2章 多島海~18 不条理
18 不条理
港内を巡視用のスループ船が速度を落とし始めた。
接岸に向けて調整をしているのだ。
「たまには潮の香を嗅ぐのも良いですね」
スループ船の舳先に立ったテイルは周りに聞こえるようにやや大きめの声で呟いた。
本来が事務職の彼には船乗りの気持ちは理解できないと不安を持つ者もいるからであった。
船乗りでもあることを証明しなくてはいけない。
その姿を見て船長でもある腹心ヴァレッカがくすりと笑った。
計算ずくで行動するときは芝居ががって見えるテイルの癖なのだ。
赤く焼けたショートカットの髪を持つ小柄な少女のような彼女は十分に叩きあげられた船乗りだ。
彼女はテイルを信頼していた。忠誠に近いほどである。
それは彼が公正さでは人後に落ちないからだった。
テイルは実績を高く評価する。
身分や自分の好みで人を評価しない。
彼は努力と実績で人を見るのである。
ヴァレッカのような若年の女性は、ただそれだけで出世はおろか極めて待遇が悪くなりやすい。
テリラのようにテリューの一族ならまだしも、出自も普通でコネのない女性は船に乗ることすら難しい。
しかし、テイルは成績と能力を見て許可を出した。
年齢も性別も関係なく必要な能力があれば認めるのがテイルの長所だった。
彼がいなかったら彼女は船長どころか船に乗ることもできずに閑職に追いやられていただろう。
それは彼自身の経験がそうさせていたのかもしれない。
少年時代のテイルは海の民らしく船乗りになることを夢見ていた。
操船幹部になるために苦手な数学も必死に学び、一般的に成人と呼ばれる15歳になるころには充分な知識を持っていた。
……はずなのだが最初に配置されたのは港湾管理事務所の事務員だった。
計算ができるのと、一族に連なるために金銭を扱う時に信用できるという判断がされたからだった。
やや落胆したもののテイルはそれを信用の証として仕事に励んだ。
ただ、直属上司が悪かった。
「私はその人の顔を見れば、その人物がどのように生きてどういう能力があるのか見抜ける」
そう自慢げに言い放つタイプの人物だった。
この言葉は本来、抜擢人事の時などに反対意見を封じるために使う慣用句なのだが、この上司はカッコいい言葉を使ってみたいだけの男だった。
もしかしたら出自が良いテイルへの妬みがあったのかもしれない。
ともかくも上司からテイルの目つきの悪さや人相を理由にかなりの嫌がらせをされていた。
もちろん仕事を評価されての出世など望むべくもない。
嫌気がさして船に乗る現場への異動を何度も希望したが、叶わなかった。
不満は積み重なっていたが高い責任感からそれを押し殺していた。
それが爆発する原因になったのは、『泉の精霊の声を聞ける』という不合理な理由でテリラがテリューの後継者として定められた時である。
テリラは実績や能力的にも申し分ないとはテイルも思う。
しかし、精霊の声を聞く?それで首魁を選ぶのは、あまりにも非合理的だと感じたのだ。
精霊は海の民でもほとんどの者には見えないし、声も聞こえない。
だから証明することは難しい、はずである。
逆に言えば『言ったもの勝ち』とも言える。
証明する方法が『精霊を見ることができる者』の口添えくらいしかない。
精霊を見ることができる人間は極めて少ないため買収でもしてしまえば否定することができなくなるのだ。
あまりにも穴だらけで非合理的な理由なのが納得できなかった。
実績や能力を評価してのテリラを擁立することには反対はしないが、精霊を理由にするのは受け入れられなかった。
この非論理的な方法ではいずれは悪意や陰謀で乗っ取られかねない。
早期に明確な方法に変更して確立すベきだと考えたのだ。
テイルは確かに野心家ではある。
だがそれ以上に責任感は強い。
長い間ギリギリで自制してきた。
それが弾けた切欠はもちろんエムレイン伯爵家のイストから度々送られてきた書状であることは確かだった。
しかし……テイルはイストに踊らされているのかというと大分違う。
帝国に乱を起こそうと企んでいる人間がいることが判ったからだった。
探りを入れてみたところイストに同調するものが各地にいることも分かった。
近いうちに戦乱になる。テイルはそう判断した。
直感ではない。情報を集め論理的な思考の末にそう判断したのだ。
そう考えるとテリリンカが危険だった。
自由貿易を旨とする多島海の海の民は緩やかで纏まりが薄いのが特徴だ。
大陸で戦乱が起きれば影響を受けることは確実で、もちろん巻き込まれるだろう。
分断を謀って海の支配を狙う勢力も現れるだろう。
事実、イストがテイルに使者を送ってきているのがその証左ではないか。
戦乱に巻き込まれる前に結束を固め、海上利権を奪われないようにすべきだった。
テリューは異世界召喚者であるからというよりも、交易商人の家庭で育ったために考え方が少し特殊だった。
支配者や経営者というよりも田舎の地域密着型個人商店の店主に近いのだ。
緩やかで薄利多売、細く長く商売を続けるような考えだ。
そのために地域の治安維持と安定、タックスヘイヴンのような制度で人を集めて交易を促すことを目標にしていた。
利益は薄く広く。
一握りの者が富栄えるよりも、ほとんどの人間が中流以上の生活を送れる環境を作ることで地域全体を豊かにしたいというものだった。
そこに合理性はあまりない。
緩やかな混沌とでもいえば良いのだろうか。
穏やかな祭りが長く長く続く状態。
豊かな国や時代というものは圧倒的に人口の多い中産階級が豊かである社会という思いがあった。
独占欲が少ないというよりも、厳しい制度を作って破綻するのを防ぎたいという思いからだった。
それ故に事実上の国家でありながら国家の構築を避けていた。
『精霊の声を聞く』というのも神秘的な神話性の高さで緩やかな共同体を作るためのもの手段でもあった。
テイルはそれを理解しつつも否定的だった。
彼は『論理的で明確で公正であること』をシステムとして求めたかった。
テリリンカを中心に中央集権的な体制を作り、多島海の交易全体を一元管理すべきだと思っていた。
自由商人ではなく、海域全体をテリリンカの職員として交易を行う。、
代わりに収入はテリリンカ『政府』が完全保証して最悪の場合でも最低額を支給される。
もちろん利益が大きければボーナスを出す。
一攫千金は狙えないが生活は安定する。
真面目に働けば公正に収入を得られ、非合理性を徹底的に排除する。
男も女も公平な理想社会を構築したいと思っていた。
国営にすることで安定した社会を作りたかったのだ。
もし欠点があるとすれば、テイルの考えは構造的な腐敗が進むと止められなくなることである。
そのために厳格で公正な人事を徹底すべきと思っていた。
ただ……人間は聖人君子ばかりではない。
中央集権的なシステムは不敗にとても弱い。
対してテリューの作ったシステムは皆がほどほど豊かになることで腐敗役人が現われても独裁的な権力を握り切れないものだった。
搾取が起きにくいことで『なあなあ』で事を済ますが公正さには大きく欠ける
どちらが正しいかと言えばテイルの方が倫理的にも正しい。
そのためにテイルの支持者は少なくないのだ。
努力は必ず報われるが自由は少ない。
どちらを選ぶかはその人次第なのだ。
「間もなく着岸します」
ヴァレッカが報告した。
テイルが小さく頷く。
テリューの考えに同調しているテリラの腹心たちは偽の命令で海に出している。
例えテリラが脱走しても頼るべき伝はない。
むしろ可能ならテリラにはテイルに臣従して貰いたかった。
無能とは程遠いテリラを殺すのも追放するのも惜しい。
テイルはそのくらいの公正な判断はできる男だ。
絶対的な支配者になる野心はない。公正な人物がいればむしろ代わって代表をしてもらいたいくらいだ。
テイルはどう対応すればテリラが折れてくれるのか乗馬鞭を小刻みに動かしながら悩んでいた。
そして、まさに、その時だった。
轟音とともに港湾管理時事務所の一角が弾け飛び、大量の水が雪崩のように辺りのモノを流し始めたのだ。
テイルは唖然としてしまった。
「非論理的な……」
まさか不条理の塊みたいなイズミの仕業とは想像もつかなかった。




