえば=蒸気機関なのが彼女たちのイメージだった。
「細かいところを端折りますトネ。最初に莫大なお金ができたことから始まるのデス。まあ、大航海時代で彼方此方から収奪してきた結果なんデスが……そこで問題デス」
パーチスは人差し指を立てた。
「世界中からお宝財宝を盗んできて急にお金持ちになったら、あなたならどーシマス?」
「美味しいものを食べるー!」
「そうでスネ。他には?」
「んー。おしゃれする!服とか色々ー」
「他にワ?」
「家を買うー!車を買うー!とか?」
「そうデスそうデス。贅沢したくなりまスネ?」
パーチスはしゃがんで地面に絵を描く。
「お金もちになった沙那サンは、マリさんのお店でいっぱい買い物をしマス。すると……どうなるデショウネ?」
「マリちゃんもお金が儲かるー!」
「そうデスそうデス。すると……マリさんは儲けたお金を持って、シュラさんちでエチチ本を買いマス」
「何でエッチな本なのお?」
変な振り方をされたマリエラが睨む。
「嫌ですネエ。例え話デス」
地面に描いた絵に矢印を引く。
「するとやはり儲かったシュラさんが別な買い物をするデスヨ」
「……あー。巡り巡ってみんなお金持ちになるっていうことー?」
「それでやっと5点デス」
「きびしー!」
「そういう経済活動が積み重なって好景気と言いマスカ、バブルになるんでスナ」
こんもりと山になったお金の袋を描く。
「するとですね……もっと儲けたくなって投資を始めマス。貯金や国債の方が確実ではありマスガネエ」
そして工場の様な何かを描く。
「お金がいっぱいあるほど普段は見向きもされないモノにさえ投資する者が増えマス」
「それが蒸気機関ー?」
「も、その一つでスナ」
パーチスは笑った。
出来の悪い生徒がなんとか答えに辿り着くのを見届けたのだ。
「ここの蒸気機関も最初は金属精錬に使う燃料用の石炭を掘るときに湧きだす地下水を排水するための動力としてデシタ。それと金属加工用の鍛造機の動力もでしタガ」
鍛造機械は手作業でハンマーを打ち付ける手間を省いて生産効率の上昇のためでもある。
また強度の必要な部分を鍛造したり、薄い金属板を作るためにも必要だった。
「ところが、そうすると必要な石炭の量が増えましてネエ。運搬用に高出力の何かが必要になったというわけでスヨ」
「あ~~」
「これで電気が実用できれば夢が広がるのでスガ……そのためにも前提となる工作機械が必要なのデス」
実の所、現状では水車による動力だけでもなんとかならないわけではない。
水車が移動できないことだけが問題だった。
「水道や紡績、製粉などはまだ良いのでスガ、鉱山の排水などは分解・移動・設置が可能な石炭動力が便利なのデスナ」
「へー。そうなんだー」
「いえ。それよりも。沙那さんがそのあたりを考えて始めたんじゃないのデスカ?」
「へ?」
沙那が困惑した。
シュラハトとマリエッラの視線が沙那に刺さる。
「どーいうことー?」
沙那は腕を組んで考えた。
何かしたっけ?
「投資を呼び込む最初の資金のことデスヨ?」
「石鹸とか?交易で稼いだことかしらあ?」
「半分だけ〇です」
マリエッラの質問にパーチスは小さく頷く。
「あのお金は一過性のものデス。それではなく、経済が古代や中世などと近代が大きく違う点デス」
シュラハトが顎に手を当てて 左手で何かを取り出した。
小銭である。
より正確にはアレキサンダー男爵領内で流通させつつある専用貨幣である。
貴金属を節約するために陶器で作られたコインを魔法の形質維持によって壊れ難くし、さらに秘法印を重ね掛けすることで魔法による証明印を刻んであった。
容易に複製させないためだ。
秘法印はクローリー個人を証明する魔法であるから識別しやすい上に偽造が困難なのだ。
そもそもそこまで魔法を駆使するのは割に合わない。
魔法に必要な構成要素を考えると赤字になるだろう。
「こいつにそれほど意味があるようには……」
「大ありデス。ビッグアントでスヨ」
パーチスは沙那にしか通じない日本語ジョークを飛ばした。
彼の出自を物語っているのかもしれない。
「自国で通貨の発行権を持つのは大事なことデス。いつでもお金を作り出せることに意味があるのデス」
「んー?」
沙那が眉を顰めた。
「でも、お金をばんばん作ってばら撒くとインフレになるんじゃないのー?」
貧しい国が通貨を量産してインフレーションを起こし、財政破綻することは歴史上にも枚挙に暇がない。
通貨に信用がなくなるからである。
「そうデス。でも、それを逆手に取った国の例があるのデスヨ」
「んーん-?」
沙那は知恵熱を出しそうだった。
「……おかしいでスネ。そのために沙那さんはクローリーさんに公債の発行を提案したのデハ……?」
今度はパーチスの方が困惑していた。
「あれは増税しないで国の収入を増やすには?っていうからー……ボクの国では国家収入のうち税金が占める割合は半分くらいだよーって話をしただけだよー」
「近代の資本主義国家はそういうものデスヨ」
「あ。もしかしてえ……」
マリエッラがおずおずと小さく手を挙げた。
「公債を買うにはこの……男爵貨幣じゃないと受け付けなくてえ、満期の支払いがやっぱり男爵貨幣でのみ支払われるからあ……?」
「よくできマシタ!」
パーチスの目が優等生の解答に我が意を得たりと喜ぶ教員の様だった。
「二重〇を差し上げマスヨ!」
「……どういうこった?俺にはさっぱり意味が分からねえが……」
シュラハトが苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
それも仕方がないことだ。
帝国の……というよりも中世的な経済感覚しかなければ理解できない話をパーチスはしているのだ。
逆に資本家なら気が付かないといけない話でもある。
「公債でどれほど借金を抱えていても、支払いが男爵貨幣である以上は……いざとなったら貨幣を量産してなかったことにできるという意味でもアリマス」
「へ……?」
「そんなことしたら信頼が無くなって破綻しちゃうよー?」
「そうデスヨ」
パーチスは笑った。
「だからそんなことはいないのデス。デスが、信頼さえ維持できれば無限に借金を続けられるのデスヨ!」
「汚ったねえ!?そんなこと許されンのかよ!」
シュラハトも少し理解した。
彼も下級の騎士とはいえ領主でもあったからだ。
領地経営を考える機会があれば理解しやすい。
逆に被支配層である市民では全く理解できない可能性も高い。
「貨幣の発行権を笠に着て、完済する当てのない借金を遥か未来に先送りするって意味だろう?それ?」
「オオ!シュラハトさんも脳筋なだけではなかったのデスネ!」
「ンだとぉ!?」
そうなのだ。
パーチスの説明はそういう意味だったのだ。
貨幣への信頼という担保さえあれば借金返済を何十年か何百年かあるいは千年先か……に先送りしながら公債という借金で収入を増やし、返済は赤字の公債収入で支払うという意味だ。
利回りの分が未来へと大きな借金となって雪だるま式に増えるのである。
ほぼ完済する意志の欠片も見えない詐欺の様な錬金術だった。
「沙那さんはこういう形の国を良くご存じなのではありまセンカ?」
パーチスが悪戯っぽく笑う。
「……日本だ。ボクのいた国だよー」
「正解デス」
購入と支払いがともに日本円に限定されて他国からの介入がされにくい上に、沙那のいた時代にはもはや完済は絶望的な巨大な借金になっているのだった。
しかし、日本円の信頼の高さ故に破綻することが無い。
数百年先は判らないが。
日本というゾンビのような国は実質的にお金を無限に生み出せるのだ。
その為に沙那の生きていた時代には『今のうちに増税でなんとかしなくては』理論を振りかざす政治家などがたくさんいたが、そもそもその程度では返せない。
「公債の利回りよりも大きく成長と収入が見込めれば全く問題は起きまセン。過去にはイギリスしかり、アメリカしかり、日本しかり……」
「成長……経済が発展し続ければ借金は借金じゃないってことか……」
「去年発行した男爵領の公債は1年債で2%という途方もなく高利回りな利率でシタ。そして実際にその利率で支払いが行われまシタ」
パーチスはどこか嬉しそうだった。
「どんな商売でも年に2%も成長させたり利益を上げるのは大変なことデス。もっとも利息分は石鹸や香水類の利益で賄われましタガ」
「……言わなくてもその先は俺にでも判るぞ。つまりだ。このたった1年で公債の美味しさを知った商人たちが男爵公債の購入に殺到したってことだろ?」
「エクセレント!」
パーチスは驚きを持って微笑んだ。
彼からすれば経済的には原始人に等しいシュラハトたちが理解しつつあることに。
「それで一度軌道に乗せちまえば……無限借金詐欺の完成ってことだな。随分とズル賢いこと考えるぜ」
「ですから。それに気付けるのは沙那さんくらいと思ったんですがネエ。まさかクローリーさんが理解しているとなると……」
パーチスは高揚していた。
何か大きな世の流れの中に自分が存在しているという充実感だった。
人には誰しも少なからず承認欲求がある。
彼はこの時、イストの使い捨てのスパイという立場を放り投げて決別し、この流れに乗りたいと思った。
「凄い。凄いでスヨ。クローリーさんは帝国の中に男爵領という名目の独立した経済国家を作ろうとしているのかもしれマセン」
「まさかあ」
「ただのえっちな……あ、ぺんぎん作ってくれたことは感謝してるー」
「きゅー」
沙那がぺんぎんを一体抱き上げた。
「きゅーきゅー」
他のぺんぎんたちがズルいとばかりに抗議の声を上げていた。
「クローリーさんはワタシが考えていた以上に頭の良い人なんですネエ」
「きゅっきゅきゅー」
「頭の切れるカタだ」
●S-2:同時刻、男爵領・男爵邸
「べーっくしょいっ!」
クローリーは鼻を啜った。
「ダイナマイトバディの美女がオレの噂でもしてるっスかね」
その頃の当のクローリーにそこまでの野心はなかった。
伝え聞くエルフの国のような豊かな領地を作りたいと考えていることは間違いなかったが。
当面の課題であった貨幣の流通と公債の発行と販売も順調に進みつつあった。
公債は最初に必ず利息がついて返ってくることを印象付けるために気を遣ったものの、当初は信用を得られずに中々売れなかった。
それが一旦、確実に儲かる投資と判るや、順調に販売できた。
納税は男爵貨幣、石鹸や砂糖や香水などは専売で市価より安いが男爵貨幣でしか購入できない。
そこに公債も男爵貨幣となれば、男爵貨幣の流通は止まらない。
必ず利益を保証してくれるお金だからだ。
更に帝国世界の金本位制に合わせて金と引き換え章であることの保証し、コントロールしやすいように固定相場ながらも世界共通貨幣とされているドカル金貨との交換も可能だ。
一度信用を取り付けると男爵貨幣は男爵領内では一気に広まった。
もちろんパーチスの語った目的もないわけではない。
だが、クローリーの最大の目的は貨幣経済の浸透と物価の安定だった。
「さにゃの作ったぺんぎん風船がみんな壊れて落ちたっていわれても……あれは玩具みたいなもんスからねえ」
わりとどうでも良い報告に見えた。
ぺんぎんをぶら下げて浮かべたりしていたようだったが、特に何か役に立つようにも見えなかった。
浮かぶのは浮かぶのだが、ぺんぎんがじたばた動くたびにバランスを崩した。
あれでは人乗せるのは無理だろう。
「それとももっと大きく作れば大丈夫なんスかねえ」
まさかそれが蛮族の攻撃によって落ちたとは想像もしていなかった。




