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3章 世界へようこそ~14 ヒンカ 2

14 ヒンカ 2


 アダマストール号が出港して数日が経っていた。

 船酔いでぐったりしたまま、いつの間にか眠り込んでいたらしい。

 クローリーはふわふわする感覚を不思議に思いながら体を起こそうとした。

 目の前に何かあった。

 何か山のようなものが日差しを遮って日陰になっていた。

 頭を動かそうとするとふわふわと柔らかい。

「あ。起きた。……だいじょーぶー?」

 心配そうな沙那の顔がアップで覗き込んでいる。

 いつもこのようにしおらしければ良いのにと思った。


 霞がかかったように不活性な脳で視線だけを動かす。

 クローリーはアダマストール号の甲板の上で横になり、沙那に膝枕をされていた。

「するとこの山は……」

 前の前にある二つの山は沙那の豊かな胸であった。

 いやらしい気持ちよりも母性のような優しさを感じる。 

「す、すまんスな……」

 ゆっくりを体を起こそうとする。


「まだ寝てて良いよー?」

 沙那が絞ったタオルをクローリーの額に置いた。

 いつもは石鹸を投げつけられたり、グーパンしてくる少女とは思えない姿だ。

 本来は優しい子なのだろう。

「あんまり冷たくはないかもしれないけど、冷やしたレモン水もあるよー?」

 出航前に積み込んだ新鮮な水とレモン……のような柑橘類がある。

 それを後日に何かに使えるようにと購入したガラス瓶に入れ、布を巻いて水に浸して気化熱で冷やしたものだ。

 そのまま日陰に放置するよりは冷たくなっているはずだ。

 沙那は透明なグラスに注いて渡す。

 ガラスの容器は視覚的に清涼感を与えるためだ。


「起きたかい。エロ男」

 クローリーが目覚めたことに気付いたヒンカがクローリーの足を爪先で軽く蹴っ飛ばした。

「ひでー。オレは色男かもしれないスけど、エロではないっス」

 クローリーはグラスを受け取り一口飲んだ。

 十分に冷えた水とレモンの香りが心地よい。

 酸味が欲しかったというよりもすっきりした気分になりたと思っていたから丁度良い。

「女の子の膝枕で、おっぱい見詰めてウヒーって顔してるやつはエロで十分じゃ」

「風評被害っス……」

 船の揺れに弱いクローリーは元気がない。


「あ。そーだ。クロちゃん。これー。酔い止め……になるかもしれないお薬ー」

 小さな竹の水筒を差し出した。

 竹自体も帝国では見かけない植物なのだが、筒状になっているので特に違和感はない。

 沙那にいたっては竹は身近なものであるからどうとも感じない。

「ほー……これは何スか?」

「吐き気とかに効く薬をお茶にしたものじゃ。その方が飲みやすかろう」

 ヒンカが解説する。

「もっとも元々は下痢止めとか悪い水を抜く薬なのじゃ」

「……だいじょぶなヤツっスよな?」

「毒ではないので安心するのじゃ」

 ふひひひひ。と笑うヒンカの顔は悪戯を企む子供のようだった。

 そもそもヒンカの容姿は沙那と大差ない年頃の少女だったが。


「いちおう……飲んではみるっスが」

 竹筒を受け取って口をつける。

「まじいー……。なんスかこれ……」

 如何にも漢方薬という香りと味だ。

 子供なら吐き出しそうな不味さである。

「ま。でも、薬って感じするっスから。効いたような気にはなるっスなー」

 クローリーが飲んだ五苓散は典型的な酔い止めだ。

 乗り物酔いに効くかはともかく、気分は少し楽になるだろう。

「ばーちゃんの知恵ってやつっスかね。……そういやー、あんたは婆さんって聞いていたんスよなー」


「ああ。それは……元は確かに婆さ……ダイナマイトバディの美女だったのじゃ」

「それは良いっスー。それが何で今はつるぺたの……って、痛いっス」

 クローリーは蹴っ飛ばされた。

 今度は思いっきりのイナズマシュートの蹴り足だった。

「色々あったのじゃ。……手身近に言うと妾は今で100歳は越えておるのじゃ」

「ロリババアと?」

 ガスっと鋭い音がした。

 なんとかショットというべき強力な蹴りだった。

「妾はのう……」



 ヒンカは元々は市役所に勤務する公務員であった。

 沙那の住んでいた世界に近似した、ただし世界の警察を標榜する大国だった。

 この世界へ召喚されたときには20代半ばであったが、魔法も使えなければ戦闘力もなかった。

 彼女の国では徴兵制度が無くなったし、元々男性しか義務がなかったので軍隊経験もない。

 銃の所持は合法化されており、彼女自身も護身用の拳銃は所持していたが常時携帯をするほどではなかった。

 およそ争いごととは無縁の生活を送っていたのだ。

 

 当然、この世界へ飛ばされてきた直後も戦闘力皆無として捨てられたクチである。

 その後は長く苦しい生活を余儀なくされたが、なんとか食べていけるだけの算段がついて種苗店を開くことになった。

 裕福でもなく、変化もない、淡々とした日々が続いた。

 異世界召喚者(ワタリ)としての知識も技術もあまり役には立たなかった。

 そもそも知識を活用できるだけのインフラも無ければ、機材も何もない。

 同じ知識を共有できる人間がいればまだしも、一人で何を言っても理解はされない。

 そんな中で知遇を得た人物が、風変わりな魔術師だった。


 魔術師と知り合えた理由は変わった植物の種や苗を商っていたことからだった。

 魔法の構成要素マテリアルコンポーネントとして必要な材料を買い求めに何度か訪れて来たからだ。

 その魔術師も変わり者だったので他人から理解を得られにくいせいか、良く話し相手になった。

 ヒンカにとっては茶飲み話し相手という程度であった。

 魔術師はある時言った。

「最後の大魔法の実験に協力欲しい」と。 



「そいつはどんな魔法だったんスか?」

 ヒンカの昔話にクローリーはちょっと興味を惹かれた。

 普通とは違った道を目指す魔術師というのは珍しくもない。

 ただ、その足跡や結果が必ずしも記録として残されずに、歴史の彼方に消え去ることも多い。

 クローリーのような変わり種なら気になるのも当然だ。

「ああ。それは死後転生(リーンカネーション)じゃ」

「な、なんだってー!?」

 流石のクローリーも喉から魂が飛び出そうなほど驚いた。

 何故ならば死後転生(リーンカネーション)は術式もきちんと知られているのだが、成功例の報告が皆無なのだ。

 都市伝説のような魔法として放置されているものだった。

 もし成功例が秘密裏にでも存在すれば、帝国中枢の皇室や王侯などが利用しない手はないだろう。

 ルチアのような悲劇は起こらない。


 それが試す者がいないのは成功報告例がないことと、もう一つ。

 確実に死亡してからのみ発動するという魔法だからだ。

 失敗した場合……蘇生する手段はない。

 この危険極まりない魔法に身を委ねる者はいない。

 生に執着するからこそ延命したがる者に、確実な死を前提にする勇気などあるわけもない。

 なにより成功者がいないことが恐ろしい。


 その限りなくゼロの中の成功例がヒンカだった。



 その時のヒンカはもう70の声が聞こえるほどだった。

 かなりの老人であり、この世界の常識では信じられないほどの高齢だ。

 そして何より不治の病を患っていた。

 結核である。

 元の世界ならば完治することも不可能ではなかったが、抗生物質もなく、病気を治癒する魔法もない……ルチアやアユのような犠牲者を出す以外には、死を待つばかりであった。

 魔術師大切な友人にして理解者であるヒンカを助けたかった。

 理由を話し、あくまで万が一の可能性であることを説明された。


「妾も自分が死んだ後のことはどうでも良かったのじゃ」


 ヒンカは快諾し、魔術師に全てを委ねた。

 そしてヒンカが病魔に遂に耐えかねて息を引き取った時、魔法は発動した。

 その後の記憶はない。

 いや。転生に成功して、以前の記憶を全て取り戻した時、魔法の発動から10年ほどが経過していたのだ。

 決して裕福ではない農家の子供として生まれ変わっていたヒンカが気が付いた時には、両親は今にも息を引き取るときだった。

 庶民というよりも奴隷に近い立場だった両親は、領主の圧政で疲れ切っていた。

 栄養不足の彼らは疫病に耐えきれずに亡くなった。

 ヒンカが自我を取り戻したにはまさにその直前だったのだ。


 あとは子供ながら必死に生き延びてきた。

 全盛の苦労や経験のおかげで店を構えるまでになるのに思ったほどの苦労はしなかった。

 そして、あの魔術師を探したが見つからなった。

 成功例である彼女のことを報告できれば、魔術師は称賛と栄誉と富を手に入れられるはずだ。

 情報が集まりやすい交易都市であるハイナードに居を構えてみたが、行方は一向に知れない。

 死んだという噂も聞いた。

 一縷の望みをかけて、魔術協会も訪ねた。

 そこには『行方不明』ということと、ヒンカ宛の短い手紙だけが残されていた。


『自由に生きてください』


 ただ一言だけだった。

 魔法の成功を信じつつも悪用を恐れたのか、記録を一切残していなかった。

 ヒンカは困惑した。

 そして、思いもした。

 自分も他人のために何かしてあげることができないかと。

 そこに現れたのがクローリーたちだった。


 もちろん自分たちのためでのあるのだが、進んで海賊に立ち向かう姿。

 魔術師も同じだったのかもしれない。

 誰かのためであると同時に、自分の魔法の理論が正しいことを証明できた。

 自分を満足させるだけでも十分だったのかもしれない。

 

 悪くない。


 クローリーたちを見て思った。

 姿を消さないだけでも魔術師よりも興味深い。

 一緒について行く気になったのは、その時だった。

 作物や食料を求めているのなら自分が役に立つかもしれない。

 今度は自分が役に立つ。

 動機はそれで十分だった。



「そういう色々あって、こういう美少女に生まれ変わったのじゃ」

「……自分で美少女言うんスか」

「まだ発展途上だからな。もうすぐダイナマイトバディにもなるのじゃ」

「もう、それいいっス……」

 クローリーは毒づいた。

 気のせいか船酔いはだいぶ楽になっていた。

「沙那に感謝するんじゃな。ずっとお主を心配そうに看ておったぞ」

「お?」

「ちーがーうー!調子悪そうだったから、ちょっとだけー」

 沙那は真っ赤になって首を横に振った。

 髪の毛の間から顔を出したイズミがうんうん頷く。


「そうだ。沙那よ。果物の苗木も色々持ってきたぞ。ライチや柿とかも。数年としないうちに食べられるはずじゃ」

「おー!?」

 ライチも柿も沙那の世界では中国原産だ。

 やはり沙那のイメージする気候と地域差はそう外れてはいないように思えた。

「だとするとー……冷やすために氷の精霊さんを仲間にしないとー」

 沙那の頭は魔法へとぶっ飛んでいた。

 イズミの存在のせいだろう。

「ヒョーコちゃんか、コオリちゃんかー」

「その前に冷蔵庫作る方法考えた方が早いような気がするのじゃ」

「……だから冷蔵庫って何スか?」


 船はもうすぐアレキサンダー領の小さな港へと到着しようとしていた。

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