第8章 人族の中の竜 3~鎧の近づく音
第8章 人族の中の竜 3~鎧の近づく音
●S-1:男爵領/大農場
一面に広がる緑。
あちこちに見える小さな白い花。
芋畑だった。
一度は焼け落ち荒廃した開拓地は今ではすっかり巨大な農場に変わっていた。
個人所有の農地ではなく男爵直轄地として作られたものだった。
クローリーは農地の個人所有も認めてはいたが、初期費用を持たない者たち……主に移民として移り住んできた者たちを対象に大規模農場で雇用をしていた。
余剰収入は少ないかもしれないが、住居と食事の提供と仕事の斡旋をしていたのだ。
着の身着のままの状態でも取りあえずは食事と仕事にありつける。
農作業は重労働ではあるが過剰労働をさせないことと、週払いで賃金を支払うことなどが決められている。
本来は低所得労働者の救済が目的だったのだがいつのまにか移住してくる人々の受け皿になっていた。
もちろん芋の栽培だけではない。
実験的に植えられているものもある。
今のところ最も成功しているのが芋……それも馬鈴薯だったので、食糧事情改善のために優先的に栽培していたに過ぎない。
ただし芋類は病気に弱い。
連作に向かないので甜菜や玉蜀黍などを交互に植えていく。
いずれも主食にできる野菜ばかりだ。
甜菜は砂糖に加工が可能だが現在は試験中である。
成功したら砂糖の価格はさらに下がるどころか輸出品にもなるだろう。
農場の端には横倒しになった金属の樽が載った荷馬車のようなものが停まっていた。
これは試作第一号の蒸気機関トラクターだった。
未だに試作なのは重すぎることと操作が難しいためだ。
テストした結果、重量を半分くらいにしたいとなったのだが蒸気機関はそれ自体が重過ぎた。
ならば魔素機関をとも考えられたのだが、その場合は魔術師が入なければ起動できなかった。
ミスリル鉱を使えば軽量化は可能だったがそれは難しい。
鉱石の絶対量が少ないのだ。
それに優先的に用いなくてはならないものも多く、現状ではとてもトラクターには回せなかった。
飛行船製造時に得た車輪型ロータリーのノウハウは便利だったのだが。
今のところは試験走行時に耕筰するのが精一杯だった。
実用化できれば農作業の負担はかなり軽減される上に、重量物の運搬などには大活躍するだろう。
当面は牛馬のような家畜を使うしかないようであった。
その改良を担当していたのは主にラベルだった。
彼は作動理論よりも実用機械に精通していたからである。
ゲリラやテロリストとしての行動が多かったとはいえ元々は機械工だ。
しかも途上国だったので現物合わせの加工修理はお手の物なのである。
小型の農業用汎用エンジンなどは嫌というほど扱ってきた。
実際、工作機械さえあれば簡単なものなら作ることもできる。
10馬力程度のガソリンエンジンなど余裕のはずだ。
問題はガソリンが手に入らないこと。
石油の輸入は始まっていたが量が少なすぎた。
揮発性の高い油は貯めておくことすら困難だ。
何をすればよいのかは判る。
だが材料が無ければ作れない。
そういうジレンマに陥っていた。
中世のような世界の生活では現代世界でなら簡単に手に入るものが手に入らない。
当たり前のものがないのだ。
だからこそ常に何かが足りなかった。
男爵領に発電機が設置されてからだいぶ経つが未だに電気は上手く実用化できていないのもそのためだ。
電気が使えれば劇的に材料が進化するのではあるのだが、それはもう少し先になりそうだった。
ラベルは試作トラクターに近づくと担いできた麻袋を地面に置いた。
燃料の石炭だった。
最近はすっかり機械の調整や修理作業が多くなっている。
実務能力で最も向いていたからだった。
ここは彼の故郷にどこか似ている気がした。
気候も違う、地形も違う、人々の容姿もかなり違っているにも関わらずだ。
むしろ彼らにとって敵である異教徒……欧米の侵略者たちに近い人種に見えた。
それなのに何故?と問われれば、現代の先進的な生活から遅れている部分だろうか。
いや。違う。
今よりも生活向上が可能なことをうっすらとだが判っていて、そこに向かって進もうとする人々の意志を感じるからだった。
彼の祖国は決して貧しい国ではないはずだった。
それが長く続く戦乱と混乱で何もかもが貧困国レベルになっていた。
だからこそ彼は武器を手にしたのだった。
貧しさから抜け出したい。
力のない人々を救いたい。
しかし、なかなかそうはならなかった。
生まれる前のことだったが元々は富を独占する邪悪な支配層を打倒する革命からだったと聞いている。
人々は決起し、権力者を追い出した。
これで人々に富が再分配されるはずだ。
……はずだった。
想定外のことが起きた。
革命の旗振りをしていた愛国者だったはずの層が新たな支配層として入れ替わっただけだったのだ。
新しい支配者たちは前任者より更に酷かった。
世界有数の豊富な天然資源を有する国であるはずなのに、革命からこっちひたすら貧しかった。
膨大な富を支配層が占有していたからだった。
前よりも悪くなった。
それが老人たちの感想だった。
富の奪い合いから起きた隣国との長い戦争。
苦しい国民生活はさらに貧しくなった。
さらに異教徒である欧米先進国が介入したり攻撃したり、国土は荒れに荒れた。
為政者たちは叫んだ。
これは異教徒に対する聖戦だと。
打ち勝たねば未来はないのだと。
ラベルが疑問を持ったのは割と最近であった。
電話線が国の隅々まで整備されているわけではない地域では、携帯電話やスマートホンが最良の通信手段だった。
インターネットを覗いた時、最初は異教徒たちへの怒りは倍増した。
彼の祖国のような国を搾取して発展していった欧米国家と、その横柄な発言と振る舞いに腹が立った。
打倒せねば!思いは募った。
そこに変化が起きたのは遠い小さな国のことを知ってからだった。
その国は彼らの主敵であるアメリカと壮絶な戦争を行って、敗北し、瓦礫ばかりになった国だった。
なのにその国は僅か20年で大きく立て直して経済大国にまで上り詰めていた。
G5(のちのG7)として先進国と扱われるようになったのだ。
しかも、欧米のような白人国家ではない。
衝撃を受けた。
そんなことが可能なのか。
訝しがったが同様に続いていく国が続々と現れたことで納得せざるを得なかった。
自分たちは何かを間違っていたのではないかと。
スマートホンによるインターネットは彼が本来知りえないはずの様々な情報をくれた。
デマやプロパガンダもあったが何よりも映像という事実は強かった。
豊かさを謳歌する街並みと人々の表情。
何もかもが彼の祖国とは違った。
それを強国の搾取だと言い切れなかった。
焼け野原になり瓦礫ばかりの戦争直後の姿と比べるととても信じられないほどだった。
反米闘争に明け暮れていた自分が情けなくなった。
戦うことだけが人々を救う手段ではないのだ。
そして邪悪な支配を受けていた時代の祖国の映像はもっと衝撃的だった。
良く知る彼らの首都の風景はまるで欧米の都市のようだった。
ところどころ見える現在もある建物がよりリアルだった。
賑やかな先進国のような景色は彼が目指す未来そのものだった。
なるほど。
確かに先の支配者は信仰心を捨て、欧米と結託した不信心者であったろう。
それでも今よりも遥かに多くのインフラなどを国民に提供してきていたのだ。
真実は判らないが、国民生活向上のために欧米に媚を売ったのだ。
信仰心と自尊心を捨てて。
それは為政者としては今よりもまだマシだったのではないだろうか。
国や権力者のプライドなど国民の豊かさと引き換えにするほどのものではない。
手にしたスマートホンは新興国家の製品だった。
先進国からすれば粗悪な劣化コピー品でしかなかったが、彼の祖国ではそれを製造することも部品を作ることもできなかった。
彼が活動に使用した車は軍用品でも何でもない。
先の小さな国が製造した民生品だった。
それでも彼らの国産軍用品よりよほど高性能で信頼性が高かった。
様々な分野で立ち遅れている。
その事実を突きつけられたラベルは、少し変わった。
変節者と呼ぶものもいた。
そう呼ぶなら呼べ。
最優先すべきは人々の生活だ。
当面のプライドを捨てても立て直せなくてはと思った。
彼と同様の者の多くは祖国を捨てて、他国へ逃げた。
より豊かな生活を求めて。
しかし、彼は違った。
逃げない。
異教徒や異民族でもできたことが自分たちにもできなはずがないのだ。
汚いこともした。
人も少なからず殺した。
それでも無辜の人々には危害を加えていない。
指名手配もされた。
同胞たちからは裏切り者と後ろ指を指されたこともある。
いつか必ず塗炭の苦しみの人々を救うために。
ここにいるとその頃を思い出す。
異世界召喚者の知識という指針を糧に、必死に働く人々の姿があった。
ラベルの祖国同様に……いや、より貧しいかもしれない。
それでも一歩一歩進化していくことを体感できる風景がそこにあった。
彼の目の前に横たわる蒸気機関トラクター試作車がそうだ。
本職が技術者の端くれだったラベルから見ればガラクタに等しい機械だ。
彼の元居た世界ならば、その辺りにある発電用エンジンを流用して効率的なものが簡単に製作できる。
ところがここにはそんなものは存在しない。
そもそも部品が何もない。
それどころか機械を組みたてるネジすら手作りしなければならないのだ。
もちろん時間さえあれば職人が削り出しで作ることは可能だ。
だがそれではダメなことを技術者なら理解できる。
現代世界ならばどうということのないあたり前の部品が手に入らないとどうしようもないのだ。
それに工具もない。
それも一から作らなければならない。
基礎工業力とはそういうものだった。
時間をかけて積み上げた下地が必要なのだ。
規格品のネジや工具などはすぐに手に入る環境でないといけない。
今、彼が進めようとしていることはそういう分野だった。
部品があってこそ技術者や職人を育てることができる。
教育も大事だが環境を整えることも重要だった。
紗那やヒンカは知識はあっても実務経験はない。
ラベルの出番だった。
拾ってもらえた恩返しというだけではない。
明るい未来へ進もうとする人々の姿に故郷を重ねてしまったからだ。
「……?斥候か?」
ラベルはふと顔を上げた。
広い農園の先にある丘の上に人影を見たからだった。
馬に騎乗していた。
服装から何者かを判別することはできなかったが、農民などではないことは確かだった。
技術者としてではなく、戦士ラベルとしての勘だった。
惜しむらくは彼はこの帝国世界のことをあまり知らない。
異世界から召喚されてからずっと蛮族領で奴隷として働かされていただけだったからだ。
もしも今少しこの世界の知識があったのなら、その後の行動は違ったかもしれない。
仮に斥候だとしても特に気にする必要はなかった。
戦時でなくても周辺の領域威を偵察するのは当たり前のことだ。
戦争になってから慌てて斥候を出すようでは遅いのだ。
だから、誰がどう調査に来ても不思議ではない。
ラベルたちにとって情報収集は大事な生存戦略でもあったからだった。
「近隣の勢力なのだろうな」
それ自体は間違っていなかった。
●S-2:男爵領近郊/丘の上
「なんとも不気味な植物よ。見たことも聞いたこともないわ」
馬上のバラント男爵ルネ・ディ・リューは苦々し気に手に取った茎が付いたままの芋を投げ捨てた。
長らく芋類は帝国には存在しなかった。
見慣れない植物というだけではなく調理法を知らなかったので灰汁抜きができないために食中りすることが多かったためである。
なので学者にはその存在を知る者はいても普及することはなかった。
ルネにとっては異教徒異種族の汚らしい食物でしかない。
「まさしく不浄な悪魔のモノとは思われますまいか?クライスキー枢機卿台下」
ルネが振り向いた先には豪奢な馬車があった。
帝国藍色とも呼ばれる深い藍色に染められた長三角旗が下げられている。
これは高貴な身分を表すものとして知られるが、それに加えて赤く長い帯が付属していると教会を意味するものだった。
つまり、そこには教会でも高位の人物がいるということである。
「さて」
馬車の天幕を少しばかり開けて、初老の男が顔を出した。
樽のように肥満した体が今にもはち切れて聖衣を破り出しそうなほどだ。
その芋虫のような指には様々な色の宝石をはめ込まれた指輪が飾っていた。
「どうですかのお」
「私はこの地に悪魔の手先のような者を見たのです」
ルネは胸を張った。
右腕がない。
先の戦いで失ってしまっていたのだった。
生き残れただけでも幸運ではある。
「不気味な魔法の技を使う魔女がいたのです!」
「魔女?」
クライスキーは顔を顰めた。
「それを男爵ははっきりと見たのかの?」
「もちろん。忘れもしませんぞ」
ルネの瞳は怒りと憎しみの色で染まった。
「我が配下の魔術師ですら知り得ない不思議な技であった。轟音と共に炎を噴き上げる奇怪な杖を振るい、あらゆる生物を打ち倒していったのです」
「ほう」
「何よりその姿です」
ルネが大きく息を吸い込んだ。
「肌も露わな淫ら極まりないほとんど裸のような格好。不気味に膨れ上がった巨大な胸。まさに伝え聞く悪魔そのものでありました」
「……裸とな」
クライスキーは少し興味を惹かれた。
悪魔的というよりも、裸の女という意味であったが。
「それはけしからぬのお」
「おそらくはあの魔女めがアレキサンダー男爵を誑かして、この地に悪魔の実を蔓延らせて魔界を再現しようとしているのではないかと愚考する次第です」
「……ふむ。魔女か」
クライスキーにとって悪魔だろうが何だろうがわりとどうでも良かった。
興味があまりないのだ。
悪魔や邪神などは教会のプロパガンダでしかないことを良く知っていたからだ。
ルネが盛んに教会の敵を吹聴しても欠伸しか出ない。
……はずだった。
ふと気が付いた。
魔女?
「その魔女とやらは他に何か怪しげなことはしておらなかったのかの?」
「怪しげな?……例えばどのような?」
「そうさのう。手を不思議な光を湛えたりとか」
クライスキーは太った指をグネグネと蠢かせた。
「ふ……む。あったやも知れませぬな」
「あったのか!」
クライスキーが思わず叫んでしまった。
「光り輝いて傷を治したりとかしてはおらなかったのお?」
つい食い気味になってしまった。
思いつきで訊いただけだったのだが、まさか当たりを引いてしまったのだろうか。
彼が思っているのは、その魔女が癒しの奇跡を使えるかどうかだった。
教会でも一部の高位の問歩しか把握していない癒しの技は先天的な魔法の素養の一つだった。
傷や病気を回復させる力である。
奇跡としか言いようのない能力なのだが、実は状態を一定時間を巻き戻すものだった。
それにより異常の前の状態に肉体を修復するものだったが、それは同時に若返り効果でもあった。
教会の枢機卿団はそれを独占している。
奇跡の御業で人々を助けるために、ではない。
皇族や高位貴族に高価な代償と引き換えに肉体の若返りを行うのだ。
これによって教会は帝国の中で莫大な財力と権力を得ている。
ごく一握りしか知らない極秘事項でもある。
欠点はこの能力は使い手の生命エネルギーを大量に消費するので、多用するとすぐに命が尽きてしまうところにあった。
はっきり言えば消耗品である。
だから常に能力者を見つけ次第囲い込むのだが、何しろ能力者は極めて稀有なのだ。
探し出すのも困難を極める。
そもそも帝国と教会の暗部であり極秘事項なのである。
そこにそれに近いあるいは匂わせる存在は無視できない情報であった。
手に入れば更なる莫大な富が手に入る。
彼の枢機卿としての地位もさらに上がるだろう。
なるほど。
もしもその魔女が癒しの技の持ち主ならば捨てておけない。
他のライバルたちが気が付く前に手に入れるべきだった。
「その魔女の存在は確実ですかのお?」
「間違いありません」
ルネは大きく出た。
確信もなにもクライスキーの興味を向けるためには何でもするつもりだった。
彼が欲しいのはクライスキーが動かせる戦力の方だった。
先の戦いで手勢の多くを失ってしまったルネにとって、再起を図るには今度こそアレキサンダー男爵領から略奪するしかなかった。
そのための戦力は半減していたのだから、友軍になるなら誰でも良かった。
それがクライスキー麾下の神殿騎士団だった。
下手な帝国騎士団よりもよほど強力な存在だ。
上手く利用できればかなりの戦力になる。
「このような邪悪な植物を蔓延らせようとする魔女を見逃していけません」
ここは頑張りどころだった。
「神をも畏れぬ所業ですぞ」
ルネは声を張り上げる。
「うむ……」
クライスキーは今一つ踏ん切りがつかなかったのは魔女とやらが目的の癒しの技の使い手であるか確証がないからだった。
外した時が困る。
騎士団を動かすのも金が掛かるのだ。
何かしら保険になるものを確保しておきたかった。
「この地の特産産物は何かのお?」
「は?」
唐突に訊かれて戸惑った。
いきなり何を言い出すのだろうか。
土地の名物でも食べたいとでもいうのか。
困惑するルネにクライスキーは指で丸を作ってみせた。
「……あ」
金のことだ。
理解した。
金になりそうなものを聞きたいのだろう。
要は略奪の分け前の話だと判断した。
魔女討伐だけで引き込めるわけではないと気が付いたのだ。
枢機卿と言えども所詮は欲の皮の突っ張った俗物なのだろう。
つまり、同族だ。
「台下。この地の領主は石鹸の製造工房を持っているようなのです」
「ほう。石鹸とな」
石鹸の製造法は極秘である。
帝国直轄領の工房で製造されたものが帝国内に流通する石鹸の全てであって、教会ですらてが及ばない不可侵技術の一つだった。
それ故に手に入れば大きく金になる。
「さらに海洋貿易で香辛料を大量に貯蔵しているようで」
「ほう!海の彼方からか」
香辛料も高価な品である。
帝国では貴族くらいしかなかなか口にはできない。
胡椒は同じ量の金に匹敵すると言われているほどだ。
「かなりため込んでおるのかのお」
「ええ。船数隻分はあるかと」
「……それはかなりの量だのお」
胡椒は一樽で城が建ちそうなほどだ。
それが船の数だけあると。
クライスキーの無様な腹の中で革算用が始まる。
よしんば魔女がハズれでも充分な利益と費用補填ができそうだ。
「魔女討伐の援軍として神殿騎士を随伴させようかのお」
「おお。有難き……」
この破戒坊主めという言葉を飲み込んで、ルネは頭を下げた。




