1章 エルフ?な不思議少女 ~10 はじまりのはじまり
10 はじまりのはじまり
沙那は海岸沿いの小屋をクローリーに用意してもらった。
本来は海水から塩を製造する設備の一つなのだが空いているところを一つ借りたのだ。
石鹸の材料になる灰を作るための海藻が採集しやすいことと、火を焚く窯があること。
それに時間をかけて煮込むことのできる陶器の大鍋があるからである。
屋根のある設備は作った石鹸を熟成させるための場所としても好都合。
既存の施設でも最も手間も費用もかけずに済むからだ。
「エルフの魔法って不思議っスな~」
しゃがみこんだクローリーが、同じくしゃがみこんだ沙那の手元を眺めていた。
傍目に見れば仲良しというべきか、猿の子供が並んで座って何かしてるようにも見える。
「魔法じゃないよー。小学校の理科の実験ー」
そう言って沙那は木箆で鍋の中身をゆっくりとかき混ぜていた。
屋敷で渡された少しぶかぶかなウール地のチュニック姿である。
普通ならそこに足元まで伸びる長いずるずるのスカートを穿くものだが、彼女はチュニックの腰のあたりをベルトで絞ってそのまま裾を膝上丈のスカートのようにしていた。
しゃがむと実はちらちらと見えてしまう下着は麻でできたもので、やはり現地の一般的な装いだったがやはり動きやすいように絞り込んである。
沙那の世界ではそれほど可笑しな格好ではないが、この世界ではだいぶ『けしからん』格好ではあった。
「石鹸っていうのは油と水をアルカリで結合するだけの単純なものなのー」
木箆を動かすたびに、火にかけた鍋の中がゆらゆら動く。
焼いた海藻の灰を振るって粉末にして水と混ぜたものを鍋で火にかけているのだ。
煮えたぎってはいない。お風呂のお湯程度だろうか。
熱くなりすぎないようにときおり薪を調整している。
温度計がないので正確には測れないのだが、だいたいお風呂の温度くらいという朧げな記憶での作業だった。
「これをもちょっとしてから何日か放置して素を作るのー」
やがて沙那は火を止める。
ぬるま湯がアルカリの灰汁になるまで放置するのだ。
ただ、沙那はその時間をよく知らない。だから数日にすることにした。
授業で見たときは次の授業まで2日ほど空いたから、そのくらいじゃないかな?というとってもアバウトなものだ。
「ほんとはもっと正確なレシピがあると思うんだけどー……何度か試して最適解を探すしかないかなあ」
「ほ~」
クローリーは手にした蝋板に様子を書き込んだ。主に分量のメモだ。
蝋板は木版の表面を蝋で覆ったもので、硬い尖筆で文字を書くための黒板のようなものである。
紙のない世界では何度も繰り返して筆記できるノート代わりに使われるものだ。
「じゃあ、メモっておくっスな」
「ありがとー。でもけっこう時間かかると思うよー?」
沙那が立ち上がった。
腰をとんとん叩いて、大きく伸びをする。
体に対して大き目の服の上からでも胸の膨らみがはっきり見える。
立ち上がればぱんつは見えなくなるが色々けしからんことには変わりない。、
「作ること自体は2~3日だと思うけど、熟成して乾燥させるのにチーズみたいにしばらく寝かせなくちゃいけないから……」
「どのくらいかかるっスか?」
クローリーはしゃがんだまま見あげたが沙那のスカートの中身は見えなかった。
見えそうで見えないが、生足であるから十分に刺激的だ。
「だいたいー…………1ヵ月近くだった気がする。これも要!検証だと思うけどねー……」
「ほー」
この世界でも帝国直轄領で石鹸の生産は行われている。
その製法は門外不出であるからクローリーにも判らなかったことではあるのだが、方法自体はすでに確立されているはずのものである。
より高度な技術を持つ可能性の高いエルフができないはずはない。
クローリーはそう考えていた。
帝国直轄で独占管理することで得ている利益だが、アレクサンダー領のような辺境地域で生産加工になれば大きな特産品になるだろう。
販路をうまく開拓すれば現金収入化できる。
問題は生産効率と生産量なのだが、それはまだ皆目見当がつかない。
沙那の目算ではどのくらいなのだろうかとクローリーは、沙那の顔を見あげるが表情から読み解くことはできない。
「でも、それまで石鹸は貴重品かあー……」
沙那にとっては石鹸もだが、お風呂の都合をつけることも難題だ。
当分はというかもしかしたら今後しばらくは、たまにお湯を沸かせるものの普段は昼間の行水しかないのかなと思うと気が重かった。
そもそも商売や経済にはあまり詳しくない沙那には本当に石鹸が儲かるのか確信もない。
あくまで自分の生活環境の向上が目的でしかないのだ。
「水も大変だしー……もし石鹸で大儲けできたら上水道も引こうよー?水もだけど、お湯もあると良いんだよねー」
「水を引くのは賢者も言ってたっスなあ。工事費があれば続きをできるっスが……お湯は……水を焚くしかねーっスなあ。大きな鍋と窯作って」
「……そっかあー。それこそ魔法でちゃちゃっとできればいいのにねー」
下水道工事とともに上水道の整備も費用が尽きる途中までは行っていた。
塩水の混じりのない山地から町まで下ろすのだが、大規模なものは作れずに木製の樋で実験用に多少は流せるという程度のものだった。
今のところは城館の飲み水をなんとか賄える程度である。
「街も灯りが少ないしー……ガスも電気もないってだいぶ不便だねー」
沙那は作業中に使っていた革の手袋を外して、壁にかけた。
沙那にとっては電気がないのはかなり辛かった。
彼女の学校の知識で何かを行おうと思うと電気はとても大きな存在なのである。
ちょっとした化学変化を起こさせるためにも電気は不可欠なのだ。
加熱と自然冷却だけではできることが限られてくるというのもあるが、理科の授業で学んだこと多くが電子の交換による変化が多いので自然とそうなってしまうのだ。
「もっと安上がりに魔法が使えるヒントになればいろいろ違うんスがねえ」
クローリーはエルフ技術の再現自体よりも魔法の改良のためのヒントの方が大事だった。
エルフ技術と魔法の融合。むしろ都合の良い部分をつまみ食いしながら技術の改良がクローリーの研究の目的であるからだ。
「ダイヤモンドとか金とかを水や空気から作れれば良いんスがなあ」
それこそ錬金術だろうに、と沙那は思った。
「ど~お?進んでるぅ~?」
マリエッラが小屋に入ってくる。
旅装束ではなく沙那同様の服装である。
違うのは作業用の前掛けをつけていることくらいか。
緩いウェーブのかかった長い金髪をポニーテールに縛って、作業用の格好だ。
それでも沙那に比べても数段大きな胸の膨らみが大人の女性を感じさせる。
「頼まれてたオリーブオイル来たわよ。樽1個分」
後ろからシュラハトが樽を転がしてきた。
「絞る方が大変だったけどな」
無造作に切りそろえた黒髪から汗が滴り落ちつつシュラハトが樽を転がしてきた。
4人の中でもひときわ大きい筋肉質の体は本来作業用のそれではなく、戦闘用に鍛え抜かれたものだ。
運搬作業のコツはあまり掴んでいないのか、思ったより苦戦していた。
床の凹凸を樽が越えるたびに肩と腕の筋肉が盛り上がる。
「そーいえば……ここ風車みたことないねー」
「なんだ?いきなり?」
「ううん。粉を挽いたり、圧搾したりって風車使うのかなって思ってたからー」
沙那は指先で頭をかいた。
「オリーブ絞るのにどうしてるのかなーって。海沿いなのに風があんまり吹かないのー?」
「ま。それはあるっスが……」
クローリーはく頭を捻った。
そういえば帝国直轄領の一部には風車が建てられていたことは覚えている。
それがどう使われることまでは思い至ってなかったが。
「麦もパンより粥になってるものが多いみたいだから何故かなーって思ってたけど」
沙那は手で樽の置き場を示しつつ首を傾げた。
「石臼とか全部人力よりも風車とか使う方がずっと楽だと思うんだけどー……川や運河があるんだから水車でもいいかもねー」
「それがどういう……?」
「石鹸の材料を作る効率も上がりそうじゃない?人手が少なくて済むしー楽だしー」
「……ほう」
「将来的に上水道が出来たら、水のか流れを利用して水車を回すのもいいかもねー」
沙那の言葉にクローリーは少し驚いた。
車輪があるのにそれを動力として使用することを考えられたことがないのだ。
さらに減速歯車があれば効率はより上昇する。
投石器の巻き上げに減速歯車を使っているものもあるのだ。
「水車でござるか。水力発電ができるでござるな!ブフゥ!」
いつの間にか入口に賢者が立っていた。
「賢者殿。研究所の外に出るのは珍しいっスな」
「視察でござるよ。ブフゥ」
「……その発電ってどうやるんスか?」
「む……そ、それは……」
賢者は口ごもる。
私立文系な彼は理屈は判らない。
ただ、それがあった!はず!とだけで、名前は知っているが理論は判らない典型だった。
中学校レベルの理科や数学などできるわけもない。
「あー、あー……雷があるでござろう?あれだ。あれと同じなのだブッホウ」
彼の知識にあるのは凧で雷を捕まえたフランクリンの逸話くらいである。
もちろん蓄電するためのライデン瓶なんか判らない。
なんか成功したらしい!という知識だけだ。
「ほー。じゃー、魔法でも再現できなくはないスなー」
クローリーは魔術知識の中にある電撃を思い浮かべた。
「で、それをどうすればいいっスか?」
「お…おう……」
賢者はブヒブヒと言い淀む。
ここでなんと返すべきか。賢者は窮地に陥った。
周囲をちらちらと見つつ考える。
「だーーーーーっ!!そんなことよりお風呂!とお金をいっぱい稼ぐのが先だよーっ!!」
沙那が割って入った。
賢者は危うく助かった。
「あと、お花。花びらを集めてきてー……蒸して油取って石鹸に良い匂いも付けたいー!」
「ほー。あれは香水を入れるんじゃないんスか?」
「アルコールはダメ。香料がもっと色々あるといいんだけど……」
「香料……ッスか」
クローリーは首を捻って考えた。
「東の海の先の絹の国経由でなら、高価だけどあるはすっスけど」
「へー。じゃー……」
沙那はぐっと拳を握る。
「石鹸の次は船で貿易する商人をゲットしよーっ!……って、できる?」
「まー……調べてはみるっス」
たわいもない雑談が今後の彼らの行動指針を決めることになるとは、この時は誰も思ってもいなかった。




