4章 富国弱兵~6 男爵様のお見合い大作戦!(後編)
6 男爵様のお見合い大作戦!(後編)
その時、ざわついていた大広間は一瞬にして沈黙が落ちた。
晩餐会のホストであるはずのクローリーが、主要な来賓であるアリシアを他所に、別な少女を公衆の面前で押し倒したのだから。
しかも少々……破廉恥な行為に及んで。
この状況に、各自様々な思惑が飛び交った。
あるものは焦り。
あるものは怒り。
あるものは失笑。
なんてこった。
慌てて起き上がりかけ、そして一瞬躊躇してからクローリーは沙那を抱き起こした。
「あ……ま……偶然っス。事故っスよ、事故」
笑って誤魔化そうとした。
もちろん選択としては最悪だ。
沙那の右腕が大きく上がった。
くる!
クローリーは覚悟した。
これはグーパンがくる!
怒りと羞恥で真っ赤になった沙那が涙目で睨みつけてきた。
沙那が大きく振りかぶった瞬間……。
クローリーを突き飛ばすように走り出した。
全力疾走だった。
そのまま料理が満載になったワゴンに激突して転倒。
頭から料理のソースを被ったまま、立ち上がってまた走り出す。
その後ろ姿をぺんぎんたちが大慌てで追いかける。
「……なんなんスか」
呆然と沙那の後ろ姿を見つめるクローリーだったが、場の空気はとても微妙なものになっていた。
来客は少ないものの、傍から見ればホストである当主が酔っぱらって女性を押し倒したようなものだ。
しかもお見合いを兼ねている席でのことだ。
大問題である。
この状況の中で最も困惑していたのは当然だがクローリーであったろう。
アリシアと結婚する気はあまりない。
流れの上で受け入れざるを得ない状況になったら受けるのもしかたない。
という程度であった。
そもそもクローリーの思惑は、適度に緩い友好関係を結んで鉱物資源の取引を確保しようというものだった。
外交としては極めて甘い。
一方に都合の良い友誼は滅多に成り立たない。
アレキサンダー男爵家に何かもの凄い力があるとかでもない限りは。
ほとんど年頭の挨拶くらいしか行き来の無い相手との交渉事なのだから、お互い利益のあるWin・Winの関係でなくては成り立つはずもない。
この頃のクローリーは外交交渉には全くの無能だったといえた。
人類の歴史上、外交の失敗の多くは自分に都合の良い解釈や、相手にほとんど利益を与えない勝手な交渉が原因だ。
クローリーはまさにやらかす寸前だったと言えなくもない。
「計算違い」
という立場だったのはリシャルであった。
野心家とみられることもある彼だったが、だからこそ貧しいままのアレキサンダー領を手に入れたいとは考えてもいなかった。
様々な手を打ち、地盤を堅固にして、領内を活性化あるいは安定化させることが最大の関心事だったのだ。
政略結婚はその中でも最も楽で確実な手段だ。
封建世界では小競り合いや政治闘争よりも、確実かつ敵を作りにくい政略結婚は優れた外交手段だった。
どちらも損をしない状態が作りやすい。
好色爺が政治権力で無理やり美少女を手に入れるのが政略結婚と勘違いする向きもあるが、それほど政治感覚のないバカでは貴族社会では生き残れない。
そんなことは力尽くでやれば良く、貴重な婚姻枠は封建世界を上手く泳ぎ渡るために効率よく使うのが常識だ。
公的に側室が認められる立場ならまだしも、宗教的に一夫一婦制が事実上強制される帝国社会では熟考しなければならない。
半ば公然と愛妾が存在したとしても。
見ていた人数はそう多くはないとはいえ、今のハプニングは少なくない人たちの目の前で発生した。
何より最悪なのはお見合い相手であるアリシアと数歩しか離れていない至近距離だったことだ。
アリシアがその程度のことを全く気にしないような大人物だったら……などと期待するようなことでは上手くいく見込みもない。
なにより困るのは今回の縁談が破談になることではない。
人前で巨乳美少女を押し倒すオカシイ当主という噂が広まる方が困るのだ。
政略結婚で最も重要なのは家柄だけではない。
スキャンダルや暗い噂とは無縁のきれいな身辺が大事なのである。
事前の身辺調査でおかしな話が出てくることは、交渉では大きく不利になる。
外交手腕が云々以前の問題なのだ。
リシャルは正直、頭を抱えたくなった。
男爵兄弟と違って、状況を楽しんでいる者もいた。
アリシアだった。
クローリーの垂れ目には少しばかりがっかりしたが、それ以外は平凡な男性にしか見えていなかった。
調査でも弟のリシャルの方が優秀であり、なにより噂に違わぬ美少年だったのだから乗り換えたいくらいだった。
それでも封建世界に生まれた令嬢であるから過剰な執着はしていない。
夫になる相手は当たり障りのない男なら、それでも十分なのである。
どうしても気に入らなければ愛人を作れば良いだけだ。
割とどうでも良い。
「垂れ目は遺伝するのよね」
などと、どうでも良いことを考える程度だ。
アリシアが楽しんでいたのはそこではない。
この状況をどう取り繕うのか、アレキサンダー家の対応が見たかったのだ。
狼狽えて、屁理屈を並べる言い訳をするのか。
それとも予想外のプランBを見せてくれるのか。
アリシアは見た目こそ清純可憐で世間知らずな深窓の令嬢なのだが、頭の中はそうではなかった。
危機的状況をどう乗り越える人物なのかがとても気になっていた。
どうせなら立ち回りも上手い、将来有望そうな人物に興味があった。
この帝国の海を巧みに泳ぎつつ、上昇志向のありそうな……そういう男性を求めていた。
女の身であることが口惜しいと思ったこともある。
それでも天から与えられたもので何とか勝負したいとも考えていた。
自分が今手にしている武器で何かを成してみたかった。
そのアリシアの視点でのクローリーは今のところ、落第点だった。
少なくとも封建領主としては話にならない。
魔術師や冒険者としての生活が長すぎたのだろう。
「女性の扱いが成ってませんわ」
手で隠した口元が笑っていた。
どう見ても男性としての魅力に欠ける、
アリシアは危機的状況で見せる姿が男の価値と思っていた。
言い訳も下手だし、自信もなさそうに見えた。
その時点でアリシアの獲物はリシャルに切り替わったといって良い。
さて、弟君は執事としてどう纏めるのか。
新たな目標に興味が向いていた。
* * *
沙那は混乱しながら廊下をひた走っていた。
自分で仕掛けたハプニングが自分に起きてしまったからだろうか?
否、そうではなかった。
「夢の中で男の人とキスしちゃうなんて……」
彼女は精神分析ができるわけではないので、夢占い的に考えると……。
「ボクって、よっきゅーふまんだったのかなー……」
ちょっとえっちな夢を見てしまうのは、潜在的にそういう願望があるもの!
……という気がしていた。
しかも彼方此方ぶつかったり、転んだり、ひっくり返ししながら走ってきた。
気が付くと制服にべったりと料理のソースや飲み物などで汚れていた。
ここのところ金回りが良くなってるとはいえ、高価な材料が必要らしい魔法で洗濯を頼むのも気が引ける。
「制服はあまり着ない方が良いかなー……」
ともかくも頭から色々被ってしまっているので、洗って着替えることが先決だった。
「イズミちゃん、お湯よろしくねー」
離れたお湯用泉で楽しそうにお湯を流しているであろう、泉の精霊の顔を思い浮かべる。
今ではあちこちの浴場へとお湯を供給しつつ、時折、人混みの中に混じってくる変わり種の精霊だ。
人が集まるのを眺めることが好きという不思議な性格故に沙那についてきたのだ。
男爵邸の浴場にも当たり前のようにイズミが作り出したお湯が満ちているはずだった。
晩餐会をブッチしてしまったが、ともかくもゆったりお湯に入って落ち着こう。
沙那は絵のついた木の札で男女に分けられた浴室へ飛び込んだ。
それに僅かに遅れて、ぺんぎんたちも追ってきた。
彼ら親衛ぺんぎん隊は、沙那様の傍から離れてはいけないのだ!
常にお傍に!
お風呂も一緒、寝るのも一緒!
沙那にとってぺんぎんたちはペットやぬいぐるみみたいなものなのだ。
* * *
「面白いことになっちゃったわねえ」
状況を笑っていたのはアリシアだけではなかった。
マリエッラもくすくす笑いが止まらない。
「どこがだよ」
シュラハトは腕を組んで難しい顔をしていた。
視線の先では事態を収拾しようとテキパキと指示を出しているリシャルがいた。
「あっちは大変そうだぜ」
「そうねえ」
マリエッラは胸が大きく開いたドレスだ。
胸が開いていると女性用のドレスは貧相に見えてしまうので、華美なくらい大きめのネックレスを付けている。
首や胸元は服装によっては過剰なほど華やかな装飾が似合うのである。
「頭の良い、特に自分でも自覚のある人間たちが予想を外してしまったときの姿がねえ」
頭脳明晰な者ほど、自分の判断や予測に自信を持っているものだ。
それが外れたときに論理の再構築をする様子のことを言っていた。
もちろんリシャルのことでもあるし、クローリーのことでもある。
「何でも頭が良い人の思う通りに進むわけじゃないっていうのよお。ねえ?」
数歩離れたところに立つ太った男にも視線を送る。
「ラッキースケベはお約束でござる。ムホゥ」
賢者が目を細めて笑っていた。
彼の場合は漫画的な常道の展開が楽しいのだ。
優れた軍師や参謀が正確無比な予測や計略を成功させる……というのはそれほど多くはない。
想定外の何かがブチ壊してしまうのは良くあることだ。
それにも対応できるのが伝説の軍師なのだが……。
沙那のようなぶっ飛び過ぎの要素を考慮できる天才もいないだろう。
地震や雷みたいなものだ。
常に天才を惑わせるものは、まさに天然だった。
* * *
「ふむ?」
ヒンカは首を傾げた。
この世界の建物も水回りは集中的に固まって配置されている。
彼女は手を洗いにたまたま浴室の前を通った。
そこで一瞬悩んだのは浴室の札だった。
帝国内では文字の読み書きができる人間は全人口の1割くらいである。
そのために文字だけでは通じないことも多いので、ピクトグラムのような絵を一緒に付けてあるのが普通だった。
沙那や賢者たちはごく普通の光景なので気にもしないが、ヒンカには少し懐かしい思いなのだ。
ヒンカの祖国は時代的なこともあって文字の読み書きが徹底されていなかった。
そのためにピクトグラムを貼るのは常識だった。
徴兵制度があった頃には、文字の読めない兵士用の絵が軍事施設のあちこちにあった。
イベントで乗艦した空母の中にたくさんのピクトグラムがあって、驚いたこともある。
沙那たちの時代だと逆に国際化の影響で外国からの来客のためにふんだんに使ってあるのだが、ヒンカの時代はそれより少し……結構前の時代なのだ。
アレキサンダー邸で使われているピクトグラムはヒンカの知るものとはだいぶ形状が違っていたが、分かりやすいように上手く作られていた。
青い色付きでそれとわかるような『男湯』と赤い『女湯』が、絵と一緒に文字でも描かれていた。
ただ、札が逆に下がっているように思ったのだ。
清掃や入れ替えなどのために、状況に合わせて動かせるようにしてある。
「今日は逆のはずなのじゃ」
浴室自体が新しい設備で、使用人たちも慣れていない。
そういうミスはしばしばあるものなのだ。
ヒンカは背伸びして、なんとか札を差し替えた。
「こう……なのじゃ」
事故が起こる前に処理できたことに満足そうに胸を張った。
もし、彼女にもう少し観察力があったのなら……。
ソースを踏んだペンギンの足跡を見つけられたかもしれない。




