4章 富国弱兵~15 野心と思惑
15 野心と思惑
エムレイン伯爵家イストは少年時代から聡明として知られていた。
様々な教養の他に魔術の基礎まで習得することに時間はかからず、将来を嘱望されていた。
ただ、惜しむらくは……彼は次男だった。
貴族の、それも帝国貴族の家庭では長男とそれ以外の差は歴然としている。
家督の奪い合いなどが起きないように長男がすべてに優先され、それ以外は従属するように徹底的に教育されるのだった。
余程のことが無ければ才能の差も人格もあまり考慮されない。
内輪揉めで家全体が没落する方が余程大問題なのだ。
それはエムレイン家も変わるところはない。
イストがどれだけ優秀さをアピールしようとも大きく何かが変わることはなかった。
むしろ魔術の才能があるというので王都の魔術学院への入学が認められたが、屋敷から体よく追い払われたも同然だった。
それでもイストは腐ったりはしていなかった。
貴族社会では良くあることなので気にもしていなかったのだ。
むしろ魔術の才能を伸ばす機会を与えられたことに喜びまで感じていた。
魔術学院は学校というよりも研究施設の意味合いが強い施設だ。
そのため、系統立ったカリキュラムを消化していく課程を踏むよりも自主的な研鑽を優先していた。
それがイストには好都合だった。
大規模な儀式魔法や新しい魔法術式の開発したいという野望を羽ばたかせるに十分な環境だった。
その中で彼が最初に目を付けたのは大きな注目を浴びていた『大規模召喚儀式魔術』であった。
『大規模召喚儀式魔術』とは、まさに異世界からの召喚儀式のことである。
当時すでに帝国内では異世界召喚者の持つ大魔法や卓越した戦闘力は、その存在感を発揮してきていた。
持たざる者は持つ者に一方的に蹂躙されることもあり、この戦略兵器の入手に各領主たちは躍起になっていたのだ。
ただ、この魔術の欠点はランダム要素が大きすぎて、有力な異世界召喚者の登場確率が恐ろしく低かった。
この制度をより向上させることで、帝国中枢にすら取り入ることが出来るかもしれなかった。
彼は研究に耽溺した。
そんな中に現れたのがクローリーだった。
同じく魔術師として身を立てようと入学してきた……はずだった。
しかし、どこか飄々としていて不真面目にすら見えた。
平気で街に遊びに出たり、木陰で居眠りしたり、およそ野心とは無縁そうな男だった。
成績もあまり良くはない。
放校処分にならないギリギリくらいだった。
ただ、不思議と人望はあった。
なにより、導師たちからの評価も悪くないのは気に入らなかった。
クローリーが行っている研究は画期的なものではない。
主に既存の魔法……それも着火や光源の魔法を低コストでかつ複雑な呪文詠唱などを使わずに発現させようとするものばかりだった。
目新しいものも無ければ、革新的なものも見当たらない。
それなのに、導師たちは強く興味を示していた。
イストが最も信奉していた導師もいたく感心していた。
気に入らない。
どう考えてもイストが研究している大魔法には見劣りする……はずだ。
クローリーの研究がそれほど役に立つものなのだろうか。
納得がいかなかった。
だから、ある時にクローリーに直接訊いてみた。
「そりゃ、ふつーの市民の生活が楽になるかもしれねーって思ってっスなー」
普通の?市民?
魔術師が何故そんなことを考えなければならないのだろう?
「毎日毎日、火を起こしたり……夕方や夜に火も油も使わない灯りがあったらすっげー便利じゃねーっスか?」
「何故に庶民の生活を心配しなくてはいけないのでしょう。それは彼らが生まれ持って与えられた性分であり義務でしょう」
イストは反感を覚えた。
それは人の上に立つ者がいちいち考える必要のないものだ。
イストの考え方は帝国貴族ではごく当たり前のものだった。
人は生まれた環境によって違うのだ。
魔術学院に庶民はいない。
何れも何らかの社会的な地位を持つ家庭の出身者ばかりだった。
庶民のことを考慮する必要ない者たちばかりである。
税を貢ぎ、労働力を奉仕し、支配されるための庶民たちに何を考える必要があるのだろう。
僅かな施しを与えるだけで十分なのだ。
支配層と被支配層は隔絶している。
クローリーは変わり者だった。
それは様々な偶然から賢者と出会ったからだった。
剣も魔法も使えない異世界の典型的な庶民。
その彼が話す異世界の様子は驚くべきものだった。
それはまるで天界か伝説の理想郷のような夢のような世界だった。
賢者は間違いなく庶民だった。
それが例え法螺話をしていたとしても、庶民が思いつけるようなものではない不思議がたくさんあった。
単に異世界だから、では説明がつかない。
庶民ですらそんな不思議を思いつける世界?
否。違う。
すべてが真実とは言えなくても半分は本当のことなのだろう。
すると……庶民ですら便利な生活ができる環境は、そんな夢のような世界を実現できる原動力なのかもしれない。
中流市民が恐ろしく豊かな社会がそれを達成しているのではないか?
そう考えたときからクローリーは動き出した。
異世界の便利魔法を再現していくことに。
異世界召喚者を軍事力としてしか捉えていない帝国世界において、稀有な考えだった。
そのためにクローリーは『無能』『役立たず』とされた捨てられたエルフ……異世界召喚者を集めることを始めたのだった。
もっとも……召喚儀式に無縁だったクローリーがその機会に遭えることは稀であったが。
「気に入らない」
導師たちの評価を得られる劣等生クローリーの身辺を調査すればするほど嫌悪感が募った。
下級とはいえ貴族の長男。
そのまま支配層として約束された身分だった。
それなのにクローリーに変化はない。
むしろ庶民へ迎合する姿勢を強めていくように見えた。
あまつさえ馬車による郵便事業まで始めていた。
意味がある様には見えない。
『車輪屋』などと揶揄されても全く動じていなかった。
訳の分からない男。
それがイストがクローリーに感じた印象の全てだった。
なにより。
そのクローリーの研究が評価されるのは我慢できなかった。
自分の研究の方が圧倒的に優れているという想いが、イストの薄黒い感情を掻き立てていた。
ライバル視というよりは、嫉妬と憎しみの感情だった。
イストの全ての野心の原点は、クローリーへの憎悪だったのかもしれない。
* * *
最初はイストがエムレイン家の長男であり兄であるアーレンへの対抗意識はほとんど存在しなかった。
それが変化してきたのは、魔術学院に所属してからだった。
クローリーの存在が彼を変えたのだった。
自分より劣った能力と自分より劣った研究が不思議と評価されていることが気に入らなった。
ふつふつと湧き起こった感情は次第に大きくなっていく。
アーレンは特別聡明ではなかった。
しかし愚鈍ではない。
アーレンは逞しく健康な肉体を持ち、剣の腕前も中々だった。
だが特別優秀だったというわけではない。
人並み以上に何でも熟せるが、卓越した才能を見せることもなかった。
それはどこか、クローリーに似ていた。
イストが兄への反感と野心を抱いたのも元はといえばクローリーの存在のためだったかもしれない。
逆恨みである。
平凡なものが評価され、優秀なものが評価されないことに対する怒りだった。
ただ一つ。
イストは勘違いをしていた。
クローリーは特別評価されていたのではなく、その研究内容が『興味深い』と導師の多くに受け取られただけであって決して高い評価をされていたわけではなかったのだ。
ある意味自分たちを脅かす研究ではないことへの安心感からかもしれない。
むしろ驚異的な生徒の登場を警戒する導師は、クローリーのような研究を生徒に勧めただけだった。
それがイストには評価が大きいように感じられたのだった。
人の真意は感情や意識では判り難いものなのだ。
とにかくも、イストは自分の評価を上げるために野心を芽生えさせてしまった。
策略によって兄を廃し家督を奪うこと、魔術学院での評価を上げること。
彼の最初のターゲットはもちろんクローリーと兄であるアーレンだった。
その思いが策謀となって動き出す。
最初の目標はクローリー……アレキサンダー男爵領の滅亡だった。
「いよいよ動き出しますよ。世の中が」
帝国世界は確実に戦乱の時代へと突入していく。
* * *
「ついに動きましたか。しかし蛮族どもを良く動かせたものですね」
リシャルは読みかけの本を閉じて立ち上がった。
「とはいえ……僕にまで反乱を呼びかけてくるとは」
薄く笑って、小さな紙を火にかけた。
「少々焦りすぎと思いますね」
燃やした小さな紙に書かれていたのは、アレキサンダー領へ蛮族が侵入するときに合わせてリシャルに反旗を翻すように求めたものだった。
「如何いたしますか?」
メイドのリエラが決断を伺う。
彼女は単なるメイドではなくリシャルの腹心である
「如何といわれても……何もする気はありませんよ」
リシャルは今にも吹き出しそうだった。
反乱は常に最高の効果を得るタイミングを計るべきだった。
確かに戦闘中に行えばクローリーは対応する余裕はなく成功しやすいだろう。
しかし、反乱の結果リシャルが手にするものは?
小さな地方領主であるアレキサンダー男爵の地位だけで、残るのは蛮族たちとの戦闘で荒れた領地だけだ。
彼にとっては危険に見合う利益が少ない。
愚鈍な者なら後先考えずに行動するかもしれないが、リシャルはそうではない。
「謀反は最大の利益が手に入る宛がある時にするものであって、考えなしに行うものではありませんよ」
その言葉にリエラも頷く。
「どうもイストさんは他人を全員馬鹿だと思っているようですね」
「では……」
「ええ。せっかく攻撃してくることを事前に教えてくれたのですから、迎え撃つ準備をさせていただきましょう」
「兵力が足りないとは思いますが?」
リエラの言葉に頷かざるを得ないリシャルが、視線を泳がせた。
「そうですね。気は進みませんがカストリア子爵に援軍をお願いすることになるかもしれませんね。いや……それよりも」
忘れていたとばかりにリエラの目を見る。
「兄上に至急連絡を」
「あ……」
「このくらいは何とか切り抜けてくれることでしょう」




