3章 世界へようこそ~1 船でお風呂
1 船でお風呂
遠くに大きな島が見える。
もっとも陸地が見えなくなるようなことはない。
この世界の航海は原則として何かしかの陸地が見える範囲で航行するかである。
未熟な航海術では周囲が海しか見えない状況は恐ろしくてできないのだ。
帝国の商人が香辛料の生産地にたどり着けない理由はそれだった。
正確な測量と数学による航海術を持つ絹の国や砂の国の商人しか洋上航行ができないからである。
それを知っているからこそ、帝国へ法外な価格で香辛料を売りつける絹の国や砂の国の交易商人がたくさんいて暴利を貪っている。
帝国商人のほとんどは場所も分からなければ、辿りつけるだけの手段も知らない。
アダマストール号とリンザット船長も帝国人である以上、その軛からは逃れられない。
それでも航海術を全く知らない沙那には充分だった。
「船旅面白ーい」
でしかない。
対してクローリーは船酔いでグロッキーだった。
どうにも海特有の揺れに慣れないらしい。
元気よく甲板を走り回る沙那を恨めしそうに眺めるのが精一杯だった。
沙那はリンザットや船員たちにお願いして大きな木枠を作って貰っていた。
4x2mほどの物を船尾楼に1つ、そこから降りた甲板も1つ。
分かりやすい言い方をすれば、大きな浴槽である。
船尾楼の浴槽にイズミがお湯を注ぎ、そこから少し下にある主甲板の浴槽にへと流れ落ちる仕組みである。
なんのことはない。覗けないように高い位置にある船尾楼の浴槽が女子用で、下にあるのが男湯なのだ。
男湯の方がお湯が少し汚れることになるがテリリンカにも良くある温泉の構造なので誰も気にしなかった。
何よりこの船に女子は2人しかいない上に頻繁に入浴するのは沙那だけだった。
そして男湯で使ったお湯は贅沢にも海へ流して捨てるのだ。
無限にお湯を作れる妖精イズミがいるからこそ可能なものだった。
そもそも船で普通にお風呂に入れるだけでも十分過ぎるのだ。
そこで沙那はちょっとした工夫をしていた。
女湯の浴槽よりもちょっと高い位置に木製の盥を置いてイズミが作ったお湯を最初に流してもらうようにした。
その盥に革で作ったホースを繋ぎ、手製の蓮口を取り付けたのだ。
「何スか、それ?」
とクローリーが不思議そうな顔をしたが、シャワーだよと答えると首を捻りながら使う様子を見ていた。
ただお湯をそのまま流すよりも柔らかい水流になるのを見て、なるほどと合点がいったようだった。
もっとも沙那には少し、いやかなり不満だった。
革の継ぎ目を糸で縫っておいたが隙間からじわじわとお湯が漏れるのである。
水圧で内部が膨張してそれ自体が漏れ止めになっているはずだが、縫い目が不揃いなせいかもしれない。
「ゴムとかも欲しいかなー」
それまでごく普通に手にしていたものがないというのは大変だと思った。
「ゴムも南米だったかなあ。手に入ると良いけどー」
色んなものを持ちかえりたいなとぼんやり考えていた。
「タールでも塗ればよ良いんじゃないんスかね」
「コールタール?石油あるのー?」
「せ…石油が何かわからねえっスけど。木を蒸し焼きにすると出てくるやつっス」
「そっかー。石油はないのかあー」
沙那は頷いた。
なんでもそうだがあると聞けば驚き、ないと聞けば驚く。
その様子がクローリーには不思議だった。
もしかしたら同じものを同じと相互で認識できてないことがあるかも知れないとも思った。
意外なところに答えが落ちてたりするかもしれない。
なにしろエルフの世界とこちらの世界では感覚がだいぶ違うのだ。
沙那は日に一度、あるいは二度三度と水浴び……お風呂に入った。
船旅は暇だからだろうか。
よく肌がふやけないなとクローリーは思う。
売り物にもなる石鹸が惜しみなく使われて行くのも気になる。
十分に余裕があるとはいえ贅沢なことだ。
船酔いで甲板にしゃがみこんでることの多いクローリーが見上げると、入浴している沙那が元気よく手を振っていたりする。
酔わない沙那がを羨ましく思う。
が、一番気になるのはそこじゃない。
手を振るときに浴槽になっている木枠から身を乗り出してくるものだから臍から上が丸見えになることがちょいちょいあるのだ。
この世界の感覚からすれば沙那は発育が良すぎる。
年相応の少し華奢な骨格と、14歳という年齢からは想像しにくいほど豊かな胸がアンバランスだ。
エルフだからそういうものかと自分を納得させたりもするが問題は体形自体ではない。
言動や行動が子供っぽいのだ。
着替えとかを覗かれないように騒ぐ割には、入浴中に身を乗り出して手を振るとかありえない。
羞恥心の基準がどこか判り難い。
精神的にまだまだ子供なのだろう。
この世界の14歳といえば結婚適齢期であり、子供がいても不思議はない。
もっともっと落ち着いた大人なのが普通だ。
「……それはかなりマズいっスよ……」
沙那が浴槽の縁に腰かける。
角度によってはいろいろ丸見えだ。
「何考えてるんスかねえ……」
マリエッラはさすがにそんな真似はしない。
せいぜい顔が見えるほどに出す程度だ。
それ故にクローリーにはとって沙那は手のかかる妹的な位置づけだった。
女性として意識させるには子供っぽ過ぎるのだ。
顔や体形だけなら十分に意識させるほどのものではあったが。
あれでは他の船員からも少しは見えてるかもしれないなとも思う。
「だからこそ妖精が見えるんスかね」
子供は妖精が見えるという。
純粋さや単純さあるいは精神的な幼さがそうさせるのか。
クローリーにもはっきりは判らない。
魔法は系統だった学問だが説明不可能な現象はまだまだ多くあるのだ。
沙那にとっては木造のさして大きくない船(あくまで沙那の感覚では)での旅は新鮮だった。
作業の関係上、甲板を歩き回れる範囲はとても狭い。
常に陸地が見える風景というのが旅情を誘って面白いのだ。
トイレはさらに不便極まりなかったが、お風呂は確保できたのでまあまあ、
食事も火をあまり使えないのであまり良くはないが、寄港地で手に入る食材が帝国内と違うものもあって少しバリエーションが変わる。
余りものをつっ込んだだけの茶碗蒸しなどはむしろ下手な帝国の食事よりも美味しかった。
これでテリリンカでも見かけた帝国にはない食材がもっと手に入る様になれば、と期待もしてしまう。
なかなか覚めない長い夢の中の世界で、色んなことを始めたいなと沙那は思い始めていた。
なにより食事!食事の改善が急務だった。
ただ、沙那にとって意外だったのは安価ではないものの砂糖が普通に手に入ることだった。
昔っぽい世界なら一番手に入らなそうなイメージだったものだが、帝国ではいくつかの島でプランテーションを行ってサトウキビを育てていたからだ。
多くは流刑地で犯罪者や奴隷が作業に従事していた。
この時点での沙那は知らなかったが、帝国は香辛料を高く売りつけられているばかりではなく、砂糖などをは輸出品としても重宝されていたのだ。
もちろん交易収支は常に赤字なのだが、それは輸出に向く商材が少ないからだ。
「そういや、鉄の船ってなんスか?」
クローリーは船尾楼で入浴中の沙那のところに顔を出した。
「えっちいいいーーーーーー!」
すかさず石鹸が飛んできた。
自家用の物は大きく切ってあるので結構重くて硬い。
「痛ぇっ……平気で見せるくせに、このくらいで怒るんスか」
「平気じゃないよー!」
じゃあ、ちょいちょい裸で手を振ってるときのアレはなんですかね?とクローリーは言いたくなった。
こういうところ沙那が子供なのだ。
沙那はじゃぼんと顎までお湯に漬かってクローリーを睨んだ。
「鉄が浮かぶとかって言ってたやつっス」
「ん?あー」
沙那がアホそうに口を開いた。
「鉄は塊なら重くて沈むけど、薄い鉄板で箱っていうか大きな盥みたいにすると中に空気がある分が水より軽くなって浮かぶんだよー」
「ほー」
「そのかわりかなり大きく作らないとー……鉄って比重どのくらいだっけ?7とか8だっけ。浮かばせるのは結構大きく作らないといけないけどねー」
「どのくらいっスか?」
沙那は眉を顰めて考える。
彼女の記憶あるものといえば……。
「ボクはあんまり大きなのには乗ったことないけどーフェリーで1万トンくらいかな?豪華客船なら10万トンとかが結構あるみたい―」
「万!?」
さすがにクローリーも驚いた。
この世界で最大の船でも排水量が3000トンとかなのだ。
「最大級のオイルタンカーとかだと100万トンだったかなー」
「……ひゃく……」
もはや想像できない。
しかし判ることが一つあった。
沙那や賢者の語るエルフの世界が恐ろしく豊かな、特に食料が溢れた世界なのはその膨大な輸送力にあるのではないか。
そういえば賢者は世界の人口が40億とか50億とか言っていた。
この世界の人口はその10分の1もあるかどうかだ。
想像を絶する豊かさは船の力かも知れなかった。
なにより食料……例えば麦などの基本的な食材は単価が安い。
馬車で運ぶのでは量や手間に比べて儲けが少ない。
通行料などを考慮すると大規模な商人が取り扱いしないのは当然だった。
しかし、それは船で大量に運べるとなると話は違う。
船での交易が儲かるのは、馬車などに比べて圧倒的に運送コストが少ないからなのだ。
同じ人手でも一度に運べる量が桁違いなのだ。
海上輸送は陸上輸送の100分の1以下のコストとはよく言われる。
それ故に帝国建国時には川を繋ぐ運河があちこちに作られた。
今でも各地で利用されているし、アレクサンダー領も元が湿地帯という地形的な理由ではあったが小さな水路を利用した水上運送が盛んである。
「そうっスか……もっと詳しく訊きたいっスな」
「むー?」
沙那は沈んだ口からぶくぶくと空気を吐いた。
「船の作り方なんて知らないよー?」
「そのまま木の代わりに鉄を使えば良いんじゃないんスか?」
「そーなのかなー?」
後日もちろんそうではなかったことを知ることになる。
構造もだが、鉄板と鉄板を繋いで巨大な構造物を作ることができなかったのである。
「ボク、思うんだけどー」
「何スか?」
「それ、魔法で何とかする方が早くないー?」
「む……?」
クローリーは腕を組んで考え込んだ。
エルフの魔法とこの世界の魔法。どちらか一方ではなく、効率の良い低コストな方法を選んで合体させれば良いのではないか。
一瞬、否定するように頭を振ったが、すぐ考え直した。
帝国直轄領で独占的に石鹸が作られている。
それをあっさり沙那が再現してくれたことがずっと不思議だったが、もしかしたら帝国中枢にはエルフの魔術がいくつか存在しているのではないか。
そして都合の良い部分をつまみ食いしてるのではないか。
クローリーがさらにそれを効率よく行えば……?
何かバラバラだったパズルのピースが少しづつ嵌まっていくような感じがした。
「クロちゃん」
「何スか?」
「いつまでそーしてるの?ボクの裸そんなに見たいわけ―?」
沙那が睨む。
その隣では大きさを人間サイズにしたイズミも睨んでいる。
イズミは長い髪であぶない部分が微妙に色々隠れてはいるが、沙那に勝るとも劣らないナイスバディの美少女な外見だ。
「あー……オレは隣の妖精の方がお色気でそそr……」
言い終わらないうちにクローリーの顔面を石鹸が捉えた。
1キロくらいの重さがありそうな大きな石鹸は簡単にクローリーの意識を刈り取った。




