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5章 第一次辺境紛争~2 進軍と行き違い

2 進撃と行き違い


 猪人族(オーク)の進軍はクローリーの予想よりもだいぶ遅かった。

 1日あたり10km前後だった。

 これはかなり意図的なものだ。

 猪人族(オーク)の族長はかなり慎重に行動していた。

 

 それは今回の挙兵の理由になった情報が人族からもたらされたことを知っていたからだ。

 条件は悪くない。

 なにより呼応して人族の別の勢力も攻め込むというのだ。

 族長はそこを疑っていた。

 人族同士の抗争に見せて自分たちを挟撃するつもりではないかと。

 ありうる話だった。

 元々人族とは不倶戴天の敵同士なのだ。

 交流がまったくないわけではないが友好的であるはずもない。


 そこで族長は進軍速度を抑え気味にして様子を見つつ、もう一手を打っていた。

 隷属している小鬼族(ゴブリン)を別途動員したのだ。

 その数はなんと500。

 一部は先行して強行偵察しつつ、本隊は後詰として離れた位置に追尾させていた。

 行軍速度を落としているのは小鬼族(ゴブリン)猪人族(オーク)主力から1日以内の範囲に置くためであった。

 何かあれば急進して主力と合流できるようにである。


 猪人族(オーク)は動物的に暴れるだけの野蛮な生物ではない。

 人族に近い知能も持ち合わせている。

 そうでなければ人族の帝国が蛮族と血を血で洗うような戦いにはなっていない。

 帝国が蛮族を殲滅しきれなかったのは蛮族が愚鈍な生物ばかりではないからだった。

 上位種族にもなれば人族よりも知能は優れているくらいである。

 

 むしろ、人族の方が蛮族よりよほど好戦的なくらいである。

 実力優先の厳格な身分制度がある蛮族世界の方が社会は安定していた。

 ただ、猪人族(オーク)のような下層に近い種族は食料を求めて帝国の領域に出没することもある。

 そこは帝国の諸侯と同じで、食料を奪うために紛争を起こすのだ。

 食料不足に陥っていなければ火中に栗を拾うような、人族領域への進軍などしない。

 

 族長は雄叫びを上げて軍勢の停止を指示した。

 川沿いの開けた場所に出たからだった。

 食料も重要だが水はもっと大事である。

 大量に運搬するには水は重過ぎるため、兵士各員に持たせた以外は頻繁に補給した方が良い。

 食料とて大目に持たせるとそのまま逃亡する兵士が出るのは確実なので、あまり持たせるわけにもいかない。

 ただ、長期戦を考慮した補給部隊を編成していないので、身軽ではある。

 それに程よく飢えさせた方が戦いの時に、略奪の時に、士気が上がると考えられていた。


 族長は戦士長を通じて報告を受けた。

 1日ほどの距離を置いて付かず離れずの人族の軍勢を発見したのだ。

 これは漁夫の利を狙っているバラント男爵ルネ・ディ・リューの率いる200の兵だった。

 猪人族(オーク)たちの様子を監視し続ける斥候を出しているようだ。

 それを小鬼族(ゴブリン)の偵察隊が発見していた。


 胡散臭い。

 族長はそう考えていた。

 場合によっては小鬼族(ゴブリン)と呼応して奇襲・挟撃するのも悪くない。

 後顧の憂いをなくすために今すぐにでも行っても良いかもしれない。

 族長は顎髭を扱き、考えた。

 

 人族同士での諍いがある可能性は否定できない。

 ディ・リューの兵を先に相手にぶつけることはできないだろうか?

 もしもこちらの上前を撥ねようと企んでいるならば、そのように罠にかけるのも良いかもしれない。

 それにはこちらの軍勢よりも先に歩かせるべきだ。

 族長は逡巡し、戦士長を呼んだ。

 


    *    *    *


 バラント男爵ルネ・ディ・リューはご機嫌だった。

 イストの計略を看破した上で、蛮族を出し抜き略奪物を総取りすることを考えただけでも笑みがこぼれる。

「自分が賢いと思い込んでる脳内軍師を出し抜くのは愉快なものだ」


 この頃のイストの欠点は、自分に都合の良い展開が起きることが前提の計画を建てているところであった。 

 計算上こう動く『はず』という思い込みは、自分の頭脳に自信のある……それを過信をというが……人物にはとても多い。

 こうなる『はず』だから、こう動く『はず』、だからこうなる『はず』といった論理だ。

 そこには計算外の動きは想定されていない。

 耳障りの良い、緻密で華麗な計画が天才軍師の姿……の『はず』というのはただの願望でしかない。

 自分に酔った策士は肝心なところで失敗しやすい。

 ルネのような食わせ者の存在は常に不安要素になるのだ。


「さてさてアレキサンダー男爵殿はどう出るかな」

 自分がキャスティングボードを握っている感覚にルネは身震いしそうだった。


「兵がかなり少ないはずですから領内で砦や城に篭って迎え撃つのではないでしょうか」

 騎士アルマスは常識的な意見を出した。


 彼我の戦力比が5:1(ルシエの存在は知られていない)もあるので野戦は絶望というより不可能だ。

 戦列を維持することもできずに包囲されてしまう。

 少なくとも戦の常識ではそうだった。

 籠城戦になれば3倍の相手とも互角に戦えるというが、5:1では勝負にならない。

 攻城戦は守備側の4倍以上の兵で一気に行うのが常道だった。

 援軍を期待して城に篭る以外に何ができるだろう。

 

「城が取り囲まれている間に領内は蛮族に荒らされて焼野原……だな」

 ルネは笑いが止まらない。

 蛮族の仕業にしつつ、頂くのは自分たちのつもりなのだ。

「ああ……哀れ、アレキサンダー男爵とその民たちよ」



 ルネは油断していた。

 主導権は自分にあるという思いがそうさせているのだ。

「さっさと戦闘始めるように蛮族どもの尻を蹴っ飛ばしたいくらいだ」

 まさか自分たちの位置が蛮族に察知されているとは考えてもいなかったのだ。



    *    *    *



「ここも空振りか。クローリーさんの予想ではこの辺りのはずだったけど」

 ルシエは肩透かしを食らった気になっていた。

 推測されていた野営地になりそうな場所には何もなかったのだ。

 焚火の痕跡などがあれば良かったのだが。


 スカーレット号はヴィスラ川を遡っていた。

 ヴィスラ川はアレキサンダー男爵領で最も大きな川で森を抜けて蛮族領域まで伸びた先に水源がある。

 大きいといっても深さはあまりない。

 本来は外洋船であるスカーレット号のように喫水の深い船には不向きであった。

 スカーレット号の喫水は通常5mほどなため、川の中央付近のごく狭い部分しか通過することは叶わない。

 そこを巧みな操船で切り抜けてきたのだった。


「確かにクローリー殿の進軍予想では、この辺りが野営地になりそうでござるが……」

 賢者(セージ)が間に合わせの地図から目を上げた。

 辺りを見回すが何もいない、ように見えた。

 クローリーが予想した野営の候補地は、川沿いで纏まった人数が休息できる開けた場所だった。

「野営の痕すらないでござるな」

  

「クローリーさんは空振りになるかもしれないって言ったしね。引き返そうか」

 残念だが仕方ない。

 ルシエはそう判断した。


「いや。待つでござるよ」

 賢者(セージ)に付き物のいつもの鼻息が無い。

 自分に関わることでないときは意外や普通になるのはオタの特徴だった。

「逆の可能性もあるでござる。つまり……クローリー殿の予想よりも敵の動きが遅かった可能性でござるよ」

 賢者(セージ)は開けた場所を指さす。

「大規模に限らず全く野営の跡がないのでござるよ。途中の地点もそうで御座った」

 額に指をあてて考える。

「この世界でも必ずそうとは言い切れないでござるが、水の補給や食事や休憩を全くとらないことはありえないんでござるよ」

 賢者(セージ)はパーチスのように歴史や戦史マニアではない。

 しかし、軍事マニアではあった。

「軍事的な常識では、よほど士気が高くなければ夜間行軍や強行軍はできないでござる。拙者のいた世界のSAS(イギリス陸軍特殊部隊)やグリーンベレー(アメリカ陸軍特殊部隊)でもなければ道なき森の中を突破するなど不可能。よほど少数のグループならいざ知らず、まとまった数の軍勢では無理なのでござるよ」

 賢者(セージ)は地図の川の上流を指先でとんとんと叩く。


「つまり、ここまでまだ到達していない可能性が高いとみるでござる。ならば……」

 指先をどんどん地図の上流へと滑らせていく。

「より遡ってみて敵に遭えずとも、野営の痕跡を探るでござるよ」

「深入りは危険なのではないか?」

 ルシエは慎重だ。

 海原を渡るのは度胸だけでは生きていけない。

「拙者たちに必要なのは偵察であり情報でござろう」

「どういうこと?」

「クローリー殿の予想と敵の位置がだいぶ違っていたということは、拙者たちには情報が足りなかったということでござる。そのままで動くのは危険でござる」

 賢者(セージ)は立てかけてある火のついていない火縄銃を見る。

「川を上って、野営地の跡を幾つか発見できれば……敵の行軍速度が判るのでござるよ」

「あ……」

「距離の感覚が分かれば、1日の速度が逆算出来るでござる。なれば、連絡を飛ばして事前に想定される野営地で待ち伏せも可能になるでござるよ」

 ルシエはハッとして賢者(セージ)の顔を見た。

 あまり頭が良くないと思っていたがそうではなかったことに気が付いたのだ。

 実のところ賢者(セージ)は三国志をはじめとする読み漁った戦記物の受け売りでしかない。

 とはいえ、その中には確かに先人の知恵が含まれているのも事実だ。

 問題はそれをうまく応用できるかどうかの違いだった。


「こちらの想定と違うというのは情報が足りないからでござる。だから拙者たちは必要なら偵察も行うべきでござろう」

「……たしかに私たちは蛮族が接近という情報以外は全て推測でしか判断していない」

「情報戦に勝利するものが戦闘も勝利するのでござるよ」

「分かった。賢者(セージ)さん。行ってみよう」

 役に立たないはずのエルフ……どこかに小さな知恵があるものだ。

 クローリーはこういうところを見通していたのだろう。

 と、ルシエが感心した。

 もっともそれは買い被りであり、クローリーは生活向上しか考えていなかったのだった。



    *    *    *



 族長の元に戦士長が走り寄ってきた。

 表情で分かるくらい朗報を持ってきたようだった。

「最先頭の小鬼族(ゴブリン)の斥候が敵を発見しました。数は2~30。全員騎乗している模様。5日後に到着予定の辺りです」

「向こうの斥候だな」

 族長はそう判断した。

 騎乗しているのはすぐに報告に行けるようにするためなのだろう。 

 すると人族は推定100程度しかいないはずの兵のうち4分の1程度を斥候に出したと判断できる。

「愚かな。少ない兵力をさらに分けるなど」

「各個撃破の絶好の機会です」

「それもある」

 族長は高揚していた。

「もっと面白いことが起こせるぞ」

 族長は大きく手を2回振った。


前進(フォーラ)前進(フォーラ)!」


 太鼓が打ち鳴らされ、リズムを刻む。

 今までより少し速い。

 足を速めて大きく前進せよとの合図だった。





 遠くに太鼓の音が聞こえる。

 軍楽の音色だ。

 鼓笛隊などの軍楽隊は飾りではない。


 士気高揚の意味もあるのだが本来は軍隊が行進するためのものだ。

 行進曲とはそのためのもので、楽器の音に合わせて歩くリズムを調整するものだった。

 それにより行軍速度は決まり、計算しやすくなる。

 歴史の中にはこの行進曲のリズムを速めることで行軍速度を敵の1.5倍や2倍に高めた将軍などもいるのだ。


 同時に、軍勢が進んでいることが丸分かりになるわけだが、親衛隊などの精鋭部隊に特別な曲を与えることで敵を恐怖に陥れることもできた。

 戦闘中に精鋭部隊の行進曲を聞けば総攻撃が始まったことが判り、味方は士気が上がり、敵を混乱させることもある。

 心理効果は大きいため、隠すことは稀である。


猪人族(オーク)どもの主力が動いたか」

 ルネが嬉しそうに呟く。

「こちらも行軍速度を上げて追尾せよ」


 バラント男爵軍は逆に行進曲を鳴らさない。

 猪人族(オーク)に気付かれたくないせいだった。

 そしてそれでも行軍を可能にしているのがバラント男爵軍は全員が職業軍人だった。

 騎士とその従者および常備の戦士たちなのだ。

 士気が高いからこそ可能なことだった。

 鎧の音は仕方ないにしても、音楽を鳴らさないことで行動が特定されにくい。

 ルネは自分に運が向いてきていることを感じていた。



「うっわー。どきどきするー」

 聞こえてくる太鼓の音に馬上の沙那が緊張した面持ちでいた。

 馬上といっても沙那はまだ馬に満足に乗れないので、馬車の上だ。

 足元には思い思いの武器を構えたぺんぎんたちがいる。

 馬車といっても郵便馬車を転用したものだった。

 あちこちに防御装甲として申し訳程度に木の板が張り付けてある。


「あんまり連れて行きたくはなかったんスがねー」

 クローリーが馬を寄せた。

 できれば沙那やマリエッラを戦場に連れ行きたくはなかった。

 しかし特別扱いのエルフを男爵領の危機に後生大事に屋敷に匿っては領民が納得しない。

 良い待遇を得ている者は先頭に立たねばならないというのは一般的な帝国民の感情だった。

 ならば自分の目の届く範囲において、なおかつこの戦争で先陣切って活躍したと示す必要があった。

「(負けそうなときは……なんとか上手く逃がそう)」

 とも考えてはいたが。


 そのあたり、マリエッラは理解していた。

 沙那にはいつまでも守ってもらうだけのお姫様でいてもらいたくはなかった。

 それにピンクブロンドの髪の毛に限らずめっぽう目立つ沙那には、人々の旗頭になるような存在になって欲しかった。

 彼女の隠し持った細やかな野望のためにも。

 それにマリエッラは沙那を信じていた。

 海賊退治の時にも先頭切って火炎壷を投げ込んだりしていたのだ。

 今度もそうあって欲しい。


 そして幸か不幸か、クローリー隊は他の隊よりもずっと前に突出してしまっていたのだった。

 偵察に出た兵士が戻ってくる。

「どーだったっスか?」

「は。猪人族(オーク)の軍勢が行軍速度を上げて……森の中に入って行きました」

 困惑した表情だ。

「へ?軍勢を森の中へ?……常識破りも甚だしいっスな」

 道なき森の中に入れば隊列を維持することはほとんど不可能だ。

 続いて別の兵士が報告にくる。

猪人族(オーク)の軍勢は森の中で2手に分かれた模様です。数は……わかりません」

「なんなんスか……そりゃ」  

 

 敵の行動が読めない。

 クローリーとて軍事の専門家ではないが、領主の後継者であるからそれなりの軍事知識はある。

 ただ、その常識に照らして辻褄が合わない。

 自分は根本的に何か間違っていたのだろうか?

 不安と嫌な予想ばかりが湧き上がってくる。

 

 クローリーは沙那を見た。

 最悪の場合、せめてこの娘だけは逃がさないとと考えた。

 それを見透かしたのかどうか、沙那がにこっと微笑んで近寄ってきた。

「クロちゃん、らしくないぞー?難しい顔しちゃってー」


「あー。ちょっと考え事してたっス」  

「いつもみたいにだらっと弛んだ顔してなよー。あーそれかーすけべそうなーこーおいう顔―」

 沙那が変顎を作ってみせた。

「うひ。……オレはいつもそんな顔してるんスか?」

「……むしろー。もっといやらしー変質者な感じー」 

「ひっでー……」

 クローリーは苦笑した。


「どーお?元気出たー?」

「まー。少しは」

「よーし。ならおっけい!」 

 沙那がにぱあっと笑った。


「(そっか。この娘は人を楽しい気分にさせてるんスなー)」

 

 その2人の様子を見ていたマリエッラは小さくガッツポーズした。

「我が計成れり!」

 彼女は人の幸せを見るのが大好きだった。

 あとはこの戦争を乗り切ることだけである。



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