2章 多島海~10 騎士から戦士に
10 騎士から戦士に
ゲイザーは帝国に帰還した。
戦闘は事実上の敗北である帝国軍の撤退という形だったが、先の戦闘から生還した英雄という形で後退する帝国軍に合流したのだ。
惨めな敗北だったからこそ英雄的存在が必要だったのだろう。
エステルレン王国国王の御前に召し出された理由も戦意高揚のためだった。
「ヘルムトよ。良くぞ戻った」
玉座に肘をかけて座った帝国三王朝の一角を占めるエステルレン王国国エスカーが鷹揚に手を叩いた。
「報告では山中に篭り、賊軍と戦い続け、100を超える首級をあげて帰還したそうだな」
エスカー王は満足そうだった。
「今回は心惜しくも数万の賊軍に囲まれ引き分けということだそうだが、次こそは目標を達成したいものだな」
ゲイザーは御前で頭を下げながら返答に迷っていた。
彼自身は戦い続けたというよりも捕えられて命を助けてもらった方なのだ。
数万の賊軍というのもおかしい。
テリューの村に至っては戦い得たのはせいぜい数十人、援軍として来援した海の民を含めても1000人いるかどうか。
「父上」
そこにヘインリヒ王子が進み出る。
「激戦でありましたが略奪された物資の一部を何とか回収に成功いたしました。こちらに」
大きな木の樽が2つ並べられている。
王子側近の騎士が樽の蓋を開けると、縁いっぱいにまで詰め込まれた胡椒が姿を現した。
「おお……」
エスカー王の目の色が変わる。、
帝国において胡椒は同量の砂金と等価といわれる。
つまりは樽2つ分の黄金に等しい。
「これは一部でしかありませんが、次は全ての量を取り戻して御覧にいれます」
「……全て……というとどれほどの量なのか?」
「は。倉庫2つ分で御座いますから……ざっとこの2~30倍はあるかと!」
「お……おお……なんと!」
エスカー王は恍惚とした笑みを浮かべる。
どれほどのものか想像しただけで涎が出そうだった。
この場で面白くないのはただ一人、ゲイザーだけであった。
奪われたはずの荷なのにその全量を把握していないということはどういうことだろうか。
いや。説明されずとも分かる。
海の民が持つ蓄えがあることを知って、強奪しようとしたのだ。
それも老人や子供ばかりの隠れ里を狙うという卑劣極まる行為で。
海賊の殲滅が目的だったはずなのに、第2次討伐の時はどうだったか。
真っ先に倉庫になだれ込んだではないか。
どちらが賊なのだろうか。
エスカー王は興奮気味に唾を飛ばした。
「次は他の諸侯も集めて必ず殲滅しようぞ!ヘルムトよ、卿も先陣を切り、新たな武功をあげるがよいぞ!」
王の脳内では打算が蠢いていた。
親戚や友好的な諸侯の名と、動員可能な兵力。2万?3万?それでも分け前は十分なものになろうか。
「畏れながら……陛下に申し上げます」
ゲイザーは顔をあげた。
王の許可なく顔を上げるなど不敬極まりないのだが、その目は決意に満ちていた。
「かの地は私の見たところ、海賊の拠点とは思えませんでした。老人や子供などがほとんどの小さな村に過ぎませぬ」
「なんと?」
「余生を過ごす世捨て人の集まりでしかなく、海賊の拠点は別にあると考えます」
さらに続けようとするゲイザーをヘインリヒが手を振って止める。
「何を言う」
ヘインリヒは不快な色を隠さない。
「確実な筋の情報なのだ。あの島が海賊の一大拠点なのは間違いないのだ!」
「殿下!……2度の大敗にも懲りないのですか?」
ゲイザーは帝国騎士であるまじきことを口にした。
「我らは王国海軍のかなりの兵力を動員してなお、海の民にすら大敗したのです」
そして王に向き直る。
「失敗続きの上に次も大遠征を行うとなれば、絹の国などの大国の介入を呼び起こします。それこそ引き返すことができなくなりましょうぞ!」
「帝国は無敵!栄ある帝国兵士の鬼神のごとき強さを称え誇りて、卑しくも帝国騎士ならば心躍ることではないか!」
ヘインリヒが叫ぶ。
長身で金髪美貌の青年が声を張り上げると、それは神話の戦神の勲にも聞こえる。
周りに立ち並ぶ騎士たちも天を突くような咆哮を上げる。
「お待ちください!」
ゲイザーも負けじと叫ぶ。
「ならばこそ!帝国の威勢をもってかの地を懐柔し、利益を分け合うことを条件に出されては如何かと愚考したします」
「愚かな!」
ヘインリヒは蔑んだ目でゲイザーを見た。
「臆したか!ヘルムト!帝国開闢以来、賊は悉く討ち滅ぼし!その財は全て帝国の下に置かれるのは常識ではないか!」
もちろん判らないわけではない。
ゲイザーもずっとそうして生きてきたのだ。
だが、この度の遠征は高価な香辛料の略奪が目的なのは明白だった。
それが間違いなく海賊のものであるなら申し分はない。
しかし、ゲイザーは見てしまったのだ。
長閑で静かに暮らす村を。
『みんなで少しづつ豊かに』
今ならあの言葉が少し分かる気がした。
そして、自らの命を分け与えてくれた少女アユ。
少女が冷たくなっていく様を見たときに、ゲイザーの何かが変わった。そんな気がした。
「誰も傷つかずに利益を分け合うことができれば、それは素晴らしいことではありませぬか。まさに帝国皇帝陛下の慈悲を世界に照らさんとする良い機会になりましょう」
「ヘルムト!」
エスカー王が宝杖で床を叩いた。
強く、激しい音だ。
「卿は帝国騎士であろう!帝国の武を世界に示すことの何が不服なのだ!」
「不服ではございません。帝国の威勢は様々な形であってもよろしいかと思うのです」
「話にならん!」
エスカー王が立ち上がった。
眉を逆立てて憤怒の表情だ。
「臆病者め!ヘルムトよ、たった今から騎士の身分を剥奪する!庶民に落ちて反省するがよい!」
「陛下!」
「ええい。さっさと叩き出せ!」
そこまで叫んで、ゲイザーの親族の顔を見て付け加えた。
「ただし、この乱心者を勘当し以後復縁なきように約束するならば、ゲイザー家の罪は問わぬことにする」
古い騎士家であるゲイザー家を取り潰しにすると後々反発の種をまくことになってしまう。
ゲイザー家自体の戦力も失うには惜しい。
その程度の判断をする程度の冷静さを失うほど愚かな王ではなかった。
ただ王子ともどもに強欲なだけなのである。
ほっと胸を撫で下ろすゲイザーの父や兄弟たちを尻目に、ヘルムト・ゲイザーはその場から叩き出された。
かつて騎士だったヘルムト・ゲイザーは王都のとある酒場にいた。
勘当されて行くところもなく、そして仕事も金もなかった。
このままなら野垂れ死にだろう。
騎士として育った彼にとって手に職はなく、出来ることはせいぜいが戦うことだけだ。
そこで飛び込んだのがこの酒場だった。
冒険者と呼ばれる何でも屋……といえば聞こえが良いが、実のところは世の中からはみ出したならず者たちが仕事を求めて集まるたまり場の一つだった。
上手くいけば店の名前がついてちょっとはマシに見られることもあるだろうが、放り出されたばかりのゲイザーは店に溜まったチンピラでしかない。
それに鎧も剣もほとんどが取り上げられてしまい、持っているものといえば普段着であった簡素なスモックと銀貨数枚だけであった。
討伐のような冒険をしようにも装備自体が何もない。
体格が良いというだけで、周囲からも少し浮き気味だった。
そこに中肉中背というよりは若干上背のある黒髪の青年が近づいてきた。
「よっス。見慣れないっスな。兄さんはアレっすか?バリツとかなんとか……殴ったり蹴ったりで戦うのが得意な人っスか?」
皮肉っぽい少し垂れ気味の目が特徴的な男だ。
だが、その顔つきから受ける印象と違って声は茶化した様子がなかった。
「……得意なのはどちらかというと剣だな」
青年がじろじろとゲイザーの格好を眺めまわした。
「ほー……。なのに素手のままこの店にいるんスか?」
男が心底不思議そうに訊いた。
不躾な男だが悪意は感じられなかった。
「正直に言うと……金がなくてね。武器どころか、ここでエールを何杯か飲んだらもう何も残らないくらいさ」
「へー。ほー。……そりゃあ興味深いっスな」
男は断りもなく勝手に向かいの席に座った。
「なら一度オレと組まないっスか?兄さん、けっこう強そうに見えるし」
「……どうかな」
「なあに、付き合ってくれるなら長剣と革鎧くらいプレゼントするっスよ?貰っておけば後々でも使えてお得っス」
男が口の端を上げて小さく笑った。
愛想良いつもりなのだろうが顔つきのせいで上手くいってはいなかったが。
「冒険者は自立更生、他人の面倒まで見るのか?」
「んー。いやさ。このちょっとした投資があとでオレに都合良く返ってくるかもしれないっスから。みんなで少しづつ豊かになっていくのは面白いっしょ?」
ゲイザーは一瞬ぽかんとした。
どこかで聞いたような言葉だ。
不思議とテリューと目の前の男の顔が重なって見えた。
「……いいだろう。後悔しても知らないがな」
「だいじょーぶっス。オレ、都合の悪いことはすっぱり忘れるから平気っスな」
「ふざけたやつだ。……で、あんたは?」
ゲイザーはじっと目の前の男を見詰めた。
何か勘が働いた気がした。
「オレっスか?オレはクローリー。クロで良いっスよ。これでも……まー……魔術師ってやつっス。研修中っスがね」
クローリーが伸びをしてみせた。
どこか、とらえどころがない感じもする。
魔術師というには逞しい体つきだった。
袖から覗く腕も筋肉質で、そこらのチンピラくらいは素手で叩き伏せるくらいしそうだ。
これで剣でもぶら下げていたら十分に剣士に見えるだろう。
「で、兄さんは?」
「俺か。俺は……」
ゲイザーは少し腕を組んで考えた。
「……戦士だ。戦士とでも呼んでくれ」
「ほー。おー。じゃあ、シュラさんスな?かっこいい冒険者ネームっス」
あからさまな偽名にもクローリーは動じなかった。
冒険者なんてみんな脛に傷持つ者ばかりなのだ。
「ん。じゃー。おねーさーん」
クローリーは恥ずかしいほど手をぶんぶん振ってウェイトレスを呼ぶ。
「命の水を2人分ー……って、ボトル2本スよ?おつまみチキンで!太るのは嫌っスからな」
「おいおい……?」
「飲んでー食ったらー……武具屋っスな。宿はオレんとこでーって……オレは、そっちのケはないから安心するっスよ」
「何言ってるんだ」
「オレはこう~ぼいんぼいん!なのが好みなんス」
クローリーがくねくねと手で胸にお椀を作った。
いやメロンくらいあるだろうか。
「誰も聞いてねえよ」
ゲ……シュラハトは肩を竦めた。
まさかこの男と長い付き合いになるとはこの時はまだ思ってもいなかった。
クローリー生涯最大の友シュラハトという存在はこの時から始まった。
次回からまたクロ沙那が出てきます。




