3章 世界へようこそ~3 マリエッラ
3 マリエッラ
マリエッラは山間の小さな村に生まれた。
両親は同世代の親に比べて少し高齢だった。
それを不思議に思うことはなかったが、近所の人の話などから自分に姉がいたことを知った。
10歳以上年が離れていたようだ。
そういえばうっすらとだが、そんな人がいたようないなかったような記憶がある。
舞い降りた天使のような美しい女性で、抱かれるとどこか日向の匂いがした……気がする。
どこかに嫁に行ったのかと両親に尋ねると、自信満々にこう言った。
「神の祝福を受けた奇跡の聖女で、今は帝都の協会本部に努めている」と。
姉のことを話すときの両親は誇らしげだった。
近所の大人に訊いても、村の誇りだと言っていた。
自分の姉が凄い人だと思うと、マリエッラも嬉しかった。
ただ、もう少し近くにいてくれれば良かったのにと思うことはあった。
ある時、年老いた巡回司祭に姉のこと訊いてみた。
司祭は当時のことをよく覚えていた。
「ああ。ルチアはね、神の奇跡が使えたんじゃよ」
「神の奇跡……?」
「そうじゃよ、大怪我した人や病気の人を治してしまう神の奇跡じゃ」
「すごーい!」
まるで伝説や教会の説話に登場する聖女様そのものだ。
想像しただけで感動する。
協会本部に行った姉のルチアはたまに実家に仕送りしてくれていた。
それも有り難がった。
いつも一緒にマリエッラ向けにお人形だったり、ちょっとした玩具も送ってくれていた。
いったいどんな人だったんだろう。
マリエッラは翳んだ記憶の中でしか覚えていない姉を想っていた。
仕送りがたまにしか届かなかったのは途中で横領されたり抜き取られたりされていたからである。
帝国内での郵便はあまり当てにならないどころか、金目のものは『何故か』行方不明になりやすかった。
クローリーが儲からない車輪屋などと呼ばれる駅馬車業を始めたのも、信用できる郵便が存在しなかったからであった。
実のところルチアは毎月仕送りしていたのだが、その半分は届かなかった。
自分で運ばなければほとんど信用できないのがこの世界の常識だった。
嫁入りの話が出てきそうな14歳になるころ、マリエッラは決意した。
姉に会いに行こう!と。
子供じみた考えだったかもしれない。
それでも結婚して家庭を持てば会いに行くことはほぼ不可能なのだ。
庶民が旅行に行くという行為自体がないのである。
旅費を捻出できるほど庶民に余裕はなく、また移動の自由もない。
主街道でさえ山賊が出るのが当たり前。
例外的に巡礼者だけが通行税の一部免除などがあったが、馬車での移動は原則禁止なので旅行には程遠い。
それでも会いに行きたかった。
彼女は雑用などで貯めた僅かなお金を握って家を出た。
巡礼者を装い、途中途中はその土地の教会に泊まり、炊き出しを分けて貰うことで飢えをしのいだ。
辛いとは思わなかった。
それは若さ故なのか、目標があれば頑張れた。
それでも少女の一人旅は危険極まりないものであった。
運良く主街道まで襲われることもなく無事に辿り着いたのは単なる幸運なだけだった。
あとは帝都まで一本道だ。
そう思うと心が弾んだ。
しかし、その安心した瞬間が一番危険なのだった。
山賊に囲まれたのだ。
身なりの貧しい少女が金になるとは山賊たちも思っていない。
すなわち彼らは欲望を満足させるための獲物としてマリエッラを狙ったのだった。
5人ほどの男たちに囲まれた時、マリエッラは絶望した。
身を守るためのものは何もない。
例え通りすがりの人がいても助けてはくれないだろう。
面倒に関わるのは誰もが御免なのだ。
「神様っ……」
そう祈った時に、無責任そうな明るいとぼけた声が聞こえた。
「あ。あー。ここにいたっスかー」
とり囲む輪の中に黒髪の少年が入ってきた。
人を馬鹿にしたような垂れ目の10代後半と思えるような男だ。
もう少しキリっとした目つきだったら二枚目の部類に入るだろう。
「いやー。すなねえっスなー。オレの連れが迷っちゃってー」
へらへらと笑いながら、マリエッラの肩を抱いた。
「あれほどフラフラ出歩くなって言ったっしょ?さ。戻るっスよー」
マリエッラの手を掴むと少年はすいすいと輪から出ようとした。
山賊たちが唖然とするほど自然な、すっとぼけ振りだった。
「……あんた。誰?」
マリエッラは少年を睨んだ。
「え?オレっスよ!オレ。やだなーオレだってばー!オレっス」
まるで特殊詐欺のようにオレオレを繰り返す。
「……知らない。知らない人にはついて行っちゃダメって……」
「だああああああああーーーーーーーーーーーーー!」
少年は頭を掻きむしった。
「こういう時は口裏を合わせて、すすーっと逃げるところっスよー?」
「おい、小僧。おめえ、死にてえのか?」
山賊の一人が短剣を抜いた。
手入れが行き届いていないのか刀身は鈍い色をしている。
それでも凶器としては十分だ。
「やる気っスか?」
少年は山賊を睨み返した。
「オレは魔術師っスよ!あんたらを魔法でどかんと吹き飛ばすことなんてわけないっス」
ばさっと演技かかった態度で外套のマントを跳ね上げる。
「痛い目に遭いたくなかったら、おとなしくここを去ると良いっス」
「……馬鹿か?てめえ」
魔術師という割には少年は細いなりに筋肉質だった。
どう見ても健康優良児で、暗い部屋の中で勉強しているようには見えない。
じりっと輪が縮まる。
「やれるものならやってみやがれ!」
山賊の1人が小剣を抜いて飛び掛かってきた。
素人の剣捌きなど少年には丸見えだったが、避ける必要はなかった。
鈍い音と共に転がったのは山賊の方だったのだ。
そこには鞘が付いたままの大剣を一閃させた黒髪の筋骨隆々たる大男が立っていた。
「シュラさん、さんきゅっス」
山賊は一瞬怯んだ。
如何にも荒事が本業といった剣士が出てきたからだ。
身に着けている革鎧も使い込まれた上に手入れが行き届いたものだった。
「すぐに面倒事に顔つっ込むなよ」
呆れ顔の大男……シュラハトがぼやいた。
この少年と行動を共にするようになってから、やたらと喧嘩に巻き込まれることが増えた。
荒事は嫌いではないが金にならないことが多いのが困ったところだ。
「ほーら。おっかない人が来たっスよー。さっさと逃げた方が良いっスよー?」
「ざけんな、てめえ!」
山賊たちが襲い掛かってきた。
勝負はあっという間だった。
鞘に入ったままの大剣を棍棒のように振り回すシュラハトが台風のように暴れ回ったからだ。
少年はマリエッラを庇うように立ち、魔法棒を振って、何事か唱えた。
杖の先端近くから迸った必中の魔法の礫である魔法の矢が飛び出し、山賊の一人を吹き飛ばした。
「あちゃ。……効き過ぎたっス」
魔法の矢が命中した山賊は一撃で絶命していた。
「正当防衛だ」
シュラハトはもっと無慈悲に山賊たちを殴り倒していた。
首が明後日の方に曲がったものまでいる。
武器を抜いた相手には容赦がないのだ。
マリエッラは助けてもらった安心感よりも目の前で人が殺されることに恐怖した。
「人が……し……死んで……」
「不幸な事故っス」
少年は少々バツが悪そうに笑った。
「事故っスよ。事故」
重ねて言うとまさに詐欺師だ。
「そうだな。俺たちは無関係ということで場所を変えようぜ」
シュラハトも悪びれない。
彼らは冒険者なのだ。
ならず者とは、一歩、いや半歩くらいだけ違う。
* * *
「ほら、水飲んで落ち着くっスよー」
少年は持っていた水筒2つを見比べて、奇麗そうな方を選んでマリエッラに渡した。
「命の水もあるっすが、まだ早そうっスなー」
ちゃぽちゃぽと音が立つほどに減ったガラス瓶を見せてみた。
琥珀色の液体が入っているのが見える。
この時代の命の水は葡萄酒を蒸留した、いわばブランデーのことである。
かなりの高級品だ。
「お菓子はねえっスけど、まー、これで」
林檎を取り出して外套の裾で拭くと、マリエッラに投げてよこす。
「そー警戒しなくても良いっス。オレはクローリー。さすらいの魔術師にして冒険者っス」
少年……クローリーは精一杯の愛想笑いをしてみせた。
独特の垂れ目のせいか余計に胡散臭く見える。
「で、そっちのデカいのがシュラハト。めっさ強い人っス。紹介終わり」
「雑過ぎるだろ」
「んで、そっちはー……何ちゃんかな?あ、大丈夫っス。こう見ても怪し……くは見えるけど、悪い人……ぽいけど、そうでもないっスから」
どっちだよ。と突っ込みたくなる。
「俺たちは旅の途中でな。どこまで行くのか知らないが近くまでなら送るぜ」
「そ、そーっス。心配しなくてもオレはもう何年か育ってないと守備範囲外なので安全っス、シュラさんは……剣が好きな変態さんだから、こっちも安全っス」
「違う。子供に何かしようとは思わねえだけだ」
シュラハトがごつんとクローリーの頭を殴る。
「……マリエッラ」
「ん?」
「マリエッラ。帝都にいるルチアおねえちゃんに会いにいくの」
瞳に涙をいっぱいに溜めていた。
よほど心細かったのだろう。
「お。おー!いやー、奇遇っスなー!オレたちも帝都に行く用事があったんスよー!」
「……おい」
もちろんそんな用事はない、むしろ反対方向に向かっていたのだ。
「でも、広い帝都で名前だけじゃ探すのは大変だぜ?場所は判っているのか?」
シュラハトがしゃがんでマリエッラに目線を合わせた。
本来が心優しい男なのだ。
特に経験上、幼い少女には弱い。
「教会。教会本部にいるって聞いた……」
「きょ……?」
「何スかそりゃ!?偉い人なんスかね。重要人物とか?」
「わかんない。聖女様みたいなって聞いてる」
クローリーとシュラハトは顔を見合わせた。
何か凄い面倒事に触れてしまった気がした。




