2章 多島海~6 海神テリュー
6 海神テリュー
「ここは……どこだ?」
ゲイザーは横になったまま周囲を見回す。
広い土間。老婆と男は絨毯のような敷物の上に座っている。
建物は木造でところどころから陽の光が入り込むような隙間がある。
木製の机や椅子もみえるが、今は使っていないようだ。
部屋の中央に火の焚かれた場所があり、梁から吊り下げられた鍋が掛けられている。
漂う蒸気と微かに何かの穀物の煮えた香りが鼻を擽る。
「どこって……あたしの家だよ」
老婆が剣を床に置いた。
あの戦場で暴れまくっていた老婆だった。
「強盗なのに生き残れたことを感謝するんだね」
「私は騎士だ。騎士としての取り扱いをするように要求する」
「何言ってんだい。良く言ってもただの捕虜だろ?」
老婆が睨みつける。
「善良な庶民の家に襲い掛かってモノを奪う連中を強盗っていうのさ。普通は縛り首か打ち首だね」
「それはお前たちだろう。海賊め」
「ほっ……ほー」
老婆が少し笑った。
「海の民っていう意味では『海族』だねえ」
「おまえらは帝国の善良な商人を襲って略奪しただろう?それを奪い返しに来て何がおかしい」
「……あたしらは商人を襲ったことはないけどねえ。ましてや貧乏そうな帝国の商船を襲うなんて物好きは」
そして再び睨む。
「あんたら未開な野蛮人と一緒にしなさんな」
「それはおまえたちだろう。海賊め」
ゲイザーが睨み返す。
彼にとって帝国は生きる全てだ。愚弄されて穏やかな気分にはなれない。
「あたしらは、このあたりの治安を守って……まあ今は若い連中に任せてるけど……ちょっとばかりのお金をいただいてるだけさ。海の民はお互い少しづつ助け合いながらそこそこ平和に生きてる善良な人間さ」
「ふざけるな。じゃあ、帝国の商船が行方不明になってるのはなんだというんだ?」
「しらないよ。そもそも帝国の船なんてめったに見ないしね」
老婆が立ち上がった。
老いた割にはしなやかな身のこなしであった。
小柄で細い。あの体躯でどうやってあれほどの力を発揮できるのだろうか。
それとも……それが噂に聞く異世界召喚者の力であり、エルフの不思議なのだろうか。
老婆が細剣を掴むと、僅かに鍔鳴りがした。
「さって。もうひと暴れしてくるけど。どっちが盗賊かはあたしが斬りこむ前に外を見てくるんだね」
「……何を言う」
「見りゃあ判るよ」
老婆は太い腰紐に細剣を差すと、別な、柄が長めの細剣を掴んで外に出る。
ゲイザーは扉から差し込む逆光に手を翳しながら、ゆっくりと立ち上がる。
「他所様のものをせっせと運び出してる頃だろうさ。まあ……奪い返すさ」
恐るべし自信。たった一人で何を成し遂げようというのだろうか。
決意と余裕に満ちた瞳。
彼の目の前にいる老婆はかつての伝説化した英雄の一人なのだ。
重い体をのろのろと起こして、老婆の後ろに続くように外に出る。
そこは港が一望できる位置だった。
目標にしていた一番大きめの家だった、
「おまえがここの族長か?」
「族……村長っていうか……相談役っていうか……ただの年寄りさ」
「……賊のくせに」
「だーかーらー。どっちが賊か見てごらんよ」
老婆が指さした先には、ゲイザーとともに突入してきた帝国兵たちが船に荷物を運び込むところだった。
倉庫と思しき大きな建物から次々に運び出される樽や木箱。
泣き叫ぶ若い娘を担いでいくものもいる。
「あそこにあるのは香辛料の倉庫なのさ。はるばる東の国々から運ばれてくるものでね。あんたたち帝国人がけっこう良い値段で買ってくれるものだから、あたしらは悪さしなくてもそこそこ豊かにやっていけるのさ」
「奪ったものだろうに」
「まっさか。東じゃあ雑草みたいなもんだからね。ちょっと奮発すれば喜んで渡してもらえるような代物さ。ま、この隠居村じゃあ貯金みたいなものでね。足りない生活費はあれを売ってしのぐ。贅沢はほどほどに、みんなが安心して暮らせる程度にはやっていけてる理由さ」
「信じられない。胡椒は同量の砂金にも匹敵するのだぞ」
「そりゃ、怠け者で、他人から奪うしか考えない帝国人だからだよ。少しは外の世界も見てきなっての」
老婆は港の様子を丁寧に観察する。
襲い掛かる順番を決めているのだ。
「週に一回とか月に一回くらい家族で寿司パーティーするくらいのささやかな贅沢はするがね。毎日ご馳走食べようっていうわけじゃない」
ゲイザーには理解ができない。
強者が奪い、弱者は奴隷になるのがこの世の習いだ。
分け合うという感覚はない。
「娘っ子たちが慰み者になる前に助けなくちゃね」
老婆が後ろを振り返る。
弩を一本は背負い、一本は手に握った男が頷いた。
「じゃ。ま。いってくるわ」
ドワーフの老人が黙って頷く。
「テリューさま。お気をつけて」
老婆は抜き身の柄付細剣を掲げて、斜面を走り降りていく。
船まで一気に向かうつもりらしかった。
「あんたも死にたくなければアユの傍で大人しくしているが良いぞ」
男は弩を巻きあげ太矢を装填すると、老婆の後をゆっくりと追い始める。
ときおり立ち止まっては弩を放つ。
そして再び巻き上げて、ゆっくりと歩きだす。
太矢が風切り音をたてる度に、どこかで人間の悲鳴が上がる。
「アユ……?」
聞きなれない言葉に首を捻るゲイザーの傍で、少女が自分を指さす。
「アユ」
「……お前の名前か」
アユが、ぱっと笑った。
「妙な気は起こさんでくれよ」
横からスッと刃がゲイザーの喉元に伸びた。
小柄で褐色の肌の老人だ。
豊かな白い髭が臍のあたりまで伸びている。
ずんぐりしているその特徴的な姿でドワーフ族であることはすぐに判った。
「剃刀の切れ味の細刀じゃ。老いぼれたワシ程度の腕でもおぬしを真っ二つにするくらいはできるぞ」
僅かに反りのある長剣で、ゲイザーの知る帝国のものに比べてかなり細いが鏡のように研ぎ澄まされたものだ。
老婆の使っていたものよりも少し短いが、ドワーフの手足に合わせてあるのだろう。
「見てみよ。あの醜態を。おぬしたちが盗賊でなくてなんだというのだ?」
老人は顎の先で港を示す。
帝国の兵士たちは荷物や略奪物を船に載せるのに忙しい。
そこに駆け下りていった老婆が白刃を煌めかせて斬りこむ。
パッと血飛沫が上がると誰かが倒れる。
そのまま二段櫂船に飛び乗り、兵士たちを次々に斬り捨てる。
「……八艘飛びじゃ。何十年かぶりに見るな」
ドワーフの老人が皺でくしゃくしゃになった顔を見せる。
一瞬、テリューと呼ばれた老婆の姿が見えなくなったと思うと、漕ぎ手たちを連れて再び姿を見せた。
奴隷である漕ぎ手たちの鉄枷を断ち切って解放したのだろう。
裸の奴隷たちが落ちている武器を拾い、兵士たちに襲い掛かる。
そこに一瞬の隙を突こうと兵士が斬りかかっても、確実に太矢が飛んでくる。
弩の男は恐るべき射手だった。
「あれが神射手の腕じゃ。昔からああいうやつはたくさんいた」
テリューはまさに鬼人のごときの暴れっぷりだ。
背後を弩の援護に任せて、右に左に斬りまくる。
なるほど。あれが異世界召喚者というならば、国が挙って探し出すのも無理ははない。
「あの婆ぁは一騎当千どころか、一騎当万じゃぞ」
ドワーフの老人がひょひょひょと笑う。
正規の帝国兵ではあるものの、略奪品を持ち帰ることに意識がいっていて抵抗は統一性がない。
老婆によって良いように倒されていく。
「あれでこの海を守り通してるんじゃ。海の民がみんなあの婆ぁについていく理由がわかるじゃろ?」
テリューの起こした嵐は凄まじい。
混乱を起こして数の不利を埋め、圧倒的な剣技で辺りを制圧する。
そこに隙があったとすれば、捕まえられた少女たちの救出を最優先にしているところか。
総大将であるヘインリヒ王子は顔面蒼白だった。
圧倒て有利な戦力であったのに、謎の老婆のために軍が総崩れになりつつある。
「者ども!余を守れっ!一時転進する!」
恐怖の色の混じった若い声はヘインリヒ王子だ。
そう叫ぶのが精一杯だった。
視界の中で謎の老婆が単身で暴風と化して数十人を斬り倒していくのだ。
悪魔が何か、訳の分からないものに見えた。
撤退の合図である銅鑼が鳴らされる。
ヘインリヒ王子座乗の二段櫂船が大慌てで、岸から離れる。
手の空いた兵士たちが弓矢を射るが、老婆を捉えられない。
近くに飛んだ矢も軽くいなすように細剣で叩き落す。
「あれが……伝説の異世界召喚者のテリューか……」
副官としてヘインリヒについてきた側近の老伯爵が独り言ちた。
「異世界召喚者だと?」
ヘインリヒが振り返る。
若い女性たちの視線を集める美貌は、いまやその金髪は汗で肌に張り付き、視線は落ち着かない。
「は。もう数十年前に引退したはずの女海賊です。どこにも仕えずに多島海の覇者になったといわれる極悪人です」
「異世界召喚者とはそれほどのものなのか……伯父上たちが欲しがるのも分かるな」
「ですから、ここは諦めて……」
「愚かなっ!」
ヘインリヒは叫ぶ。
「異世界召喚者とはいえ、不死ではあるまい。、見たか?あの無様に老いた体!」
「いえ。しかし……」
「なあに。次は数倍する兵力で磨り潰して見せようぞ。あの倉の香辛料はすべて頂く。あれだけあれば国家予算数年分はあるかというもの」
ヘインリヒは復讐を誓って海面を見つめた。
たかだか小さな村ではないか。
「仲間を見捨てて逃げるとは船乗りの風上にも置けんな」
ドワーフの老人は細剣を動かさない。
「見たか。略奪したものを担いで見っとも無く逃げる姿。よりによってテリューの村を襲うなど……」
「戦争で戦利品を獲るのは当然の権利だ」
ゲイザーの言葉に老人はじろりと睨み返す。
「何故奪う?みなで分け合えばみなが幸せになれると思わんのか?帝国人は略奪ばかりだ」
ゲイザーには老人の言葉がわからない。
身分の高いものが富を得る。どこがおかしいのだろうか。
「テリューは怒っちょるぞ。次からがは帝国の軍船が見えたら皆殺しじゃろう。殺した補償をしてきちんと謝罪せんと止まらんぞ?」
「テリューって誰だ?」
「ほら。あの婆さんじゃよ」
老人が目線で示した先に、引き上げてくる老婆の姿があった。
「海神テリュー。忌々しいエルフだが……多島海が誇る最強無敵の剣姫……婆さんじゃ」
小さなアユが老人の言葉にこくこくと頷いた。
「アユはその曾孫でな。攫って人質にしようとしたら細切れにして鮫のエサにされるぞ」
アユがぷいぷいっと首を横に振る。
「……まあ、アユに感謝するんじゃな。本当ならおまえさんなんか殺しても飽き足りない」
「……殺しちゃダメ」
アユがつぶらな瞳で見上げる。
「なんでこんなのを生かしておくんだか……」
老人が呆れたような声を上げると、アユが老人の服の裾を握る。
「生きてたから……」
そしてゲイザーを見上げる。
「きっといいひとだから」
「……帝国の盗賊をか?」
「そういうきがする。……人は誰でも生きてる方が良い」
老人は自分の額を叩く。
わかってはいたのだ。そういう娘であることを。
引き揚げてきた老婆――テリューが剣を鞘に収めつつ3人を見た。
「どうだ?わかったろう?」
「……今回は不覚を取った。だが帝国軍は次は総攻撃してくる。海賊どもを殲滅しに」
「まだそんなこと言ってるのかい」
テリューは溜息を吐いた。
「……ばあば。腕……」
アユがテリューの腕に斬られた傷があるのを見つけた。
「たいしたこたあないさ」
テリューはぶんぶんと腕を振ってみせる。
「……傷。治す……ばあば」
アユがとことことテリューに近づいて傷口に手を翳す。
「やめなっ!!」
鋭い声だった。
テリューがアユの手を掴んで払う。
「その術は使っちゃいけない。いつも言ってるよね」
平手でアユの頭を叩く。
その様子を見てゲイザーは胡乱気な表情をする。
「何やってるんだ?」
「ああ……」
ドワーフの老人が困ったような顔をする。
「アユは治癒の奇跡を使うことができるんじゃ。神の御業のな」
「治癒……神の奇跡のか?」
さすがにゲイザーも驚愕した。
「あんたの傷もアユが治癒の秘術で癒したんじゃ」
「……それでか。凄い。教会の高位神官の一部しか使えないと聞くのに。……海賊風情には勿体ない」
ゲイザーも体験したのは初めてだ。
治癒の秘術はあくまで噂や都市伝説でしかない。
神に愛されたごくごく僅かな人間にしかできないという。
「……神の奇跡なもんかっ」
テリューは吐き捨てた。
ゲイザーはそれが気に入らない。
「そこは讃え、神に感謝し、誇るところじゃないのか?」
「……そっか。あんたは知らんのか」
ドワーフの老人が残念そうに首を振った。
「治癒の術は、術者の寿命を、命を分け与えるものなんじゃ。使うごとに命を縮める」
「なんだそれは……?」
意味が分からない。
「あんたらは何も知らなすぎる……」
「治癒の秘術は時間を戻す、らしい。つまり怪我を負う前の状態に戻すんじゃな。そして、その代償は……術者の命なんじゃ」
「……なんだそれは?」
ドワーフの老人は僅かに悲しげな眼をした。
「わしらが気付く前に、すでにアユは何度も無意識に使ってしまっておる。だから……あの子があとどれくらい生きられるかわからんのだ」
テリューは孫娘であるアユの頭を優しく撫でる。
彼女の大事な肉親なのだ。
「この村はそういった無作法どもに利用されかねない者や老人、それを助ける一部の家族が静かに生きるための隠居村じゃ」
ドワーフの老人がテリューに視線を伸ばす。
「あの婆さんももう残り幾ばくも無い人生をここで終えるために、アユのような者たちを守るために作ったんじゃ」
「……海賊の根拠地のはずだ」
「そう思うなら、しばらくこの村にいるが良い。そして落ち着いて辺りを眺めるんだね」
テリューが細剣の血糊を払った。
ドワーフの老人は可哀相な者を見るようにゲイザーに呟いた。
「あんたを助けるために、アユは何年かの寿命を削ったんじゃよ」
ゲイザーは言葉を失った。




