鍵と錠
「フフ……ハハハ……ハハハハハハ!」
純白の城、荘厳で清らかな空気に満ちたそこに、あまりにも場違いな獣の笑い声が響く。
魔王。
自身の仕える主であろうそれを、あたかも庭の邪魔な枝葉を手折るかの如く、気軽にぼきりと首を砕いた人狼は、自らの足元に横たわる哀れな老人の体を見下ろしながら、満足気に息を吐く。
「なんだなんだ、仲間割れか!?」
眼前で起きた出来事を把握しつつも、私は思わずダキアに問いかける。
ダキアが魔王を殺した。その事実は理解できた。
が、何故殺したのか?それが分からない。
私は天才なので凡人の気持ちが分からないのだ。
天才の唯一の弱点と言えるかもしれない。
そんな私の問い掛けで、ようやく私がいるのを思い出したと言った風にこちらに視線を向けたダキアは、いつもの――いや、人狼化しているからいつもより凶悪なのだが、それでもやっぱりねっとりとした薄気味笑い笑顔を顔に張りつけ、私に返す。
「フフ……仲間割れ、うん、その通りさ。魔王様が迷宮の力を使ってしまっては僕の願いが叶わないからねえ」
「迷宮の力……?」
「んふふ、リガス君達に聞いてないかな?魔王様の目的はこの迷宮をそっくりそのまま外に顕現させること――古の王国を再生させることだ」
その辺りはダキアの言う通り、リガスから聞いた。
魔王は大昔に繁栄した国の王であり、その国の情報を迷宮として保存しておいた、という話だ。
そしてそれを地上に顕現させることが願い……ということは今まさに眼前のダキアが語ったが、ダキアはひとしきり語ると、どこか呆れたような溜息を溢し、言う。
「――全く、くだらない。そうは思わないかい?」
言いながら、ダキアはしゃがみ込み、先程自らが殺害した魔王の体を睨みつける。
「折角の願いを叶える機会、迷宮に込められた大魔力、それを何故そんな老人の懐古の為に使わなければいけない?僕はこんな迷宮、いや、過去の王国のことも、魔族のこともどうでもいい、ただ僕は僕の願いを叶えたいだけだ」
「……」
正直なところ、全くの同意である。
ここまで努力して辿り着いたのは私だ。
願いを叶える機会が一度しか無いと言うのなら、その機会を他の誰に渡すものか!
ていうか私の願いが客観的に見て一番尊く高潔な筈だからな!
尤も、その為にダキアが願いを叶えるのも困るので私としては何とか抵抗したいところだが。
どうにかして手足にへばりついたスライムを外せないか、身をよじる私の頭上から、機嫌の良さそうなダキアの声がまた届く。
「さて、そして……願いを叶える為の鍵、それがカミラちゃんのソレであることはもう気付いているよねぇ?」
「はっ、舐めるなよ天才だぞ、気付いてないわけが無いだろう!」
私のかけた呪いの首飾り、散々ザッパやカンナにも鍵だ鍵だと言われ、ドラゴンやダゴン相手にも不思議な力を発揮したのだ。
思えば、最初に使用した時に体が変化したのも『願いを叶える』という力の一端だったのかもしれない。
私の答えに満足気に頷くと、ダキアは満足気に頷き、続ける。
「そう、そして鍵があるということは、開けるべき鍵穴、鍵に合う錠が必要だ。それこそがこれ――魔王様の血だ」
言いながら、ダキアは先程手折った魔王の頭を掴み捻ると――ばきり、と、軽快な音と共に魔王の首が胴体と分かれ、裂ける。
「魔王様の血と、それに対応する鍵!この二つを以て城の最奥で儀式を行う!僕の調査ではそれで完璧に願いが―――――願い……が……?」
魔王の首を掲げ、高らかに勝利の雄叫びを上げるダキアだったが、そこで一つの違和感、決定的な計画の狂いに気付くと、信じられないとでも言うように、目をぎょろりと見開き、自身が掲げた魔王の首を見つめる。
――――血が出ていない。
首を捩じ切られ、細々とした骨と肉が零れ落ちても、血だけは一滴たりとも垂れていないのだ。
「馬鹿な」
驚愕の表情を浮かべながら、ダキアは魔王の首を両手で挟み込むと、微塵の躊躇も無く割り潰す。
しかし、それでも血は出ない。
渇いた老人の砕かれた頭からはただ、粉々になった骨の欠片がぱらぱらと零れ落ちるだけである。
「馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な!そんなことがあるか!?」
諦めきれない、と言った様子で、ダキアは残された魔王の体を爪で裂き、踏み砕き、噛み砕く。
が、やはりというべきか、血の一滴も滴ることは無く、肉体からは乾いて木片のようになった肉と骨の欠片が飛び散るばかりだった。
「馬鹿な、この体は、これでは――」
「――――人形の如し、であろう」
困惑した様子で粉々になった魔王の遺体を見下ろすダキアの呟きに応えるように、城の奥からゆったりと落ち着いた――血の底から響くような、重く低い囁きが響いた。
驚いて声の方を振り向く私とダキアだったが、一手遅い。
振り向き、声の主の姿を確認するよりも早く、一筋の閃光が走り抜けたかと思った次の瞬間。
ぼとり、と、重たく、柔らかいものが地に落ちる音と共に、私の眼前に毛深く、逞しい狼の腕が千切れ落ちた。
「なっ――がっ、あああああ!?」
何が起きたかも分からない一瞬の静寂の後、ダキアの苦痛に呻く叫び声と共に、それまで無い、無い、と探し求めていた血が辺りに降り注ぐ。
見ると、ダキアの左腕が付け根から吹き飛び、そこから夥しい量の瑞々しい血が溢れ出していた。
「――如何した?血を求めていたのであろう」
ダキアの絶叫の中にあって、不思議と絶叫にかき消されること無く、重く耳朶に届く声が、徐々に徐々に近づいてくるのを感じる。
こつん、こつん、と、静かに、淡々と響く靴音と共に、声の主が私の前に姿を現す。
それは、端正に整った美しい男の顔をしていた。
夜空の如く黒く美しい煌めきに、金色の紋様の刺繍された衣服――どこか私、いや、神殿の神官服に似ているだろうか、豪奢ながらも下品さを感じさせないそれを翻し、衣服に負けず漆黒に輝く黒髪は長く伸び、その頭頂部からは一対の黄金の角が生えていた。
ゆっくりと足取りを進めるその男の、美しくもどこか背筋がぞわりと震えるような恐ろしさ、凍り付くような雰囲気に、思わず汗が吹き出し、息が浅くなる。
これが誰か、など、言われずとも理解できる。
私が天才だから――――ではない。
例え誰であろうと、王都の学徒であろうと、田舎の木こりでも、いや、下水道の鼠でさえも、見た瞬間に直感的に感じ取ることが出来るだろう。
「魔王……!」
私がそう言うと、眼前の男……魔王は、どこか嬉しそうな、どこか寂しそうな、そんな表情を浮かべ、私の顔を見つめ返すのだった。




