2章 多島海~14 イズミちゃん
14 イズミちゃん
「さにゃのおかげで大変なメにあったっスなー」
クローリーが疲れてしゃがみこんだ。
前にカレーを食べた食堂の中に逃げ込んだのだ。
店主は『おや?』という顔をしながら人数分のさらさらなラッシーを出してくれた。
普段ならそんなサービスはしないのだが客が少ないために余ったヨーグルトを使ったのだ。
「でも、おかげで喧嘩にならないうちにあそこを離れられたわねえ」
マリエッラがフォローする。
「ま。そりゃそうだけどよ。ありゃあおかしいぜ?」
興奮していたリンザットも少し落ち着きを見せていた。
「港を封鎖するようなやり方は何も良いことないぜ」
「何か非常事態かなんスかね」
「どんな非常事態があるっていうんだ?」
リンザットはそれでも少しブスくれていた。
「……戦争だろ」
シュラハトが呟いた。
「戦時なら旗色の判らない船には入って来てもらいたくないっていうのと、手短に軍資金を集めたいはずさ」
「戦争?どことやるっていうんスか?」
「さあな」
シュラハトは視線を店主に向ける。
「名前にテが付いてるってことは一族なんだろうけど、テイルってどういうやつだ?」
「お代官のテイル様ですか?」
「ああ。俺はテリラまでしか知らねえからな」
「はあ……」
店主はシュラハトを、そしてクローリーたちをしげしげと見まわした。
「テイル様はテリラ様のお従弟で税務管理を行っていた方です。テリラ様が遠征中の間に代行しているようで」
「ほー……」
「……あんた。なんか事情に聡くねえか?」
リンザットはシュラハトを見る。
「気のせいだろ?常識論だ」
「まあ色々と難しいんでしょうなあ。テリリンカでは泉の精霊に選ばれたものが海の民を率いるんでさ。テリラ様は精霊に好かれたそうですが、テイル様は……」
「え?」
マリエッラはじっと沙那を見つめる。
「およ?」
クローリーも沙那を、というよりも沙那の髪の毛に半分潜った形のイズミを見る。
「なーにー?」
みんなの視線が集まることに、不思議そうに沙那が首を傾げる。
「……それっス」
「イズミちゃん?」
「……今、めちゃくちゃトラブルになりそうなモノの話を聞かなかったっスか?」
「む?むー?」
クローリーたちはテリリンカの成り立ちの簡単な話を店主から聞いた。
小規模な海賊たちが跋扈していた多島海の話。
帝国軍の侵略で一時占領された話。
常に住民たちは圧政に苦しんでいたところにテリューが現われた。
切れ長の目と長い耳というエルフらしい外見を持つ女性が異世界召喚者の剣技を引っ提げて多島海の覇者となったお伽話。
高齢になって隠居したテリューはその後継者に孫のテリラを選び、つい2年ほど前に没したこと。
「そっか。あの婆さん亡くなったのか」
シュラハトは何年か前のことを少し思い出した。
もう遠い記憶のようなものだ。
「と、それより精霊の話だ」
シュラハトは沙那を睨む。
彼には妖精が見えないのだ。
「それ、どうしたんだ?どうやって懐かれた?」
概ねいつもはっちゃけてる沙那と、ぼんやりと夢見がちなアユの姿はとても重ならない。
面影がある様ならば理解できなくもなかったのだが。
「無理やり連れて来たー」
沙那がニパっと笑う。
「……おい」
「だって、お湯出せるなら風呂便利じゃない!」
「……いや。そうじゃなくてな。その精霊……妖精どっちもでいいけど、そっちは納得できてるのかってことだ」
「うーん……?」
沙那はイズミを指先で突いた。
その様子はクローリーだけしか見ることができなかったが小声で何か囁いているのは、他の人たちにも沙那の様子で分かった。
「人がいっぱい集まるところが良いんだってー」
「なんだそりゃ」
「今は温泉にも人が来なくなって寂しいみたいー」
「いや、だから……」
「そこで!」
沙那が人差し指を立てて胸を張った。
大きな膨らみが揺れる。
「ボクと一緒に来てーの、船でお風呂作り―の、で、みんな喜んで集まる!どーお?」
「嬢ちゃん……何も考えてねえな」
リンザットが呆れ顔だった。
船に風呂なんて想像もつかない。
何より彼にはイズミの姿が見えない。
「あ、あのー……」
店主がおずおずと手を挙げる。
「あっしには話が良く見えねえんですが、本当に精霊を連れてきてたら……」
「精霊じゃないよ!妖精さん」
「それ、どっちでもよくねーっスか?」
「泉の精霊は守り神みたいなものですからね。いなくなったら大騒ぎでやすよ」
その場にいる全員が顔を見合わせた。
事実なら確かに大事だ。
問題はクローリーと沙那にしか見えないので、確認のしようがないことなのだ。
「ただでさえ役人と揉めてるっていうのに……」
リンザットは頭を抱えた。
船を失うかの瀬戸際なのに余計な問題は持ち込んで欲しくなかった。
沙那以外でただ一人、妖精の見えるクローリーは顎に手をやった。
少し、何かを考えるそぶりだ。
「どうした、クロ?」
シュラハトが気が付いた。
「あ、いえねー……」
クローリーが困惑気味に首を捻る。
「妖精がね、言ったんスよ」
「何て?」
「さにゃはアユと同じ匂いがするって」
その名にシュラハトに瞳がギラリと光る
「いやいやいや。睨まないでほしいっスな。魚と同じ匂いって……生臭いって意味かなと」
「……同じ匂い?」
シュラハトはピンクブロンドの少女を改めて見る。
小柄で巨乳のエルフ少女だ。
妖精相手に見えない漫才をしているようにしか見えない。
幼く儚げなアユとは似ても似つかない。
「似てねえな」
後日、シュラハトにとって守るべき対象としての沙那への思いが強くなったのはこの時だったのかもしれない。
「テイル様、温泉の湯が出なくなったと報告が」
「それがどうした?」
部下の報告にテイルは渋面になった。
「雨が降って、止むのと同じようなものだ。そのうちまた出るでしょう」
「しかし……こんなことは初めてで」
「だからどうした」
「口さがない者たちは精霊の怒りに触れたのではと」
「馬鹿馬鹿しい!」
テイルは乗馬鞭を机に打ち付けた。
「精霊とやらがいるというのはごく一部の者が言ってるだけだ。非論理的だ」
「ですが……」
「では、訊こう。貴公には精霊が見えるのかね?」
「……見えませぬ」
「そう。私にも見えない。ほとんどの人間には見えない。見えると言ってるのはたった数名です。つまり……」
テイルは部下を睨みつける。
「出鱈目だってことです。目に見えない存在を如何にも存在するように騙っているだけでしょう」
テイルは精霊が嫌いだった。
単純に自分には見えないということもあるが、精霊の言葉によって家の中での序列もが決まるのも嫌だった。
非論理的なことこの上ない。彼は合理性が好きだった。
あやふやなものは一貫性を欠く。政治や統治には不要なものだ。
「動乱の時代が近づいているのです。そんな些事は放っておきなさい」
そう。テイルは使者を飛ばして暗躍する帝国貴族がいることから、混乱を予知していた。
策を巡らす連中には話を聞いているふりをしながらも、使われるつもりはなかった。
むしろ逆手にとって自分が歴史の表舞台に飛び出すチャンスと思えた。
「一を知って十を知る理知的な思考が至上なのです。戦術よりも戦略、より大きな視点で思考行動しなければいけませんよ」
精霊など馬鹿馬鹿しい。そう小さく言葉を噛み潰した。




